1.侵入1
がさがさと草を掻きわける。雨上がりのにおいがする。土がぬめり、足場が悪い。しかし、それにも負けずに千穂は走った。
「貴ちゃん!貴ちゃん!!どこ!?返事して!」
貴ちゃん!!呼べば、必ず答えてくれる人。助けを求めれば、必ず一番に駆けつけてくれる人。なのに
「どうして・・・」
懸命に駆ける千穂の足は徐々に勢いを失い、とぼとぼと歩き始めた。俯き、ぎゅっとお気に入りのワンピースの裾を握る。
「貴ちゃん」
ぽたぽたと涙が零れ落ちる。にじむ涙が視界を悪くする。
「千穂!!」
それは、少年の声。しかし、貴輝のものではない。
「啓太ぁ」
千穂は、力なく振り返り少年の姿を視界に入れた。駆け寄ってきた少年は、千穂の様子から貴輝がまだ見つかっていないことを悟る。
「こっちはだめだ」
啓太は首を横に振った。涙がぼたりと地面に落ちた。それを見て、啓太は千穂の肩を掴み揺らした。
「泣くな!貴輝に一番近いのは千穂なんだ!弱気になってたら、気づくものにも気づけないぞ!!」
しっかりしろと厳しい顔で言われる。千穂は、きゅっと唇をかみしめて涙をこらえる。懸命に泣くまいと手の甲で目をこする。
「・・・探す!!」
「よし!その意気だ!!」
にこっと啓太は笑うと、千穂の手を引いて遊び場である森の中を歩き出した。一つ年上の啓太の手は、千穂のそれより格段に大きい。その手をじっと見つめながら、千穂は歩を進める。
チチッ
それは、なんだったのか。ただ、何かが千穂に訴えかけてくる。千穂は、足を止めた。突然歩かなくなった千穂に、啓太も足を止め振り返る。千穂は、ただじっと一点を見つめていた。啓太は、その視線を追う。
「洞穴」
入ってはいけないと口うるさく言われて育ったその場所を、千穂は見つめていた。
「何かあるのか?」
千穂の感覚は鋭い。彼女の勘はよく当たる。幼馴染の啓太はそれをよく知っている。答えない千穂に首をかしげながらも、千穂が注意をひかれるならそれには意味があるのだろうと洞穴に向かって足を進める。
「入っちゃダメだって・・・」
「でも、気になるんだろ?」
啓太の言葉に千穂は押し黙る。気になっている証拠だ。
「ちょっとだけ見てみようぜ?」
な?と啓太に言われて、千穂はおずおずと頷いた。この少年は、同年代の中でも体格がいいことを千穂は知っている。とても優しくて、とても強い。-貴輝はもっと優しくてもっと強いけど。
「おーい。貴輝ー。いるかぁ???」
おーいと声が木霊した。啓太は耳を澄ませてみたが、自分の声が反響する音しか聞こえなかった。それに、いないのかな?とぼやきながら、啓太は洞穴に足を踏み入れた。直接雨が降りこんでいないとはいえ、湿った空気がこもっていた。居心地のいい場所とは言えなかった。
―ちょっと確認したらすぐに出よう。
と啓太は判断する。ざくざくと、親の言いつけは破るためにあるを身上とする啓太は、大人たちの言いつけも気にせず歩を進める。子供の足でも、すぐに終わりに着くほどに、入るなと言われた洞穴は短かった。しかし、洞穴という場所にはふさわしくないものが目に入る。
「エレベータ??」
啓太はクエスチョンマークを頭の周りに飛ばしながら首をかしげた。帰ろうと千穂がちょいちょいと腕を引っ張ってくるが、興味がわいてしまった啓太は千穂の意思を無視した。
「ちょっとだけ」
な?とまた言われる。啓太の「な?」はろくなことが起きないと千穂は経験上知っている。なんていったって幼馴染なのだ。
「また怒られるよ~」
啓太が。千穂は自分が怒られるとは思っていない。そういう立ち位置なのだ。啓太は千穂の言葉を無視して、えいとエレベータのボタンを押した。するとエレベータはすでにこの階に来ていたようで、すぐに扉は開いた。啓太と千穂は、動きを止めた。顔からは表情が消える。
―そこにいたのは、探し求めていた少年。千穂の二つ上、啓太の一つ上の少年。名を龍堂貴輝。千穂を守ると誓ってくれた少年。
「・・・貴ちゃん?」
千穂の震える唇からこぼれたのは、乾いた声だった。ふらふらと千穂はエレベータへと歩いていく。するりと、千穂の手は啓太の手を抜けて行った。その感触に、啓太ははっと自分を取り戻した。
「千穂!」
待て!という前に、千穂は倒れている貴輝に触れてしまった。
ひやりと冷たい感触が伝わってきた。
「貴ちゃん?」
嘘だと、頭の中で木霊した。だって、貴輝はいつも温かいのだ。その笑顔も、触れてくる手も。なのに
「どうして??」
どうして冷たいの??幼いとはいえ、本能的に告げてくる何かがある。脳裏に浮かぶ言葉がある。それを振り払ないながら、千穂は叫んだ。
「貴ちゃん!!!」
「千穂!」
啓太が千穂を貴輝から離そうと手を伸ばしてくる。それから逃れるように、千穂は貴輝にしがみついた。
「嫌!!」
千穂は嫌だ嫌だと首を横に振る。
「貴ちゃん!起きて!目を開けて!!」
半狂乱になって叫ぶ。
「貴ちゃん!!」
自分の声に、千穂ははっと目を覚ました。
肩が揺れる。手が震える。呼吸が荒くて、背を冷たい汗が伝っている。
「・・・・夢」
千穂は、大きく息を吐き出した。体がゆっくりとベッドに沈み込む。無意識にぎゅっと握っていた布団から、千穂は手を放した。いくつか深呼吸をして、千穂は時計を確認した。
「―4時」
もぞもぞと寝返りを打つ。
「まただ」
最近夢見が悪い。季節は初夏。5月も終わりに近づき、柔らかかった黄緑は、生命力にあふれる緑へと変わりつつある。その色は夏を予感させる。そんな、いい季節。しかし、千穂が見る夢は、貴輝がこの世からいなくなった時のことばかりだ。頬を涙が伝う。
―ねえ、貴ちゃん。
千穂は心から語りかける。
―私、もうすぐで16歳になるの。
―銀の器として覚醒するんだって。誕生日が目覚めの日だって、先生が言ってた。
「貴ちゃんのばーか」
自分を置いて行ってしまった貴輝に、そう悪態をついて、千穂は体に足を寄せ丸まった。しばらくして、すやすやと規則正しい寝息がひっそりと部屋に響いた。
※
ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ―
電子音が部屋にこだまする。それに覚醒を促され、千穂はゆっくりと目を開けた。うっすらとカーテンの隙間から朝の光が入ってくる。
「あさ・・・」
もう、そんな時間か。と千穂はむくりと起きて目覚ましに手を伸ばす。時計の頭についているボタンを押して電子音を止める。そして、桃色のその時計を手にしたままぼうとベッドの上に座り込んだ。
「また、貴ちゃんの夢を見ちゃったな」
ぽつりとつぶやかれる。何年前かなんて計算したくない。数えれば数えるだけ、貴輝が遠くなる気がした。
「千穂??」
起きてる?と扉が開かれる。その控えめな声に、千穂ははっと現実に引き戻される。
「起きてるよ!!」
ぴょんとベッドから飛び降り、かけてある制服に手を伸ばす。制服は、冬服から中間服に移行していた。セーラーのシャツを着て、その上にジャンバースカートを羽織る。数秒で着替えを終えて、千穂は声をかけてきたその人の前に笑顔で立つ。
「おはよう!壱華ちゃん!」
その騒々しさに苦笑しながら、千穂と同室の壱華も挨拶をかえした。
「おはよう、千穂」
ほら、さっさと準備して。と壱華は長い黒髪を揺らしながら自室へと帰って行った。
―いいなーまっすぐの黒髪。
柔らかくて、すぐ寝癖のつく自分の髪をじとっと見つめて、千穂はそんなことを思う。ぱたんという壱華が扉を閉める音にはっとして、慌てて洗面台に駆け込む。案の定髪はあっちこっちうねっていて、千穂は悲鳴を上げた。
「もう!時間足りないよ!!」
うわーと悲鳴が、いつも通り響いた。
※
食堂に朝食を摂りに、千穂と壱華は5階下に降りた。7時過ぎは混雑する時間だ。しばしばちらちらと視線を感じるが、壱華は涼しい顔で進んでいく。
―飯島壱華はこの学園でも随一の美少女として有名なのだ。切れ長の目、白い面差しにまっすぐに伸びる黒髪。強い意志に輝く黒い瞳は星空のようだと千穂は思う。
「あ、啓太」
壱華が背の高い少年に声をかけた。少年はだるそうに振り向くも、声をかけた主が壱華だと分かるとパッと笑った。
「おはよう、壱華」
一つ上の啓太は体格がよく、180㎝近くの長身だ。肩幅もある。
「おはよう」
千穂も壱華の後ろから顔を出して啓太に挨拶をする。
「おはよう」
人懐っこい笑顔に、心が和むのが分かる。相変わらず大きいなと啓太を見上げていると、ほら、とお盆を渡された。
「席は適当に取っとくから、朝飯もらって来いよ」
焼き魚定食をお盆にすでに乗せていることを確認し、二人は啓太の申し出を受け入れる。
「じゃあ、頼んだわ」
「お願いー」
壱華と千穂は朝食を確保すべく歩き出す。
何にしようかなーと千穂はあたりを物色する。和にするか、洋にするか。うーんと唸り、きょろきょろとあたりを見渡す。そして、フレンチトーストが目に入った。こんがりとしたやけ目が美味しそうだ。千穂はそれにしようと即決する。
「きーまった」
壱華とはぐれても、啓太を目印に集まれば合流できる。目立つ幼馴染がいてよかったと千穂は鼻歌を歌いながら思う。
千穂は無事にフレンチトーストとサラダ、牛乳を手に入れて席に着いた。啓太が立っていてくれたおかげですぐに席を見つけることが出来た。壱華が来れば食べ始めることが出来る。早く食べたいなーと足をぶらぶらとさせていると、前に座っていた樹に話しかけられた。
「千穂、顔色悪くない??」
「そう?」
少しぎくりとしながら、千穂は笑って見せる。樹の言葉に、啓太も千穂に視線をやる。啓太は首をかしげる。
「そうか?」
「そうだよ」
しっかりしてよと、樹が啓太を小突く。啓太と樹は兄弟だ。年は結構離れている。啓太は今年17歳になる高校2年生、樹は今年11歳になる小学5年生だ。この兄弟は、弟のほうが気が利いて頭が切れるということで有名である。
「ちゃんと寝れてるか?」
樹の言葉に心配になったのか、啓太はそう問いかけてきた。
「寝れてるよ」
千穂は笑う。
―貴輝の夢を見ると、言ったらどんな顔をするだろう。心配するに決まっている。だから、言わない。
「確かに、なかなか予習は終わらないけど」
「いいじゃん、やらなきゃ」
「勉強はして」
樹が厳しく兄にそう言うと、壱華がやってきた。
「ごめんなさい、待たせちゃったわね」
そんな壱華が選んだのは和食だ。壱華は和食派だ。壱華が隣に座ると、千穂は両手を合わせた。
「いただきまーす」
千穂のその声をきっかけに、四人は食事を開始した。
「ねえねえ、壱華。壱華からも言って。兄ちゃん全然勉強しないんだけど」
「なんて言ったらするのかしらね」
樹の依頼に、壱華は眉根を寄せた。ちらと啓太の顔を見上げる。
「弟に心配されてるけど、そこらへんどう考えてるの??」
秀麗な顔に上目づかいで見つめられて、啓太は言葉を詰まらせる。目を泳がせながら、細い声で答えた。
「―来年から本気出せばいいかなーって」
「それ、中2の時も言ってた」
うっと啓太は唸る。高校受験は大騒ぎだったのだ。千穂たちが生まれ育った村は小さすぎて学校はなかった。バスに乗って隣町の学校に通っていたのだが、その町の高校に合格できないと言われたのはここ最近のような気がする。
「―いいだろ!受かったんだから!!」
その話はやめだやめだと啓太はそっぽを向くと、ご飯を掻きこんだ。その姿に樹はため息をつく。樹は啓太とは違って繊細な線をしている。細くて、美少年という言葉が似合う。声変わりもまだ迎えていない少年は、兄の将来を案じながらみそ汁を飲むのだった。
「変な兄弟」
「千穂のとこだって変らないだろう?」
「そうかなー」
「変わらない変わらない」
「そりゃ、未海のほうが勉強できるけど」
啓太のからかいに、千穂はむくれる。千穂には二つ下の妹がいて、妹のほうが勉強もできれば背も高い。あと、母親に似て美人だ。
「私だってお母さんの子なのに!!」
おかしい!と千穂は抗議の声を上げる。
「千穂のお母さん、才色兼備で有名だからな~」
「兄ちゃん、年下をからかうのやめて」
「別にからかってないよな」
「からかってるもん!!」
知らない!と千穂はそっぽを向いた。パンと手をたたいたのは壱華だ。恐ろしいほどきれいな笑顔で壱華は言った。
「みんな食べ終わったみたいだし、そろそろ行きましょう?」
三人は逆らうことなく頷いた。席を立ち食器を片づける。生徒の波に乗り出口へと向かう。
チリと何かが頭で小さくはじけて、千穂は後ろを振り返った。そこいるのは自分たちと同じ学生たちだけだ。
―まただ。
気持ち悪い。唇だけでそう言って、千穂は三人の背中を追った。