EX#06 星の予感
「あらら……寝ちゃった、この子」
起こしてしまわないように、シルミーはそっと優しく膝の上の猫の頭を撫でた。
そして、そのふさふさとした毛並みをたっぷりと時間をかけて堪能し続ける。
撫でられる事に慣れているその猫は、ぷにぷにとして柔らかくて暖かい快適な膝の上にいる事もあって、撫でられるという刺激よりも睡魔の誘惑が圧倒的に勝り、微睡みの中にあり続けた。
そのまま部屋にお持ち帰りされても、きっと朝に目が覚める時までは夢の中。
時刻は既にそういう時分へと差し掛かっているため、その猫としてはむしろその方が幸せだった。
「ハモハモも、今頃はちゃんと寝ていますかねー?」
「どうでしょう。不死賢者レビスに浚われたのだとしたら、永遠の眠りについていてもおかしくないのですが」
「それはたぶんないかなー」
「それは女性の勘というものですか?」
「ううん。リーブラちゃんの様子からだよー」
「なるほど。確かにリーブラさんは全く慌てていませんね。リーブラさんがハーモニーさんとどの様な関係を持っているのかは知りませんが、同じ部屋だけでなく同じベッドで寝るぐらいですから、それなりに深い関係にあるのでしょう」
「きっと毎日繋がってるんだねー」
「……他の人が聞くと誤解しそうな言葉を使わないで、もらえませんでしょうか、シルミー。あの二人がどこか心で繋がっているというのは何となく見ていて分かりますが、流石にその表現はどうかと」
「ん~、こっちは女の勘なんだけどねー。といっても、ハモハモがいつも繋がってるのは他の子のような気もするんだけどねー。そういう意味では、心だけ繋がってるって言うのは当たってるのかな?」
「不謹慎ですよ。あまりそういう推測の域にしかでない話は人前ではしないでください」
教会でハーモニーが消息を絶ってから既に二日。
短い期間ながらもハーモニーと共に行動をしてきた導士フェイト・ジーン=ローと踊り子シルミーは、捜索の手をコーネリア教会からルーラストンの村まで広げていた。
教会では結局あれ以降、誰もハーモニーの姿を見た者がいないため手詰まり状態。
妙な繋がりでエーベルという人物と共に分単位まで時間軸を整理し、痕跡となる物まで全て調べ尽くしてみても、結論はやはり不死賢者レビスに浚われた線が一番濃厚という結論に至っていた。
そのエーベルの捜索により不死賢者レビスによる誘拐事件だと結論づけられた事で、そのままハーモニーという男性は死亡扱いとして処理されたのが昨日。
明確にそれを結論づけたのはフェイトなのだが、やはりシルミーはハーモニーが死んだと思う事は何故か出来ないでいた。
そしてそれを裏付けるかの様に、リーブラの挙動がまるでぶれる事がない。
結論から一日経った現在でもこうしてルーラストンの村まで一度戻って捜索しているのは実際にはただのついでなのだが、それでもまだシルミーは割り切る事が出来ないでいた。
「あと、いくら可愛くても部屋までは連れていかないで下さいね、シルミー」
「あれ? フェイって、猫ちゃん嫌いだったっけ?」
「嫌いという訳ではありませんが、あまり慣れていませんので。一緒に寝るのはちょっと……」
「あー。そういえば、何故かこの子って男の人のベッドに良く潜り込むよねー。ハモハモのベッドもそうだったし、雄なのに何でだろ?」
「別にそういう訳ではないみたいですよ。気になって聞いてみたんですけど、ただ単純にハーモニーさんと僕が使っているベッドが、その猫のお気に入りの寝床だったみたいです」
「あ、そうなんだ。なら今日からベッド変えるー?」
「そこまでする気はありません。流石に女性の方が普段使っているベッドを使う気にはなれませんので」
「私は気にしないのにー。むしろこの子と一緒に寝れるなら変わりたいです」
「それでしたら、リーブラさんの部屋にお邪魔してはどうでしょうか? ベッドは一つしかありませんが、女性同士ならば同じベッドで寝ても問題ないと思いますし」
「あ、それ良いですねー。それじゃ、今夜から私はリーブラちゃんのベッドでイチャイチャしちゃう」
「どうぞ、お好きに」
心の中ではリーブラに謝罪しつつ、本心ではようやく一人で眠れる事にフェイトは安心する。
女性との付き合いが疎く、あまり好き好んで一緒にいたいと思わないのは男性としてどうなのかとはフェイトも気が付いているのだが、生理的にあまり受け付けないのだから仕方がない。
それ以前に、シルミーとは前の街で偶然知り合っただけの仲であり、付き合いも短いため、例えベッドが二つ用意されているとはいえ同じ部屋に泊まるのは最初から乗り気では無かった。
勝手に懐いて勝手に付いてきたシルミーに、フェイトは少しげんなりしている。
そのシルミーが宿の手配をしてくれるというので任せた結果、節約という理由もあって同じ部屋で寝泊まりする事を余儀なくされた。
後はずるずると、何となく。
男女の関係になるというのは今現在のフェイトの身持ちの堅さからまずないと思うのだが、性に関してはかなりフリーダムなシルミーがもし力尽くで迫ってきた場合、フェイトは拒みきる自信がまったくなかった。
何しろ、別にそういう事が嫌いという訳でもなかったため。
今の所まるで興味はないが、生来の優しさもあって強く求められたらついつい応じてしまうだろうとフェイトは確信していた。
そのフェイトだが、実はこの村の実態には気が付いていない。
シルミーが出来る限りその事を伏せて隠している事もあるのだが、シルミーという若くて魅力的な肢体を惜しげもなく披露している女性とフェイトが同室に泊まっているという事で、村にいる娘達もきっとアプローチしても暫くの間は徒労に終わるだろうと思っていたからである。
勿論、それは今だけの事である。
その村を訪れる男性の全てがまず間違いなくそういう事を目的にやってきているのだから、暫くすれば懐にも余裕が出来てその魅力に徐々に抗えなくなるだろうと考えている。
色目を使うのはそれからでも問題ない。
何しろ、買い手には別にあまり困っていないのだから。
そうとは知らず、自ら一人で部屋で寝るという選択肢を選んでしまったフェイト。
その噂は次の日にはすぐに村中に駆け巡り、それはフェイトからの明確な合図だと勘違いしてアプローチを開始する事になる。
「それで、フェイは明日はどうするのー?」
「元々これといった目的はありませんが、ハーモニーさんが見つからなかったので、また迷宮に潜ろうかと思います。折角ですので、少しばかり実力を試してみようかと思います」
ただ、肝心のフェイトが村からいなくなってしまうため、アプローチのしようがなかった訳だが。
「一人で潜るのー?」
「はい」
「あまり無理しないでねー」
「実力を試すと言っても、直接的な力を試す訳ではありませんよ? 試すのは、罠の解除や迷宮内での動き方の確認です。直接的な力の方を試すとなると、かなり奥の階層まで潜らなければならない様なので」
「そうなんだー。うーん、そうだねー。フェイの実力だと、最低でも30階層は潜る必要があるかもしれないですねー」
「シルミーはこの迷宮に潜った事があるのですか?」
「人伝に聞いただけー。聞く限り、かなりゆっくりとしたペースで魔者の強さがあがっていくみたいだからねー。その分、初心者さん達には優しい仕様という事だから、かなり人気があるみたいだよー」
「人気があっても、此処に来れるのはそれなりに実力を持っている人しか許可されないみたいですけどね」
「あまりホイホイ人が来ても死人が増えるだけだしねー。それに荒れちゃうのも困るしー」
「ハーモニーさんも一階層で死にかけてましたね。やはり誰彼構わずというのは問題があるのでしょう」
死にかけたのは一度や二度ではないのだが、一度あるだけでも十分だった。
助けられた恩義から多少は大目に見ていた訳なのだが、フェイトの予想通りハーモニーは取り返しのつかない事態に見舞われている。
そもそもまともに戦闘訓練を受けていない者が魔者に挑む時点でまず無謀というしかない。
下級の魔者であれば、頑張れば戦闘訓練を受けていない一般人でも倒す事は可能なのだが、そんなラッキーがいつまでも続くほど世の中は甘くない。
命の危険と隣り合わせの世界に身を置くという事がどれだけ危険なのかをハーモニーという青年はまるで理解していない様だった。
余裕で1割以上も死の危険がある場所……まともに考えれば、ハーモニーぐらいの一般人ならば3割以上の確率で死ぬ場所へとほとんど何の用意もせず入っていったのだ。
いくらサポートがあるといっても絶対ではない。
同じ事を繰り返していれば早い段階で死の確率を引きあてるのは当然の事と言える。
もっとも、ハーモニーという青年が真っ先に引き当てたのは、そういう一般的な理由での死ではなく、最悪から数えた方が早い類のレアな状況。
不死賢者レビスに遭遇し、弄ばれた上で殺され、更に死後も苦しみ続けるという事がほぼ確実視されるような死。
状況から言って、ハーモニーの死をまるで疑っていないフェイトは、場合によっては不死者と化したハーモニーと面白半分にぶつけられて再度殺す羽目になるかも、ぐらいの事態は思い浮かべていた。
不死者となった者をその知人へとぶつけて互いに争わせるというのは、悪質な趣味を持つ者に共通しそうな娯楽である。
不死賢者レビスの趣味がどの方向に向いているのかをフェイトは知る由はないが、それぐらいの事をしてきても別に驚くつもりはなかった。
「シルミーはどうするのですか? 村でまだハーモニーさんを探すのですか?」
「うーん……どうしよっかー」
「どちらにしても、50年近く姿を現していなかった不死賢者レビスが再び表に出てきているというのが本当ならば、用心して下さいね」
「用心って言ってもな~。具体的に言うと?」
「出来る限り一人では行動しないで下さい。それと、あまり人気のない所にも行かないで下さい」
「フェイ、それ思いっきりフェイの明日の予定に当て嵌まってるんだけど……」
「僕なら大丈夫です。そもそも不死賢者レビスに目を付けられているなら、ハーモニーさんが浚われた際に僕も一緒に連れて行かれている筈ですから」
「それって何の根拠もないと思うんだけどねー。フェイを捕まえようとして、間違ってハモハモを捕まえちゃいましたっていう線もあると思うよ~?」
「それはないでしょう。僕はハーモニーさん程、特殊な環境下にいる訳ではありませんから」
「私から見たら十分フェイも特殊だと思うけどねー」
実際にフェイトの年齢でそれだけの実力を兼ね備えているというのは、明らかに一般の常識からは離れていた。
戦闘力というものは、一朝一夕で手に入るものではない。
それが16歳という年齢で、既に死竜を法術一発で倒す事が出来るレベルにまで研ぎ澄まされているというのは、異常という程ではないが破格の才能を持ち合わせているといっても過言ではない。
大陸中を探せばその手の話はゴロゴロ転がっている訳だが、大抵が誇張されているものが多く、実際にこの目で見るとなるとやはり常識からずれた強さとしか言い様がなかった。
ただ、フェイト自身はあまりその事には疑問に思っていない。
幼い頃から強制的に、常に死と隣り合わせの修練を積まされ続けた結果、手に入れていた力である。
フェイト自身が望んだ事など一度としてないにも関わらず、物心がついた時には既にそういう運命を辿っていた。
だから、自身が一般の常識から離れた実力を持っている事は別に驚いていない。
むしろ持っていなければ、あの厳しい修練は一体何だったのだと言いたいぐらいである。
その修練の日々が突然に終わりを告げたのが、約1年前。
育ての親なのか、それとも育てた師匠なのか。
今でもよく分かっていないその女性が、ある日を境に姿を忽然と消した。
いつもならば、それとなく出かける旨を伝えてくる筈の人が、基本的にいなくなって一月もしない内にフラリと戻ってくる人が、何も言わずに消えて一年の帰って来ない。
だからフェイトは、嬉々として家出した。
それまではあまりにも怖くて出来なかった家を出るという行為を、いなくなって一年という月日が流れた事で、ようやくそれを実行に移した。
そこに、その女性を捜すという目的は一切入っていない。
故の、家出。
その家出の最中にシルミーという少女に懐かれ、目的もなく彷徨っていただけのフェイトはシルミーの提案を受け入れてフラリとこの土地へと踏み入れた。
まさか、それが予め予測されていた事とは知らず。
その予測がハーモニーの出現によって、変わらない筈の未来が変えられてしまっているとは知らずに。
それを知っているのは、導き手である占星術士リーブラのみ。
未来を読み、その未来にそって動き、その未来をただ導くだけの存在。
《星の聖者》リーブラ。
未来を知る者だからこそその予測されていた未来通りに進まなかった現在に混乱し、《星の聖者》となった事により消失させていた感情を僅かながら取り戻し始めていた少女は、まるで定まらない未来に頭を悩ませ続けていた。
「リーブラちゃん、一緒に寝よ~」
ただ頭を悩ませていると言っても、予定されている未来にそってただその未来を通過するために無駄な思考を排除し続けるという事に慣れているリーブラは、シルミーのその申し出を断る様な事はなかった。
若干存在する薄い感情では迷惑だと思っていたのだが、それが表に出る事は決してない。
リーブラがシルミーとこの村で出会う事は、実は元々予定されていた。
そのシルミーに抱き枕とされて寝る事になるのも、未来予測で知っていた。
ただ、鬱陶しいという気持ちは変わらない。
暑苦しくて眠り難いと感じる気持ちも変わらない。
寝ている間にたまに猫の尻尾が顔に当たって目が覚めてしまう事を知っていても、位置関係を変えて欲しいと言う事もしない。
そして知っていた。
僅かにのみ知る事の出来る未来に、リーブラはそれを知っていた。
シルミーに抱き枕とされるのは、今日だけではないという事を。
明日も、抱き枕とされるという事を。
但し……その時、隣にいるのはシルミーだけではなかった事もうっすらとだか知る事が出来た。
それがいったい誰なのかは、例え考えた所でも分からない。
しかし何故か確信はあった。
未来をぶち壊したあの男が、もうすぐ帰ってくる。
契約により互いの命を繋げている事で男がまだ生きているという事をリーブラは当然知っていた。
そしてその男と感覚も共有しているため、いったい何をどれだけしているのかも知っていた。
但し、その感覚があまりにも膨大で過剰でほとんど常にという状況だったので、男が消息を断ってからずっとリーブラはそれに耐え続けている。
感情を、思考を、脳と身体中の感覚を出来る限り遮断していなければ、とてもではないが耐えられる様なものではなかった。
まるで時間を圧縮したかの様な情報量。
ある意味、《星の聖者》となった事であらゆる感情感覚思考を切り離す事が出来る様になっていたからこそ、リーブラはそれにずっと耐える事が出来ていた。
それがようやく……恐らく、明日終わる。
その時がとても待ち遠しい。
リーブラは今までその様な感情を抱いた事はなかったのだが、思考する事を拒否しているにも関わらず、リーブラはその感情をうっすらと抱いているという自覚を持っていた。
「すー……すー……」
だからという訳でもないが、シルミーの抱き枕にされるというこの状況をリーブラはそこまで煩わしいとは思わないし感じない。
ちょっと強めに抱き付かれ、強引に胸の谷間に頭部を埋め込まれ、とても暖かい温もりに包まれていたとしても。
そんな感覚は些細なものだと言わんばかりの、命と感覚の共有契約を結んだ者から今もずっと送られてくる圧倒的な刺激の渦には、まるでどうでも良い事だった。
そのあまりの情報量のせいで――快楽を越えた苦痛、苦痛を越えた無感という領域の刺激にさらされながら、リーブラは最後まで残していた意識との接続を強制的に切る。
自ら望んで強制的に意識を失わなければ、寝る事の敵わないその二日目の夜。
目覚めた時に、この疲れ果てた身体が更に疲労を蓄えて襲ってくる事を理解しながら、リーブラの意識は闇の中へと埋没していった。
2014.02.15校正




