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  異変3

 昼休みになっても、千穂はむすっとしていた。二階堂に何を聞きたいのか尋ねる機会もなければ算段も全く立たないからである。


「千穂はまだそういう気分なのかしら」


ぱくりと昨日の残りだと言うシチューをあかりは口に入れた。普段は食堂で夕食をとるが、昨日はどうしてもクリームシチューが食べたかったため自分で作ったらしい。そのシチューを一口もらいながら優実も千穂を見る。


「-私は不機嫌な顔もありだと思うよ」

「そろそろ私、あなたはセクハラで捕まっちゃうんじゃないかって心配しているのだけど」

「そうかな」


優実は心底不思議に思っている顔であかりに視線を向けた。それをまっすぐに受け止めて、あかりはうんと頷いた。


「かなり危険な線だと思ってるわ」

「そうかなー」


うーんと優実は額を抑える。これはこれで謎の多い会話だ。しかし、話題が自分からそれてくれるのは助かるため千穂は二人に突っ込みはしない。


 そうかなーそうかなー


と首をひねり続ける優実は放っておいて、千穂はちらりと隣の席を見た。そこは空席だ。クラスの男子に食堂に連れられて行ってしまったのだ。-どちらにしろ、昼休みは食事を優実とあかりと摂るため話しかけることは難しいのだけれど。


「千穂は、二階堂君が気になりますなー」


視界に、にゅっとにやにやと笑う優実の顔が入ってくる。それに自分がまだ二階堂の席を見ていたことに千穂は気づく。そしてむすっとする。

「仲良くできるか判別したいのに、なかなか接触できないわね」

あかりも困ったわねと頬に手を当てる。

「席隣なのに?」

「だって、彼、基本寝てるじゃない」

「確かに」

うんと優実が頷いたのを見て、千穂は小さくため息をついた。


―だめだ。一回壱華ちゃんのところに行って作戦を立てよう


がたりと千穂は席を立った。それに二人の視線が集まる。

「どこか行くの?」

「壱華ちゃんのところ」

「千穂から行くのって、珍しいわね」

「-私から行くこともあるもん」

「そうよね」

むすっとして答えると、あかりはいってらっしゃいと笑った。それに送り出され扉のほうを向くと、男子が学食から帰ってきたところだった。


「-戻ってきたけど、飯島さんのところ行くの?」

「行くの!」


優実のからかいに振り返らずに答えて千穂はずんずんと廊下に向かって歩き出す。視線も合わせずすれ違う。それに苛立っていたからなのか、気が緩んでいたのか、相手が上手うわてだったのか、何かに足首を掴まれる。


―え?


おかしいと思った時にはすでに体はバランスを崩していて、ガタリと嫌な音がして視線を動かすと掃除棚が倒れてこようとしているところだった。掃除棚の上に、笑っている小さな鬼がいる。急いで足元を見ると、同じ鬼が千穂の足を掴んでいた。


―ああもう

―嫌だ


それだけを思い、千穂は痛みに備えてぎゅっと目を閉じた。


ガタン


その音はした。

カランカランという音は、空のバケツが転がっている音だろうか。

ざわざわとクラスメイトが慌てているのが分かる。


―ああ、でも、なんだろう、少し、変だ。

―痛い、けど、痛くない


膝が少しジンジンする。打ったかすりむいたかしたのだろう。


―ああ、分かった。こけたけど、掃除棚が当たったはずの背中が痛くないんだ


そう理解して、千穂は目を開けた。

「足、引いて」

動くでしょう?と上から声が振ってくる。

「え?」

首をめぐらせると、きれいな顔が近くにあった。

「掃除棚に敷かれたくないんだったら足引いて」

たぶん、あんた小さいから大丈夫だろうけど。

「小さくないもん!」

千穂はそう噛みつきながら身をよじって仰向けになると足を引いた。それを確認してから二階堂がよいせっと背中から掃除棚を落とした。


ガコン


と情けない音がする。千穂はまだ呆然とその棚を見つめている前で二階堂は立ち上がり制服を払う。立ち上がれない千穂に、二階堂は尋ねた。


「立てる?」

てか

「足首大丈夫?」


答えない千穂に、二階堂は屈んで千穂の足首を軽くつかんだ。

「っ!」

「ひねった?」

びくっと肩をすくませた千穂に二階堂はそう判断したようだ。


「動かないで」


そう言われた時には抱えられていた。ふわりとした浮遊感と、人の体温と柔らかさがこっぱずかしい。


「いい!歩ける!」

「痛そうだったじゃん」

「気のせい!」

「-面倒だからおとなしくしてて」

「なにそれ!どういうこと!!」


千穂はやいのやいのと手足をバタバタさせて暴れるが、二階堂は涼しい顔だ。その顔のまま、二階堂は一度立ち止まって固まっているクラスメイト達に言い残した。


「片づけ頼んだから」

「・・・・・はい」


そう答えたのはいったい誰だったのか、本人さえも覚えていなかった。



 千穂は混乱していた。たいそう混乱していた。というか、望んだ構図ではあった。あの小鬼は一昨日の残党だろう。それが何を狙ったかは知らないが千穂に向かって掃除棚を倒してきた。逃げることが出来ないようバランスを崩させることも忘れずに。まあ、それは二階堂のファインプレーで失敗に終わるのだが。


しかしなぜ自分は二階堂に横抱きにされているのだ。このまま保健室に着いたら保険医がいるだろうか。いや、いるだろう、いないと困る。ということは、今が話す絶好の機会なのではと千穂はぐるぐる回る頭でどうにか思い至る。そうだ、やっぱり今だと心を決めた瞬間先手を取られた。


「さっきの何?」

「はい?」


二階堂に問いかけられて千穂は間抜けな声を上げた。


「変なのが、あんたの足掴んでた。で、おんなじやつが掃除棚を倒してた」

見えてたんじゃないの?と視線で訴えかけてくる。

「あれは、なんか、一昨日いっぱい校舎内に入ってきた奴の残りだと思う」

大体はみんなが倒したんだけど。

「倒したって、初めて会った時のあの面子で?」

「そう」


こくんと頷いて千穂ははっとする。こっちが戦力を教えてどうする!ああもう!と頭をかきむしる。それを見て、二階堂は目をひそめるが何も言わなかった。


「そんなことをはどうでもよくて!」

もういい!と千穂は二階堂に向き直った。

「-どうでもいいんだ」

そうとは思えないんだけどとつぶやいたが、二階堂は千穂の次の言葉を待った。


「昨日、私に聞きたいことあるって言ってなかった?」

あれ、気になってるんだけど。と言ってから、千穂はまたもハッとする。これ、いい感じじゃない?上手じょうずに話せてない?と一人テンションが上がる。


「あーあれね」

そう言うと、二階堂は黙ってしまった。じーっと見つめても、なかなか答えは返ってこない。

んーと二階堂は視線を横にずらしながら考える。啓太がこれをすると逃げている感が半端ないが、二階堂は考えているんだろうなと思わせる。この差はなんだと千穂も千穂で考え始める。


「変な時期だとは思った?」

「え?」


啓太と二階堂の違いを脳内に羅列していた千穂はまたも突然の話しかけに間抜けな声を上げる。二階堂の視線は千穂の方へ戻ってきていた。


「なんで、この時期に編入してきたんだろうって」

思った?

『入試終わって学校始まったばっかじゃん』

『変なのー』


その言葉は、優実の声で再生される。時期は五月末。本当に、これからという時期。たぶん、この学校は合わないと判断するには少し早い時期。


「・・・思った」

じっと目を見つめ返し、千穂は答えた。

「・・・まあ、普通そうだよね」


ていうか、この時期に編入を考えてるんだったら入学試験受けさせればよかったんだよ。めんどくさ。と二階堂はぶつぶつとこぼす。それを拾って千穂は問いかける。


「二階堂は、編入させられたの?」

「そう」

「誰に?」


そんなの決まってる。こういうことを決めるのは大抵親だ。でも、千穂が欲しい答えは―


「父親」


彼は望む言葉を口にした。やっぱり、自分を知っているのは二階堂の父親なのだと千穂はひとり納得する。

「どうして編入させられたか知ってる?」

―あなたのお父さんが、何を考えてるのか知ってる?

「それが、よく分からない」

「-そうなんだ」


残念と千穂は小さく唇を尖らせた。せっかく良い線行ってると思ったのに。


「だから、あんたに聞きたいことがある」

「え?」

会話は終わってはいなかった。

「何か、困ってることあるの?」

二階堂は足を止める。じっと見つめられて、千穂はただその強い瞳に見惚れる。

「それって、俺がいれば解決されたりするの?」


―そうなの


心が、勝手に答える。手が伸びて、胸元のシャツをきゅっと掴む。


―あなたなら使えると思うの

―黄金の剣を

―だから


「二階堂」


―あなたを頂戴


ガラリ


「どうしたー患者かー」

 そこはもう保健室の前だった。顔を出した少年の腕には保健委員の腕章がある。

「あ、扉開けられなかったのか?」

そんなとこ立ってないで呼べばよかったのにーと少年は入れ入れと促してくる。二階堂は千穂の答えを聞くことをあきらめて足を進めた。


 千穂の心臓は口から飛び出すのではと思えるほどにどくどくと音を立てて走っていた。

―自分はいったい何を口走ろうとしていた

自分の胸と口を押える。顔は、熱い。


「で、どうしたの?」

「教室でこけてて、足首少しひねったみたい」

「教室でこけちゃったの?何かふんづけでもしたの?」

「そこまでは見てない」


そうなんだーと笑いながら保健委員の少年は何やらがさごそと棚をいじっている。


「今先生いないから、とりあえず冷やしとくよ?」

シューッとスプレーを吹きかけられる。千穂はその冷たさにぎゅっと目を閉じる。

「こういうの慣れてない?」


運動してるやつらとかよく使うんだけどねー。筋肉痛防止とか言って。結構効くよと言いながら少年はスプレーを片づける。


「-啓太が時々使ってるかも?」

大体そのあとくさいと壱華と樹に猛攻撃をくらうのだ。

「それは使いすぎ」

あははと少年は笑う。そうか、啓太がくさいのは使いすぎなのかと千穂は一人合点がいった。


なるほどと頷いていると保健医が帰ってきた。長い髪をひとまとめにした背の高い女性だ。初めて見たなーと千穂はのんきに見あげる。


「あー先生。なんか、足首ひねったみたいー」

そうなの?と保健医は首をかしげながら千穂に近づき足首を触った。

「痛い?」

そう尋ねられて千穂は首を横に振った。

「痛くない」

です。保健医はこぼれてきた長い髪を耳にかけなおしながら立った。


「じゃあ、大丈夫だよ。冷やしたんだろう?」

「スプレーだけ」

「痛くないんだったら大丈夫だよ」


気を付けなよ、と頭をぽんぽんとたたかれる。かっこいい、と思った瞬間


「千穂!」


ガララッと扉が大きな音を立てて開く。保健室に飛び込んできたのは長い髪をふり乱した壱華だった。軽く息を切らせながら近寄ってくる。ペタペタと千穂の腕やら頭を壱華は触る。


「ちょっと席外して戻ったら千穂のクラス騒がしくて。掃除棚倒れたって言うし、千穂保健室に行ったって言うし」


どこも怪我してない?と壱華は千穂の顔を覗き込む。千穂はうんと頷いた。


「平気だよ」

こけた時は足が痛かったけど、こけた時だけだったよ。と説明する。

「本当?」

心配そうな顔に、千穂は笑んだ。

「本当だよ」

その笑顔に、壱華はやっと体から力を抜いた。

「ならいいの」

ほうっと息をついて壱華は立ち上がる。そして隣にいる二階堂に気が付いた。壱華はしげしげと二階堂を見つめる。


「何?」


じっと見られて二階堂は軽く眉を顰めながら尋ねる。

「あなたは平気なの?掃除棚をもろに受けたって聞いたんだけど」

あーと二階堂は自分の制服を見た。千穂もそちらに視線をやると、黒い線が入っていた。汚れたらしい。


「別に、体は平気」

これ洗うのは面倒そうだけど。とシャツを引っ張る。

「高野原さんが何もないならいいよ」

俺、頑丈だし。

「二人で戻るなら、俺先に戻るよ」

「構わないわ、このまま戻りましょう?」


教室の人たちも心配してたわよと壱華は二階堂を見上げた。千穂は、ただぽけっと二人を眺めていた。


―絵になるなー


とぼんやりと頭の片隅で思う。千穂の育った村は小さくて、同年代の子供も少ない。そうなると自然と考えるようになる。自分が将来結婚するのはこの人なのかなと。壱華は啓太と結婚するんだろうと千穂は思っていたけれど、こうやって二階堂と並んでいるのを見るとなかなかお似合いだと思う。


 あーでも、背は啓太の方が高いな


と思い直し、じっとまたも見つめる。すると、壱華が千穂の方に振りむいた。


「先生にも大丈夫と言われたんでしょう?じゃあ、戻るわよね?」

「うん」

千穂はぴょんと椅子から立ち上がる。試しに足首をまわしているが違和感はない。

「平気、何もない」

「じゃあ、戻りましょう?」

壱華に手を差し伸べられて、千穂は自然と手を取った。

「じゃあ、戻ります」


二階堂はそう保健医と保健委員に軽く頭を下げる。それに保健医は軽く手を上げ、保健委員は気を付けてと手を振ってくれた。


 千穂は、二階堂の背を追うように歩く壱華に続いて歩く。さらさらと軽く長い黒髪が流れるのに視線がとらわれる。いいなーどうしたらこの髪もさらさらになるかなーと考えていると、壱華の背にぽすっとぶつかった。


「千穂?」

どうしたの?と壱華が振り向く。千穂は軽く当たった額をさする。

「どうもないよ。ちょっと止まるのが遅れただけ」

「それ、どうもなくない?」

二階堂に突っ込まれて、千穂はむっと唇を尖らせて眉根を寄せる。

「・・・どうもないなら、いいわ」


これはどうもないことにした方がいいのだろうと、壱華はため息をついた。何かを言おうと壱華が二階堂に向き直った時


「千穂ー!!」


それは一昨日の再現のようであった。教室から飛び出してきた長身の少女が千穂を抱きしめる。その衝撃と犯人に、千穂は自分が教室の前まで戻ってきたのだと気づく。


「無事だった?どこも怪我しなかった?」


ぎゅーと抱きしめられた千穂は廊下に足がついていない。そのままふわふわと振り回されている。

「わっわっ!」

それに驚き千穂が足をじたばたさせていると、助け舟が入った。

「優実!千穂がびっくりしてるわよ!」

もう!と肩をたたかれて、優実は千穂を下した。

「ごめんごめん」

千穂がしっかりと立ったことを確認して、優実は千穂から手を放した。そして顔を覗き込む。


「けっこう大きな音してたけど、大丈夫だった?」

「平気だよ。足も痛いの引いたし」

大丈夫だよ、平気だよと千穂は手をひらひらとして見せる。

「・・・・痛かったのは足だったんじゃないのって言っちゃいけないんだろうな」

「・・・そうね」

優実と千穂のやり取りを見ていた二階堂がぽつりとこぼしたが、壱華は首肯するしかなかった。


「あ!二階堂!」


優実はぎゅるんと向き直る。その勢いに嫌な予感でもしたのか、二階堂はいずこかへと去ろうとしたが、優実は阻止に成功する。

「ねぇねぇ、どうして棚が倒れるって分かったの?」

「え?」

優実は二階堂の腕をつかんでいたが、その行為にではなく問いに、二階堂は振り向いた。


「だって、すごく反応速かったよ?誰も気づかなかったし動けなかった」

でも

「二階堂は反応してた。なんで?」

じっと優実に見上げられて、二階堂は困ったように眉根を寄せる。

「-ちょっと振り向いたら棚が倒れてるのが目についただけだよ」

「そうなの?私、千穂こけちゃったなしか思えなくて」


全然気づけなかった。なんでだろうと優実は首をかしげる。疑問に注意が向いたのか、手が二階堂の腕から離れる。


「あまりの素早さに悲鳴も上がらなかったもの」

みんなびっくりしちゃったのね。

「少女漫画やドラマみたいだったもの」

女の子をかばって。

「かっこよかったわよ?」

優実の隣に立って、あかりも二階堂を見上げる。その艶のある瞳に、二階堂は肩をすくめて見せただけだった。

「それはどうも」

それだけ言うと、二階堂は教室に戻って行ってしまった。


 わっとざわめきが起こる。男子たちに囲まれているのが廊下からも見えた。きっと、優実がしたような質問攻めにあっているのだろう。


「彼だけが反応したの?」

「そうね」

すごかったわよ。あかりはそう、目で訴える。ゆるりと弧を描く唇が妖しい。

「お姫様を守る、王子様みたいだったわ」

一度耳に髪をかけなおすと、あかりは教室に入って行ってしまった。


 予鈴が鳴る。午後の授業が始まる。千穂は壱華を見上げた。そして、そんな千穂を優実も見つめた。

「とにかく気を付けて」

壱華はそれだけ言うと、自分の教室に入って行った。

「気を付けてって言ってもね、別に千穂が悪かったわけじゃないし、難しいよね」

優実はそう言って、千穂の背を押したのだった。



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