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15・ミステイクファオ

 また、奴が静かに忍び寄ってきた。

今日は奴と幾度となく争ったが、今度こそ勝てるだろうか?

アルシアは精神を集中させ、気を引き締め奴の襲撃に備えるが、正直な気持ち勝てる気がしなかった。

 だが、今度は負けるわけにはいかない。

先程も戦いに敗れた後、外交儀礼神アナリンラ神殿に鎮座する、正午を告げる鐘が鳴り響くのに合わせて、低い唸りを上げて震え出す時報の水晶が、懐中から正午を告げるまで、この難敵に屈服してしまったのだ。

 今度こそ、絶対に負ける訳にはいかないとアルシアは思った。この睡魔という魔物に。

 だが、現実は厳しい。幾ら睡眠をとったところで無駄なのだ。

彼女が睡魔に敗北し続ける敗因は、睡眠不足や疲労にあらず。その原因は、部屋の単調さにあったのだから。

 

 彼女が待機している部屋は、中央に妊婦が眠るベッドがある以外は、何もない殺風景な部屋で、窓からは眠気を誘うような暖かな光が注がれている。

 更に、何らかの危機トラブルが起こっても外部に被害が出ないように強力な結界が張られており、外部の喧騒も聞こえない。

 寝床ベッドに横たわる妊婦は、何らかの魔法で眠らされているのか?

その肌は青白く、まるで凍りついているかのように息一つしない。そんな部屋で椅子に座って一人佇んでいるのだ。他にどうしようというのか?これ以上の機会はあるまい。

  

「そろそろ、チアノさん、いえ、チアノ達が来るころね」

 あの女は、散々、理解力があり、包容力もある上司の様に見せかけていたが、アルシアの性的志向に感づいたのか馬脚を顕した。

 実は大雑把で自己中心的且つ、自己保身の塊だった。我ながら鈍いなとアルシアは思ったが、チアノの本性に気がついた以上、こちらも態度を改めなければならない。そんな女をさんづけで呼ぶのは金輪際やめてやると今朝、決意したばかりなのだ。

(アルシア、ここで負けたら駄目よ)

 今、彼女が力を入れて立ち向かわねばならぬのはチアノではなく、睡魔なのだが、そのことに気づいているのかいないのか?チアノへの憎しみで、暫くは気が緩まることなく集中できたが、それも一時の激情だ。

 やがて気が緩み、この日幾度目かの陥落をしようとした、その時!そこへチアノ達がドアを開けて入ってきた。


「お待たせ、なにか動きはあった?」

 結界外の音が聞こえないので不意をつかれた形になり、思わず

「チッ、チアノさん!?いっ、いえ、特に動きはないです」

 先程の決意もどこへやら、思わず何時もどおりに答えてしまうアルシアだった。そんなアルシアに構わずチアノは皆を部屋に招き入れ

「さあ、早く入ってきて!ファオはアルシアの隣、ディアモント達は反対側を頼むわ」

 皆を所定の位置へ着く様に指示する。妊婦の頭の位置にチアノが陣取り、窓側にはアルシアとファオ、ドア側にはミチェット、ディアモントの並びで寝床ベッドを取り囲む。


 コンコンと軽く妊婦の額をノックし、手応えを確めるミチェット。その身体は、まるで石の様に固い。

「死んでるんですか?」

「いいえ、感じないかしら?かすかな魔力を」

 チアノの返答を確認するかの様にミチェットは妊婦の体表を、そっとなでる。

「そういえば微妙に」

 ミチェットやチアノは魔力の流れを感じることができるのだろう。魔術や奇跡を扱える者は、概ね、このような芸当、魔力を感じたり、見ることができるという。

「この娘はね、仮死の魔法で、あらゆる生命活動を停めているのよ」

「何故、治療が終わってから、女を此処へ移すよう命じたのでござるかな?」

 ディアモントも、ずっと疑問に思っていたことを口にする。

「ここは教養神の保管庫でね。気になる生き物を保存しておくのに最適なの」

「一体どういう事なんです?」

 さっぱり話が見えないので、ファオはチアノに全体の説明を求めた。

「簡単なことなのよ。殺人犯は最初からいなかった」

 驚いた一同の視線がチアノに集まる中、ミチェットが興奮した口調で問いかける。

「えぇっ!?じゃあ、なんで槍が刺さったんです!?」

「多分、お腹の子供を殺そうとしたんじゃないかしら?」

 面々の中でファオだけは、驚きの表情を見せず、なにかを確信した様な顔をし

「・・・やっぱりバケモノの子を、まだ、宿していたんだ」

と、ボソリと呟いた。

「では、後は保管の呪文を解いてマキオさんとの関係を聞けば―」

 衝撃の余り、アルシアは何時もの口調に戻ったままだ。

「その必要はないのよ。彼がマキオなんだから。いえ、今は彼女かしらねぇ?」

 魔法で身体機能を停められ、あらゆる存在から護られた、マキオと断定された妊婦にチアノが問いかけるが、もちろん返事は返ってこない。

「魔法で性別を変えられて産み付けられたって訳さ・・・」

 物言わぬ妊婦の代わりにファオが静かに答えた。

「そうね。臨月に入ったから、胎内の魔物から、魔法をかけられたんでしょうね」

 何時になく冴えたファオの答えに、どのような推理をして、その答えを導き出したのか知りたいと思ったが、その名推理を拝聴するのは後回しになりそうだとチアノは思った。

 皆、それぞれの得物を取り出し、これから始まる一戦に備え始めたからだ。

「かなりの手練らしいな。腕が鳴る」

 ディアモントがやる気まんまんとばかりに両肩をほぐす。

「ディアモント、せっかく傷が治ったんだから彼女を傷つけたら駄目よ」

「御意」

 東方蛮刀の柄に右手をかけ、姿勢を低くし身構えたディアモントが、妊婦を見据えたまま、心得たとばかりに頷く。


「さて、一戦いきますか。アルシア、解呪を頼むわ」

「はっ、はいッ!」

 アルシアが懐から、古ぼけた羊皮紙の巻物を取り出した。

魔力が籠められた巻物で、読み上げるだけで魔力を感じない者でも魔術や奇跡が扱える代物だ。

「手続きは済んで解呪の巻物スクロールを頂いてます。いきますよ・・・」

 アルシアがニ言、三言読み上げると石のように硬かったマキオの体に赤みがさし、柔らかさが戻り、なにやら鼓動が聞こえてくる。

 マキオの心の臓か?否、突如、部屋全体が光を一筋もらさない漆黒の闇に包まれる!ああ、耳に聞こえたのは、まさしく闇の胎動か!?

「深なる闇!やはり魔族の子を!?」

 何も見えない闇の中、ミチェットの悲鳴のような問いかけが聞こえる。深なる闇は神に仇名す者達が使える魔術で、あらゆる光を遮る闇を作り出すことができる。

 この誰の視線も届かない状況で、ファオは意を決したように力強く頷いた後、剣を抜き放つ。

「みんな目をつぶって!私の魔力で闇を吹き飛ばすわ!」

 チアノの声がする方向から、握り拳大の光が現れ、徐々に輝きを増していく

「ふんッつー」

 ファオが渾身の力を込め、両手で握った剣を妊婦の下腹部に向って振り下ろす!

金属と金属が打ち合う、キンッツ!!という甲高い音が部屋に鳴り響く。

 寸でのところで、ディアモントが神速の抜刀技をみせ、振り下ろされたファオの剣を東方蛮刀で受け止める。

 振り下ろされる剣風を感じたのであろうか?寸分狂い無く、見事、妊婦の身体に傷をつけることなく、ファオの一撃を防ぐことができた。

「正気か!母体の事を考えろッ!無闇に命を奪うな!」

 光を通さない暗闇から聞こえるディアモントの叱責に怯んだファオが、何か口にしようとした、その時!

 チアノの両手から閃光がほとばしる。光がファオとディアモントの両眼を焼く瞬間!ファオは妊婦の股間から、黒い影が這い出て来るのを目撃した。それは、光に追われながら、キィッという甲高い声挙げて、窓から外へ逃げようとする!

 そいつをなんとか斬ろうと、再び剣を身構えようとするが、視界が真っ白になり、両目に激痛が走る。耳には窓硝子が割れる音が聞こえた。


「ファオ!ディアモント!早く追って!」

 チアノが両目を開けると、思わぬ光景が視界に飛び込んできた。ディアモントが左手で両目を覆いつつ片膝をつき、両眼を開けたファオが立ち尽くしていた。

「うぬっ!視力がっ!効かん!」

「僕がッ!」

 部屋から逃げ出した『何か』を追う為に、部屋から飛び出そうとするミチェットを、チアノは片手で制止しつつ

「ミチェット!貴方では力不足よ!追っちゃ駄目!」

 この教養神サウレソアルの研究室は、不測の事態に備えて強力な結界が張ってある。それを赤子とはいえ、いや赤子の頃から、事も無げに、この結界を破るほどの力を持つ相手だ。追いつこうものなら逆にミチェットの命が危ない。

 もし、赤子の本当の親が居合わせようものなら、ミチェットは英雄として短い一生を終え、一階級特進の栄誉に与ることだろう。


 からんっと、鈍い音が部屋に木霊する。力無く、両手をダラリと下げたファオの左手から得物が落ちたのだ。

 ファオの閉じた両目から流れる涙は、チアノが放った光の奇跡に因るものか?それとも己が致命的な失敗ミスを犯したことに気がついた悔悟の涙か?

「すみません・・・自分の・・・ミスです」

 なんとか謝罪の言葉を発することができたファオは、一時的に視力を失なったせいか?それとも自分の仕出かしたミスの大きさに気が滅入ったのか、足元がふらつき倒れそうになるが、アルシアが後ろから優しく支えてくれた。

「大丈夫、大丈夫よ」

 そう優しく囁くアルシアの顔は、ファオの身と行く末を案じてか、何時に無く不安げだった。

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