第一話 〝新生〟 Daemons Mother Onlin
2031年12月1日。
世界初となるVRMMO――〝仮想現実大規模多人数オンライン〟の『Daemons Mother Onlin-デモンズ マザー オンライン』が半年のβテストを終え、正式サービスを開始した。
人の意識を〝仮想分身体〟にリンクさせ、まるでゲームの世界に入り込んだような感覚を楽しめる画期的なシステムは、近年まれにみる社会現象を巻き起こし、日本以外の諸外国でも話題となった。
その後、別のVRMMOタイトルが続々とリリースされる中、Daemons Mother Onlinは根強い人気を維持し続けた――が、2034年の4月、未実装だった最終ダンジョン『魔塔パンディモニュウム』が解禁されると同時に、Daemons Mother Onlinのサービスを2034年12月に終了すると公式から突然、発表された。
2034年4月の段階で、Daemons Mother Onlinのプレイヤー数は、約30000人。
しかし、以降三ヶ月が経過する間に、およそ5000人のプレイヤーがDaemons Mother Onlinの世界から姿を消した。その中には、サービス終了の告知を受け、Daemons Mother Onlinから早々に他のVRMMOへ乗り換えた者も少なくない。
だが、残りの数千人のプレイヤーは――Daemons Mother Onlinから表面上〝失踪〟していても、いまだDaemons Mother Onlinの世界に〝存在〟し続けていた。
2034年7月4日現在、今もまだ〝脱出ゲーム〟は継続している。
○
雷鳴が轟く荒野があった。
常に暗雲が垂れ込めている上空。大地には枯れた灌木が点在するのみで、荒廃した世界がどこまでも広がっていた。人魂のような小さな光体が漂い、暗闇をかすかに照らしているが、人の視力では数十メートル先を見通すのにも難儀する。
迂闊に歩き回れば、荒野を徘徊する亡者――【上位骸骨戦士】に、いつの間にか取り囲まれていることも珍しくない。
「ヴオゥッ!」
暗黒の空間に響く、獣の鋭い吠え声。
象よりも巨大な銀狼――【魔狼王】が、ひび割れた地面を疾走する。
狼の怪物が向かう先にいるのは、一人の青年だ。
乱雑に刈った黒髪。藍色の瞳。整った面長の顔。
斜に構えたような目つきをしており、独特のふてぶてしい雰囲気を発している。引きしまった長身痩躯は、袖のない黒シャツと、迷彩柄のゆったりとしたズボンを着衣。両腕には、鋭角な形状をした漆黒の手甲――[竜顎の篭手]が装備されていた。
青年は、向かってくる怪物に対し、しかし慌てた素振りを見せない。
それどころか、不遜な笑みを浮かべ、リラックスした様子で突っ立っていた。
「ヴォフッ!」
【魔狼王】はさらに加速し、巨大な顎で青年をかみ砕こうとする。
だが――鋭利な牙は青年を捉え損ね、ガキンっ、と虚しく噛み合った。
彼の体は、中空にあった。
巨狼に噛みつかれる寸前で、高々と跳び上がったのだ。
人あらざる跳躍力。育成限界までLv.を上げたアバターだからこそ、可能な動きだ。
青年は軽やかに着地し、大地を駆ける【魔狼王】の後姿を視認する。
【魔狼王】は強引に体をひるがえし、四本の巨肢で大地に踏ん張り、ブレーキをかけた。よどんだ大気を吸気すると、すかさず空間をたわませる遠吠えを上げる。
【魔狼王】の遠距離攻撃スキル、〈リバインドヴォイス〉。
広範囲に怪音波を発し、数秒の間、アバターを行動不能にする効果がある。
「――ワンパターンなもんだな」
ソロプレイヤーにとって、それは脅威的なスキルだが、対処法がわかっていれば、恐れを抱くこともない。青年は巨狼の顎の真下へ瞬間移動したように飛び込み、〈リバインドヴォイス〉を躱していた。
――職業〖武闘家〗のプレイヤーだけが持つ高速移動スキル、〈縮地〉。
その超速度は、プレイヤー技量が低いともてあまし、逆にピンチを招きかねないが――青年は、完璧にコントロールしていた。〈リバインドヴォイス〉の効果範囲外であり、スキル発動時は無防備となる【魔狼王】の懐に、絶妙のタイミングで潜り込んだ彼は――
フッ、と笑い、拳を硬く握った。
その拳を中心に、風が渦を巻くエフェクトが発生し――
「そぉら、吹っ飛びな」
青年は【魔狼王】の胴を突き上げるように、腕を振り上げた。
直後、強制的に〝ダウン〟を奪う大技、〈ストラトスアッパー〉が炸裂する。【魔狼王】の巨体が竜巻に巻き上げられたように宙高く浮き上がり――どおんっ、と荒涼とした大地に墜落した。
【魔狼王】の頭上に表示されたHPゲージが、みるみる減少していく。
もともと青年の攻撃を何度も受け、七割がた消失していたが、〈ストラトスアッパー〉の一撃で一気に〝ゼロ〟となった。
「ヴォ……ゥ……」
【魔狼王】は一度、苦しげなうめきを上げ、ぐったりと体を横たえる。
最後は白煙となって、跡形もなく消滅した。
――〝死亡〟。
この Daemons Mother Onlinにおける、絶対的な『死』。それは〝新生〟 Daemons Mother Onlinに囚われた、数千人のプレイヤーが抱える問題でもある。
「これで当分、食いブチを稼がなくて済むな」
青年は一仕事やり終えた後のように、気の抜けた声を上げた。
このエリア限定で、一日一度しか出現しないレアモンスター――【魔狼王】が〝ロスト〟した場所には、一本の巨大な爪が落ちていた。
敵モンスターを倒すと、一定確率で入手できる『ドロップアイテム』だ。
青年が[魔狼王の爪]に手を触れた瞬間、それはドロップアイテムとしての形状を失い、青年の所持品として『アイテムリスト』に追加された。
大量の〝経験値〟も青年のアバターに振り込まれたが、こちらは彼にとって意味をなさない。
他プレイヤーからは確認できないが、彼のステータス画面に表示されるLv.は〝175〟。これは〝新生〟 Daemons Mother Onlinの世界でプレイヤーが自身の肉体を強化できる、最大Lv.に当たる。
つまり、経験値を稼いでも、もはやアバターのLv.アップにつながらないのだ。
「食費と宿代の心配ってのは、リアルだけで十分なんだがなぁ……」
青年はうんざりとした調子で言って、ため息をついた。
彼の頭の上には、満タンのHPゲージと〝クウヤ〟というアバターネームがあった。聞く人が聞けば、それは何かしらの反応が返ってくる名前だ。
(しかし、生活費に困る«武帝»、か……。我がことながら、泣けてくんな)
青年――クウヤは、自身の現状を嘆きつつ、真っ黒な曇天を見上げた。
頭上の空模様のように、先行きの見えない不安と絶望――。今年の四月から三ヶ月間、ずっと胸の内でくすぶり続け、今もその解決法を欲している。
(……俺はいつになったら、この狂った世界から帰還できるんだろうか)