二章 正夢
「…昨日から?」
思わず聞き返すとミルレーが答えた。
「そうだよー。いつもの悪戯かもって言ってる人が殆どだけどねー」
確かに彼は問題児としても有名だった。有名だが……何故だろう。悪戯じゃないと感じた。
俺の表情を見て察したらしく、ミルレーが再び口を開く。
「悪戯じゃないと思う?…ルミナもそう言ったんだよー。二人が言うならそうなのかもね~」
その言葉に思わずルミナを見ると「なんとなくだけど」と肩を竦めた。
「珍しい意見だな」
急な登場に驚いて声の主を見ると、異種族科担当のクロム先生が立っていた。話を聞いていたらしい。
黒目黒髪に白いコートというモノクロな出で立ち、それに加え片手はコートのポケットに突っ込み、手入れの放置された髪は粗く束ねられている。
先生らしくない先生。
「クロム先生はどう思いますー?」
ミルレーが聞くと彼は迷わず答える。
「悪戯じゃない可能性はあるだろう。……否定しにくいけどなぁ」
大人が皆悪戯と決めつける中、大人達のなかでも先生がそう言うのは意外だった。しかし、クロム先生なら話は別だ。
先生が『先生らしくない』のに、子供に慕われる理由はそこにある。
「先生、見て!ナットがいたよ!走ってくる!」
誰かが叫んだ。見ると、木漏れ日の間を縫うように、小さな姿がこちらに向かってきていた。
「お前ら、座って授業の準備でもしとけー」
先生はそう言うと、子供を掻き分けるように歩いていった。俺たちは素直に指示に従ったが、視線はそちらに釘付けである。
ナットは肩を上下させて先生の前へたどり着くと、崩れるように膝をつき咳き込んだ。
先生は慌てず、彼の横で同様に膝をついた。ポケットからもようやく手を出し、背中を撫でて何か話しかけている。
「ここからじゃ聞こえない…」と誰かが言ったとき、息も整え終わらぬナットが叫んだ。
「ヴァンパイアが……ヴァンパイアがいたんだ!」
学ノ木に、ナットの声が響き渡った。ザワついていた子供たち、先生ですら、彼の発言に固まった。
俺だってヴァンパイアと聞いて、怖くなかったと言えば嘘になる。しかし一番恐ろしいのは……俺はその言葉を聞き「やっぱり…」と思ったことだった。
「ナットを村長のとこまで送ってくるから、それまで大人しくな?戻ってきたら普通に授業。いいか?」
しかし、ナットの言葉に子供は皆興奮気味だった。先生の言葉が届いている様子もない。俺はルミナと顔を見合わせた。
先生はふぅ…と溜め息を吐いた。そして一言。
「静かに」
そこまで強い口調ではなかったはずなのに、その声はよく響き、皆思わず黙る。
「…みんなはヴァンパイアの出てくる本を、読んだことあるよな。それが現実になって興奮するのは分かる。でもな……俺の話、覚えてないか?楽しいことにしか、目がいってないか?」
彼がそう言うと、学ノ木は静まり返った。彼の授業は面白く、分かりやすいと人気だった。書物には載っていない、世界の楽しさと……恐ろしさ。
子供たちが冷静さを取り戻したのを確認すると、彼は微笑んだ。
「みんな優秀だな。この話は心に留めておいてくれ。俺とみんなの秘密だ。じゃあ、ちょっと待ってろよ」
先生は、ナットを連れて村長の家の方へ歩いていった。しばらくして、誰かが沈黙を破って「クロム先生ってちょっと変だよな」と言った。
「この村の人じゃないよね?」
「目も髪も黒いんだよ?当たり前じゃん!」
再び騒がしくなってくる子供たち。他人事だと思って聞いていた俺の横で、ルミナも加勢する。
「いつかの授業で魔女の話をしてくれたけど…外から来た人なら、実際に会ったことあるかもね」
その一言で皆噂話に夢中になった。一気に騒がしくなる中、ミルレーがつぶやく。
「ナットは悪戯したんじゃないって、二人の予想、当たったねー」
いつの間にか噂話を楽しんでいた俺は、はっとしてルミナを見た。彼女も同時に俺を振り返る。
ナットは無傷だったし、先生も落ち着いていたから忘れていたが…朝の寒気の正体は…。
「ヴァンパイアがいたって…勘違いじゃないのかな」
ルミナは表情を曇らせる。
「……あの瞳、見たろ」
嘘を言ってる瞳じゃない。俺の言葉にミルレーも不安そうに下を向いた。でも、俺が考えている不安はそれだけじゃなくて…。
「わっ」
「うわっ!?」
「きゃあっ!」
急に後ろから脅かしてきたのは先生だった。
こ、こいつ毎回気配を消して来やがって……わざとか?
思わず思いきり睨みつけるが、微笑まれた。
「先生…いい歳して止めろよ…」
呆れつつ言う。
「……爺さんって、結構ユーモラスだよな」
年取ってるからって大人びてる訳ではない、と言いたげに彼の無邪気な瞳が俺たちを映す。
「爺さんって歳じゃないでしょ!」
ルミナが噛み付いていたが、先生は特に気にする様子もなく「はっはっは」と笑いながら皆の前へ出ていく。
「本っ当わけわかんない人ね…」
「そうだな」
あれで26とは逆に驚きだ。
「でも、怖くなくなったねぇ~」
ミルレーがにこにこと言う。
「……」
ルミナが押し黙った。こうなると、しばらく放って置くのが一番だと俺はよく知っている。
原因の方はというと、既に授業を始めるところであった。
「今日は…そうだなぁ…改めて、魔女の話をしようか」
なんで、目覚めが悪かったか?
……気分が悪かった、から
いや、違う……悪くなる理由が
あったはずなんだよ
…………夢?
……そう、夢を見たんだ
赤くて、熱い………
「ローヴェンは、本当に器用だな」
ふいにそんなことを言われた。
鍛治炉の熱がここまで届くのか、じわりと汗が肌を覆う。小さくとも沢山ある鍛治場の窓から風が吹き込み、俺の湿った体を撫でていった。
「い、いきなりなんだよ」
手にしていた剣を下ろし振り返った。
オーガは鮮やかな翠のバンダナを外すと、呆れた顔をした。
「せっかく褒めてるのに愛想ない…もう夕方だぞ。帰って飯でも食え」
彼は隣に来ると、本日俺が仕上げた剣を手にとって眺めた。鍛治炉の炎が、刀身に反射して妖しく輝く。
ここは彼の仕事場であり、俺の仮就職先。もうすぐ15になる俺は村の決まりで仕事を選び、弟子入りしなければならない。正式に決まるのは、次の誕生日。だから「仮」な訳だが、俺は既に本職並のことをさせてもらっていた。
「お前、昼からずっと暗いぞ。喧嘩でもしたか」
「なっ……」
確かにヴァンパイアの件は引きずっていた。なんでどいつもこいつもこう察しがいいのか。ちょっと睨むと笑われた。
「お前、すぐ顔に出るからな」
「うるせぇ…」
人の気にしてることをずけずけと…。
そんな心境を知ってか知らずか、彼はわざとらしく棚に手をついて話し出す。
「んでもってこういうとき、ここに入り浸って全っ然帰んないよなぁ…。''本職''は俺だぞ?お前の腕は認めるけど…もっと子供らしく発散しろ。暴れるとか」
「……は?」
意味分からん、と返すと彼は苦笑した。
「片付けるぞ」
ーートントン
滅多に叩かれることのないノックが、鍛治場に響いた。
「誰だこんな遅く…。武器の依頼は無いし…ローヴェン、出てくれ」
汗をぐいと拭ってから、俺は扉に近づき、重いそれを開けた。外の涼風が勢いよく吹き込む。
「こんばんは」
「シェリー?」
そこには村長の孫娘がいた。
彼女は俺を見ると少し目を見開き、慌てて乱れた紅茶色の髪を整えた。細い肩は小さく上下している。
「ロゥ…いたんだね」
「いちゃ悪いか」
「違うよ!…もう、一々突っかからないで」
後から来たオーガが、俺の頭を鷲塚んで勢いよく前に倒した。
「うげっ!」
「悪いな、生意気な奴の出迎えで。どうした?」
「おじいちゃ…………村長が、今夜集会を開くって。それを知らせに」
俺は彼女が息切れていたのを思い出す。今夜の集会に間に合うように走り回っていたのでは。
オーガの手を叩き除けてシェリーを見た。
「おい、それ一人でまわってるのかよ?」
「ううん、ルミナたちにも手伝ってもらってるよ」
「俺も手伝おうか」
シェリーは一瞬目を見開き、首を横に振った。
「大丈夫だよ!もう少しで終わるし…先に行ってて」
シェリーは華やかな笑顔を見せ、ワンピースをはためかせながら軽やかに走っていった。
「村長の娘は大変だなぁ…」
オーガがしみじみと呟く。鍛治炉の明かりが逆光となり、彼を無駄に大人びて見せていた。
「皆娘って言うけど、年齢的に孫だよな」
「細かいこと言うな」
外へ出ると夕日がよく見えた。村の端の丘に位置しているというのもあり、村が赤く染まっているのが見える。
…少し風が強いな。
「集会なんて、久々だな」
鍛治場に鍵をかけ、俺の隣に立ったオーガも、夕日に照された。
その赤く見える髪に…寒気を感じた。
俺たちが学ノ木へ着いたとき、村人の殆どがそこに集まっていた。
日はすっかり落ち、ツリーハウスや枝に吊るされたランタンが輝く果実のように灯っていた。風でゆらゆらと揺れている。
普段ならその光景をぼうっと眺めるが、今はそれどころではない。鍛治場で感じた寒気が、どんどん酷くなっていた。
ちら、と人混みの間に見覚えのある姿が見え、人の間を縫うようにして近付いた。
「よぉ、ルミナ」
「ロゥ。この集会…」
ルミナと数秒見つめ合い…頷く。
双子だからなのか、言わなくとも通じ合うことはよくあった。
「多分、そうだな。…ミルレーは?」
「気分が悪いみたいで、家に送った」
「そうか」
ざわめきが急に小さくなった。授業で使う木製の教卓を見ると、村長が立っていた。
短く刈り込んだ髪が、厳格な雰囲気を一層引き立てている。逞しい腕で松明を掲げ、村人を見ていた。
隣にはシェリーがいる。同じく松明を持っているが、あの細腕には重いようで細かく震えていた。
火の粉が、意思を持ったかのように彼女を取り巻いて飛ぶ。
「あ、ロゥ?」
「シェリーんとこ行ってくる」
数人の視線が刺さったが、構わず最前列へ行き彼女の松明を奪うように持った。
「ロゥ…!」
集会で俺が前に出てくることが珍しいのか、シェリーは目を見開く。
なんか、今日はシェリーに驚かれてばっかだな…。
「重いならそう言えよ。お前のジジィだろ」
「じっ…!?……ありがとう。でも、せめておじいちゃんって呼んだら?」
「ジジィはジジィだろ」
しれっと返すと、横から別の松明を突きつけられた。
「相変わらずだなローヴェン。これも持っていろ」
不敵な笑みを浮かべた村長が俺を見つめる。揺れる松明の炎が彼の顔をより堀深く見せていた。
俺は軽く睨みつつも渋々受け取った。
彼は満足そうに一瞬ふっと笑い、村人のほうへ向き直った。
「昨夜ナットは神樹の森に立ち入った。知っての通り昨夜は満月だったからな」
いつのまにいたのか、村長の隣にナットがいた。首を縮めて青くなっている。
「満月の森では、月夜に樹々が『語り合う』。立ち入り禁止の規則を破ってまで、彼が出掛けたのはそれが目的だ。これは、村長として罰しなければならない。しかし、朝まで帰らなかったのには別の理由がある。昨夜…あの森にはヴァンパイアもいた。文献が少ないが、存在は知っているな」
そこで大人たちが静かにざわつき始めた。子供たちは先生との約束を守り、静かに村長を見つめている。
「ナットの話によれば、集団であの森にいたようだ。私自身、行って確かめてきたが間違いない。それに加え奴等は神樹を『持っていった』ようだ。……根こそぎ、な」
その言葉に、さすがに大人も子供も大きく動揺した。神樹には魔力がある。
それを持っていくなんてどんな奴だ?目的は…?
再び村長が息を吸い込んだため、皆緊張してその後の言葉を待った。
「運の悪いことに、ナットは彼等に見つかってしまった。追手が来る可能性が高い。………そこで、先生たちとも話し合い、逃げることに決定した」
「!?」
……逃げる!?
はりつめていた空気にとんでもない爆弾を落とされた。
「村長!逃げるとは…ここを捨てるということですか!」
「神樹を汚されたのですよ!?」
「戦いましょう!」
大人たちが次々に抗議の声をあげた。子供たちは呆然としているが、反論する者はいない。
「静かに!」
村長が声を張り上げると、皆静まった。風の音が大きく広場を切り裂く。
「彼等は、たった一人存在しているだけで危険なのだぞ!それこそ、この村が全滅してもおかしくはない。それが大軍となって襲ってきたら、勝ち目はないだろう」
彼の「全滅」という言葉に、先程まで叫んでいた大人たちも黙り込む。
村長は、自分の言葉がちゃんと浸透したか確認し、再度口を開いた。
「………荷造りを、始めよ。反論なら…私がいくらでも聞こう。集会は終わりだ」
村人たちは困惑しながらも、帰っていく者と残る者に別れた。村長の元には、先程までのナットの位置に先生が立ち、何事か話していた。
「まさか…村を捨てるなんて、ね」
何処にいたのかケイトが近寄ってきてそう言った。こんな時でも、彼は普段通り振舞っている。それがとてもありがたかった。
「住みやすかったのにね…」
ルミナも来て、ケイトを見上げた。ケイトは彼女の肩に軽く手を置いた。
「おじいちゃん………」
シェリーは心配そうに村長を見ていた。
「あ」
「…あ」
俺とルミナの目が合う。
……うん、さすが双子だな。
「どうした?」
ケイトがぽんぽん、と、今度はルミナの頭を撫でるように叩く。
「?」
シェリーも不思議そうに見てきた。
合図したわけでもなく、俺とルミナは同時に口を開く。
「ミルレー」
一番駄々を捏ねそうな人物が、この場にいなかった。
「えぇーーーーーっ!?そんな…そんなぁー…」
彼女は予想通り…というかそれ以上の反応を見せてくれた。寝たから体調はもういい…らしい。
「村長と先生たちが決めたら、反論もなにもないよな」
と、ケイトが笑った。
「あの二人に口論で勝てたら称号もらえるよ」
ルミナとクスクス笑った。
もう遅い時間だったし普段なら寝ているところだが…いつ村を出るかわからないということで、荷造りを口実に皆で喋っている。
「やだなぁー…」
ミルレーがしょぼん、と効果音が付きそうなほどテーブルに突っ伏した。
「でも、住みやすい場所ならいくらでもあるし」
ルミナが彼女らしいポジティブな考えを言った。ケイトは年長者らしく、ミルレーの頭を撫でている。
非常事態なのは分かっているが……みんなを見ていると、なんだか穏やかな気持ちになる。
そんなときだった。
「……っ!!」
急に心臓を突き刺された…そう思えるほどの衝撃が走る。ルミナと目が合った。
「…どうした」
ケイトも鋭く変化を感じ取ってくれたが、俺はそれに答えることなく立ち上がった。ガタン!と勢い良く椅子を倒してしまう。
ミルレーの肩がびくっと跳ねた。
「待ってロゥ!」
ルミナに止められたが、俺は素早く階段をかけ下りた。
寒気が、寒気が、寒気が……
「!!」
体にまとわりつく、熱気。
熱い。
夜のはずなのに辺りは夕方のように赤くて
………あぁ、夢と同じじゃないか。
村は炎で赤く染まっていた。