7・法論
結局、ファオ達はリィアから新しい証言は得られなかった。
一先ず、事件当日に出勤した修道女達を把握すべく、花売り小路にある店々をまわり、当日の出勤簿を回収した。
回収した出勤簿から被害者の身元を割り出そうと、左目教区の司法神殿内にある彼等の捜査部屋、チアノの執務室に戻ったところで日が暮れてしまった。
チアノの執務室には入り口手前から、二台づつ並んだ机が向き合うような形で計四台の机が正方形に配置されている。
部屋の奥まったところに、調度品にまみれた、チアノ個人の素晴らしい執務机が鎮座していた。
陽も落ちるころには、チアノとアルシアによって、事件当日に出勤した者を出勤簿から拾い上げる作業も終わった。
残すは身元不明の被害者を警護しているディアモント・サスラノが、夜勤の者と交代して司法神殿に戻ってくるのを待つばかりであった。
一作業終えたチアノは、その豪勢な執務机に合うように拵えた年代物の椅子に、深く腰をかけながら、時折、珈琲を口にし、今日一日の疲れを労った。
ファオとアルシアは窓際の席に向かいあって座っており、アルシアは夜班に引き継ぐべく報告書を制作していた。そんな義務も仕事もないファオは自分の席に着いてから現在に至るまで、なにをしていたかというと
「助けてあげたのに何で怒るんですか~」
ファオの席にかじりつきながら、困惑した表情で抗議活動を続けるミチェットの対処に追われていた。
「別に怒ってないけど」
その顔が視界に入るのも嫌だとばかりに、ファオはミチェットから顔を背けた。
「やっぱり怒ってるじゃないですか~」
顔を背けたファオの視界に入ろうとミチェットは追撃を開始する。幾度となくなされる、やりとりに、しつこいな、これで二十一度目だろうか?とファオは心の中で呟やいた。・・・いちいち数えてる方も同じ様なものだが。
そんな二人のやりとりを、目にしたアルシアが楽しそうに微笑む。
「フフッ、相変わらず仲がいいのね」
「別に仲良くないけど」
微笑むアルシアとは対照的に、ファオは実に迷惑そうな顔をし、機嫌悪そうに答えた。
ファオは班内でミチェットと一緒に組まされることが多かった。
それが嫌でしょうがないので、いろいろとミチェットに冷たく当たるのだが、なにをやっても最終的には、ファオがミチェットにからかわれている様に見える状態に陥るのであった。
ファオが人生において他人と接触した経験が極めて少ないことや、女として産まれた為か、十歳を過ぎてから学ぶことを許されなかった環境のおかげで語嚢が乏しいことも関係あるのかもしれない。
なにより、ミチェットの悪気のなさもあり、その光景は周囲に彼女が子供の同じ程度にあわせている様に見えていた。
チアノとしては、力づくで捜査を進めがちな暴力装置を抑える枷として、未熟ながらも法に従順な少年をまかせた風もあった。
なんといってもミチェットを無事に守りつつ、大勢の敵と戦えるファオのような手錬は、この神面都市には五人といないだから、この二人にコンビを組ませることが、自分の班にとって最良な選択だとチアノは確信している。
そんな二人の関係を破壊しかねない発言を少年は無邪気に言い放った。
「そうですよぉ、むしろファオさんはアルシアさんが好」
「ブッ!ゴホッゴホッゲハッ!」
ミチェットが口にしかけた、とんでもない言葉を打ち消すかのようにチアノは咥内に含んだ飲みかけの紅茶を勢い良く噴出した。
「ちょちょっと何を!」
机に綺麗に揃えてあった書類が濡れ、染みが拡がるのも構わず、自分が指揮する班内で不穏な発言をした少年に抗議の声をあげた。
何故、話しに無関係なチアノが抗議の声をあげたのか理解できず、怪訝そうな表情で少年は話し続ける。
「ヤン隊長のとこのミルフェも二人は愛し合ってる異端者だって」
「え?」
ファオとアルシアが、ほぼ同時に口を揃えて反応する。二人の顔が朱に染まった。
「だから俺の美しさが理解できんのじゃ!っていってましたよ」
己の発言した内容の危険さを理解してないのだろう、二人の反応など、どこ吹く風とばかりに世間話のように語り終える。
「な・・・」
アルシアの透き通るような色白の肌を彩った赤味が、若干、抜け落ちた。怒りが収まったのか?少年が語った内容に呆れたのか?それとも思ってた内容と違ってたので安堵したのであろうか。
何時の間にかチアノが気配を感じさせずに三人の背後へと廻っていた。
「これ!三人とも聞こえの悪いことをいわないで!もし異端審問にかけられたらどうするの?」
チアノの叱責にしばし黙りこくる三人。個より社会を大切とする原理の五神に仕える者にとって、自然の営みに反する同性愛者は教理原則を乱す大罪人として異端審問にかけることが義務付けられている。
やや暫くしてミチェットが口をひらく
「・・・追放ですか?」
チアノが何時になく厳しい目でミチェットを見据えながら口をひらく
「原理の五神に仕える者が法理を乱した場合、最悪――」
「死罪です。だから冗談でも、この手の話題で余所の人をからかうのはやめてね」
チアノの言葉を遮って、アルシアが優しくミチェットに告げた。
「そうだよ。同性愛者かどうかはともかく、愛し合ってるだけで殺されるなんてねぇ」
ついていけないとばかりにファオも天を仰ぎ大言する。
「でも仕方がないわね」
チアノが苦笑しながら、しょうがないとばかりに答えると
「そうでしょうか?原理の五神のうち、戦の女神メルセポラは愛の女神イオリンラと同性愛に耽った伝承があります」
戦の女神が夫である教養神を失った悲しみに囚われていた時、愛の女神に慰められて、何時しか愛しあうようななった伝承がある。
その一節を用いてアルシアはチアノに疑問を投げかけ
「神でさえ一度、道を誤ったんです。ましてや私達人間なんか・・・」
犠牲になった者達を思い浮かべたのか?悲しげな表情で言葉を詰まらせる。
「そうね。でも間違いは間違いなのよ。伝承の最期にあるでしょ?過ちに気がついた戦の女神メルセポラが同性愛は不毛だと、愛し合ってもなにも産み出せないって」
「だからといって尊い命を奪うのはあんまりです!!」
アルシアは両目に涙を溜めてながら感情を爆発させた。
彼女が、ここまで感情を露にしたのは初めてだったので、ファオもミチェットも思わず唖然とする。
「でもねアルシア、不完全な人間だからこそ、厳しく取り締まらなくっちゃならないのよ。私達は法の守護神ヴェルナの使徒なんだから」
感情に囚われたアルシアとは対照的にチアノは落ち着いて諭す。
「でも私は――」
チアノは慈愛に満ちた表情で、泣きじゃくりながら、何かを言おうとしたアルシアを右手で穏やかに押しとどめながら
「アルシア、本当に慈悲深いのね。けど考えすぎよ。私達は審問前に棄教か同性愛をやめるかを選ばずに逃げた者を捕まえるだけ」
自分達の職務を冷静に諭す。
「あくまでも量刑は司祭様達が決めるんですよね」
緊張した空気が、チアノの慈母のような振る舞いにより緩和したのか、少年が己の疑問を口にする。
「そう、大抵は神殿の御技の記憶を消すか、手放すのが惜しい人物なら過去の記憶を消すか・・・」
各神殿で授けられる数々の特殊な武具や用具に関する技術、先程の儀礼神の司祭が用いた、過去視の奇跡のような特殊な魔術などは、総じて御技と呼ばれ、門外不出であり、流出を避けるため、何らかの事情により、神殿を離れる者は須らく御技に関する記憶を消された。
「そんなこともできるんですか!」
「ええ、そんなに細かくはないから、若干、他のことも忘れてしまうかもね」
過去において、二、三あった、実際に見た不幸な事例を思い出したのか、チアノは少し悲しげな表情をした後、それを打ち消すかのように
「だから人の命を奪う心配なんてしなくてもいいのよぉ」
どうにでもなれとばかりの何時もの適当な口調のチアノに戻った。
「でも追跡中に殺してしまうことも」
ファオの発言にアルシアが何かに気がついたようにハッとする。
「それはしょうがないでしょうね。こっちも命は一つしかないんだから身を守らなきゃ、ね」
それはお手上げだと言わんばかりに、チアノは両肩をすくめて答えた。
「私は人を殺す為に神官になったんじゃないんです。人を救うために神官になったんです!」
チアノに懇願するかのようにアルシアは激しく訴えかける。
チアノは顔を伏せて、すすり泣くアルシアに、ゆっくりと歩み寄りつつ
「アルシア、私情は捨てなさい。ここは貴方が以前いた部署とは違うの」
彼女が、以前、所属していた部署は、犯罪に遭い生活に困窮した者や、貧しい者や、正規の教育を受けれなかった者、外国人、亜人などの社会的弱者を相手に法律相談をする部署であった。
そこで、たまたま相談相手の悩みや、抱えこんでいる事件を、幾つか解決したところ、話しに尾ひれがつき、聖女と讃えられて、紆余曲折の後、今に至ったのだ。
確かに、彼女が司法神に仕えることを選んだ理由は、治安を守るために人を疑い、裁くことではなかった。
俯いて返事をしないアルシアの両肩を優しく両手でつつみならが、彼女の顔を、心を覗き込もうとしながら、毅然と語りかける。
「ここは人に徒なす獣を未然に処分する屠殺場です。そんなことでは、また死にかけるわよ」
「・・・はい」
返事はしてくれたが、心は開いてくれなかった。納得してないことは理解できたが、アルシアが興奮している今、無理に説得するものでもないだろうとチアノは思った。
アルシアは賢明な子だから、何時か理解してくれるだろうと。
チアノは後ろで呆然とみていたミチェットとファオに向き直り。
「貴方達も油断と私情は禁物よ!」
と、厳しい口調ながらも、ニッコリと笑いかける。
「「はーい」」
重い空気を何とかしようとしているのか軽い感じに返事を返す二人を見て、溜息をつき、両肩をすくめるチアノ。
「調子いいわねぇ・・・」
そこへ要所々々を金属片で止めた革製の奇妙な鎧に身をつつんだ東方蛮人らしき総髪の男が、部屋に入ってくるなり
「ただいま戻った!」
と大声で叫んだ。
チアノは男の姿を認めると
「こっちは手がかり無しだったわ。ディアモント、そっちは何か異常は?」
大声に面を喰らった者達をよそに、冷静に話しを進める。
この顔を総髪と無精髭に囲まれた大男が、主をもとめるサスラノに身を窶した東方蛮人ディアモントなのだろう。
ディアモントはチアノに向って、気だるそうに右手をひらひらと振り
「こちらは何も変わらん。下手人も現れぬし退屈で眠くて溜まらぬわ・・・」
両手を天に向かってあげて背を伸ばし、欠伸をするサスラノ。逞しい体躯から、森で小枝を踏むような音が、幾度か背骨から聞こえた。
「妊婦の状態は?」
「それも心配ござらん。息災じゃ!ご婦人も頼まれた場所へも移ってもろうたわ」
「ありがとう。さあ、明日は早いから今日は解散よ!」
ディアモントの報告に満足したのか、チアノは解散を告げる。 一同、それぞれ返事を返しながら帰り支度をし始める。
チアノは母親が子供に言い聞かせるように
「夜班には私が引継ぎをするわ。今日は帰って、ゆっくり休みなさい」
とアルシアに告げると、チアノは報告書を作成をするために、自分の机へ戻っていく、そこには彼女がしでかした所業により、傷ついたものが、待ちくたびれたかの様に、己に記された大事な記憶を茶色い涙に滲ませていた。