三章 憎悪と脆弱
少々残酷な表現が含まれますので、苦手な方はご注意ください。
あちこちで悲鳴があがりはじめていた。燃えた葉がはらはらと落ちてきては、青い大地を舐める。
はっと孤児ノ木を見ると、既に屋根に燃え移っていた。中にいるルミナたちを避難させようと口を開きかけたとき、丁度三人で降りて来るのが見えた。
「なにこれ…っ!」
「いつのまに!?」
村の変わり果てた景色を見て、二人とも青くなった。
火事に耐性のないツリーハウスでは、被害が大きくなるばかりだ。早く逃げねぇと…!
「……っ!危ないよロゥ!」
ミルレーが叫び、俺の上空を指差す。反射的に上を見ると、燃えた枝が落下してきた。
「!!」
転がるようにして避けた直後、更なる熱気と共に枝が落ちてくる。
「…あぶね…っ」
実際死に直面すると、人って大したことが言えなくなるらしい。ケイトが駆け寄ってきて、引き上げてくれた。
「大丈夫か!?…避難するぞ」
「おう……鍛治場だな」
あそこは村から少し離れているため、緊急時の備えがあった。オーガが備品の補完をするのを何度か手伝った記憶がある。
四人で周囲に気をつけながら走り出した。回りの家からも人々が飛び出して来る。
「うぁああああああ…!」
すぐ近くに再び燃え盛る枝が落ちてきた。その下敷きになった誰かの断末魔が響く。
「…っ」
ミルレーが悲鳴をあげたが、声が掠れて音が出なかった。
「とりあえず走れっ」
ケイトが皆を励ます。ツリーハウスが燃え盛る中では、走りながら息をするだけでも大変だろうに。
「助け…」
視界の隅に燃えた人影が映る。はっと振り返ったが、既に倒れ伏していた。
…酷い、臭いがする。
吐き気をなんとかこらえ、走る。悲鳴はあちこちであがってはすぐに消えた。高く、低く、人々の声は反響し気を狂わせる。
「きゃあっ」
俺たちの目の前にも、何度も枝が落下した。
…漸く、鍛治場の丘に着いたとき、皆体力的にも精神的にもやられていた。じっとりと嫌な汗が、名残のように体を伝う。
「はぁ……おかしくないか」
ケイトが頭ををかきむしった。炎で逆光となり、真っ黒い彼はどこか不吉だ。
「何が」
思わず返事がぶっきらぼうになった。
「俺たち、結構早めに気づいたはずなのに、もう炎は『枝が落ちる』くらいに強かった」
「……そういえば…風も夕方から急に吹き出して」
まるで、火事の勢いを増加させるかのように。
ーーバシュッーー
背後で聞き慣れない音がした。続いて、何かが着地したような重い音。
「…クロム先生!?」
そこには息を切らして子供を抱えた先生がいた。
走ってきた…のか?
「やぁ、逃げられたんだね…よかった…。この子達を頼むよ、お兄さん方」
そう言うと彼は何かを呟いた。次の瞬間、再びあの音と共に……彼は消えてしまった!
「!?…先生!?」
残された子供二人はふらふらしていた。煙でも吸いこんでしまったのか。
駆け寄って支えてやる。
「だ、大丈夫か?」
「せんせーが、急に『現れ』て、助けてくれたの」
「…?急に?」
「僕、担がれて…次の瞬間には、ここに''いたんだ''」
俺たちは、とりあえず鍛治場へ向かった。そこには逃げおおせた村人が集まって、水や色々な蓄えを分けあっていた。痛々しい火傷を負った者が多く、鉄錆びの匂いも漂っている。
子供をそこにいた大人に預け、俺たちは村を見下ろした。
「酷い…」
「酷い?…誉め言葉ですね」
「!?」
高く澄んだ声が応えた。声のした方を向くと、黒いマントを羽織った少女がいた。やたら唇が紅く、艶かしいが同い年のようだ。高く二つに結われたその髪は…赤い。
「ヴァンパイア…!」
「正解。ねぇ、わたくしと遊ばない?」
彼女はそう言って近づいてくる。咄嗟に俺とケイトは、ルミナたちを庇うように前に出た。
「あら、頼もしい。……ルールは簡単。わたくしと互角にやりあえたら、見逃してあげます。その代わり貴方がたが全滅してしまったら、村人も皆殺しです。如何?」
「待て。……お前が村を?」
彼女は俺を見つめ、暫し沈黙してから微笑む。
「えぇ、そうですよ」
俺の中で、燃え上がる炎のように怒りが爆発した。
「あぁ、怒っているのですね?……ふふ、ならばゲームで勝負を。そうですね言葉を借りるならば」
勝てたら称号をあげます。
「!!」
彼女は軽くカーブを描くように走ってきた。ケイトが構えると急に方向転換し、消えた…ように見えた。
実際は急にスピードをあげただけで、そう錯覚した。気付けばケイトの目の前にいる。
「ばぁ」
「!」
彼は反応が遅れつつも拳を打ち込む。しかし易々と受けとめられ、その手をぐい、と引かれる。同時に足払いをかけられ彼はバランスを崩した。
少女はそのまま腹部に蹴りを入れると同時に、手を離す。
「あぐっ!」
それだけで、ケイトは軽く数メートル飛ばされてしまった。
「ケイト!」
げほげほと咳き込んでいるのが見えた。その口元は紅い。
「友人の心配をしている場合でして?」
振り返ると既に彼女は目の前にいた。咄嗟に前傾姿勢をとりつつ距離をとろうと離れる。
少女はそれよりも速く俺の腕を掴みひっくり返した。掌が上を向くと、振りほどく間もなく肘にに下から蹴りを食らった。
「いっ!……っ…!」
ボキン…と鈍い音と共に、あり得ない方向に腕が曲がった。地面に思いきり倒れたが、そんなこと気にならないほどの激痛が腕から全身に走った。視界が霞む。
「ふふ、わたくしの勝ちです」
少女は自身の唇をぺろりとなぞった。蒼白い肌に鮮烈な紅が濡れて光った。
その笑顔に激痛よりも怒りが俺を支配しようとしたとき。
ーーバシュッ
「俺の相手もしてくれるか」
ぼやけた視界に白い影が見えた。
「…まぁ、転移が使えますの?」
少女は先生を見て、称賛するような声を出した。
「あぁ、できるよ。だから…」
彼は次の瞬間、彼女の眼前に転移した。
「こういうこともできる」
突然目の前に現れた先生に少女は戸惑うことなく、流れるように蹴りを入れた。しかし先生は再び転移した後。しなやかな蒼白い足が空を斬った。
「…」
少女はなにか呟くと手をつきだした。手の内に剣が出現すると、それを掴み取り一気に抜き取った。背後にいた先生の鼻先を剣が掠める。少女はそのまま体を捻るように振り向き先生に正面から斬りかかった。先生はなにか呟きつつも剣撃を避ける。
「……ダークワールド」
先生がようやく聞き取れるほどの声で呟いたと同時に、少女を包むように黒い球体が現れ、彼女を飲み込んだ。
「…っ!!」
彼女は慌てて何かを言いかけたが間に合わず、闇に消えた。
先生は暫く球体の様子を見ていたが、少ししてふっと表情を和らげる。倒れている俺にすっと近寄りかがみこんだ。
「大丈夫かい?御苦労だったね」
そう言うと彼は懐から何かを取りだし、俺の曲がった肘に吹きかけ、何か呟いた。ズキズキとした痛みと熱が急激に引いていく。
「……え、痛くねぇ…」
おそるおそる動かすと、怪我など嘘のように軽く動いた。
「おぉ、さすがネルの魔法薬だ」
「……ネル?」
「おっと、説明は後に。立てるか?」
先生が手を差し出してくれた。その手を掴むと、軽々と引っ張りあげられる。お礼を言わぬ内に、今度はケイトの方へ行き、再び薬を…今度は飲ませていた。
「ロゥ…っ」
ミルレーが泣きそう……というか泣きながら俺に駆け寄ってきた。
もしあのとき先生が遅れていたら、次はミルレーたちが……そう思うと焼き付けるように悔しく、自分の弱さを痛感した。
「ごめん、心配かけた」
「うぅっ…死んじゃうかと思ったのー……」
ミルレーはポロポロ涙を零して俺にしがみついた。頭を撫でてやるとしゃくりあげ始めた。
「遅れてすまない。ヴァンパイア少年の相手に手間取ってね」
先生がそう言って苦笑した。村の襲撃に来たのは一人ではなかったらしい。
「いや、ありがとう…ございます。……先生、あの中にまだヴァンパイアって…いるのか?」
先生は一瞬「なにが?」という顔をする。しかし、俺の視線を辿って自身が出現させた球体をみると、安心させるように穏やかな笑みを浮かべた。
「あれは、一旦別空間に閉じ込める魔法なんだ。後から転送魔法を重ねがけしてみたら効いていた…だからそのうち消えるさ。心配ない」
暫く球体を伺っていたのはその確認か。
先生は村を見下ろした。村は未だ赤々と燃え続けている。
「……今からじゃ、遅いよな…」
ケイトが呟いた。
これほど火の勢いが強いと、消火するより燃え尽きてしまうのを待つほうが効率的だ。思わず俺たちも俯く。自然に消えるにはまだ暫くかかるだろう。そのうちすべて炭と化してしまうはずだ。
先生は俺たちを見回し……うーんと唸った。
「……久々に、使うんだがなぁ……」
俺たちが顔をあげたのと先生の呪文は同時だった。
「…ウィンドボール」
次の瞬間、思わず目を瞑るほどの突風が吹き荒れた。呑まれそうなほどの豪風が体を包む。
次に目を開けたときには、完全に炎の消された村が横たわっていた。
「……うっそだろ…」
「………魔法使いだったんだね…先生」
ミルレーが今更のように呟いた。