表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/16

2・女法皇

 事件は神面都市グラード・ヤーを東西南北の四つに分けて西側、人の顔に例えれば向って左目にあたる地域にある宿屋ネンカラスの一室で起こった。

 ネンカラスは一階に酒場をかまえ、二階に宿泊用の部屋がある、良くある形の宿屋だ。

 部屋は寝床ベッドと机が一つしかない簡素なもので、事件の現場には狭い小部屋に不釣合いな姿見鏡が扉の横にあった。


 現場には四名からなる真実の探求者たちが、事件の真相に辿りつかんと一意専心に捜査に励んでいた。

 まず、被害者が倒れてたであろう寝床ベッドを僧衣を着た二人組みの若い男達が調べている。彼らは寝床ベッドに敷かれていた血に塗れたシーツを囲みながら、口々に何事かを呟いていた。

 彼らは教養神サウレアソルの者であり、教養神サウレアソルに仕える者が得意とする神の奇跡-いわゆる魔術で、血痕や、直近の使用者などを調べているのであろう。


 二人組みの傍らには、落ち着いた感じの赤髪の女性がおり、直立不動の姿勢で腕組をしながら、ある一方を見つめている。

 その視線の先には返り血を浴びている姿見鏡があり、女は物憂げな表情で見つめながら何事かを考え込んでいた。

 彼女の僧衣には先ほどの二人とは違い、契約神ヴェルナの紋章が縫い付けられていた。


 契約神ヴェルナは、天地顕解てんちけんかいの後、野に放たれた獣の内に人を見出し契約を結び、人は法を知り万物を律し獣を統べる長となり、ヴェルナは人々の盟主となった。その由来ゆえに、司法を司る神としての役割を担っている。

 契約神ヴェルナに仕える者があつかう魔術は、教養神サウレアソルの様に地道な調査を行なうことはできないが、契約神ヴェルナの名に違わず、偽りを見破ることや、法を犯す者に裁きをくだすことに、その用途を見出すことができる。今は、まだ彼女の出番ではないのだろう。


 三人から少し離れて、美しい黒髪を肩にかかるぐらいで切りそろえた、同じく司法神ヴェルナに仕える若い女性がいる。

 若い女性は壁に立て掛けられている、犯行の凶器に使われたであろう穂先を紅に染めた槍へ、右手を当てつつ瞑想に耽っていた。

 嗚呼、女よ、魔術を、神の御業を用いらずして何が読み取れようか?


 同じく司法神ヴェルナに仕えると書いたが、赤髪の女性が着ている僧衣は黒髪の女性より、否、他の三人より、凝った刺繍が縫い付けられており、着ている僧衣が神殿からの支給品ではなく、個人の持ち物であることが伺えた。

 腕部に縫い付けられている神殿の徽章には、他の三人が神の道へ至る階段を現す線が、一本、もしくは二本縫い付けてあるだけに対して、二本線の上に光り輝く神殿の刺繍が縫い付けてあった。

 各国の共通規定では、徽章に縫い付けられる線が、一本で修道士、二本で神官、三本で司祭となっており、さらに階段をあらわす線の上に神殿が縫い付けられていれば、それぞれの位階を束ねる地位にあるということを表していた。

 すなわち、この赤髪の女性は自費で装備品を購入せねばならない神官長の地位にあり、この現場の責任者であることがわかった。現場の責任者であるからこそ、渋面を作るのももっともなことであった。


 交易の中心地で、ありとあらゆる宗教の本山が集うこの都市において、主要な産業は、観光、宿泊業である。

 事件解決が長引き、治安の悪さが世間に喧伝されることは、警察ヴェルナの威信だけに留まらず、観光地にとって非常に痛いところだ。


 なにより宿泊業を営む者は地の民が多い。神面都市グラード・ヤーを治める評議員に立候補できるのは、宗教都市になる以前、山奥の寒村だった頃から住んでいる者の血族、一定以上の租税額を納めてる新たな定住者、各神殿の高位の者だけだ。つけくわえるなら、投票は前者に加えて各神殿の位階にある信徒なら誰でも投票できる。

 評議員十五人中、地の者が半分近くおり、また、十五人の上司の一人、司法神ヴェルナ高司祭ビセィ・クラミツも評議員の一人だ。

 もし、事件解決が難航すれば、次の選挙に影響があるだろう。彼女が落選すれば、司法神ヴェルナ神殿に割り当てられる予算が減らされるかもしれない。なんとしても犯人は捕えねばならなかった。

 

 筈なのだが、赤髪の女性の顔からは、そんな悲壮感は微塵も漂ってなかった。渋面も、まるで約束をした友人が遅れて来るのを、苛立ちながら待ってるかのような素振りだ。

 そこへ、眉間に皺を寄せながら槍を調べていた若い女性が、赤髪の女性に歩み寄って声をかけた。

「チアノさん、大変です!」

チアノと呼ばれた赤髪の女性は、姿見の鏡に注いでいた視線を声の主へと転じた。

「どうしたのアルシア、なにか証拠はつかめて?」

先ほどの苛立ちの表情かおから、打って変わった落ち着いた表情で、黒髪の女性に問い返す。

 声には、若干、新たな事実を知る為の緊張と期待が篭っていた。

「それが、凶器の槍に触れてみたのですが・・・何も感じないのです」 

アルシアは全てが理解しがたいとばかりに、かぶりを振って答える。

「なにも感じ取れない?」

チアノは右手を顎にやりつつ、訝しげに聞き返した。まるで、あってはならない事のように。

「はい、刺された妊婦の恐怖や混乱は伝わってくるのですが、犯人の犯行時の感情とかは――――」

 アルシアは、共感能力エンパシーという、対面した相手の表情や、触れた相手の肉体から、感情や思いを読み取ることができる能力をもっている。素晴らしいことに、アルシアは物体にこめられた強い思いや、感情でさえも読み取ることができてしまった。


 この世界で一部の者が使える魔術や奇跡といったものの中に、似たような効力を持つものはあるかもしれないが、それらと一線を画すのが、アルシアが能力を行使する為に触媒的な物を一切必要としないことだ。

 魔術や奇跡は、空気中にある魔力元素マナと考えられているものと引き換えに発現する。考えられているというのは、この魔力元素マナを実際に見た者はいないからだ。

 ただ、チアノの様に、奇跡を行使することができる者だけが、魔力元素マナの存在を感じ取ることができるのだ。


「貴方の共感能力エンパシーで感じ取れるものはまったくないのね・・・」

 思いがけない結果にチアノが肩から力が脱けるように深く溜息を一つついた。

「はい、そのとおりです・・・」

 意気消沈するチアノの姿を見て申し訳なく思ったのか、アルシアは表情が落ち込み、返事も語尾が消え入りそうになる。

「でも大丈夫よ」

チアノがアルシアに希望の言葉を投げかける。その表情は慈愛と優しさに満ちていた。

儀礼外交神アナリンラの司祭達を呼んでいるから、鏡に犯行時の光景を映し出せるわ」

チアノが視線を向けた先には姿見の鏡があった。

 儀礼外交の神たるアナリンラは、折り目正しい四季を司り、儀礼外交の神らしく、過去の積み重ねにより、相手との交流を末永く続けていくことを願う平和の女神だ。儀礼外交神に使える高位の者は、特定の触媒となる物があれば、数日くらい過去に遡り、様子を覗うことができるという。

 

 アルシアも表情と声に、段々と明るい調子が戻ってきた。

「これで犯人がわかりますね」

もう事件が解決したかのような調子で、思わず満面の笑顔でチアノに語りかける。

「神様だけは多いから・・・こんなとこで悪さする方が馬鹿なのよ」

 チアノも両肩をすくめ、おどけて答えてみせた。彼女の言うことももっともなことだ。

 ここで犯罪を犯すことは、この世に存在する大半の神々に喧嘩を売ることと同じなのだから。

「まったくです」

 うんうんと二度ほどアルシアが可愛く頷いた時、階下から複数の人間が上がってくる足音が聞こえてきた。噂をすれば影か、丁度、良い時にきたものだ。

「あっ!儀礼外交神アナリンラの司祭様が来ました!」

アルシアが元気一杯で告げると同時にドアが開き、司法神ヴェルナの僧衣を着た金髪の美青年に先導され、儀礼外交神アナリンラの僧衣を着た年配の男が三人、部屋に入ってきた。

「ようこそ来てくださいました。司祭様、私が、この現場の責任者にして、司法神ヴェルナの使徒、チアノ・ヴァレンチノと申します」と、チアノが恭しく頭を下げると、司祭達の口から、おおう貴方が噂の女法皇?噂に違わず美しい、事件は解決したようなもんじゃなと賛嘆の声が漏れた。


 神面都市グラード・ヤーの口さがない者達の間では、チアノは神官の身でありながら司祭と同等、時と場合によっては、それ以上の権限を有すると噂されていた。

 諸人が右目教区の神官長ヤンを、無慈悲な鉄化面の御使いと崇めれば、左目教区の神官長チアノは神の御心を持つ女法皇と讃えられた。

 人は云う、その美しい顔は法の清らかさを、両の腕がたずさえる大剣は執行者の峻厳さを、燃える赤毛は熱き信仰の炎で満ちていた。

 その名はチアノ、女法皇エンプレスチアノ・ヴァレンチノと。

 女法皇―――その二つ名から、彼女の邸宅は近隣の住人から女法皇の宮殿と呼ばれた。館の外観は主の様に質素かつ美しい。しかし、彼女の持つ物全てが美しいかといえば、実は一つだけ例外がある。

 それは彼女が愛用する姿見せぬ得物、陽の光に剣の峰の部分が煌き輝く彼女と同じ大きさの二振りの大剣、完全破壊者フルブレイカーである。

 だが、これを実際に見た者は少ない。見た者の大半は獄に繋がれるか、もう此の世に存在しないかのどちらかだからだ。


 続いてアルシアも会釈して挨拶をし、司祭達に事件の概要を説明し始めた。先程の残留思念を読み取ることができなかったことを自分の失敗と思い、自身を責めているのか積極的に儀式の準備を手伝っている。

 司祭が行なう儀式は彼女に任せても良いだろう。それより、チアノには気にかかることがあった。部屋に入って、すぐに窓際へ向った金髪の青年だ。

 

 知り合いだろうか?それとも別人?チアノは思い切って親しげに声をかけた。

「ペテルキア?水臭いわね。何時ここにきたの?」 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 細密な設定と固有名詞を破綻なく書き切る、高い知性を感じさせる筆力 [気になる点] 固有名詞と設定が多すぎて、予備知識が無いと話を理解するのが難しいと思う。 [一言] 高い知性と理性を感じさ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ