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▼3-喪失技術のいろは

▼3-喪失技術のいろは




 初日はとにかく忙しかった。

 上官と部下との初顔合わせは情報量的に怒濤の勢いであったし、なんとか落ち着いて皆でアイリスが淹れてくれた香茶を飲んだ後も、いきなり外へ連れ出されたのだ。

「パレードだ」

 何事かと尋ねたカーチャに、イオナは簡潔にそう答えた。

「案ずることはないぞ。俺の時だってやったことだ」

 それのどこが案ずる必要のない理由になるのだろうか。

 目的地に向かう車の中で、詳しい説明をしてくれたのはベルだった。どうやら彼女――彼と呼ぶと本人が非常に怒るのと、機密保持のために敢えて彼女と呼んでいる――はそのパレードの準備のために外出していたらしい。

 首都ガングニルの中央環状道路を一周。それがパレードのコース。華麗なデコレーションの施されたステージ付きの大型車が十台と、それに追随する小型車が百台。随伴するのは高名な政治家や芸能人達。それにパレードを盛り上げる音楽隊やダンサー。そして、それらを見物するために集まった大勢のグラッテン国民。

 戦争に勝ったのかと思うほど、どえらい規模のパレードだった。

 夢にも思わなかった事態に、カーチャはただ唖然とするしかない。

「……き、聞いてません、よ?」

「そうか。それは残念だったな」

 素敵な笑顔で事も無げに言うイオナ。

 ――いやどう考えても意図的に伏せてましたよね!? ロレンス軍曹のことを聞いた時、明らかに適当に誤魔化していましたよね!? あれはこういうことだったんですねぇーっ!?

 胸骨の内側で嵐が吹き荒れるが、カーチャはもはや喚き散らす愚をとらない。どうせ抗議した所で意味など無いと理解している。カーチャに出来るのは、同様の手口で何度も騙されぬよう気をつける事だけであった。

 話を聞くと、彼女が軍に入った時も同様のパレードが催されたらしく、それはどうやら国民の戦意高揚をはかるデモンストレーションが目的だったらしい。有名人、あるいはその眷属が軍に入ったことを上手く利用したのだ。イオナが言うには、今回もその類だろう、とのことだった。

 そういえば、とカーチャは記憶を紐解く。何かの折りに聞いた、五年前の軍事パレードで爆弾発言をした大佐がいた、という話を思い出したのだ。その事を口にするとベルが笑って、

「そうそう、それそれ。いきなりマイクで『国民よ、俺を最前線に送ってくれ!』だったっけ? イオナ大佐もすごいことするよねー。もうみんな大騒ぎ。ま、勿論聞き入れて貰えなかったんだけどさ」

 所詮はデモンストレーションに使う客寄せパンダだ。戦力になることなど端から期待していないし、そもそも大切な看板に傷が付いては大変だ。しかも国民的英雄ジェラルディーンの直系とあっては、下手に戦死でもされた日には、政・軍双方の上層部で何人が首を吊れば国民が納得してくれるのか、わかったものではない。

「そうは言うけれど、そのおかげで今のあたし達があるのよ、ベルちゃん? 感謝しなくちゃ」

 うふふ、と心の底から嬉しそうな声でアイリスが言う。彼女――アイリスに関してはカーチャはこう呼ぶことに全く抵抗を感じない――の言葉には何か大きな含みがあるように、カーチャには聞こえた。

 考えてみると、何となくわかる気がした。あと、何故こんなろくでもない人間が特務機関という受け皿を用意されてまで今なお軍に居続けているのか、その理由も。

 軍としてはパレードを催してまで歓迎した人物を、多少素行が悪い、あるいは扱い難いからといって放逐することが出来なかったのだ。無理に退役させれば世間から反発も受けよう。だから『特務機関ラーズグリーズ』なるものを設立し、さらについでと言わんばかりに、元々いた問題児達をもかき集めて詰め込んだのだ。これにて、めでたく鼻つまみ集団のできあがり、というわけだ。

 アイリスも、ベルも、そしてサイラも、見るからに曲者揃いだ。きっとラーズグリーズが出来るまでは、どこにも居場所がなく、不遇な扱いを受けてきたに違いない。そんな彼女らにとってラーズグリーズというのは、おそらく軍に入って初めて得た、自らの居場所だったのだろう。

「軍上層が俺をキャンペーンガールに使うだけ使って、後は適当なところに配属させるつもりなのはわかっていたからな。民衆の前で堂々と言ってやれば、仕方なく前線に送ってくれるものだと思っていたんだが……当てが外れたらしい。奴らの保身根性もどうやら筋金入りだったらしくてな。まぁそれはそれで、結果的には都合が良かったが」

 自嘲気味に笑って肩をすくめるイオナの隣で、巌のごとく鎮座していたサイラが無言で頷く。イオナの言葉に同意する部分があったらしい。

 ――どうしてイオナ大佐は、そんなに前線に行きたがってたんでしょう?

 疑問を抱いた時、目の前に相手がいてもすぐに質問せず、自分なりに思考を巡らせてしまうのはカーチャの悪い癖である。それもなまじ頭が良いだけに、ほとんどのことならあっさり答えを見つけることが出来てしまう。

 ――ああ、なるほど。今でも『デル』を名乗っている軍閥貴族の末裔ですからね。戦うことこそが本懐、というわけですね。

 だから、こうして正解らしきものを得てしまうと、結局答え合わせすることもなく自身の内だけで完結させてしまうので、余計に質が悪い。確かにほとんどの事実がその頭脳ではじき出した答えと合致しているのだが、たまにはそうでないこともある。全知全能の存在でないが故、それは当然のことだ。しかし何故か、得てしてそういう時に限って、致命的な落差があることがほとんどだった。イオナの性別に関する時もそうだったではないか。

 この時もそうだった。後に、カーチャはそれを思い知ることになる。


 さて、肝心のパレードであるが、実のところカーチャの記憶からはそのほとんどが蒸発してしまっている。本人にしてみれば、実に恐ろしい話である。

「ええ、そうねぇ。ものすごぉく緊張していたわねぇ」

 アイリスの証言である。どうしてそんなに嬉しそうに言うんですか、とは聞かなかった。

「食べてしまいたくなるぐらい美味しそはっはっはっはっ、いや可愛かったぞ、カーチャ」

 イオナの戯言である。何を言い掛けたのかは敢えて尋ねないことにした。あと『食べる』という意味に関しても興味を示さないようにした。無駄にウィンクとかしないで欲しい。

「噛み噛みだったよねぇ。あんなに笑ったのボク久しぶりだったよアハッ! アハッ! アハハハハハッ!」

 ベルの意地悪である。蒸発をまぬがれた記憶の中には、直立したオットセイがごとく身体を反らせ、こちらを指差して大笑いしているベルの姿があった。

「元気、出してください。少佐」

 サイラの励ましである。無口な彼女が喋ってくれたのは嬉しかったが、同時に、悲しみも深かった。

 ともかく、最低限の役割は果たしていたらしい。僅かに覚えているのは、集まってくれた著名人の中に現首相のシーグル・ゼノがいたことだった。まさかこんな大それた人物まで来ているとは思わなかったので、記憶野に深く刻み込まれていたのだ。

 それ以外のことは思い出したくもない。大型車のステージから集まってくれた人々に手を振ったりしていたのだろうが、どうせ可動関節の少ない人形を無理矢理動かしているような有様だったに違いないのだ。パレードの終盤ではマイクを渡されて何か挨拶をしたらしいが、喋った内容どころかそんな事実があったことすら頭から消し飛んでいた。かてて加えて、一緒にいたイオナ達の証言を鑑みれば、自分は余程の醜態を晒してしまったらしい。ああ、もう駄目だ。記憶をほじくり返しても出てくるのは絶望だけに決まっている。最後に希望など出て来やしないのだ。

 こうして最悪の一日目は激浪のごとく過ぎ去り、二日目の朝が当たり前にやってきた。

 げっそりである。

 恥辱の記憶というものは、心が落ち着いてくればくるほど、思い出した時の刺激がひどい。今のカーチャがまさにそれで、起床してから朝食を採って職場に出てくるまで、何度も昨日のことを反芻しては悶え苦しんでいた。ともすれば大きな声で叫んでしまいたくなるほどだ。

 と、そんな風に暗い気分でいた所、

「あっれー、カーチャじゃん。おっはよー♪」

 昨日と同じく専用車で送ってもらった三階建ての玄関前で、ベルとばったり出くわした。

「あ、おはようござ」

 います、と続けようとした言葉がぴたりと止まった。

 原因はベルの格好である。彼女――しつこいようだが厳密には男であり本来ならば代名詞は彼――が着ているのは昨日と同じく、大掛かりな改造が施されたラーズグリーズ専用の深紅の軍服で、ボトムスがスカートなのも相変わらずだが、問題はそこではない。

 後ろに背負っている精霊駆動式兵器こそが瞠目の理由だった。カーチャは正気を疑う眼差しを向けて、ふるふると震える指先でウィング型の兵器を指し示す。

「ベ、ベルさん……? それは……」

 ちなみに呼称については、階級を見れば下位ではあるが年齢では年上にあたるので、両者のバランスを考慮した結果〝ベルさん〟という無難なものに落ち着いた。というより、ラーズグリーズでは階級で呼ばれているのは機関長であるイオナだけで、それ以外の者は全て、立場に関係ない呼び名で親しんでいるのだ。

「んー? あ、これ? いいでしょー、ブルマンの最新モデルなんだよ」

 ベルの応答は実に嬉しそうで、かつ実に意味不明だった。いや、わかることはわかる。ブルマンというのは軍需企業の一つで、正式名称を〝ブルー・マンイーター〟という。その略称〝ブルマン〟は、主に風や水といった流体系の精霊と相性の良い機種を得意とするメーカーで、空兵や水兵、他には狙撃兵などに愛好家が多い。そして今ベルが自慢げに見せているのが、そのブルマンが誇る個人空戦用飛行機『ディオネ』シリーズの最新モデルであることも、カーチャは知っていた。

「いえ、あの、ど、どうしてそんな物を……?」

「え、見てわかるじゃん。移動用だよ?」

 基本フォルムは『天使の翼』と言えばわかりやすいだろう。細長い剣のようなメタリックブルーのフィンを羽根とした、全長が両翼合わせて三メートルほどの翼である。フィンに込めた風の精霊から浮力を得て空中を飛ぶのだ。さらにこの最新モデルには空気を圧縮させる機構が搭載されているので、より高度で高速で精密な機動が可能となる。

「移動用って――それ一応というか当たり前に戦術兵器ですよねっ!?」

 声を大きくするカーチャに、ベルは笑顔のまま軽く手を振って、

「別にいーじゃん。ほら、ボク達って色々とアレだから基地内の施設に泊まれないでしょ? だから外から通わないといけないんだけど、イオナ大佐やカーチャならともかく、ボクとかは専用車なんか使えないし。だったらもうこれで来た方が早いじゃん?」

「そ、そういう問題ですかっ!? というか、本当にそれで街中飛んできたんですかっ!?」

「うん」

 誤解を恐れず言えば、ディオネで街中を飛んできたというのは、言い換えると、戦車で公道を走ってきたのとほぼ同じ意味を持つ。

 完全無欠に軍規違反である。

「……!」

 驚きのあまり口をぱくぱくと開閉させるカーチャに、あは、と笑ってベルが言う。

「気にしない気にしない。他所はともかくウチはそこのところ自由なんだから。っていうか、そのための〝特務機関〟って肩書きなんだし。カーチャも早く慣れないとしんどいよー?」

 シュラン、と音を立ててディオネの翼がコンパクトに折りたたまれる。ベルはそのまま背を向けて、本部の中へ入っていった。

 ――なんですか、ここ、本気で問題人物の集まりじゃないですか……!

 自分だけはそうはなるまい。そう心に決めたカーチャは、しかしベルの背中にくっついて一緒に職場へ乗り込んでいくのだった。


 アイリスの淹れてくれる茶は美味しい。

 二日目にしてその事に気付けたということは、それだけカーチャの気持ちが落ち着いてきていることの現れでもあろう。

 ――茶葉も一級品ですし、淹れ方も完璧です。さらにもう一工夫あるようですが、どうしているんでしょう?

 軍隊の朝は早い。カーチャが本部に入った時には、既にアイリスとサイラがそれぞれの作業を行っていた。まだ居場所もなければ役割もないカーチャが所在なく談話室で大人しくしていたところ、見かけたアイリスが茶を淹れて持ってきてくれたのである。

「戦闘訓練?」

 聞き慣れない単語に思わずオウム返しをしてしまう。

 特務機関ラーズグリーズの始まりは機関長であるイオナが出勤してきてからと決まっている。よって、それまでは基本的には自由時間となる。カーチャも遅刻しないようにと一時間以上早めに出て来ていたので、こうやって茶飲み話をする時間は充分にあった。

「そうよぉ。あたしたちも一応軍隊だから、たまにあるのよ」

 のほほんとしたアイリスの、一応軍隊だから、という言い方に気力が根こそぎ持って行かれそうになる。ベルといいアイリスといい、この特務機関の人間はあまりにも軍人としての自覚がなさすぎるのではなかろうか。

 しかし、その割には『戦闘訓練』などという真っ当な任務もあるらしい。ブルネットの美女――ただし元男――はふと何かを思い出したらしく、あらあら、という感じで頬に片手を添えて、

「ノルマって言うのかしらね? 一定期間にこれこれこういう事を、これだけやりなさいっていうお達しがあるらしくて。そういえば、カーチャちゃんにはいきなりなお話よね。ごめんなさいね、今日がその日なの。大丈夫かしら?」

 ――なんですかこう、学校の単位みたいな捉え方なんですね、アイリスさんの中では……

「大丈夫……だと思います。私の戦闘用装備は事前にここに搬入されていると聞いていますので。あ、まだ、確認はしていませんが」

「そうなの? それは良かったわ。あ、装備ならサイラちゃんが運んでくれてるわ、きっと」

 サイラおよびベルの姿は談話室にはない。どうやら彼女らはアイリスの言う『戦闘訓練』の準備をしているようだった。

 ――サイラさん、ですか……あの人、無口ですよね。仲良くやっていけるんでしょうか……?

 今頃二階の倉庫で働いているであろう、傍目からはどうあっても筋肉質の男にしか見えない黒色肌の異人を思う。あの見た目でそれでも女性だというのだから驚きだ。そういえばあちらの出身の者は独特の訛り言葉を使うらしいが、少なくともこれまで聞いたサイラの台詞にはそういった訛音は感じられなかった。血筋は地方豪族の末裔でも、生まれと育ちはグラッテンなのかもしれない。

「話は変わるけど、カーチャちゃんはあの有名な天才少女なのよね?」

「ほえっ?」

 油断していた。いきなり自分のことを言われて吃驚してしまい、妙な声が出た。かっ、と首から上が熱くなって赤くなっていくのがわかる。おかしな声を出してしまったのも恥ずかしいが、天才少女などという呼ばれ方はもっと恥ずかしかった。

 何故ならカーチャには、それ以外の部分で負い目があるのだから。

「そ、そんなに大したものではないです。ただちょっと、同年代の子達より勉強ができたってだけの話です」

 俯き、両手の指を搦めてもじもじするカーチャに、

「あらあら、謙遜することないのよ? テレビで見たことあるもの。確か、世界的にも認められているっていう、特別な賞も貰っているのよね?」

 アイリスは優しく喋りかける。その優しさこそが逆にカーチャにとっての重荷なのだが、知る由もあるまい。

「あ、はい。コロンブス賞のことですね。六歳のときにいただきました」

「あたし、詳しいことはわからないのだけど、どういったことでカーチャちゃんは賞状を貰えたのかしら?」

 実を言うとアイリスに限らず、こういった手合いは結構多い。カーチャの事はテレビで見て知っているが、何故カーチャが『天才』と呼ばれているのかを理解している人間は意外と少ないのだ。

 仕方のないことだ、とカーチャも思っている。自分が専門にしているのはそれだけマイナーなものなのだ。これは諦めるべき事柄だ、と割り切っている。

「喪失技術の研究です」

「ロスト・テクノロジー?」

 先程『戦闘訓練?』と聞き返した時のカーチャと全く同じ反応をアイリスはした。それが少し嬉しくて、カーチャは少しだけ詳しく説明することにした。知識を吸収するのは楽しいが、得た知識を誰かに教えるのもまた楽しいことだ。

「アイリスさんは〝電気〟という言葉を聞いたことはありますか?」

「デンキ? ええと、確か……ずっとずっと昔に、精霊の代わりにこの世界から消えてしまったものよね?」

 記憶の井戸の奥底から引き上げてきたようなアイリスの認識に、カーチャは決して嫌みにならないように気をつけながら、首を横に振る。

「いいえ、それは違います。失礼ですが、それはおとぎ話から得られた情報ですよね?」

 アイリスは片手を頬に当ててキョトンとすると、ええ、と頷いた。翡翠のごとき瞳が、どうしてわかったのかしら、と語っている。

 無理もない話だ、とカーチャは判断する。喪失技術については未だ一般的には『大昔の伝説』あるいは『ただの童話』としてでしか知られていない。

 だが、それは大いなる誤解なのだ。

「精霊と引き替えに、この世界から電気をはじめとした旧時代の技術の情報が失われたのは確かですが、それはあくまで『知識』が失われただけであって、技術そのものが消滅したわけではありません」

 カーチャにとってはお気の毒なことだが、この時点で既にアイリスは完全に置いてけぼりを喰らっていた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。

「……ええと、アイリスさんは説明書が無くても、コンロに火を点けることができますよね?」

「え? え、ええ。そう、そうね」

 カーチャは別の角度から切り込むことにした。急にわかりやすくなった質問に、アイリスは我に返ったように慌てて頷く。

「電気も同じなんです。今はもうこの世界に電気の説明書はありませんが、電気がなくなったわけじゃありません。コンロの説明書がなくなったからといって、コンロそのものがなくなってしまわないのと同じように」

「ああ、そういうことね」

 アイリスの表情が明るくなる。どうやら理解してくれたらしい。

 とはいえ、アイリスを含めた一般人の認識もあながち間違ってはいないのだ。説明書のない機械を、説明書を読んだことのない人間が、どうして使えると言うのか。この世界が精霊の存在と引き替えに喪失したのは『旧技術の知識』であることは信頼できる文献から得た確固たる事実ではあるが、人類が再びその知識を必要とせず、復活させることがなければ、それは消滅してしまったのとほぼ同義であるのも、また確かなのだ。

「私はその、【説明書の無くなった技術の復活】を研究しているんです」

 昔話を始めよう。否、それは寓話であり、童話であり、おとぎ話でもある。

 それは約三千年前のこととされている。

 かつてこの世界には、今や無くてはならない人類の伴侶である精霊が、存在していなかった。

「喪失技術は、大きく分類すると二つの分野に別れます」

 その代わり、世界には別のものがあった。それは、

「科学と魔法です」

 大昔、人類は精霊の力を借りずに火を扱い、夜を照らし、地を掘り、空を翔たという。今では到底考えられないことだ。

「科学は電気をはじめとする物質によって物理法則を自在に操り、魔法は逆に物質に因らず、時に物理法則すら超えた現象を引き起こしていたといいます」

 おとぎ話では、これら『科学と魔法』は『悪しき力』とされ、ある時、精霊界から訪れた精霊王によって浄化され消滅したと語られている。

 ――でも、それっておかしくありませんか?

 そんな疑念がカーチャの出発点だった。

「私はその中で、主に電気に関係する技術を専門的に勉強、研究していたんです。今は失われてしまった技術の説明書を復活させるために」

「考古学……みたいなものかしら?」

「そうですね。そのようなものだと思ってもらえれば……」

 精霊が人類の前に現れたのとほぼ同時に科学と魔法が消えてしまったのは、絵本だけでなく、歴史の教科書でも語られていることだ。扱いが小さすぎて、多くの者は気にも留めていないが。

「喪失技術が何故、精霊の登場に合わせるようにこの世界から消えてしまったのか。そこに因果関係はあるのか。それを考えるのも研究の一環です」

 カーチャにとっては、むしろそっちが本命である。

 子供向けのおとぎ話に本気になるのは大人げない――実際、その時のカーチャはまだ四歳だったが――ことはわかっているが、カーチャにはどうしても『喪失技術=悪しき力』という公式に納得がいかなかったのだ。父に聞いても、使用人に尋ねても、得心のいく答えは得られなかった。故に、カーチャは勉強を始めた。それが『天才少女』と呼ばれるようになる第一歩だったのである。

 ――それがどうなって、こんなところにまで来てしまったのか、自分でもよくわかりませんけどね……

「それで、その〝デンキ〟っていうのは、どういうものなのかしら?」

 このアイリスの質問は流れからして至極当然のものなのだが、カーチャは答えに窮した。

 説明が難しい。

 これが喪失技術の難点であり、垣根を高くしている要因の一つでもある。その筋の者ならともかく、専門知識もない一般人には喪失技術の何たるかを説明するのは、非常に困難なことなのだ。本格的に説明しようとすれば、『素粒子』や『イオン』といった専門用語が飛び交う上、とんでもなく長く難解なものになってしまう。

 カーチャは指でこめかみを押さえつつ、頭を絞り、

「ええと……雷の精霊によく似た力なのですが、精霊機関ではなくて、ですね? えと、簡単な例を挙げるなら、精霊の力を借りずに照明を点けることができる、とかですかね……?」

「まあ、精霊の力を借りずに? すごいのね」

 笑顔で両手を合わせて驚いてくれるアイリスの態度に、わざとらしさはない。だから、そうでしょうそうでしょう、とカーチャもアイリスと同じく笑顔になって頷く。世界中どこにでもある精霊の力を借りずに生活するなど、考えられない昨今だ。精霊抜きで文明の利器を活用できるという凄さは、やはり一般の人にもわかるぐらい大きな事なのだ。

「――あら? でも……」

 と、不意にアイリスが何かに気付いたように声を上げる。カーチャの胸が、ぎくり、と音を立てた。

「で、でも?」

 急速に膨れあがる嫌な予感を胸の内で抑えつつ聞き返すと、アイリスはまた片手を頬にあて、目線を上空にやりつつ、どこか困ったような声で、

「ええ……でも、いくらなんでも、照明ぐらいならお母さんでも点けられるんじゃないのかしら……?」

「あうっ」

 言われてしまった。

 そうなのだ。その通りなのだ。

 喪失技術の不人気および認知度の低さの理由は、まさにその『あまり意味がない』という一点に収束する。

 お母さん、とアイリスは言った。

 この場合『お母さん』とは、一般的な母親を指すと同時に、別のものを意味している。

 一言で言えば、精霊感応不全者。より詳しく言えば、正常な〝精霊核〟を持たない人間のことを示している。

 〝精霊核〟は精霊と交信し、その力を扱うために必要な器官で、別名を丹田と言う。その名の通り〝精霊核〟は下腹部、臍のさらに下に位置しており、女性の場合、すぐ傍に子宮がある。

 ここが生物学者をして『人間の女性は生まれながらにして生物的欠陥を抱えている』と言わしめる理由だ。

 〝精霊核〟は子宮の傍にあるため、女性が妊娠すると、その影響によって機能を不可逆的に阻害されてしまうのだ。

 原因には諸説あるが、特に支持されているのは以下の二つである。膨張する子宮によって圧迫され、物理的に障碍を得てしまうという説。もう一つは、一時的にとはいえ体内に〝精霊核〟を二つ有してしまうため、精霊の相互干渉から胎児を守るために母体が自らその機能を縮小させてしまうという説。どちらが真実にせよ、妊娠線と同じく〝精霊核〟の機能不全を防ぎ得ないのは厳然たる事実である。

 よって世界中の母親は例外なく、正常な〝精霊核〟を有していない。そのため外燃型精霊機関ならともかく、内燃型精霊機関の道具はほとんど使用できない。扱えるとすれば、制御もへったくれもない、照明やコンロぐらいだ。もちろん照明もコンロも動かすには使用者による精霊の制御が少しは必要だが、基本的には外燃型である。スイッチを入れるだけなら、壊れた〝精霊核〟でも十分可能だ。

 と言うより、ぶっちゃけて言ってしまえば当たり前なのだが、〝精霊核〟が壊れたからと言って日常生活に支障があるわけではない。昔はそうだったが、もはやそんな時代はとっくに終わっている。技術は日進月歩で成長しているのだ。

 妊娠による〝精霊核〟の機能不全は、精霊との完全な断絶を意味するものではない。精密な制御、および高出力が不可能になるだけで、大雑把な扱いであれば問題ないのだ。現在、日常生活に必要な機械は全て、『母親』あるいは『妊娠経験者』でも問題なく扱える仕様になっている。そして、その事を知らない者もたくさんいる。もはや、それほどまでに浸透しているのだ。

 つまり、〝精霊核〟が壊れることによって不可能になるのは、主に内燃型の使用。それも精密な制御が必要であったり、高い出力を要求される場合に限られる。

 例えば、内燃型自動車の運転である、とか。

 例えば、戦争で用いられる戦術兵器の運用である、とか。

 一瞬にしてテンションがガタ落ちになってしまったカーチャの様子に、アイリスが慌てて、

「あ、ご、ごめんなさいね? 私、お母さんじゃないから――というより、なれないのだけれど――実際の所はわからないの……間違っていたかしら?」

 とても無邪気にとどめを刺してきた。間違ってません、という言葉をすぐには言えないカーチャである。アイリスに悪気が無く、天然で言っているであろうことがわかるだけに、非常につらい。

 ついでに言えばグラッテン国軍が、女のワルキュリア軍、男のアインヘルヤル軍に別れているのも〝精霊核〟が理由である。女性兵士が妊娠すること、それは即ち兵士としての能力を失うことを意味する。兵士が減れば、戦力が落ちる。戦力が落ちれば、結果として国力が低下する。そんな事態を防ぐために政府は軍を男女で分け、兵士同士が不用意な『出会い』をしないように定めたのである。

 カーチャはしょんぼりと肩を落として、

「いえ……その、全くその通りです。今日ではお母さん……というより〝精霊核〟に異常がある方であっても使えるように、世の中の機械は安心設計を義務づけられています。正直、基本的には、何をするにも電気や他の喪失技術は必要ありません……というか、魔法に至っては資料もなくてまともな研究もままならない状態ですし……」

「あ、あらあら、あらあら……」

 どうしましょうどうしましょう、と元が男だとはとても思えない様子でふためくアイリスをよそに、カーチャは膝の上で強く拳を握り、でも、と言葉を続ける。

「でも、必要な時があります。例えそれが百万人に一人だとしても、必要としている人はいるんです。それは、絶対にそうなんです」

「カーチャちゃん……」

 憐憫の微粒子まじりの声に、カーチャは、はっ、と我に返る。顔を上げると、ごめんなさいね、と言わんばかりの表情のアイリスが自分を見つめていた。驚き、すぐに両手を振って誤魔化す。

「あ、いえ、あの、その――そ、そう! そうなんです! 思い出しました! 喪失技術の研究がさらに進むとですね、なんと、お母さんや妊娠を経験した方でも扱えるような兵器だって出来るんですよ!?」

 そう言ってから、子供を持つ母親を戦場へ送りだすための技術など愚の骨頂だ、と気付く。カーチャはさらに慌てて、もっと大きく両手を振って、

「あ! や、いや、や! ほ、他にも、火を使わずにお料理を暖めることだって出来るようになりまして、ですね!? そうすれば火災の発生件数だって大幅に下げることが可能なので!? というか、私がコロンブス賞を貰ったのも実はそのマイクロウェーブ発生機というものでしてムギュッ!?」

「偉いわね、カーチャちゃん」

 いきなり抱きしめられた。大きな胸の間に顔を挟まれてしまい、カーチャは声が出せなくなる。

「本当にもう、こんなにも小さいのに……色々な人のことを思って、色々なことを考えているのね。本当に良い子だわぁ」

 そう言うアイリスは良い匂いがする。豊満な胸に顔をうずめながら、カーチャは思う。甘いわけでもなく、爽やかなわけでもないが、とても素敵な香りがした。

 ――つまり親戚の叔母様が使っていると同じ香水ですね。

 ロマンの欠片もない天才児の思考である。

「ほふほ(どうも)……」

 そういえば、とアイリスの胸についてカーチャは思う。この人は【どちら】なのだろう、と。

 性転換には主に二種類の方法がある。一つは外科手術による肉体改造。比較的、短期間かつ安価で性転換が可能だが、肉体にメスを入れたり人工部品を挿入したりするので、副作用がひどく、後のメンテナンスも大変だ。

 もう一つは、性別を司る精霊を直接体内に注入することで遺伝子から肉体変化を及ぼす手法だ。男なら女、女ならば男を司る精霊を、数年もの時間をかけて何度も注入し、体に馴染ませていく。そうすることによって無理なく肉体を異性へ転換させていくのだ。問題は時間がかかりすぎること(個人差もある)と、費用が莫大なこと。なにより、完遂するまでは肉体が『どっちつかず』になることだ。段階によっては、男女の特徴を両方持った怪物になる時期もあるという。当然、その期間は外出も出来ないだろうから相応の苦労がある。しかし同時に、それに見合った結果も得られる。肉体が根本的に完全に異性化するので、妙な副作用もない上、メンテナンスも必要ない。【本物】になれるのだ。

 実際に法律でも、前者は戸籍の変更が認められないが、後者ならば可能だ。

 ――この柔らかさと良い、他の部分といい、多分後者だと思うんですけど……だって色々と完璧すぎますよ? この人……

 余談だが、もちろん性転換が行えるのは成人になってからである。法整備がされていない頃、実際にいたのだ。生まれてきた子供の性別が気に食わないからと、巨額を注ぎ込んで性転換させた親バカならぬバカ親が。それが社会問題となって以降、未成年の性転換は法律によって禁じられたのである。

 そんなことを考えているうちに、アイリスの掻い繰り可愛がりはエスカレートしており、カーチャは完全に等身大のぬいぐるみと化していた。

 早く離して欲しいなぁ、などと思っていると、そこに。

「おお? なにやら楽しそうなことをしているではないか。俺も混ぜろ! 是非混ぜろ! さあ混ぜろ! さあさあさあさあっ!」

 ぞぞぞぞっ、と背筋に悪寒が走る不吉な声が。そして、だだだだっ、という高速で背後に迫る足音。

「ひぃっ!? い、イオナ大佐っ!?」

 本能的に危険を察知したカーチャは逃げようとして、しかしアイリスに抱きかかえられたまま身動きができない。振り向くことすら出来なかった。

「おはよう! 良い朝だな! マイ・エンジェル! がばり!」

「ぎゃ――――――――――ッッ!」

「あらあら、うふふ」

 真後ろからアイリスごと、男のようなしっかりした筋肉を持つ腕で抱きしめられる。声が近い。吐息を感じる距離だ。もちろんイオナが女性であることはもうわかっているが、一度心に刻まれた拒否感はそう簡単に消えるものではない。

 前も後ろも人肌に挟まれた中、ちゅっ、という音を聞いた。胸の谷間から頭上を見上げると、アイリスの頬に唇を寄せているイオナを見てしまった。

 イオナは実に男前な顔と声で、アイリスのブルネットの髪をくるくると弄りながら、

「アイリス、お前は今日も美人だな」

「うふ。ありがとうございますわ、大佐」

「そしてカーチャにも――」

「ちょっ!? わ、私は結構ですよ!? いりませんいりません! おはようございます! 挨拶はこれでいいじゃないですか!」

「そう遠慮するなよ。狙いが逸れると思わず唇を奪いたくなる……」

「意味不明な上に超問題発言ですよ!? というかその妙にかっこいい顔と声やめてください! 男の人みたいじゃないですかぁっ!」

「お? なんだ、カーチャは男嫌いだったのか? それなら好都合ではないか。では早速、その瑞々しいピンクの唇を味合わせてもらおうか」

「どうしてそうなるんですか!? っていうか、どっちにせよそこに持って行く気満々じゃないですかっ!」

「ふふふふ動けまい。ハァハァ」

「ひぃぃ野獣のような吐息がっ!? ひ、ひ、卑怯者ぉーっ! いやいやいやいやぁーっ! 私はファーストキスは好きな人と決めているんですーっ!」

「なんと。幼女のくせに意外と古風で乙女チックだな。若い内は冒険することをお勧めするぞ?」

「私まだ八歳ですからね!? 若いとかいうレベルじゃないんですからね!? 何かよく勘違いされますけど! 賢そうにしててもまだまだ子供なんですからね!? というか本人にこんな事言わせないでくださいよ! お勧めするならベルさんやサイラさんにしてください!」

「カーチャちゃん……それ、遠巻きにあたしがおばさんってことかしら……」

「ああっ!? ち、違いますよアイリスさん!? 今のは言葉の綾ですから! そんなに悲しそうな顔をしないでください!」

「ふむ。ならば、これでどうだろう?」

 つつーっ、とイオナの人差し指がカーチャの背中を伝った。

「――るひゃっ!? な、なにを!?」

「挨拶のキスがダメならせめてスキンシップをだな……ここか? ここがええんのか?」

 こちょこちょこちょこちょ。無抵抗のカーチャの体を、わきわきと生物のごとく動くイオナの両手がくすぐり回す。

「あひゃひゃひゃっ!? や、やめ、くすぐった――きゅうぅぅぅんっ!? ちょ、ちょっとどこ触っ――ひゃわあああっ!?」

「やだ、カーチャちゃん可愛いわぁ」

「ちょっアイリスさん!? アイリスさん!? 手を離して、手を離してぇぇぇぇにゃひゃひゃひゃっっ! お願いですからぁぁぁぁっ!」

「それそれほれほれ、いんぐりもんぐり、いんぐりもんぐり」

「ぃひひひひぃっ!? 誰か誰か助けてくださぃぃあふぁはははははははっ!」

「――あれー? 何か楽しそうな声が聞こえたから来てみたんだけど、本当に楽しそうなことしてるしー」

 ――ッ!? この声は、まさか……っ!?

「おお、ベルか。お前もこっちに来てカーチャで遊ぶ――おっと、『で』ではなかったな。言い直そう。ベル、お前もカーチャ【で】遊ぶか?」

「言い直せてないですよぉぉぉっ!? そして私どう考えても絶体絶命ですかぁぁぁっ!?」

 こちらへ近付いてくるベルが、パキポキペキ、と指を鳴らす。サディスティックな喜悦に満ちた声で、

「うっふっふっふっ。いやぁ、実はちょっとイジメてあげたかったんだよねー物理的に。アインヘルヤルの野郎共をことごとく陥落させてきたボクのテクニックを駆使してさ、ここじゃ階級の上下関係なんて意味ないんだってこと体に叩き込んであげなきゃねぇーえっへっへっへっ」

 悪人の笑い方だった。

「い、嫌ぁ……」

 涙声を上げるが、運命を司る精霊は性格がねじ曲がっていて意地悪なことで有名だ。そうは言っても前方のアイリス、後方のイオナに囲まれて拘束されているカーチャに逃げ場などなく、この場合は運命なんて関係ない。もうとっくに結果は見えているのだから。

 にっしっしっしっ、と悪魔的な笑みと共に、うねうねと蠢く魔の手がカーチャに伸びる。

「――らめぇぇぇぇぇっっっ! ひゃぁああああぁんっっ!」


 結局、それからもカーチャを中心とした乱痴気騒ぎは続き、終息したのは、サイラが諸々の準備を終えて談話室へやってきた時だった。

 完全に玩具にされているカーチャと、その玩具で遊んでいる三人に、じろり、とサングラス越しの視線を向けると、サイラはどう見ても堅気では有り得ない動きで敬礼し、見る者全てが男だと勘違いするほどヤクザで逞しい肉体から、意外なほど若々しい声で、こう言った。


「お疲れ様です」


 誰に向けて言ったのかは定かではない。

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