第8話 蹂躙
心地の良い軽い倦怠感に少し微睡む。
瞳に映していた空には闇が見えた。
夜の帳が落ちてからだいぶ時間が経っていると考えていい。
むしろ朝の方が近いかもしれない。
周囲一帯が木々で埋め尽くされているので空の端は当然のことながら見えない。
そこだけぽっかりと空いた葉の隙間から見える空は薄い雲で覆われていた。
星の姿もそこにはない。
仰向けの姿勢で俺は倒れていた。
何をしていたのかよく思い出せない。
欲望の赴くままに行動していたという事実だけが記憶の中にあった。
周囲を見渡す。
あの少女の姿はない。
滑らかな肌、艶めかしい肢体、可愛らしい唇、小さな双丘、可憐な蕾。
つい今し方までその瞳の中に焼き付けていた光景が、どこにも見あたらない。
何故いないのか。
考えるより先に、肌の上を直接滑っていった風に、身体が身震いする。
見ると、俺はその裸身を惜しげもなく世界にさらしていた。
周囲をもう一度見渡す。
少しばかり血が滲んでいる薄汚れた布切れだけを俺は発見する。
それ以外の衣服らしきものは、見える視界の中にはどこにもない様だった。
右腕を伸ばし、その布切れをたぐり寄せる。
欲望が命じるままに、その臭いを嗅ぐ。
少女特有の甘い香りと、少し酸味のある匂いとが混じり合った様な独特の芳香。
己の身を襲っているこの倦怠感が、その香りを嗅いでいっそうに深くなった。
瞳が更に少し微睡む。
このまま眠ってしまいたい気持ちにかられたが、より強い欲望によってそれははね除けられてしまう。
起き上がり、布切れを身体に巻く。
ふと、胸の辺りを確認してみると、そこには傷らしきものは何も見あたらなかった。
ただ胸の辺りから流れ落ちていった様な乾いた血の跡だけが今も生々しく残っている。
光量がまるで足りないため、その跡は黒色にしか見えない。
頬にもべっとりと付着している筈なので、さぞ俺はスプラッタな姿をしている事だろう。
くくくっ。
あの少女も俺のこの姿を見て、心の奥底から震え上がってくれたのだろうか?
「今、この瞳に映る世界は、思っていたよりも残酷なのだろう」
口から勝手に零れ落ちてきた言葉に思いを馳せながら、まるで不死者の如く、のろのろと歩みを始める。
身体はまだ思う様には動いてくれない。
念のため、自身のステータスを確認してみるが、HPは零にはなっていなかった。
だが代わりに、現在の職業と思わしき部分の???が《強姦魔:Lv1》に変わっている。
職業一覧の中には《盗人:Lv1》も追加されていた。
どうやらこの布切れは盗んだ事になっているらしい。
他に変わった点が何かないかとステータスを切り替えてみると、???で埋め尽くされていた才能が全て空欄になっている。
不死賢者の呪いの影響だろうか?
そういえば、呪いを受けた後には確認していなかった事を思い出す。
まぁ、どうでも良い事だ。
この俺の心を支配する欲望の嵐に比べれば。
どの様な道が俺には用意されているのだろう。
この世界に今生きている俺は、どの様な道を進む事になるのだろう。
運命によって定められた道を、ただ進むだけなのか。
不死賢者によって作られた道を進む事しか出来ないのか。
闇の中をただ進む。
今の俺には、それ以外には道がなかった。
「それもまた一興」
呟いた言葉は空しく闇に消えていく。
森の中へと消えていく。
夜の闇に閉ざされた森の中へと静かに消えていく。
そして伝えられる。
夜の闇の中にいた存在へと。
「うん? 誰だ?」
そこにいたのは、ローブで全身を隠している小柄な人らしき者だった。
静かに佇んでいる者が、一人。
言葉が、ない。
小柄な体格、俺よりもかなり低い背丈だと思う。
暗くて良く見えないのと、少し距離が空いているので本当に小さいかどうかは確信が持てない。
ただ、とても子供っぽく見えた。
断定出来ないのは、見た目が理由だろう。
彼、もしくは彼女は全身をローブですっぽりと包み込んでいた。
俯いているので、その顔も見えない。
彼女であってくれると嬉しい。
これは単なる願望。
だが老婆であっては欲しくない。
こちらは場合によっては生命の危機にまで発展してしまう。
森の中で老婆に出会うというのは、昔話や御伽話で例えると不吉の前触れにも等しい定番。
そういう存在が、俺の目の前で佇んでいた。
老婆ではないが、もっと不吉な者と出会ってしまったが故の警戒心。
出会ったのは、歩き始めてから暫くした頃。
遭遇した、と言ってもいい。
敵ならば逃げる。
戦闘術を身に付けていない俺に戦えというのは酷な話だ。
だからといって鈍った身体を酷使して逃亡を試みても逃げられるという保証はない。
それでなくとも、ステータスを見る限り瀕死に近い状態にあるのはハッキリしていた。
「言葉が……通じないのか?」
「……」
やはり返答はない。
目に見える風景と一体化しているかの様に、出会ってからずっと身動きしないフード下の存在。
だんだんと俺も苛立ちを覚え始めている。
いや、不安と緊張と恐怖か――とにかくろくでもない感情。
平静を失えば思考能力も判断力も格段に落ちてしまう。
それは当然の事ながら、あまり好ましくはない。
一息を入れて、俺は心を落ち着けた。
身体が若干に脱力する。
刹那――。
後ろから風が吹いた。
「っ……!」
風と称するには、あまりにも激しい空気の流れが俺の背中に強くぶつかった。
まるで巨大な空気のハンマーで叩かれた様な衝撃に、俺の思考が一瞬にして苦痛の色で支配される。
油断した。
そういえば、そういう状況だった事を思い起こす。
だが後の祭り。
既に俺の身体は衝撃に打たれ空を飛んでいた。
鳥になった気分……な訳がない。
突然の突風に吹き飛ばされた身体が急激な加速Gを受けて悲鳴をあげていた。
だがそれも一瞬の事。
すぐに潰れるような強烈な加速Gは収まり、そして俺の瞳が眼前まで迫っていた少女の双眸に射抜かれた。
「なっ……」
驚愕。
そして一瞬にして俺は状況を察する。
回避は間に合わない。
彼女との衝突は確定事項。
ならば俺が取れる選択肢は恐らく一つだけ。
不可抗力だが致し方あるまい。
いや、役得だな……くくくっ。
緊急事態にも関わらず、欲望の悪鬼が顔を覗かせる。
咄嗟に俺は両手を彼女の身体に絡めて抱き付いた。
そのまま正面からの衝突による衝撃を、彼女の身体ごと自分の身体を回転させる事で力のベクトルをずらしつつ吸収し、彼女への直打だけは何とか避ける。
幸いな事に彼女の方も俺の動きに合わせて動いてくれていた。
そう感じた矢先に、回転する視界が地面の到来を知らせる。
間一髪、受け身が間に合った。
もし受け身に失敗すれば、密着している彼女にもそれなりにダメージが及んでいただろう。
成功し、双方ともに無事であった事に、百万の感謝を。
ローブで全身を隠していたのは小柄な少女だった。
少女だとすぐに分かったのは、その幼さの残る顔立ちからではない。
少女の身を捕らえて放さない俺の腕から伝えられてくる情報からだ。
その少女の瞳には、驚きの色は微塵もない。
まるで初めからそこにいることを知っていたかの様な、不思議な色の瞳だった。
そんな事はどうでもいい。
一度あった事ならば、二度目もあるという事か。
心が狂喜乱舞する。
もしや不死賢者のささやかな贈り物なのだろうか?
俺はどれぐらいの間、歩いていたのだろうか。
何時間も歩いていた様に思える。
それでも景色は一向に変わる事はなかった。
誰もいない。近くには何もない。
だから、何をしたところで誰にも分からない。
だから、したいことをしても問題ない。
積み重なる疲労による理性の喪失、ではない。
この思考は《欲望解放》の呪いによって引き起こされているものだと己に言い聞かせる。
俺は簡単に欲望の淵へと心身を落とした。
可愛い少女が一人、ここにいる。
背徳を渇望する心と、純粋に欲する肉体を満たすだけの存在が目の前にいる。
それを妨げるものはなにもない。
故に――故に――故に――。
俺は少女へと襲いかかった。
狂喜乱舞する様に、襲いかかった。
少女はそれに抵抗する素振りは全く見せなかった。
喜怒哀楽の如何なる表情すら、少女の顔からは感じ取る事が出来なかった。
平静を装いゆっくりと腕を動かし、少女の頬に触れる。
頬から髪へと滑り、そのままローブの中へと手を入れ首へと回す。
優しく抱きつく様に、それでいて一切の欲望をあくまで隠しながら、少女の顔をじっくりと見る。
歓喜する身体が反応を示す。
反対の手で少女の腕を取り、その柔らかい肢体の堪能する。
滑るような手触りと、人の温もり。
肩を通り越して背中へと向かい、ゆっくりと下げていく。
胸は避けて腰に進み、抱擁する様に少女の身へともう一度抱きついた。
まるで親が子供を優しく抱くように。
だが、そこからは違った。
動きを封じた所で、ゆっくりと少女の唇へと自らの唇を近づけていく。
「契約を……」
一瞬、少女が何かを呟いた様だったが、俺は気にしなかった。
紳士であるかの様に振る舞いながら、行為の始まりを示す儀式を執り行う。
否。
それは後に取っておく事にしよう。
顔はただ近づけるだけにとどめ、少女の瞳を真っ直ぐに見つけ続ける。
少女の瞳は閉じられていた。
まるで、その先に起こるだろう口吻を耐えるためかの如くに。
まるで己の一切を見ず知らずの俺へと委ねている様だった。
敢えて唇を重ねずに、俺は暫くそのまま焦らし続ける。
唇以外を、責め続けた。
そして、一通り満足した所で――ようやく唇と唇の距離が徐々に零へと近づけていく。
歓喜する肉体がまた暴走するのを必死に押さえながら、俺は取っておいた至高の一時を貪るべく、柔らかそうな少女の唇へと近づいていく。
その距離はもう指の幅もない。
近づく俺の吐息から察したのだろう、今度こそ口吻という行為が行われる事に身構えたのか、少女の息吹は感じられなかった。
より、歓喜する。
肉体と同時に、その心のあり方に俺は喜ぶ。
もうこの少女に全ての欲望を捧げても良い、という気分だった。
その絶頂の幸福のまま、少女と俺は接吻した。
刹那、俺達は光に包まれた。
突然の事に何事かと瞳を開けると、視界の端で、大地に描かれた五芒星の方陣らしき紋様が光輝いているのを確認する。
一瞬驚いた。
が、俺はその接吻を止める事はしなかった。
否
いや、止める事が出来なかった。
唇は少女のそれと重なり合ったまま離す事が出来ない。
何か強いもので俺の唇は少女の唇に引き寄せられている様だった。
ならばと思い、舌を突き入れて少女の中を蹂躙する。
少女の身が強ばったのが、少女の小さな肢体を捕らえている俺の両腕が感じ取る。
舌を動かす毎に少女の身体から僅かばかりずつ力が抜けていくのが分かる。
俺の攻撃に対して防備を可能とする少女の舌からは、拒んでいるという印象は全く感じられなかった。
ただ、なされるがまま。
なすがままに俺は貪り続ける。
これが何かの契約の儀式だろう事はすぐに分かった。
知識の中にそういう情報があった。
恐らくは既にもう手遅れだろう。
生贄として使用されたのか、それとも精力でも奪い取られているのか。
兎にも角にも、もはや俺になす術はない。
少女の身を傷付けてでもその場から『逃げる』という選択肢は選ぶ事が出来なかった。
目の前にある二人目の美少女を、本能ともいえる欲望を《欲望解放》の呪いで解き放たれている俺には抗う事は出来ない。
頬に、冷たい何かが当たる。
無表情から一度も変わる事のなかった少女の閉じられている瞳から流れ落ちてきた滴。
くくくくくくっ。
ふははははははははははっ。
あーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!
よりいっそうに歓喜した心によって、再び思考が吹き飛ばされる。
人格すら崩壊仕掛けている程の狂喜の渦が吹き荒れる。
少女が流した一筋の涙が、俺の全てを塗り替えた。
もう欠片しかない理性が生み出した『逃げる』等という愚かなる選択肢など、俺の心には微塵もない。
この者を、どこまでも蹂躙し尽くす。
例えこの契約によって俺が少女の所有物へとされたとしても、まだ今は関係ない。
隷属の儀など、後で幾らでも覆えせばいい。
運命は変える事が出来ない?
だからどうした。
変えてみせよう。
望むと望まぬと、少女は俺に蹂躙されるというこの運命を受け入れた。
それをする必要があったのか、それとも強要されての事か。
それは俺の意思とは関係ない。
俺の意志とも関係ない。
少女の意志など関係ない。
初めから決まっていた事であろうと、俺はただこの瞬間の、この蹂躙という道を突き進む。
少女が選んだ道ごと蹂躙する。
さぁ、再び食事を始めるとしよう。
そして気が付いた時、それは終わっていた。
長い接吻が終わり、長い時間が流れ、辺りは静けさに満ちている。
俺が何をなしたのか。
少女が何をなしたのか。
茫洋とした意識の中で、確認を開始する。
認識をする。
「……リーブラ」
目の前にいた少女が、その何事かを呟いたと同時に掻き消えた。
事態の急変に脳が追いついてこない。
あれほど光輝いていた大地が、今はもう闇だけを映し出していた。
五芒星の方陣?の紋様は描かれていない。
土の地面をざらざらと手探りで探してもみるが、その名残はどこにも見つける事が出来なかった。
記憶が、よく思い出せない。
朧気にだが何をしていたのかだけは分かる。
だがハッキリとしない。
身体を確認する。
知っている記憶と、その結果の事実だけがそこにはあった。
血塗られた身体と、肉欲に飢えた狂喜の名残。
頭を振って立ち上がる。
何があって、何をして、何を起こしたのか。
何か明確な情報が欲しかった。
例え知っている情報だったとしても、もう一度確認しておきたかった。
■ハーモニー 男 人
■《星の聖者》の従者:Lv1
■HP:13/13
■MP:3/3
■欲望解放 痛覚麻痺 死の宣告 死後蘇生(不死者化)
■欲望半減 欲望減衰 理性増幅 痛覚10倍 感覚鋭敏化 生命共有化(隷属)
いやいやいやいや。
なんだこれは?
■職業一覧:強姦魔Lv2 盗賊Lv1 色魔Lv1 《星の聖者》の従者Lv1 奴隷Lv1
――俺は何から突っ込めば良いのだろうか。
誰か教えてくれ。
2013.04.13校正
2014.02.13校正