3・鏡の中の殺人者
窓ごしに夜の闇に浮かぶ街の灯を見つめていた青年が、照れ臭そうに頭を掻きつつ振りかえる。
「いやあ、気づかれましたか?」
「暫くぶりだから、見間違いじゃないかと自分を疑ったわ。いつからここに?」
「フォルトゥナーテ大公の三周忌を警備する為に、少し前から来ていたのですが」
「二週間後・・・だったかしら?」
ルザーヌ帝国を構成する公国の一つ、フォルトゥナーテ公国の大公が三年前に亡くなり、残された二人の娘が神面都市にて葬儀を執り行う予定だった。
が、神面都市まで山一つを残すばかりと来たところで、突如、本国へ引き返し、大公の葬儀が無機延期になったことをチアノは思い出した。
当主を継いだアンテリュースは、当時、まだ十六歳。少女の力では領内勢力を完全に掌握できなかったのであろう。
大公の遺体は魔法で保存されているだろうが、やはり安らかな眠りにつかせたいのであろう。三年前におこなえなかった葬儀も兼ねて一緒に済ませる予定だと聞いている。三年越しのまさに念願の墓参であったのだろう。
ペテルキアの身の上話を聞いてるついでに、三周忌の警備に割く人手が足りないと、儀礼外交神神殿から応援を要請されたことをチアノは思い出した。
その関係で、警備計画の素案を明後日の会議までに提出せねばならないことも脳裏に浮かんだが・・・こちらは忘れることにした。自分がやらなくとも、他の者達――優秀な司祭様方がなんとかしてくれるはずだ。多分。
「当初の予定では、もう少し早かったんですが、なんでも到着が遅れるとかで暇を持て余してたら」
ペテルキアは鏡の前で儀式用の魔力石などを設置している司祭達を指し示しながら「人手不足だという事でこちらの手伝いに・・・」やれやれといった具合に両肩をすくめてみせた。
「雑用を押し付けられたってわけ?同じ司法神信徒なのに宮仕えは大変ね」
チアノはペテルキアがルザーヌ帝国の落魄した貴族出身だったことを思い出した。
「いえ、そういった訳では・・・どこも同じですよ。神面都市みたいに全てを信仰に捧げれるのは稀ですよ。その点だけは本当に羨ましい」
「もう此処に残ればいいのに。家は人手不足だから何時でも大歓迎よ」
「そうしたいのはやまやまなんですが・・・その」
胸痞えた何かに言いよどむペテルキアの背中を、チアノが元気づけるかの様に強く叩き
「ファオなら気にしなくてもいいのよ。もう忘れてるみたいだし、どっちかというと――」
「あっ!どうやら過去写しの儀式が始まったようです!」
チアノの長話を遮るかのように叫んだアルシアが指し示す先では、姿見の鏡を取り囲んだ司祭達が、高らかに祈りの詠唱を始めたばかりだった。
彼らが祈り始めると同時に、姿見の鏡が過去において己が映した鏡像を露にしだした!
産まれたままの姿に艶やかな黒髪を纏った女が、新たな生命を拵えた膨らみに突き立てられた凶器を抜こうと足掻きもがいている映像が鏡に映しだされた。
その突き立てられた悪意を抜き出さんと、妊婦は両の腕で押したり引いたりと色々とあがくが、角度的に鏡に映らない残虐非道な凶気の持ち主は、逃がす気が無いのか、女が幾度も歯向い、抵抗しても槍は抜けることはなく、やがて女は力尽きて寝床に倒れこむ。鏡には全てが終わり、弛緩し力をなくした足が寝床から垂れ下がる様子が映った。
暫くして悲鳴を聞きつけたのだろうか?姿見鏡に隣室の客達が入ってくる様子が映り元の鏡像に戻った。
X X X
「夜分遅くに、御協力ありがとうございました」
一仕事を終えて部屋を出て行く、頭頂が禿げ上がった中年司祭の後姿を、にこやかに見送りつつ、心の内では困ったことになったなとチアノは思った。
事件解決の切り札になると思っていた過去視の奇跡が、思いがけないことに、とんだ空振りに終わってしまったからだ。
思いがけないというのは、今おこなわれた過去視の奇跡や、相手の虚偽を看破する虚偽抹殺の奇跡などが用いられるからこそ、神面都市では、大体の事件が一週間以内に、迅速に解決されるのである。しかし、それらが通用しないとなると正規の手順で捜査を進めなければならない。
特に大公の三周忌が迫っている以上、たかが殺人事件一つに人員を割くのは大きな痛手であった。
人手不足に苦悩するチアノの思考を粉砕するが如く、司祭達と入れ違いで騒々しい一団が部屋に駆け込んできた。
「遅れてすみません!」
司法神の僧衣を着込んだ幼い少年と、金属鎧を着込んだ長い黒髪の女性が現場に駆け込んで来た。
栗色の髪を振り乱して駆け込んできた少年を視止めたチアノは思わず
「遅いっ!ミチェットなにをしてたの?」
「ごめんなさい。でもファオさんが寝坊す・・・」
ファオと呼ばれた、やや日に焼けた肌と東方蛮人特有の黒眼に長い黒髪を持つ女性が、片手でミチェットの口を後ろから塞いだ。
「コイツが道に迷うから・・・たはは。あっ!久しぶりじゃないか!」
すかさず視界の隅に捉えた知己に声をかける。己の失敗など全て吹き飛べとばかりに大声で。
「お久しぶりです。息災でしたか?」
そんなファオの小賢しい挙動を気にも留めず、ペテルキアは穏やかに言葉を返す。
「それはこっちの台詞さ。もうアザリアのことは――」
「・・・その話は止しましょう」
自分が相手の琴線に触れたことを気がついたか、気まずい雰囲気の中、避けようとしていた人物に救いを求める視線をファオは送った。
本末転倒の結果に、呆れたという感じで嘆息しつつチアノは仕切りなおす。
「二人とも、まぁ、ちょうど良い時に来てくれたわ」
「ちょうど過去視の奇跡が終わったところなんです」
アルシアも上手く調子を合わせる。この場では彼女の如才なさだけが救いだ。
「じゃあ、事件は解決しちゃったんですか!おっしいなぁ~僕の推理力を披露できると思ったのに」
傍から見れば、さすがにわざとらしすぎる気がするが、この少年ならば半ば本気で思っているのかもしれない。
少年には、そう思わせるだけの幼さがあった。
「それがそうもいかないのよ。詳しい説明をしてあげるから、まずは主人と宿泊客のみなさんを呼んでらっしゃい」
意外にも、二人は素直に従って出て行った。遅刻を咎められるよりはマシだと思ったのだろう。