接近3
ぶくぶくぶくと千穂はお湯の中に息をふきこむ。肺を空っぽにするように根気強く息を細く細く吐き出す。泡はどんどん小さくなり、千穂の限界が近づいてきていることを告げていた。それでもふるふると震えながら千穂は最後の最後まで息を吐き切った。
「はっ!」
ぱしゃっと軽く水をはねながら顔を出す。息を整えながら、湯気に包まれて視界の悪くなっている風呂場を見渡す。一室に一つ備え付けられている風呂場は千穂の家のものより広くきれいだ。それをたかだか小学生から高校生の子供のために全室用意するのも恐ろしいと考えていると、息が整った。ふうともう一度息を吐く。視線を湯船に落とす。
「何してるんだろう」
外出なんてしている暇ではない。今はそんな時ではない。でも、それを伝えずうまく断る術が思いつかない。昨日の一件で二階堂も二階堂で何かを掴み始めているようだったし、敵か味方か判別のつかない状態で彼が情報を掴んでいくことは本来なら避けたい。でも、彼の詮索からも自分はうまく逃れられない。
「ああ、もう」
顔が一層湯船に近づく。ぴちゃんと毛先から湯船に吸い込まれるようにしずくが落ちる。
「もう少し賢かったらよかったのに」
もう少し、運動が出来たらよかったのに。もう少し、大人っぽかったらよかったのに。気づけばどんどん欲張りになり、筋がずれていることに気づき千穂はまたもため息をつく。
「だめだ」
一人でどうにかしようとするのはあきらめよう。おとなしくみんなに話して知恵を拝借しよう。そう解決策のための解決策を導き出して、千穂は体を洗うべく浴槽から身を上げた。
※
全員だんまりを決め込んだかのような空気だった。壱華は額に手を当て、啓太はじっと湯飲みを睨みつけ、樹はぼうと抱えた膝を眺めている。その空気のどんよりさに、千穂はいたたまれなくて正座をしている。床にカーペットを敷いておいてよかったと本気で思う。
「あー、じゃあ、まずさ、問題を整理しよう」
口火を切ってくれたのは樹だ。最年少だが頼りになる!と目をきらめかせて千穂はガバリと樹のほうに体を向けた。それに若干引き気味になりながら樹は壱華に頼んで紙とペンを用意してもらう。
「まず、目下の俺たちの問題は」
1千穂の銀の器としての目覚めの日が迫ってきている。(千穂の誕生日、6/13)
→目覚めたら今までより近づいてくる敵は増えてくる
→銀の器を守る黄金の剣の使い手が不在
2この前たくさん妖怪が校舎内に侵入し攻撃を仕掛けてきたが、あれだけの妖怪を手引きしたのは誰か
3二階堂は敵か味方か(場合によっては2の答え)
※剣の使い手には不足ないほどの霊力を持ち合わせている模様
「こんな感じ?」
ルーズリーフに樹は現状を書きだした。
「で、今日加わったのは」
4友達に外に出かけようと誘われたがどう断ろう
5二階堂になんか詮索されているようだけどどう逃げ切ろう
「ってこと?」
「そうそう!」
千穂は頷く。すごいすごいと目をキラキラさせる。それに対して啓太はげんなりしている。
「問題、5つもあるのかよ」
「仕方ないじゃない」
千穂の誕生日が来たらこんなの普通になるわよ。と壱華は啓太を小突いていたが、その言葉はぴくりと千穂の体を震わせた。
―そうか、これが日常茶飯事になるのか
もっとも、雑魚と呼ばれる類の妖には何度も狙われてきたけれど。そのたびにみんなが助けてくれた。だから千穂は、3人とは離れられない。きゅっと胸元を握る。それに樹が気付く。
「千穂?」
「え?ああ、なんでもないよ」
千穂はぱっと手を放して樹が書いたルーズリーフに視線を落とす。しかし、千穂はそこに書いてある文字を読めはしなかった。
ドキドキと心臓が騒いでいる。怖いと、恐怖が体に広がっていく。それを振り払うために首を振りたかったが、それもまた注意を引いてしまうだろう。
―普通にしなきゃ
そう思い、つばを飲み込む。ただただ自身を落ちつけようとしている千穂の耳に飛び込んできた樹の声は驚愕に値するものだった。
「―本当に出かけちゃいけないのかな」
「はあ?」
一番最初に反応したのは啓太だ。
「ここから出るの危ないだろう」
「だって、中にいたのに襲われたんだよ?」
「それはそうだけど」
「だったら、中にいても安全じゃないでしょう?」
クルリとした目で見つめられ、啓太は眉根を寄せて黙り込む。
「でも、外よりは安全だと思うわよ」
「俺もそう思う」
壱華の言葉に樹はこくりと頷いた。それに、壱華もは?と首をひねった。
「だから、中に妖入れた奴もわざわざ入れたと思うんだよね」
「まあ、そうね」
一度入れてしまえば、出すことは難しい。しかし、確実に千穂を狙うことが出来る。ここは箱だ。絶対に千穂はこの建物の中に帰ってくるのだから。
「今回中に入れた奴らしか敵はいないというのは確かだと思う」
中だけならね。樹は人差し指を立ててみせる。
「ってあっちも思ってると思うんだ。別に特別に意表をつけるわけではないと思うけど、千穂が外に出るのは計算外なんじゃないかと思うんだよね」
小さなことなんだけど。
「―それであっちがぼろ出せばラッキーだって?」
啓太が樹が言わんとすることを続ける。樹は頷いた。
「あの日しか本格的に攻撃されていないけど、確実に残党はいるし、千穂にも実害は出てる。千穂を狙っているやつは確実に中にいる」
「私たちは、基本そいつが動くのを待つしかない」
「これはちょっとした反抗だよね」
反抗になるか分からないけど。壱華の言葉に樹は肩をすくめる。そんな樹に千穂は感嘆の声を上げる。
「―樹って、本当に小5?」
「―兄ちゃんがいる分ませてるんじゃないですかね?」
大した兄ちゃんじゃないけど、と付け足すことも忘れない。はいはい、大した兄じゃなくてすいませんでした、とお決まりの啓太の台詞が続く。
「壱華も誘ったらって言われてるんでしょう?」
「あ、うん」
兄弟のやり取りに苦笑いをしていた千穂は慌てて頷いた。
「じゃあ、壱華がついて行ってよ」
「俺たちはどうするんだ?離れてついてくのか?」
「そこなんだよねー」
啓太の言葉に、うーんと樹は唸った。
「一緒に行った方がいいのか、中にいて様子見したほうがいいのか」
「残党処理とかな」
「それは難しいと思うけど」
異変は中に起きる気がするんだけどな~と樹はぼやいている。
「なんで?」
「だって、たぶん敵は中にいるじゃん。だったらまずは中で騒ぐかなって」
「動揺が俺らまで伝わってくるかなー」
てか、動揺するかも賭けなんだろう?啓太はがさがさと頭をかく。
「うん。だから普通に遊んできてとしか言えないけどね」
作戦とも言えない作戦だけど。でも
「気分変えるのも大事でしょ?いつもと違うことしてみるとか」
「まあな~」
啓太はぼさっとソファに横になりながら答えた。
「俺と樹がどうするかは当日までに考えるわ」
啓太は投げやりにそう言った。
「じゃあ、一つ解決ね」
と、壱華は4を線で消した。それを見て、少し機嫌がよくなったのか壱華は笑って後ろの啓太に紙を見せる。
「ほら、あと4つよ」
なんか気分いいわね、と壱華は笑うが、啓太はそうか?と眉根を寄せるだけだった。
「何よ、つれないわね」
壱華はぼすっとソファを蹴った。
「だって、4つは俺にとっては多いもん」
多いもんじゃないわよ!減ったことが大事なんじゃない!と壱華は頬を膨らませて千穂の方へ帰ってきた。これはしばらく機嫌悪そうだなと千穂は思った。
「はーい。次行きまーす」
樹がまた紙を覗き込みながら手を上げる。
「―結局二階堂が敵か味方かってところかー」
「結局はそこだよな」
よいしょと啓太は上体を起こす。
「敵じゃないならこっちに欲しいよな」
啓太のその言葉に3人は頷く。
「その敵じゃない判定が難しいんだよね」
樹は目を細める。
「昨日のだって、二階堂の自作自演じゃないって言いきれないんだし」
二階堂だけが気付いて、二階堂が千穂を助けて、そして彼はけがの一つもしていない様子だった。
「怪我はしてても怪しいけどな」
結局と水を差す啓太に、樹はため息をつくだけだった。
「自作自演ってことは、私たちに味方だと思ってほしいってことよね」
「俺たちに近づいてどうするんだ?千穂を手に入れてどうするんだよ」
あいつ要らないだろう。
「お使いかもしれないじゃん」
お父さんの、と樹は自分の兄の方に振り返る。それくらい考慮に入れろと目で訴える。その目に負けて、啓太は視線を外した。
「あのね」
千穂は、放課後の所感を思い出して口を開いた。全員の注意が千穂に向けられる。
「二階堂自身はね、たぶん銀の器とか、剣のこととか、それと私の関係とか、知らないと思う」
「なんで?」
樹が問いかける。
「二階堂、私に見えるの?って聞いてきた。よく、ちょっかい出されるの?って」
自分は見かけるしかしたことないからって。
「―なんか、初心者もいいとこな質問だよね」
樹はどう思う?と壱華を見上げる。壱華はうーんと頭を悩ませる。
「―そこまで演技だとして、それはうますぎよね」
「できすぎ?」
「てかさ、もうただの友達でいいじゃん」
啓太が入ってくる。
「千穂に近づきたいんだったら、同業とか、仲間とか関係なく、ただのクラスメイトポジションでいいじゃん」
てか、あいつ頭いいんだろ?
「俺が見ても分かるイケメンだしさ、やる気出せば口説こうとかほかにやり方あるじゃん」
まだるっこしいんだよ。
「・・・・・じゃあ、質問は素ってことですか」
樹が啓太に確認を取る。そう問われると断言もできず、啓太は唸りだす。
「だってさ、同業仲間ポジションに収まろうとするんだったら、もうちょっと霊力は引っ込めるだろう」
強すぎは怪しすぎなんだよ。
「確かに」
続きをどうぞと樹は相槌を打つ。
「やっぱり、あいつ何も知らないんじゃないのか?」
「―お願いしますって、剣を渡されるのを待ってたら?」
「だったら、初心者丸出しな質問しないだろう」
もっと頼れそうな雰囲気だすだろう。啓太は樹と目を合わせるために下を向く。
「昨日のは、別に能力者として優れているアピールにはならないと思うぞ」
「兄ちゃんの意見を正とするなら、二階堂は霊力については何も知らないし、ただ善意で千穂を助けてくれたってことになる」
「困ってるのかって聞かれてるだろう?」
「―まあね」
会議は兄弟の独壇場だ。千穂は唖然と二人を眺める。
―すごい、啓太が樹と討論続けてる。
と、ポイントは少し残念ではある。
「あの人、なんて言われて編入したのかしら」
壱華がこぼす。
「まさか、息子に黙って編入手続するわけないじゃない」
試験も本人が受けないといけないし。
「何か理由を伝えられているはずよ」
本当かウソかは分からないけど。壱華は忘れちゃだめよ?と付け足す。
「仮に二階堂武尊に敵意や悪意はなくても、彼の父親もそうとは限らないんだから」
「―そこが一番ブラックボックスだよな」
せっかく樹と意見を戦わせていた啓太だったが、先が思いやられたのかよろよろとソファに身を横たえた。
「じゃあ、ひとまず二階堂が聞いてきそうなことリストアップして、それにどう返すかだけ考えとこうか」
樹が無難にそうまとめた。それに、そうねと壱華が頷く。
二階堂からどう逃げ切るか、樹と壱華は日付が変わるまで考えてくれた。二人がまとめてくれた紙を頭に叩き込もうと何度も読み返してから千穂は布団に入った。




