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13・アンニュイファオ

 ビゼィに仕えてる頃から、ここはファオのお気に入りの場所であった。 

周辺住民の憩いの場所なので、休憩をとりにくる大使館員や、幼い子供を連れた家族連れなど、ほどよく人がおり、しかも先述の事情で造成された高級住宅地だ。例え、刺客に命を狙われようとも、昼の間は、ここにいれば安全だった。

 また、一人になりたい時は、ベンチを離れ、木立の奥へ行けば一人になれる。一人で考え事をしたい時には、何時もここへ来た。


 心を許せる親しい友人がいないファオにとって、神面都市グラード・ヤー内で安心できる場所は、アルシアの部屋か、この高級住宅地にある公園しかなかった。


 先程、リィアの公開私刑場から逃走中に、泣きながら露店で買った焼き物を食べ終えた後、ファオは、ハァ~ッと深い溜息を一つついた。肩に、どっと疲労感が押し寄せてくる。

「あの頃は気楽で良かったな・・・」

 昔の気ままな旅の思い出が脳裏に浮かび、思わず愚痴が漏れる。そんなに時は経ってないのに、なぜか懐かしい日々。

 アザリアと過ごした日々、アザリアとは、肉体あんな関係ならなくても、良い友達になれたと思う。良く考えたら、初めてできた親友かもしれない。

 偽善に奔り、己を安く売る姉と比べ、私は友人が少ない。いや、いなかったかもしれないけど、自分に対して偽りなく、正直に生きてこれたから良いかなとファオは考えていた。少し前向きに考え始めたところで口を吐いたのは

「もう此処を離れて、どっかに遠くに行きたいよ・・・」

 再び心を、どん底へ叩き込むような嘆きであった。

 ファオの脳裏に、忌々しいリィアから受けた、さまざまな仕打ちや、先日のチアノとアルシアの同姓愛者にたいする扱いの論議など、最近、降りかかった災難が思い浮かんできた。さまざまな苦い思い出が浮かんできては消えていき、最後に、なぜかアルシアの笑顔が浮かぶ。

 可愛いアルシア。でも、今、彼女の笑顔が思い浮かんでも、この心の苦しみは癒されるどころか重みを増すばかりだ。

 女同士で愛し合うのは、やっぱり無理だ。友達だったら大歓迎なんだけどとファオは、ここで一人になると何時も同じ結論に至る。

 ファオは許されるならば、やっぱり一人で気楽に生きていきたいと、心の底から願うが、現実問題、彼女ファオの生活能力を考える限り、一昔の無為徒食であれば貧しくても構わなかった頃ならまだしも、文明の豊かさと、他人ひとの温もりを知った今では無理な相談だった。


 その切れ長の眼を彩る黒い瞳が、心と一緒に閉ざされた瞼に隠れると同時に、一粒の涙が零れ落ちた。

 まるでファオを慰めるかの様に、爽やかな一陣の風が、一粒の悲しみを優しく柔らかに拭い去った。

「あっ・・・」

 外敵から守るべき対象が、買い主の腹に収まって使命を終え、今は用を成さなくなった料理の包み紙が、不意の風によって、ファオの手元から旅立ち自由に舞い、噴水の水面に落ちる。まるで、今の状況から逃げれば、この先の運命は、こんなものだと、神が示唆したかのように。


 だが、公園の美化を損ねる行為だけは、神とはいえ、余計な真似だったかもしれない。頭教区、特に城壁に囲まれた北東部は高級住宅地であり、各国の大使館などや、複数の国家に跨る大商人の邸宅が並ぶ。まさに諸外国に対する神面都市グラード・ヤーの顔といえる。

 それ故、環境美化の点においては、他教区より厳しく取り締まられていた。


「まっ、いっか」

 厳しく取り締まられてるといっても、それが見つかればの話だ。

 今回、いや産まれて初めて、自発的ではなく過失ではあるが、ゴミを不法に投棄してしまった。

 しかし、少し考えて思い出してみれば、過去に幾度も公園を利用しているが、未だにゴミ関連で、漆黒の金属鎧に身を固めた外交儀礼神アナリンラのロイヤルガードに取り締まられている者を目撃したことはない。


 大体、外交儀礼神アナリンラの信徒には戦える者の頭数が少ない。争いごとより、戦を避けるための外交調停など交渉関連や、盟約など結めば記録し保証したり、何より一番大事な何時から始まり、何時になるまで約束が有効なのかを示す時間的なものを司っている神に仕えているのだから、専門的な職場を離れて、現場に向うなど無理な相談だ。

 ましてや、チンピラの喧嘩から、先日のパーティで侮辱を言った、言わないで争う貴族まで、幅広く相手にする司法神ヴェルナに比べれば、信徒の数自体が大幅に少ないのは明白だ。

 ロイヤルガードが少数精鋭を謳うことは自明の理であった。


 そんな少数精鋭を謳う彼らだからこそ、頭数は常時不足しており、諸外国から来賓があらば、各神殿、特に司法神ヴェルナ神殿に応援要請を出してくるのだ。

 これによって導き出される答えは一つ。近々、フォルトゥナーテ大公一行が来る予定だ。警備体制を整えるのに手一杯で、たかだか公園の美化環境を監視することになど手がまわらないのだろう。


「また、自由な流浪の旅に出たいなぁ・・・」

 自分が心配したことが杞憂であるとわかったので、また、気だるげな何時もの時間が還ってきた。

 今や彼女アルシアも、ファオにとっては人生の足枷でしかないのか?無理だと、わかってても、また、口にせずにはいられなかったのか、ポツリと本音をこぼした。

 ところが、そんな彼女の退屈な平穏を壊す一喝が聞こえてきた。


「こらっ!公園の美化を損ねるなっ!」

 凛とした女性の怒声が聞こえた。ファオが視点を転じれば、金属の擦れ合う音を、激しく、勇ましげに鳴らしながら、漆黒の金属鎧を着た男女が、絶対に逃がさないとばかりに駆けて来るのが見えた。

外交儀礼神アナリンラのロイヤルガード!」

 思いがけない来襲に、ファオは、やや語尾が裏が返った、悲鳴のような声を上げてしまった。


 ロイヤルガードの二人は、驚きの余り、硬直したように身じろぎ一つしないファオの目の前までやってくると、黒髪を短くそろえた女性が

「そうだ!高級住宅地は外交儀礼神アナリンラの信徒である我らの管轄だ!」

 誰でもわかっていることを、荒々しい口調で捲くし立てる。人の良さそうな線の様に細い眼から、鋭い視線が二つ、彼女ファオを容赦なく貫いていた。

 たかだか紙切れ一つに親の仇を見るかのような表情かお・・・こいつは厄介そうな相手だと思ったファオは、一つ低姿勢にいってみることにした。

「ゴミを出したのは謝るよ」

 彼女ファオなりに申し訳なさそうに頑張ってみたのだが、言葉が一つ足りないどころじゃない。

「謝るとかの問題じゃない」

 ファオの拙い努力も虚しく、女性が捕まえようとしているのか、前に一歩、足を踏み出そうとすると、後ろから追いついた黒髪の男性が片手で制した。似たような外見の二人だった。

 ファオは、内心、兄妹だろうか?と考えたが、今は、そんなこと考えてる場合ではない。女性とは逆に、柔和な顔から、違和感のない、落ち着いた口調で男は問いかけてきた。

「君も司法の神の信者なら知ってるはずだ」

「え?な、なに?」

「住宅街に居住している者が不法にゴミを投棄した場合」

 落ち着いたのか女性が、先程とは打って変わった口調で後を続ける。

「金貨五枚の罰金、それ以外の者は金貨十枚をー」

「十枚!そんな大金持ってないよ!」

 ファオが半べそをかいて驚くのも無理はない。神殿に仕える修道士アコライトの毎月支給される給金が金貨二枚だ。無位無職無役のファオにとって、到底払えない金額だ。

「じゃ、逮捕だな」

 女性は、にべもなく答えると、腰に巻きつけてあった金色の紐を解く。外交儀礼神アナリンラの捕縛縄だ。

「そんな!」

 有無を言わさぬ女性の態度にファオは思わず怯む。あの捕縛縄に捕えられた者の末路を知ってるからだ。


 ビゼィに仕えてた時のこと、公園で休憩をしていると、必ず、丁寧に挨拶をしてくれる貴婦人がいた。

 ファオのような身分の者にも話しかけてくれる優しい貴婦人で、なんでも夫が大使に任命されたため、一緒に神面都市グラード・ヤーへ移り住んだという。

 自分達夫婦が国を代表する者と自覚しており、誰彼でも構わず礼儀正しく接してくれるので、この界隈で彼女を慕う者は多く、嫌う者は誰もいなかった。

 いや、唯一、隣国の大使館夫人を除けば・・・


 ある日のこと、どこぞのパーティーで盗難事件があった。よりによって、あの貴婦人が事件の容疑者となってしまった。

 自分の無実を確信している貴婦人は、素直に捕縛されたが、途端に、顔が呆け、口から涎を垂れ流しつつ、失禁してしまった。敵対国の婦人は、初めから、こうなることをわかってて、パーティーで所持品が盗まれたという狂言事件を起したのだ。


 あの黄金の紐、外交儀礼神アナリンラの捕縛縄には、犯人の逃走を防ぐ為に、外交儀礼神アナリンラが得意とする記憶や思考を、鈍らせる奇跡がこめられている。

 捕縛縄の魔力で無力化することにより、少ない人数でも多くの犯罪者を扱うことができる。この特徴を利用されてしまったのだ。


 すぐに無実が証明され、彼女は家に帰ってきた。しかし、二度と、あの優雅で端然とした姿を公園に現すことは二度となかった。そんな顛末を知っているのだ、ファオが恐怖の余り、怯むのも納得がゆくというものだ。


 そこへ天の助けが降ってきた。男性が後ろから、慌てて女性の両肩を抑えながら

「ちょっと待った!普通に拾えば罪にならないから」

 女性は両手を振り払い、後ろの男性にむかって

「アルクェイド!貴方、見逃す気!?」

 忽ち、顔を赤らめ、厳しい声でアルクェイドと呼ばれた男性を叱責する。どうやら、かなり気が短いようだ。

「気が早いよアナステシア」

 アルクエィドは女性に向って諭すように言う。ふと、ファオが男性の鎧にある紋章を見れば、アルクエィドが高司祭であり、アナステシアが神官長であることがわかった。多分、この二人は夫婦で夫は尻に敷かれているなと思った。


 確かに知りにこそ敷かれているが、アルクエィドは、アナステシアの勘気に、ただ、振り回されているわけではない。

 むしろ、彼女アナステシアの激しさこそが、自分にとって不足してるものだと自覚しており、彼女こそが自分を補ってくれる半身だと自覚している。

 大事な者だからこそ、ないがしろにしたり、力づくで押え込んだりなどせずに、正面から向き合い、自分の公私に渉るパートナーとして、丁寧に、事の筋道を理路整然と説明して心から納得してほしかった。

 だが、アナステシアも、どうにも納得しないようで

「あそこは深いところで腰まであるのよ」

などと感情論で反論する。二人の論争は決着がつかなそうだった。


 ファオは二人の言い争いを聞きながら、普通、そこまでわかっているのなら、見逃してくれるとか、何か道具でも貸してくれれば良いのにと、心の中で思った。

 しかし、彼女には時間がない。こうしている間にも約束の時間が迫って来ていた。

 ファオは口論を続ける夫婦に歩みより、一息ついて覚悟を決めてから、二人の間に割って入った!

「わかったよ。今、鎧と服を脱ぐから待ってよ」

 だが、軽装とはいえ、鎧を一人で脱いでいては、とてもじゃないが間に合わないだろう。手伝ってもらおうと声をかけようとした、その時!

 外交儀礼神アナリンラ大聖堂が、寸分の狂いもなく、正確無比に正午を告げる鐘を鳴らし始めた。

「あっ!やばいっ!」

 その鐘の音は、ファオの耳には死刑宣告か、世界の終わりを告げる角笛の音に聞こえた。

 罰金を支払えなくて、たかだか強制労働に処されるくらいか?その程度なら、耐えることはできるだろう。

 だが、チアノを怒らせて叱責を受け、更に、腹いせに暴力を振るわれる結果になるほうが恐ろしかった。

 こうなっては選ぶまでもない。神速果敢とばかりに、猛烈な勢いで駆け出すファオ。

「あっ!待てっ!逃るかっ!」

 すかさずアナステシアも後を追うが、ファオの脚力は凄まじい。

しかも、アナステシアの方が重武装だ。どんどん距離を離されていく。

 だが、二人の間に、どんなに距離が広がってもアナステシアは冷静だった。

 いや、彼女アナステシアは心の中で嘲笑っていた。馬鹿な奴だ。自分から袋小路に逃げてやがると。

 ファオの行く手を阻むように、高級住宅街を防護する城壁がそびえ立つ。

「ハッ!」

  ファオは壁沿いに垂直に跳び上がると、もう一度、右足で城壁を思いっきり蹴り上げ、勢いをつけることによって、さらに高く飛び上がり、城壁を飛び越えた。

「逃がすかっ!」

 フォアの絶技に思わず見とれそうになるが、気を取り直し、後を追わんと、一番近い出入り口、東の入り口へと、アナステシアは向おうとするが

「いいよアナステシア。僕が取ってくるよ」

 何時の間にかアルクエィドが飛行しながら、隣にやってきた。多分、ファオの追うのに出遅れたのは、この奇跡を行使する為に精神の集中などが必要だったのだろう。もしかしたら、初めから自分が拾うつもりで、この魔法をかけてたのかもしれない。アナステシアは、少し呆れつつも、夫のこういうところに惹かれて結ばれたのだということを思い出していた。


 アルクエィドは冷静に、彼女アナステシアの身体能力では捕えることは、ほぼ無理だろうから、時間の無駄だと思っただけだった。

 しかも司法神ヴェルナの奉仕人で、あれだけの身体能力を持つ手練の者だ。すぐに身元は割れる。いや、主人が謝罪しに来るかもしれない。

 いずれにしても、ここで見逃して恩を売っておけば、後々、役に立つだろうと考えていた。近い内に、彼の予想通りとなるのは間違いないことだろう。


  x  x  x


 見事、城壁を飛び越えたファオは、城壁外側の急斜面を、時折、滑るように駆け降りつつ、街中に響く鐘の音を聞いて嘆息した。

「ああっ、また遅刻だ・・・どうして何時もこうなるんだろう・・・」

 不安げな言葉とは裏腹に、斜面を降る時に感じる、この都市に港から吹きつける潮風が、彼女ファオの長く美しい黒髪を、優しく撫でつけるようで心地よかった。

 この爽やかな風が身を切る度に、彼女ファオの心の中の澱みと、蟠りを洗い流してくれた。

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