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「うえぇぇぇぇぇん!!!」


 耳をつんざく泣き声でパッと目を覚ました。そうか今日はバンリ様の隣室だったな、と寝起きの頭でぼんやり思いだし、盛大に欠伸をしながら上体を起こした。眠い。とても眠い。二度寝の誘惑にかられるが、しかしそういうわけにもいかない。なんてったって愛しの天使が呼んでいるのだから。ふんっ、と勢いをつけてベッドから起き上がり、小走りにドアへと向かうとノックして開けた。

 隣室に入ると、バンリ様の乳母であるメアリーさんがバンリ様を抱き上げてあやしていた。おはようございますと挨拶をしたが、その声すら泣き声でほとんど掻き消されてしまった。苦笑を浮かべつつ挨拶を返してくれたメアリーさんの元へ行き、バンリ様の顔を覗き込む。ああ今日も本当に可愛い。泣き顔も可愛いなんて罪なエンジェル。でも笑顔の方がもっと可愛いよ。


「バンリ様、おはよう。ローゼだよ~」


 声をかけると、世界が滅亡するのかというくらいの激しさでギャンギャン泣いていたバンリ様が、ようやく私の存在に気づいた。途端、ぴたりと泣き止み、涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃの顔でにこっと笑った。そのまま小さな手を伸ばしてきたので、メアリーさんの腕からバンリ様を受け取る。小さくて柔らかいバンリ様を落とさないよう、慎重に慎重に。


「ま、うー、まっ!」

「よーしよーし」


 さっきまでの泣き顔はどこへやら、満面の笑みで手をにぎにぎしているバンリ様の可愛らしさったら! 日々の憂鬱を忘れさせてくれる貴重な一瞬である。にこにこ笑い合っている私たちの傍で、メアリーさんもホッとしたように笑った。


「ありがとうございます、リアンローゼ様。流石はシャ・ナーリュラ様ですわ」


 はいはい出ました。一発で私の気分を下げる言葉、『シャ・ナーリュラ』。

 といっても、メアリーさんは悪意なく言っているだけだし、折角機嫌の治ったバンリ様を前に暗い顔をするのもあれだったので、ため息は心の中だけに留めておいた。


 事の起こりは、一か月前。

 ユーカレィディナ大陸北東、北の海国クシュルクスが治める海に浮かぶ小さな島国、レナスタン王国。その王都郊外でしゃがみこむおじさんを見つけ、声をかけたところからすべては始まったのだ。家への帰り道にたまたま見かけ、具合でも悪いのかと慌てて傍に駆け寄った。大丈夫か、どこか痛いのか、と声をかける私を、何故か心底驚いたように見つめたおじさんは、突然がしっと私の腕を掴んだのだ。


「決めた」

「え?」


 小さく呟いたおじさんが目を輝かせて立ち上がり、手を叩く。するとどこからともなく近衛の制服を着た男性が集まってきて、羽交い絞めにされた。


「……え?」


 あれよあれよという間に馬車に押し込められ、王城に連行され、広間に連れ出され、突然の事態に何が何だか分からず目を白黒させている私の前で―――正確には私を含む大勢の前で―――声をかけたおじさん、もとい、この国を治めるイースライト王が述べた。


「神官ザスティンが神託を受け、シャ・ナーリュラが舞い降りた! 彼の娘を手に入れし者こそ、正当なる我が継承者。お前達、今こそ王位争奪戦の始まりである!」


 宣言を受け、周囲がざわめく。もちろん私も口をぽかんと開けた間抜け面を晒していたに違いない。シャ・ナーリュラ?『天の恵みし子』? 誰が?

 ―――誠に残念ながら、王の手は私を指差していたのだった。

 いや、正確にいうのならば、このときの私はまだ残念には思っていなかったかもしれない。私ってばそんな大層な存在だったのか、私と結婚したら次期国王ということは、もしかしたら王子様達の私争奪戦が始まっちゃうとか? いやいやそんな困る困るでも王子様だし格好いいしうへへへ、くらいのことはちらりと頭を過ぎっていたと思う。しかし現実はそこまで甘くなかったのだ。


「はっ、やだね」

「何を寝ぼけたことを。そんなことは後にしてください」

「えー面倒くさーい」

「……まう?」


 上から順に、第1王子殿下、第2王子殿下、第3王子殿下、第4王子殿下である。

 全員が全員(第4王子の意思は分からないが)、やる気なし。


「む、息子達よ……もう少しやる気になって欲しいのだが……」


 イースライト王が焦りを浮かべながら玉座から軽く立ち上がった。周囲に侍る、官吏と思われるおじさん達も互いに顔を見合わせている。


「それにしても父上、連れてくるにしてももう少しマシな女いなかったのか? まあ、女が城内に増えるのは大歓迎だが」

「父上、今の現状を理解されていますか。我が国始まって以来の財政難だというのに、王族の婚姻を持ち上げるなど、馬鹿馬鹿しい。しかもそのように頭の悪そうな娘」

「僕より綺麗な女の人が存在するなら結婚してあげてもいいけど? その子じゃだめだめだよねー」


 展開に頭がついていけていないけれど、何だか酷く貶されている。何故。いきなりつれてこられ、いきなり宣言され、いきなり貶される? ちょっと理不尽すぎるでしょう!?


「い、いいから余はもう決めたのだ! これは王命だ! お前たちはもう少し王位を真剣に考えろ! 以上だ!」


 イーストライト王がそそくさと姿を消し、場は解散となったが、私は官吏達に連れられて一度家に戻されて事態が呑み込めていない両親共々もう一度説明を受けた後、王宮に戻されて一室宛がわれた。

 いまだに納得していないけれど、王命と言われて簡単に逆らうわけにもいかず、流されるまま部屋に押し込められたのである。


*****


 王宮滞在1日目の夜。第1王子、サザウェル=ナシュア=レナスタン殿下。

 この方は只の獣だった。


「ええっと、これは一体?」

「ん? お前を美味しく頂こうかと思ってな」


 私は現在、自室にてサザウェル様によって壁に押し付けられている。クイッと顎を持ち上げられ、冷や汗をかきながら、殿下の整いすぎている顔を見上げた。輝くような金髪に、引き込まれそうな深緑の瞳。殿下はその瞳を緩め、至近距離で私を見下ろしている。

 いやいやおかしい。なぜこうなっている。宛がわれた部屋に入り、とにもかくにも寝てしまえと思っていた矢先にこれだ。ドアをノックされ、誰かも確認せずに開けた私の落ち度でもあるけど。


「今夜の相手をする筈だった女が、女神の雫になったようでな。ちょうどいいからお前に代わってもらおうかと」


 女性の隠語をさらっと述べるなこのエロ王子。それにあれは女神の雫なんて優しいものではなくて、野獣の襲撃とでも呼べるくらい面倒で憂鬱で人によっては激痛で―――ってこんなことを考えている場合ではない。どうやら混乱しているようだ。落ち着け私。


「そ、それは無理ですね。他を当たってください」


 まさか断られると思っていなかったのだろう。サザウェル様は不可解そうに片眉を挙げた。そんな表情すら絵になるのですね。王子殿下方は皆さん美形だけど、色気でいったらこの方が断トツだ。その美貌のままに食い散らかしてきたのだろう。しかし私とて無駄に20年以上乙女を守ってきたわけではない。ここまできてしまったら安売りはせぬ!


「オレの誘いを断ると? ほう」

「殿下ならどなたでもすぐに見つかりますって。ですからこの手を放して即刻離れていただければ大変大変有難いです」

「ふむ、でもオレは、今夜はお前にすると決めたのだ」


 断り文句を物ともせず、サザウェル様の唇が首筋に降りてくる。いやいやこれはまずい本当にまずい無理無理―――ぎゃあっ触れた!!


「いっ!?」


 我慢できず、私は足を振り上げて膝で殿下の急所を突き上げた。『不敬罪』なんて言葉はこの時すっかり頭から抜け落ちていて、鳥肌のたった腕を摩りながら、悶える殿下を睨み付けた。


「嫌がる乙女に何するの!」

「いっ……てぇ……まさかこんな場所を狙う『乙女』がいようとはな」


 馬鹿にされている。勢いに任せて主張しておいてなんだが、この年にもなって乙女と言い張るのは中々に恥ずかしいものがあった。目ざとく見抜いた殿下は、ニヤニヤと私を見下ろした。


「嫌よ嫌よも好きのうち、と言うだろう?」

「すべての女性がそうだと思っているような目出度い頭なら、即刻窓から飛び降りることをお勧めするわ」

「それはオレに言っているのか?」

「あなた以外に誰が居るっていうのよ」


 ふんっ、と鼻息も荒く言ってやった。殿下はようやく私から距離を置くと、軽く俯いて小刻みに体を揺らしている。何かと思ったけど、こいつ笑ってやがるな!


「何笑ってるの!」

「い、いやすまん……ははっ、今日は気分が良くなったから、これで許すとしよう。お前を頂くのはまたの機会にする」

「そんな機会ならニ度とこないわよ」

「ははっ」


 笑いつつ、サザウェル様はヒラヒラと手を振って部屋から出て行った。全く、人が寝ようとしていたのに睡眠妨害もいいところだ。しかも最低な種類の男性であるということも判明した。殿下が本気で私なんぞに興味を持つとも思えないけれど、要注意、危険、敵!

 興奮状態のままベッドに潜り込んだ私は、そこでようやく『不敬罪』を思い出し、顔面蒼白になるのだった。


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