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  襲撃6

 ピンと空気が張った。それに覚醒かくせいを促される。千穂は布団の中で自分の体をかき抱いた。


「っ!」


わずかな抵抗をあざ笑うかのように、また一段空気が冷える。気が付けばがちがちと歯の根が合わなくなっていた。


千穂はたまらなくなって潜っていた布団から顔を出した。そっと周囲を見渡すが、部屋の中に異変はない。だったらこの冷気はどこから来るのか。


千穂は一度扉を見てから携帯を探り当てて時間を確かめた。午前2時半。そういうやからが活発な時間帯だ。手まで震えてしまう前にと、千穂は壱華の番号を検索にかけ発信する。しかし、つながらない。


「だめか」


と、ある意味予想通りの結果に千穂は唇を噛んだ。じっとしているのがいいか、壱華の部屋に向かった方がいいのか。千穂の部屋の扉には壱華が術を施してくれている。そのためそう簡単に入っては来られないはずだ。しかし、入ってこられたら終わる。一人でここにいるのは危険に思われた。


 どうしようどうしようどうしよう


ここにいても人知れずわれてしまう気がする。廊下に出ても、一飲ひとのみにされてしまう気がする。どうしようをぶつぶつと繰り返す。口は動いているが頭は少しも働いていない。恐怖に体が、頭が委縮する。


 バンバンバンッ


扉が強くたたかれた。千穂は体をびくりと震わせる。何事かと目を見開いて扉を凝視する。


「千穂!大丈夫?開けて!!」


その声は壱華のものだった。ドアノブがガチャガチャと鳴る。開かないのだと、訴えている。だから、中から開けろと言っている。


「変な気配するし、千穂の携帯つながらないし!大丈夫?中に入れて?」

そうか、壱華ちゃんからもつながらないのか、とは思わなかった。千穂の頭をぐるぐると渦巻いているのは、壱華がしてくれた結界の説明内容だ。


「千穂!?」


何度聞いても壱華の声であるそれに千穂は震える、逃げるように布団をかぶる。説明はループする。開けるなと、記憶の壱華が言っている。


『この結界は妖にしか効かないから、私たちは普通にこのドア開けられるから』


そう言っていたから。


―お前は人間じゃない


ぎゅっと布団の中で小さくなり目を閉じる。嵐が去るのを待つ子供のようだった。去ることを待つことしかできない自分を千穂は突きつけられていた。じわりと恐怖と無力感に涙がにじんだとき、音が変わった。


ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン


壱華のふりをしても部屋の中には入れないとあきらめると、それは体当たりにでも戦法を変えたようだった。木製の扉がたわむ、ゆがむ、しなる。

 

怖い怖い怖い怖い怖い


基本、人でないものは招かれなければ部屋の中には入れない。それが基本事項。でも、基本だけでは生きていけないからこの世には応用があるのだ。教科書には発展問題まで書いてあるではないか。がちがちと歯が鳴る。体ががくがくと震える。体が、魂が恐怖する。


 ギシ


ひときわ不穏な音が扉からする。だめだと、死ぬなら痛い思いをせずにきたいと、目をつむった時、おぞましい悲鳴が響き渡った。


体をがんじがらめにしていた冷気が緩む。力は入らないも震えは止まる。暗い布団の中で、自分の手がそこにあることを千穂は確かめる。


「千穂!」


扉が開き、壱華の声が千穂を呼ぶ。千穂は布団をガバリと投げ捨てて長身の痩躯に抱き着いた。


「壱華ちゃん!」

ぎゅっとしがみつく。

「よかった!間に合って!」


壱華もぎゅっと抱きしめてくれる。その柔らかくしなやかな体は、およそ戦闘に向いているとは思えない。それでも壱華は千穂を守ろうとしてくれる。戦ってくれる。千穂は、そんな壱華に頼るしかないのだ。


「今の何?」


千穂の無事を確認し、後ろ手に扉を閉める壱華に千穂は尋ねる。見上げてくる大きな瞳に壱華は悔しそうに顔を歪めた。


「分からないわ、姿があんまりよく見えなくて」


ドアが壊れそうだったから慌てて攻撃しちゃって。こういうところダメよねーと壱華はため息をつく。千穂は壱華から体を離して電気のスイッチに手を掛ける。


 パチ

 パチ

 パチ


「点かない」

「まだいるのね」


壱華がまたため息をついた。そして札を1枚取り出しまじないを唱えた。ほのかに扉が白く光る。緩んだ結界が張りなおされたのを千穂は感じた。


「とりあえずここにいましょう」

「うん」


ここ以上に安全な場所は今ないだろう。下手に守りの薄い外に出る方が危険だ。


「本当、どこから入ってきたのかしら」


壱華はご機嫌斜めらしく胡坐をかいて座る。んーと長い指で頬を叩きながら思案する。


 ―一度、放課後に大量の妖が侵入した。あれは妖が自力で突破したと言うよりも、あの一瞬結界が消えたと言った方がいい感触がした。


「そんなことできるやつがいるってこと?」

そもそも

「この学校の結界ってどうやって張られてるのかしら」


土地神の力を利用しているのか、誰かが張っているのか。


「妖に対してもセキュリティがちゃんとしてるって言われても、仕組みが分からないんじゃどうしようもないわよね」


建物内に入れないように結界があるのは感じている。しかし、入ったものを浄化する結界は張られてはいない。だから、この建物は正真正銘ただの箱なのだ。


入ってしまえば勝ち。あの日から校舎を覆う結界が一度も緩んだ形跡はない。ならば今のは残党だ。


「どれくらい取り逃がしたのかしら」


ちょっと夜出歩いて減らして回った方がいいかしらね、と壱華は千穂にしてみれば恐ろしいことを言った。


「三人いるから、一人千穂について二人は残党減らし」

悪くない気がするわね、と壱華がつぶやいたとき


 ダンダンダンダンダンッ!


扉が激しくたたかれる。あるいは体をぶつけられる。その音から察するに敵は複数。


「おいでなすったわね」


さて、と壱華は立ち上がり長い髪を背に払う。やる気を入れる時の壱華の癖だ。壱華が手を組み詠唱を始める。扉に張られた結界が、その詠唱に反応して光をこぼし始める。外でいくばくか悲鳴のような声が上がった。


壱華が張った結界は、守りだけではなく攻撃性も持ち合わせているらしい。しかし


―いつまでもつだろう


効能が多いほど当然術としては高度になる。消耗する力が大きくなる。


「二人も呼ぶね!」


千穂はどうにかそれだけ言うと携帯を手に取り啓太の番号に発信する。―つながらない。樹は?―つながらない。メールは?ダメだ。


「電波無いわけないじゃない!」


千穂はそう悲鳴を上げた。その声に、壱華は応援は期待しない方がいいと判断する。


 ダンダンダンダンダン


音は続く。ミシ、ギシと時々怪しい音がする。


―この前も思ったけど

「本当、数だけは多いのよね」


組んだ手を振り下ろす。ぎゃーっと悲鳴が上がる。それは一つではない。


「雑魚の癖に!!」


1体1体は大したことはない。ただ、数が暴力となって襲ってくる。


 ゆるりと、千穂の視線の先で、扉から白い光がほどけるように落ちて行った。

―結界が緩み始めている。

 

ダンダンダンダンダンッ!


音が激しさを増していく。扉がしなり始める。たわんで、結界がなければはじけ飛んでいただろうとわかる形になる。


「させるかっての!」


床に手をつき、また短く詠唱する。扉を中心に床に円陣が現れる。白いそれに、またいくつか焼かれたようだった。


「破ッ!」


少なくとも千穂にはそう聞こえた。扉から突風が起きる。しなっていた扉が正しい形に姿を戻す。ぎゃーぎゃーと廊下が騒がしい。焼かれたものもいれば飛ばされただけのものもいるのだろう。そして後者の方が多い。数が減っているようには特別感じられない。


 千穂はただそれしか思いつかなくてどうにか携帯で2人に連絡を取ろうとする。電波が届きません。―ただ今電話に出ることが出来ません。―電波の状況が不安定。


「もう!!!」

苛立ちと比例するように、外の気配は増えていく。

「どこから供給されてんのよ」

ぎりと歯を鳴らしながら壱華は札を構える。


 ギリギリ


削るような音がする。ハラハラと光が落ちていく。結界を破る専門の妖でもいるのだろうか。壱華が詠唱を始める。札が青白く光り、意志を持っているように揺れる。こぼれた光が持ち上がり扉に吸い込まれていく。かと思えばこぼれる。浮く。剥げ落ちる。吸い込まれる。ただただそれを繰り返す。

 これじゃジリ貧だ。


「だから!つながってってば!!」


千穂は携帯を持ってどこかに電波はないかと部屋を駆け回る。背が足りないのかと伸びをする。ベッドに上る、椅子に上る、そこでまた背伸びをする。電波よ来いと言いながら振り回す。しかし、どうあがいても携帯は電波を拾わないのだ。


「不良品!」


絶対に違うのだが、千穂はそう言って携帯をベッドにぼすっとたたきつけた。


―分かってる

―つながらないだけ、ただつながらないだけ

―外の奴らがそうしてるだけ


千穂は壱華の背を見つめる。長い黒髪が霊力で踊るように舞っている。それは幻想的な美しさで。千穂は自分の手に視線を落とす。


 先生は、お祈りの仕方を教えてくれた。どうやって気持ちを込めるのか、どうやって思いを込めるのか。でも、それは


『千穂、あなたにできるのは剣に力を注ぐこと。あなたがその身の内にため込んだ力を分け与えること』


剣のための祈り。黄金の光を、妖にうずもれさせないようにするための祈り。


「私は」


何もできない。


 ミシミシ


扉が再び形を変え始める。押され始めた。多勢に無勢とはよく言ったものだと、どこか冷えていく頭で思った。


―剣があれば

剣はない

―剣があれば

剣を使える者はいない


『大丈夫だよ』

『泣かないで』


そう笑ってくれた優しい少年はもういない

―剣があれば!

貴輝たかきがいれば


たかちゃん!!」


バカバカバカバカバカバカバカ


「貴ちゃんのばかぁ!!!!」


千穂が全力で叫んだのと、バキっと乾いた音を立てて扉が壊れたのは同時。妖が廊下から流れ込んでくる。


「ちッ!」


壱華が舌打ち一つ、札で不可視の結界を自分たちと妖の間に構築する。静かに結界が作られていく音がする。がたがたと、ばたばたと妖が部屋に入り込んでくる。結界の存在を悟って止まり、ただただ睨みつけてくる。状況は膠着。


―ルルルルルル


その音は


「へ?」


望んだ音だった。千穂が懸命に鳴らそうと、懸命につなげようと。ああ、なんてはかない音だ。千穂が呆然と光る携帯を見てそう思った時、

つと音が切れる。


「もしもし???」


その寝ぼけた声は。


「啓太!すぐ千穂の部屋に来て!妖の集団が攻めてきたの!」


壱華が叫ぶ。叫びながら結界に突進してくる獅子のような妖の口に札を放り込む。体の中で霊力を爆発させられ、それは跡形もなく消え去る。味方に連絡がついたことで、壱華の士気が上がる。


「―千穂は絶対にやらないから」


ぺろりと唇をなめる。低い、強い声。それに、千穂は自分の瞳が揺れたのが分かった。自分は、彼女に何をやらせているのだろう。なんで彼女は戦っているのだろう。


壱華は、こんなにもきれいな少女なのに。札を手に取り、自分と妖の間に立ちふさがる。答えは決まっている。知っている。何度、そうだと聞かされたのだろう。


「私が、銀の器だから」


ぎゅっと胸の前で両手を握る。目が熱くなる、涙がこみ上げてこようとしているのが分かる。


―だめだ!泣くな!泣くなっ!


懸命に首を横に振って耐えようとする。耳に届くのは壱華の詠唱、妖の怒号、悲鳴、うめき、叫び―ああ、なんて耳障りなんだ。この世界は、どうしてこんなに恐ろしい。


もう嫌だと力なく思った時、部屋が明るくなったのが分かった。閉じていた目を開く。千穂の頭の上で、煌々と輝く炎の鳥がゆったり羽ばたいていた。琥珀の瞳で妖を値踏みするように眺めると、その細いくちばしを開いた


 キ――――――――――ン


無音のような、空気が細かく振動するような衝撃。それがこの鳥のさえずりなのだと気づいたのはいくつの時だったか。その声に、弱い妖がぼろぼろと姿を消した。


「遅い!」

壱華が叫ぶ。

「悪かったな!」


真夜中に電話鳴らされる身にもなれよ!と啓太は力任せに両手の小太刀を振った。


「こっち狭すぎる。結界もう少しそっちにずらせ」

「分かってるわよ!」


うるさいんだから、と言いながら壱華は口早に何かを唱える。するりと結界が千穂に近づいた。暴れるための領域を確保してもらった啓太は乱暴に笑った。


「俺の安眠を妨害した報いを受ける覚悟はできてるんだろうな」

「いいから早く倒してくださーい」


気づけば結界の中に樹も来ていた。この鳥がいるのだからそりゃ当然かと千穂は丸い目で樹を見つめた。


「この前みたいに消し飛ばせる?」

樹が壱華に確認する。

「この結界弱くなっていいなら」

「分かった。結界死守する」


樹は燃え盛る鳥を結界の外に移動させた。


 キ――――――――――ン


鳴き声が響き渡る。それは雑魚を一瞬で吹き飛ばし、残った妖の力を着実にそぎ落とす。羽ばたきと同時に落ちる火の粉は、妖に触れた途端に業火となり飲み込んでしまう。啓太は結界の前に立ち、妖が結界に触れることを阻止する。


 千穂の目の前で、ゆるゆると壱華の髪が持ち上がって行く。彼女の周りで霊力が高められていく。それは彼女の体内にあるものを呼び覚ましているのか、この土地に根付く力を集めているのか、千穂にはわからない。


ただただ強く大きく、凝縮していく。その先は手にしている札だ。長く長く詠唱を続ける。風が巻き起こり、壱華に吸い込まれていく。


 その異変を察知して、妖は壱華を攻撃の目標にしたいようだったが、鳥と啓太と結界に邪魔をされて壱華までたどり着けない。


 パリーン


軽やかに音が鳴る。結界が割れる。割れた結界さえも壱華は吸い込む。それを合図に啓太は壱華の後ろまで退散する。樹も火の鳥を自分の肩に止める。妖は今だと壱華にとびかかるが、その爪が、牙が、指が、届く前に壱華が霊力を放出する。密度の高いそれが大きく爆発し、その威力に体が吹き消されていく。


―ああ


終わった。千穂は、ぼうっとそう思った。


 チチチチ


っと蛍光灯が音を立てて部屋を照らした。散々のありさまだった。傷だらけ砂だらけ。明日が大変だと考えているうちに巻き起こった風が徐々におさまって行く。ばたばたと教科書や参考書の類が落ちてくる。ぽたんとぬいぐるみが千穂の頭を打った。白いウサギの。


―貴ちゃんのは茶色だった


そう思って見つめていると。


 ピリッ


肌が泡立つ。はっと顔を上げた時には首だけになった妖が牙をむき千穂にとびかかってきていた。とっさのことに、啓太も、樹も、樹の炎の鳥も、動けない。壱華の詠唱も追いつかない。ぬるりと、大きな牙がその存在を主張していた。これが、自分を貫くのか。そう思い、やっと恐怖が追い付く。


「やっ!」


千穂はぎゅっと目を閉じて体を丸める。しかし、覚悟した痛みはやってこない。そろそろと目を開くと、ざらざらと砂がこぼれていくところだった。砂のこぼれてくる場所をたどって、ゆっくりと視線を上げる。千穂の前にあるのは、長い黒の髪。つんと鉄のにおいがした。


「壱華!」

「うるさい!血、止めるから包帯かなんか持ってきて!」


壱華に言われて樹がバタバタと部屋を出ていく。壱華は床に膝をついて腕を抑えていた。啓太が壱華に近づき腕を持ち上げさせる。


「あ」


やっと、何が起きたのかを頭が理解した。そして、一つの言葉が頭をいっぱいにする。


―私のせいで壱華ちゃんが怪我けがをした


ぐるぐると回り続ける。ただただそれだけで。ぱたりと腕が落ちる。千穂の腕から落ちた白いウサギがころりと床に転がった。


千穂が呆然としている間に、壱華は簡易的な術で治癒を試みていた。樹も救急箱を手に戻ってきて、手当てをする。


「とりあえず、血は止めたわ」

「でもあんまり動かない方がいいよ。壱華は治癒は専門じゃないし」

「分かってるわよ」

「とりあえず、電気もついたし、もう襲ってはこなさそうだね」


樹が部屋をぐるっと見回して確認する。


「一応、固まってた方がいいだろう」

啓太も見まわしながらそう言った。樹がそれに頷く。

「泊まっちゃって平気?」

「構わないわ」

壱華は立ち上がるとため息をついた。

「もう、このラグ買い換えたほうがいいわね。汚しちゃった」


ごめんね、千穂。そう振り返ると、千穂は壊れた人形のような目をしていた。それに千穂が何を考えているのかすぐに理解して、壱華は千穂を揺さぶった。


「千穂!いい?これは千穂のせいじゃないからね?私たちの詰めが甘かったからなの!気にしちゃだめよ?」

「あ、あ、うん」


その勢いに、千穂ははっとするも頷くことしかできなかった。それに壱華はどこか不満そうな顔をしながらも体を離した。


「とりあえず、お茶にしましょうか」


そんなことを言い出した壱華を寝かしつけるのに、男性陣は苦労した。


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