6・修道士と奉仕人
花売り小路は神面都市を網羅する石畳の大通りを辿って、南西部、左目教区と口教区の境目近くにある。
花売り小路の名前の通り、春を鬻ぐ者達の店は軒並み、ここで営業しており、地の者達からは神の笑窪と呼ばれていた。
その由来は神をも愉悦させるところからきてるのか、もしくは笑窪が魅力的な女性が揃っているという意味なのか?今となっては誰も知るところではない。
大通りに並ぶのは飲食店を兼ねた宿屋ばかり、各宗教の本山が並ぶ、この都市だからこその光景だが、店仕舞いが近い早朝のせいか、それほど賑わってはいない。時折、泥酔者のがなり声らしきものが、かすかに聞こえるほどだ。
そんな神もまどろむ静寂を破るかのごとく、気のふれた雌鳥のような少女の罵声が、花売り小路から石畳の大通りへと響き渡った。
「奉仕人風情が!アタシに尋問だって!とっとと帰りな!」
それは花売り小路に並ぶ酒場と売春宿を兼ねた店の一つ、雪割り亭の入り口の前から聞こえた。十二、三歳位であろうか?幼い顔つきに小柄な背格好の少女が罵声の主である。
少女は両手でファオの胸座を掴み締め上げていく。
凶悪な殺人事件だから、事件解決の為に快く証言してくれるだろうと思っていたミチェットは、あてが外れたせいか、二人の横でオロオロとうろたえ、この諍いを割って止めに入ることもできない。
少女はイオリンラの紋章がついた外套を身に纏い、人の交わりを現したという独特の髪飾りで髪を束ねていた。その髪飾りは春を鬻ぐイオリンラの乙女である証だ。
彼女が事件が起きる前に宿屋に来たというリィア・リィアという赤毛の修道女であろう。
格好からして、早朝になり仕事が空けたので、化粧を落として外套を着込み、家に帰ろうとした矢先か。
そんな時に捕まったからであろうか?かなり不機嫌な様子だ。
「な・・・リィアさん!捜査への協力は市民の義務です。位階は関係ありません!」
正確には奉仕人という位階は存在しない。奉仕人は、司祭、神官、修道士の三位階を得ている者に、私的に仕える無位階無報酬無権限の在家信徒である。
個人に仕えているので社会的保障がある者は少ない。在家信徒だが、財貨などではなく、身一つで奉仕するので流れ者などが多く、殆どの者は神殿外に宿泊しており、字面通り神殿周辺に野宿している者も多い。
また、奉仕人が仕えている信徒が、神殿内の宿舎を借りている場合、実質的な妾や奴隷として同居している場合もある。
だが、ファオの弁は、ごもっともであり法に則った発言だ。まず、ファオとリィアの信奉する神が違った。また、原理の五神と激情の五神という神々の派閥さえも別だ。何より、信仰的に位階は殆ど関係ない。建前上は神の下では誰もが平等だ。権利や義務を発生させるのは組織的役職だ。
しかし、建前上はそうであっても、観光客を除けば、なんらかの神を信奉する者が圧倒的に多い此の都市で、宗教上の位階は、慣習的に実生活においても影響をもたらしていた。
何より、イオリンラは友を救う為に、全ての神々を敵にまわした伝説のある強情な女神であり、更にいえば語尾の強い否定は、リィアの機嫌を最悪の方向へ向わせるのに良い燃料となった。
背の低いリィアは、下からファオの顔を覗き込むように凄み
「昨日、話しただろ!いいかげんに寝かせろよっ!屑がっ!」
そのままファオを思いっきり両手で突き飛ばす。足元をふらつかせ、よろめきながら、ファオは力なく通りに倒れた。
ファオの心の中に、重要な証拠をもたらすかもしれないリィアに手を出してはならないという思いと、ファオの育ちの良さが出てしまったのか?リィアごとき小娘に気圧されてしまったのだという事実がせめぎあう。
特に小娘に気圧されたという一点の小さい事実は、か細い錐の様に彼女のプライドを傷つけるのに充分な代物だった。
「く・・・ず・・・でっ、でも」
そう言い澱み、よろめきながら立ち上がるファオの姿は、一見、急な暴力を振わられて戸惑っているかのように見えた。
「でもぉ?なんだよ、言ってみろよ」
そう見えたからこそ、リィアも調子づき煽るが、それは間違いだった。ミチェットはファオが起き上がりつつ、左拳の握りを緩め、左手をやや後方に引く仕草に気がついた!
余所者のファオには、位階差別は理解しがたい慣習であり、何より法に反することは従うべきはないし、法に反する者は力づくでも法に従わせてやれという思いが強くなる。
が、自分は単なる司法神の信徒で法的権限がないという現実が彼女を押しとどめる。法を守る者が法を破ってどうする?
そんな考えと、自分より力で劣る存在を暴力で制したい衝動との葛藤があったのだろう。そして、彼女の心の中で決着がついた!
「すみません!私の奉仕人が無礼をしました」
危険を察したミチェットが、僧衣の肩にある教団の紋章を示し、位階を強調しつつ素早く二人の間に割って入った。
「お、おまえが修道士!?」
どうみても自分より年下、はっきりいえば、まだ子供のミチェットにリィアは驚愕した。
「僕はミチェット、10歳。飛び級で修道士に。なにか問題でも?」
年齢をさりげなく強調する。通常、修道士の位階を得るには、義務教育を終えて十三歳から十四歳で神学校へ入り、約一年から二年ほど学び、適性検査を通った教団の教えに適合する者だけが、教団内の入信試験を受け、合格すれば晴れて修道士の位階を得る。平均年齢十五歳くらいであろうか?
貴族の子息などで、優秀な私塾や家庭教師によって教育され、素質があれば、もっと早い年齢で修道士になることもあるだろう。
もっともミチェットは僻地出身なので義務教育を受けれなかっただけなのだが、それでも若い年齢で入信試験に合格したのだから、優秀なことには代わりがない。
「10歳!?はっ早っ!あの、その・・・決まった娘とかいるのかな?」
可愛げにしなを作り、リィアは自然に距離を縮めミチェットに体を密着させた。
「え、えーとそういうのは・・・」
リィアの興味は、ミチェットの階級章を見た時点で注意が逸れたのか、ファオが左手で必殺の剣を繰り出そうとしたことに気がつかなかった。
ミチェットとしては、上手くいったと、ほくそ笑みたいところだが、リィアの予想外の喰いつきの良さに困惑し、それどころではない。
助けを求めたい気持ちと、ファオが考えを改め落ち着いてることを確めようという気持ちが、リィアの誘惑をからミチェットを逃がらせ、後ろを振り返えらせた。
冷めた表情のファオが、二人の騒動を見つめていたが、ミチェットの視線に気がつくと、興味なさ気にそっぽを向き
「いんじゃないの?修道士になったら、同じ修道士から生涯の伴侶を決めるのが規則だろ」
我、関せずとばかりに突き放すように冷たく言い放つ。
修道士になることは一人前になった証であり、成人したことと同じ事なので、貴族の子女などは、政略結婚のために入信させられることも多い。
「いないかな・・・?僕、まだ10歳だし・・・」
ファオの皮肉もどこへやら、しどろもどろに答えつつもミチェットは満更でもなさそうな顔している。
「あ、あたしどうかな?尽くすタイプだし、なんなら今夜お店にきてよ。サービスするからさ」
リィアはミチェットを抱き寄せると、歳の割には豊かな胸に押しつけた。
「ええ?・・・ど、どうしましょうかねぇ?」
リィアの胸に溺れながら、相変わらず口調は困った感じだが、鼻の下を伸ばして相好を崩し、酷くニヤついた表情のミチェットが振り向いた。
「チッ!好きにすれば」
ファオは思わず憎らしげに舌打ちし、明後日の方向へ視線を逸らした。ミチェットに顔を見られたくなかったからだ。
本来なら礼を言わなければならないのに、こういう返事と態度しかとれない自分に、胸焼けをするほど腹をたてた。