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赤銅ノ双剣  作者: 死猫ノアンネ
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満月ノ森

 今夜は満月だ。空高く昇った月は目下に広がる森へ光を投げかけている。ヴェールのような薄靄(うすもや)のようなそれを受け止め、森も柔らかに輝いていた。この森の樹々は神樹(しんじゅ)と呼ばれ、月光などに反応して光を放つ。オーロラか或いは水面を投影したように森は静かに、神々しく脈打っていた。この場所では呼吸すら騒音となる。そんな静寂に水を差すように。


 かさり。


葉が擦れる音がした。

「…っ!」

 少年が慌ててぶつかった枝を押さえた。そして一息、小さな溜息を吐く。過剰な反応は何かを恐れているように見えた。

 事実、少年には罪の意識があった。彼がいるこの森は聖域とされており、人間が立ち入ることは禁じられている。彼の村でもそれが掟であり、常識だ。彼がそれでも尚、いっそ面白いほど慎重に森へ踏み入った理由は単純だった。

 神樹がよりいっそう輝く。少年は全身に浴びるようにその光を受け、うっとりと羨望のまなざしを神樹に向けた。


「見にきて、よかった……」


 そう、神樹である。月と神樹の織り成す神秘を間近で見たいという好奇心。単純であるが故にその思いは強く、ましてや少年にその欲を抑えることは不可能だった。純粋に神樹を綺麗だと感じる彼にもう罪の意識は存在しなかった。ふと、空を見上げれば月は真上にきていた。真夜中だ。少年はおもむろにその場に腰を下ろした。地面に手をつき、彼は違和感を覚える。

「ん?」

 思わず声が漏れてしまい、彼は慌てて口元を押さえる。落ち着きを取り戻してから今度はゆっくりと地面に両掌を押し付けた。地響きが彼の掌をくすぐり、じわじわと威力を強めていった。

 地震?いや、この辺りでそれはない。だとしたら……。

 少年が思考を巡らせている間にも震動はどんどん大きくなっていき、地に手をつかなくとも感じるほどとなった。揺れの元が近付いていると感じ、少年は考えるのを止めて素早く神樹の虚に隠れた。急に縮込めた身体が若干強張る。しかし震動はそれ以上大きくなることはなくやがて止んでしまった。とても緊張した割に拍子抜けする結果。

なんだかなぁ。

焦ったことに少々後ろめたさを感じつつ少年は小さく息を吐いた。


「今、何か聞こえなかったか」


 重く響く声が再び少年の心臓を跳ね上がらせた。


「…さぁ、気のせいじゃないか?」

 更に近くで二人目の声が答える。まさかこんな近くに来るまで気付かなかったのか。少年はショックを受けつつも、樹の虚に隠れていたことに感謝した。

「相変わらず心配性だね?その慎重さが君の強みではあるけど、ちょっと焦っているでしょ」

「……この森にはあまり長居したくないのだ。神樹から魔力を感じる。まったく気味悪い…」

 男がそう言うや否や、背中を預けていた樹の幹がガンガンと振動した。

「っ!?」

 どうにか悲鳴を飲み込み見上げると、男が樹の幹を拳で軽く叩いていた。少年の両腕はおろか大人の腕でも抱えきれない巨木を、軽く叩いただけでこれだけ振動させるとはどんな馬鹿力なのだ。だが、気付かれた訳では無いらしい。虚の周りが藪で囲まれているおかげだ。

 少年はもう一度、今度はちゃんと男たちを見上げた。

 幹を叩く手は雪に凍えた樹のように青白く、逞しい。藪の合間からはちらちら赤いものが見えていた。松明でも持っているのかと考えた少年の脳裏に、彼の先生の言葉が甦る。


『死人のように血の気のない肌、代わりに染まったかのように紅い頭髪、同じ色の瞳。伝承の通りの外見だ。さて、何のことかわかるか、ナット』



「……ヴァン、パイア」



 声に出さず、その名を口にした。


「もう少しの辛抱さ。こいつらは賢いけれど所詮植物。手に入れ、魔法を施せば便利な道具となってくれるよ。僕らの計画に大きく役立つ…ね」

 ふふふ、と楽しそうな声。

 対して少年の気持ちは、奈落の底にでも突き落とされたような状態だった。おとぎ話でも聞くように受けていたヴァンパイアの授業、その主人公が目の前にいる。

……英雄ならよかったものを。

「次はサンフィーリアだったか」

「うん。いや違うなぁ。確か……一時帰還だった」

 緊張やら恐怖やらに少年の体は震えた。好奇心の強い少年でもヴァンパイアの恐ろしさは痛いほど刷り込まれている。一刻も早く立ち去ってくれと彼は願った。


 ……どれほどの時間が過ぎただろう。「帰還だ」という言葉に少年はもう一度耳をそばだてた。


「お、完了?時間がかかったなぁ」

「…元々戦闘集団に毛が生えたようなものだったからな。仕方あるまい」

 その話声が遠ざかっていく。自分もここから離れようと、少年は立ち上がった。しかし彼は忘れていた。

長い間縮めていた身体が、痺れていることを。


「あ!」


 彼の足は小さな小石に容易く躓き、バランスを崩した。転んだ痛みにめげずなんとか上半身を起こすと、男たちと目が合った。紅い双眸が少年を射抜く。

「…だから言っただろう」

「本当だね」

 若いヴァンパイアが、物珍し気に少年を眺めた。顔にかかった長髪を払い、彼は遠慮なく歩み寄ってくる。少年は逃げようとして再び転んでしまった。肥えた土に足を取られ、体は未だいうことをきかない。

「可哀想だけど、子どもだろうと始末しなきゃ」

「…ひっ」

 少年の引き攣った声に男はうっすらと微笑んだ。すっと右手を構え、何か唱え始めた…そのとき。


 輝いていた樹々が、その葉が、ふっとその光を失った。

途端に落ちてくる、闇。


「えー…今度はなに…?」

「…神樹だ!子どもを捕まえろ、早く!」


「え……え?」


 子どもは何も見えぬ暗闇の中、呆然と地に伏したまま。ヴァンパイアは夜目が利くようで迷いなく少年に向かって駆けてきた。しかしそれよりも速く何かが少年の腰を攫う。思わず叫びかけた少年の口を、何かが優しく塞ぐ。

「んぅ!」

 自由な手でその何かを引き剥がし目の前へ持ってくると…それは葉っぱだった。

「あちゃあ、逃げられた。追いかける?」

「……引き上げだ。刺激しない方がいい。匂いは覚えた」

 今度こそ男たちの声が遠ざかっていく。闇に目が慣れてくると、自分を引っ張り上げてくれたモノが少年にもはっきり見えた。

 真っ白く滑らかな枝が腕と腰に巻き付いている。やがてそれは静かに少年を他の枝へ下ろした。少年でも飛び降りられる高さだ。彼が先程まで横たわっていた地を見下ろすと、男たちの足跡が地面に無残な痕を残していた。紅い瞳孔が脳裏に甦り、振り払うように少年は空を見上げる。


 そこに満月の姿はもうなく、白み始めた蒼が迫っていた。


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