9・秘密
フォルトゥナーテ公国の貴族が、許嫁である森の民の娘を探しだして、保護して欲しいと、フォルトゥナーテ公国の司法神神殿をとおして神面都市の司法神神殿へ公式に要請してきた。この任務を独りで遂行してほしいという。
森の民という点がひっかかったが、ファオにとっては簡単な仕事だ。
森の民は、整った顔立ちに尖った耳をもち、引き締まった細い体が魅力的な種族だ。独自の魔術理論と祖霊信仰のようなものを持っていて、交易以外で人間と関わることは滅多に無く、ましてや人間と恋愛関係になるなど、伝説上では存在するかもしれないが、ファオが、いや、彼女の二代くらい前でも、そういった噂や、証拠となる合いの子なども見かけたことはない。
この不自然な組み合わせは、多分、森の民の娘を許嫁と言い張るペテルキアという青年貴族が、森の民を奴隷として買ったが逃げられたか、もしくは、現状もっとも可能性が高いと思われる答え、許嫁とやらの正体が、実は他国の密偵で、機密でも盗まれたという線だろう。
森の民は、その身のこなしから、何らかの理由で森を追放された者が、高額で間者として雇われていることが多かった。
ファオは、もうこっちのものだと心の中で、ほくそ笑んだ。剣の腕前だけなら、自分より秀でる人物など滅多にいるものではない。
「ぜっ、是非、私目に申し付けてください。わが主」
緊張のあまり声が上ずる。落ち着け・・・とファオは自分自身に言い聞かせる。この機会を逃せば明日はないのだから。
「まあっ!本採用じゃないのに気が早いわね。それにチアノと名前で呼んでね」
「はっ」
返事をしつつ、ファオは心の中で、本採用も時間の問題だけどねと、一人ごちた。
「よろしい、鉄は熱いうちに打てというしね。早速、向って頂戴!」
こうしてファオはチアノに仕える奉仕人となったが、女法皇の宮殿で寝食をしたことは一度もない。この面接時の体験と、後に、任務の途中で想い人と一緒に、女法皇の宮殿で謁見した時の体験が、この館で過ごすことを避けさせた。それは先程の依頼に関係していた。
森の民との出会いは最悪だったが、後に最高の関係になった。彼女はアザリアという、森の民の執行人だった・・・らしい。
らしいというのは本人に確たる記憶がというものがないのだ。いや、一つだけ残っていた。ペテルキアがアザリアの敵ということだけだった。
アザリアが、唯一、憶えてる記憶はペテルキアの母に捕まり、処刑された?ことだけだった。
当初、敵の手先として何度も始末されかかったファオだったが、ふとしたことで手を組み、友として心を通じ合わせていった。
アザリアが語るには、彼女の肉体に、なにか大いなる存在の欠片が埋め込まれており、ペテルキアを筆頭とする、各人種、各国家の権力者達にも埋め込まれている。
その欠片を全て集めた者は、強大な力を得ることになるらしいということだった。
一緒に旅をつづけ、次第に事実が判明していき、欠片を持ってる選ばれし者は、欠片を奪われないかぎり死なないこと、適合性が高いと死の危機に瀕すると生命力の暴走という現象を起こすということだった。
アザリアは、蘇生したばかりで、体調も万全ではなく、殆どの魔法や戦闘技術を忘れていたため、生命力の暴走に頼りがちであったが、次第に記憶と体調を取り戻し、生命力の暴走に頼らなくても、アザリアの欠片を奪おうと襲いかかってくる者達に勝てるようになってきた。
戦いの結果、選ばれし者の中に一定の地位を有する者がいて、一部の国で指名手配にもなったが、二人が一緒なら、なにが来ようが、誰が相手でも勝てそうな気がした。
例え、世界の全てを敵にまわしても負ける気はしなかった。そんな思いが心を占めていったが、二人の平穏な旅が終わる日は早くもやってきた。
強敵を倒した時のこと、相打ちに見えたアザリアが無事だった。喜び近づくと、まるで生命力の暴走を起こしたかのように赤い目のアザリアが微笑んだ。
何時もとは違った、それは意思があった。口を開き一言だけ言った。
「私の、私の本当の仲間になってよ」
アザリアの得物、刀身が幾つにも見える幻惑の剣、分身の剣が、丁寧にファオの鎧を、服を、一枚づつ切り裂き、しなやかに優しくなでるようにファオの体に巻きつき、自由を奪った結果――ファオは力づくで純潔を奪われた。
神に誓った操を奪われただけでなく、快楽に狂わされ、彼女の心にあった僅かな信仰の証さえも捨てさせられた。純潔の誓いは力で奪われても心が穢されなければ救いがあったが、それさえも踏みにじられた。
だが、この世界を破滅しかねない異形のモノに乗っ取られたアザリアに、身も心も穢され、堕されたのだ。仕方がないことではないのか?
いや、違うアザリアのせいじゃない。快楽に身を任せ、あのような汚れた言葉を口走り、神を捨てたのは、自分の心が弱かったからだとファオは考えた。考えなければならなかった、彼女の為に。
アザリアが正気に戻った時、己が仕出かしたことを憶えていた彼女は、絶望の涙を流し、全てに決着をつけるため、自らの剣で首を刎ねて命を絶とうとした。
あの行為こそは、死して後、何者かに肉体を改造され、異端に堕され、故郷の森に帰ることを望んでも、帰ることなどできない身体となった、孤独な彼女の心にある隙を、闇が突いた結果だった。
しかし、ファオは何も言わずにアザリアに体を重ねあわせ、二人は心から慰めあった。例え、それをアザリアの心に潜む、大いなる邪悪に嘲笑されようとも。
彼女と一緒なら、世界の全て、生きとし生ける者全てを敵に廻してもいい、たとえ、世界中から糾弾され、一緒に堕ちてもいい、彼女と一緒なら。それは思いから確信へとかわった。
自分は、神に捧げた穢れない肉体を穢されてしまった。でも、生きなければならない。そのことをチアノに告げに戻った時、チアノは激怒した。自分の所持品を汚されたのだ、当然の事だ。
この時、目前で繰り広げられた光景、完全破壊者の二刀流で、人外のアザリアと互角に渡り合ったチアノの姿が脳裏に焼きついて、女法皇の宮殿で寝食をする気になれないのだ。
あれだけのことがあったのに、何故、一人戻ってきた自分を仕えさせてくれるのか未だに理解できなかった。
勿論、人前では言えない出来事なので、誰にも相談することができず、ファオはチアノが受け入れてくれた理由を考え、それに関連する過去を振り返ることが多い。
過去の出来事が頭を過ぎり、また、過去の思い出に溺れることになる。
チアノとの一戦でアザリアは暴走したが、ファオを守る為に剣を振るった結果、初めて、心の中の何かに勝てた。
アザリアに巣食い、生命力の暴走が起こった時には、意識を則り、アザリアの秘められた能力を完全に使いこなし、多くの無関係な者達を、遊び半分で虐殺してきた存在を、ついに己の勢力下においたのだ。
全ての力を取り戻したアザリアは、己に巣食う者から、敵の正体と終焉の地を知ることができた。永遠と思える二人だけの旅路も終わりをつげようとしていた。
終焉の地では、アザリアの体に巣食うモノの主が待ち受けており、最後の生き残りであるアザリアを取り込もうとしたとき、アザリアは祖霊に自分自身を贄として捧げ、全ての浄化を始めた。
まばゆい光の中にペテルキアなどの今までの犠牲者が浄化され、天に昇っていく、光の中で確かにアザリアはファオを見とめて、手を差し伸べた。一緒に行こうと。
だが、彼女は背を向けて逃げ出した。
怖くなった。あの異教徒が行なう浄化という光景をみていたら怖くなったのだ。自分は最後の最期でアザリアを見捨てたのだ。
一緒に堕ちても良いと思ったのに、一緒に天に召されるのは嫌だった。
何故だろう?毎晩、悔やんで悔やんで仕方がなかった。それほどまでに思うのなら、何故、自分はアザリアの誘いについて行かなかったのか?自分の半身ではなかったのか?全てを捨てて添い遂げるつもりではなかったのか?
・・・自分が彼女を見捨てたのだ。あの時、命が惜しくなって逃げ出したのは自分。全てを浄化せんとする彼女を見捨て、我欲に奔ったのだ。
そんな考えがファオの思考の大半を占めると、自分が何やら、此の世に存在してはならない者のように思えてきて、軽い頭痛と重い罪悪感が脳髄を支配するのだが、一瞬だけ、自分は神の教えには何も背いていない。むしろ、同性愛の咎を乗り越え、異教徒の誘惑を断ったのだから、正しい行いをしたのだという思考が走り、善知識的思考と戒律による宗教的救いによって、一時的にファオを解放しても、精神の地平から、じわじわと染み伝わってくる心の渇きと肉の疼きが、ファオの虚飾を剥ぎ、全てを奪い去り、本能的に彼女を肯定し、求め始める。
また、甘い思い出と苦い自責の念に追われ始め、それは、ほんの僅かな、一瞬だけ神の慈悲の手を感じることで中断されるが、休むことを知らず、すぐに再開されるという輪廻を、ファオの精神が頂に至り、心果てるまで続くのだった。
物心つけば、ファオはアザリアと別れてから、一年半、独りで安眠できたことはなかった。
こうなってしまったのは、最期に別れてから、何時頃だったかと考え始め、やがて過去を追憶し、ファオは、また、安眠を獲る機会を逸してしまった。
何時ものことながら、今朝方、天上へ召されたはずのペテルキアが、何事もなかったように帰って来たことが、殊更、ファオの心にある後悔の念を深く、深く沈みこませていく、この後悔の念という楔が幾度となく打ち込まれ、ファオの心は限界を超え、甲高い音を立てながら、粉々に砕けてしまいそうなっていた。
永遠に終わることのない咎への責め苦、それを断ち切るかのように、背後で衣擦れの音が聞こえ、しだいに足音が近づいてくる。
「ねむれない?」
返事をすべきか、それとも沈黙を貫くべきか、ファオは逡巡したが
「・・・うん、なんか寝たくない」
アルシアに背を向ける形で、ファオは答えた。窓から空を見つめるファオの顔は限界に達して、心が虚ろなのか表情がなかった。
アルシアは、最後の一枚を捨て去ると、自分の頭頂部をまさぐった。留め金が弾けるような音が幾度か鳴った後、アルシアの頭頂部から、まとまった髪が抜け落ちた。
多分、魔力元素が無い場所でも大丈夫なように、部分カツラを愛用しているのだろう。毛髪が落ちた頭頂部には大きめの刀傷が露になった。
「私も貴方につけられた傷が疼くの・・・ねぇ何時ものように癒してくれる?」
ベッドから起き上がったファオは自分の服を脱ぎ去ると、アルシアを抱き寄せながら、ベットに崩れ落ちる。二つの影が重なり合うと同時に、月が雲に隠れ、月明かりが堕ちた。