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10・バッドモーニングアルシア

 まだ、日が昇って間もない頃、司法神ヴェルナ神殿にあるチアノの私室には、妊婦殺人未遂事件を捜査すべく、チアノ班の面々が一人も欠けることなく勢揃いしていた。


 妊婦殺人未遂事件の捜査も二日目を迎えていた。この程度の殺人事件ごときに手間をかけるのは、例え、目撃者が一人もおらず、遺留品が一つも現場に残ってない状況であろうと、三日たてば不祥事で、一週間経過すれば社会問題と化し神殿全体の不名誉となり、今後の昇進に響く人生の汚点となる。

 勿論、迷宮入りなんぞしたら解雇追放クビだ。というのは地方の小さい神殿でもないかぎり、まず、有り得ないだろうが、降格は確実だ。


 だが、チアノの表情に焦りはない。寧ろ余裕さえあった。夜班との引継ぎを終えたチアノが戻って、この部屋を一瞥するなり、 その光景に満足したかのように、ゆっくりと小さく頷いた。

 部屋には、奥からアルシア、ミチェット、ファオ、サスラノの順で、一同が壁を背にして一列に並んでいた。

 多分、遅刻の常習犯二人が、定刻どおりに来たことに満足したのだろう。表情に焦りはないが、今日で全てを終わらせなければならないのだから、一分一秒も無駄にしたくないという気持ちが、チアノ全身から、ひしひしと一同に伝わってきた。


 しかし、一皮むければ、人間だから仕方がないのかもしれないが、実際のところ、事件解決については、それぞれの心中に温度差があった。

 チアノと同じ様な思いを抱いているのはミチェットくらいなもので、サスラノの脳裏は、今日こそは、己の腕を振るうのに相応しい相手に相見えるのでは?という期待と、事件が解決すれば一時金がでるから、暫くは、まともな飯にありつけるなという皮算用による高揚感で占められていた。


 ファオは事件解決への意欲が低調な感じに見えた。体から滲み出る疲労感を隠そうともしないせいか、事件解決への意欲が微塵もないのは誰の眼で見ても明らかだった。

 ベッドに寝ている被害者のことを考えてはいるが、被害者を押しのけて、自分がベッドで心行くまで眠りたいという欲求に、脳を支配されているように見えた。


 こんな状態でも遅刻せずに済んだのは、同室のアルシアが一緒だったからだ。事件が発生した日は、アルシアが先に現場へ向ったので遅刻した。

 今朝は一緒だったので、幾分、疲労が残る形ではあるが、かろうじて時間までに司法神ヴェルナの神殿にたどり着くことができた。もっとも昨晩の営みによる疲労がなくても遅刻したかもしれないが。


 ファオは、元から時間を気にしない性格であり、そのせいで、仕事や恋愛に影響が出たことも人生の中で多々あっただろうが、それを気にする性格だったら、未婚のままで二十六歳を迎えなかったはずだ。

 この世界では十五歳が結婚適齢期であり、二十五歳を過ぎれば行き後れである。身から出た錆というか、本人が気にしてないので、まず、改善されることはないはずだ。


 なにより、ファオ自身は、自分が悪いとは思ってなかった。営みにおいて、アルシアが貪欲すぎるのが問題だと考えていた。

 多分、アルシアの激しい貪欲振りでは、男性が相手なら三日も持たないのではと思った。ファオの頭の中では、そのために女性を選んだのではという結論に達していた。彼女アルシアが男性に対して嫌悪感を示したり、男性だからといって差別したところを見たことがないからだ。


 もっとも、そういう人物だからこそ、別に女性が恋愛対象でもないのに全てを委ねたのだ。過去と因縁を乗り越えて。

 アザリアと身体を重ねた時には、背教的な後ろめたさがあったが、彼女アルシアが相手のときは不思議と安らぎしか感じなかった。毎晩、事が終わると、時々、自分がどうにかしてしまったのでは?と考え込んでしまう。

 特に昨晩は、チアノとアルシアが激しい論争を交わした後のせいか、結局、事が終わっても一睡もできない深刻な状態に陥った。


 現在、この場においても、彼女アルシアとの関係を続けるべきか、否か悩んでいたが、傍目には睡魔に抵抗しつつ、なんとか形だけでも任務を遂行しようとしている様にしか見えないのが幸いだった。


 皮肉なことに、信頼の厚さとは裏腹に、チアノの気持ちから、一番遠くに離れた位置にいるのがアルシアだった。また、彼女はファオにも誤解されていた。

 彼女はファオを愛していることは確かだが、性的には貪欲ではない。むしろ、淡白だった。

 なぜ、毎夜、あのような行動に出るのかといえば、彼女としては、ファオの文化に合わせ、東方蛮族コパーダの古文学から学んだことを実践しただけであった。

 以前、チアノが方々から取り寄せ、蒐集した東方蛮族コ・パーダ関連の古文献なかから、不要なものを選んで神殿に持ちこんできたことがあった。

 神殿に寄贈するか、売却しようかと、不要な文献の処分方法を検討していたチアノに出くわした時、アルシアは、その古文書に出会った。


 山積みになった古文献の中から、なにげなく、一冊、手に取ったところ、チアノに、それはあげるから、東方蛮族コ・パーダ語について勉強してみたらと言われたのが切欠となった。

 以前、法律相談員をしていた時に、東方蛮族コ・パーダの老人から、相談ついでに、色々と伝承を聞かせられたことから、少し興味があった。


 この異国の文学が記された古文書を、チアノは、恋愛などについて書いてある、どこの国にもあるくだらないもので、自分にとっては時間の無駄になるものだと語った。

 だが、辞書を片手に少し読んでみたところ、アルシアにはそうは思えなかった。


 その古文書は王朝に仕える女性貴族の日誌で、日々の出来事――他愛もない噂や、貴族同士の恋愛模様が記されていた。

 異国の生活環境や、当時の世相が知りえて興味深く、特に人間の心の機微を捉えて、丁寧に描写しているのが素晴らしく、古代東方蛮族コ・パーダ貴族の自由がない環境下における恋の駆け引き模様が大いに参考になった。


 古代東方蛮族国コ・パーダにおける貴族階級の婚姻は、同衾せず、男性が女性の家へ通う、通婚であったため、浮気をされても防ぎようがなかった。むしろ、女性も浮気をしていたようだ。

 だが、そんな時代にも想い人を縛りつけておきたい女性はいるもので、そういった女性が、どんな手段をとったかといえば、一度、意中の者が訪れれば、相手が、翌日、余所へ行く気力がなくなる位、一晩、徹底的に尽くしたそうだ。

 そうすれば、心が離れかけていた男も、次第に身体が女性を忘れられなくなり、男が浮気相手の元に向うつもりで外へ出ても、自然と妻の下へ足を向けるようになり、いつしか心も浮気相手から妻の方へ戻るという。

 

 こんな素晴らしいものを、くだらないの一言で切って捨てれるチアノの粗野な部分が、アルシアからすれば、今、考えても失笑ものだった。

 チアノが東方蛮族コ・パーダ関連に凝ることになった異形の剣と、その扱い方や技術について調査した顛末こそ、むしろ、くだらないではないかと思った。

 いろいろと試行錯誤し、実際に実戦で使用した挙句、司法神ヴェルナ神殿、伝統の武具を応用した物に落ち着いたのだから、それこそ時間の無駄であり、くだらないの一言で切って捨てるべきだと思ったのだ。

 武器は、どれでも人の命を奪えるかも知れないけど、恋や愛は、その気持ちだけでは意中の人を奪えないのだからと。


 この古文書の一節は、アルシアにとってファオの心に対する唯一の武器となった。

 愛する彼女ファオを誰にも渡したくない、何時までも一緒にいたい、永久に自分だけのものにしたいという強い思いが、毎晩、彼女アルシアに疲労を顧みない、あのような行動をとらせていた。

 

 そんな彼女アルシアの純粋な心に、昨晩の激論によって、小さな疑念と憎悪が染みの様に一つ、心の隅にできてジワジワと拡がっていた。

 それは一夜あけて、瞬く間に更に大きくなり、昨夜の宗論は、既に自分達の関係に気がついてるからこそ、あんなに執拗に追求してきたのでは?あれは暗に二人の関係を、誰彼に知られることもなく清算しろというチアノからの圧力だったのでは?とも思えてきた。


 そう考えると、なんだか腹立たしくなってきた。今まで、皆の気持ちを考える優しい人だと思っていたが、実際は自分の立場が危うくなる事柄が絡めば、自己の保身しか考えなくなる冷たいひとだったんだとアルシアは思った。

 いや、むしろ、その冷徹さがあったからこそ、あのチアノの女法皇という二つ名は保たれてきたのではないのかとアルシアは思考を巡らせていた。


「アルシア、アルシアッ!・・・聞いてるの?」 

 珍しくチアノの厳しい声が飛んだ。

「はっ・・・ハイッ!すみません!少し考えご」

 まるで悪戯事を思念していた学生が、教師に見抜かれ、言い当てられた時の様に、慌て、うろたえながらアルシアは返事をしたが、チアノはアルシアが返事をするやいなや、話を続ける。

「今日は全員で花売り小路の全ての酒場にあたります」

「ええっ!全店ですか!?」

 ファオが驚きの声をあげる。自分の知らぬ内に、既に容疑者が絞られ、後は相手の自宅にでも行き捕まえるだけだと考えていた。その為に全員を集合させたのだと予測していた。

 彼女ファオの先程までの舐めきった態度は、まさに経験と慣れからきた油断の表れでもあったが、その隙だらけの慢心に満ちた心に冷水を浴びせられ、予想外の仕事に思わず不満の声がついてしまった。

「もちろん、それが仕事なんだから当たり前じゃない」

 ファオのあんまりな反応に、さすがにチアノも呆れてしまった。

「あの・・・ほかの地区には?」

 他の地区にある繁華街で商売していたかもしれない。いや、被害者について目ぼしい証言が集まらないのだから、他の地区で商売してたと考えなければおかしい。

「心配しなくても大丈夫。協力する様に頼んであるわ。手が足りなければ、こちらから、神官を派遣する旨を通達してるから心配はしなくても大丈夫よ」

 毎度、すかさずフォローしてくれるアルシアを、本当に頼りなる子だとチアノは感謝していた。彼女のフォローのおかげで、頭の鈍い子や、子供、異国人という物分りの悪い者達相手に、いつも順序良く、滞りなく事件の概要や、捜査方針について説明できた。

 チアノは彼女アルシアがいなければ、このメンバーではやっていけない、この捜査班に一番必要なメンバーは、自分ではなく彼女アルシアだと、常々思っていた。そのアルシアが自分に対して、どういう思いを抱いてるのかは知らずに。


「そのためにペテルキアとか滞在中の神官が駆り立てられたんだ・・・」

 まるでチアノが酷い悪事をしたかのようにファオが呻くように呟く。

チアノは失敬なと心の中で思いつつ、ファオの中傷を軽く受け流そうしたが

「そんなことはないけどぉ」

 心とは裏腹に顔がニヤついてしまう。こうやって返したほうが、ファオの反応が面白いからだ。

 チアノの微笑みにたじろぐファオをみて、何時もの調子が戻ってきた様に思えた。良い兆候だな、このまま任務続けさせて良いなと考えながら、まるで、ファオの追求を断ち切る為に、急に思い出したかの様にポンと拳で手を叩き。

「そうね、アルシアには御使いを頼もうかしら?他の皆は聞き込みへ向かって!」

「ハイッ!」

 アルシアを除く三名が、弾けるように勢い良く返事をした。もう、疲労の色は見えない。これでこそ、私の猟犬だとチアノは満悦した。

「いいこと!正午になったら聞き込みの途中でも教養神サウレアソルの神殿に集合よッ!」

 平静を装いながらもアルシアはチアノを推しはかっていた。昨晩の討論から、なんだかチアノがファオとの仲を裂くために、わざと悪意のある行動をとっているのではないか?と思いなすようになってきた。

 そういえば何時だったか?ファオは女法皇の宮殿で、伝説の女法皇の品評会を受けたと本人から聞いた。一糸纏わぬ姿で行なわれる女法皇の品評会、もしかしてチアノさんは私のファオを!疑念が最高潮に達した、その時!

「やーい!一人で居残りでやんの~」

 そんな考えもファオの無邪気な笑顔を見た瞬間、吹き飛んだ。私と彼女ファオの仲は誰にも引き裂ける筈はない。たった一つの不安を除いて、断ち切れない絆で繋がっているんだからと心の奥底で確信していたからだ。


 彼女の気がつかない、更に精神こころの奥深いところで、たった一つの不安、前の女――アザリアという単語が鎮座していた。

 

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