第69話 命の力
少しばかり残虐で残酷な描写がありますので御注意下さい。
恐る恐る牢屋に向かうと、そこにはあまりにも醜悪な光景が広がっていた。
醜悪といっても、多数の子鬼によって長時間汚され続けたそのまま……という意味での醜悪ではない。
お腹を引き千切って生まれ落ちた血みどろの子供と、その壮絶な痛みと絶望感で瞳を見開いたまま息を引き取った麗人というあまりにもシュールな光景だった。
「……イリア。剣を取ってこい」
「はい」
「殺してしまうんですか?」
「用心のためだ。殺すかどうかはもう少しこの状況をよく確認してからだ。ウィチアはお湯と清潔な布を大量に用意してくれ」
「分かりました。でも、清潔な布はたぶんありません」
「熱湯に浸してくれるだけでいい」
「ターチェユさんにお願いするという手もありますけど?」
「……いや、だめだな。この状況下で枷を外すのは危険すぎる。それにもしかしたら赤子のフォーチュラが病魔に犯されてしまう危険性もある。ターチェユに助力を乞うのはもう少し落ち着いてからだ」
支配している立場なのに乞うと言うのは、やはり俺は根っからは悪人にはなりきれないのだろう。
剣もただの用心でしかない。
あの母親殺しの忌み子を殺すという発想がすぐには思い浮かんでこなかった事からしても、俺は記憶を失う前は平和ボケした世界でのほほんと暮らしていたのだろう。
まぁ、そんな事はいい。
今は目の前に広がっている想定外の光景を何とかするのが先決だ。
生前は――ゴブリンに捕まる前の事だが――それなりに美人だったのだろう女性の胸の膨らみへとしゃぶりついている赤ん坊。
いや、赤ん坊というには少し大きすぎるか。
その絶命した母親とは異なる肌の色をした子供は、全身を赤く染めたまま必死に母親の胸からミルクを吸い出そうと懸命に頑張っていた。
しかしミルクはまるで出ず。
イリアかウィチアが戻ってくるまでは流石にどうしていいか分からなかった俺の目の前で、その子供はまるで周囲の様子など気にした様子なく、ただ己のお腹を満たすだめだけに心血を注ぎ続ける。
それは本能からくる行為なのだろうか。
何度か母親の胸をパシパシと叩いたり揉んだりしてミルクを出そうと試みるが、しかし変わらずその頂からは一滴のミルクも出る事はなかった。
その事が子供を更なる狂気へと走らせる。
子供は、母親の胸の先端へと既に生えていた歯を立て、そして噛み切り引き千切った。
だけでなく、口の中でその肉を咀嚼し、最後には胃袋へと嚥下してしまう。
初めての摂食が、母親の人肉。
にも関わらず、子供はその肉の味に満足し、キャハハと笑っていた。
その子供の両足の間には、男性を象徴する突起は存在していない。
それがまた複雑な気分へと俺を苛む。
殺すべきか。
それとも生かしておくか。
生かす場合は無理にでも兇行を止めさせ、人道的な見地で以てその忌まわしき子供を育て正道へと導いていく事となる。
果たしてそれが可能なのか。
人と魔者の間に産まれた子供は、俺の思い描く正しき道、その生き方を出来るのか。
イリアとウィチアはまだ帰ってこない。
湯を沸かす時間が必要なウィチアは兎も角として、イリアが返って来るのがやたらと遅いのは気のせいだろうか?
その合間にも子供はもう片方の乳房へと噛み付き、ミルクではなく人肉を栄養として摂取し続ける。
母親は既に絶命しているので、胸を失おうとも何ら反応しない。
俺も反応出来ない。
子供はその二口でお腹の虫を駆逐できて満足したのか、仰向けに倒れている母親の胸の上でそのまま微睡みの向こう側へと落ちていった。
そして力の抜けた子供の身体は母親の身体をずり落ちて、まだ暖かいお腹の内臓プールの中へと埋まってしまう。
まるで母親の体内で眠っていた時と同様の、丸まった姿勢で。
内臓プールの揺りかごの中で、悪魔の様な血まみれの子供は天使の様な笑みを浮かべて静かな寝息をたてはじめた。
「ハーモニー様」
っと。
そんな残酷な光景に言葉を失っていた俺の背後に、ようやくイリアが帰ってきた。
ゆっくりと振り返り、いつもと変わらぬイリアの姿を瞳に入れる。
見慣れた少女の一風変わった服装。
ルリアルヴァの少女達がこの迷宮に捕らわれる前まで着ていたのだろう瑠璃色を基調とした清楚なイメージのする洋服に何故かエプロンを掛けた格好に、ひとまず俺の精神が落ち着きを取り戻す。
しかし。
その手には頼んだはずの剣の姿がない。
だけでなく、代わりになる様な武器すらもイリアは持っていなかった。
「剣はどうした?」
「それが……ピクシー達が全て迷宮内へと持ち去ってしまった模様でして。武器の類は一つも見つかりませんでした」
「あいつら……」
普通の悪戯なら可愛いものだとして笑って済ませる事が出来るが、度が過ぎた悪戯は時と場合によっては無視出来ないレベルの被害を生み出す。
今回はまだあの忌み子が眠ってしまったので剣が必要なくなったので許してやれるが、迷宮内であの武器類を悪質な悪戯に利用しているならば、おしおきしなければならない。
ピクシー発生地点の撤去もそのお仕置きの候補として考慮しておくとしようか。
「とりあえず、子供は眠った。ウィチアがお湯と布を持ってきたらまずは母親から引き剥がす」
「はい、分かりました。それと、部屋の隅で気絶している残りの方達への対処はどうしましょうか? 殺しますか?」
そのイリアの質問で、初めて俺は部屋の隅に残り二名の女性達がいた事に気づく。
幸いにして、彼女達のお腹は膨れていなかった。
「部屋を移そう。ここでは流石に彼女達の精神がもたない」
「分かりました。使用するのは虫部屋ですか?」
「虫部屋言うな」
あそこは一応、緑の庭園をイメージして土壌と草花を入れている。
まぁ、それと一緒に何種類もの虫も入ってしまい、元気に増殖してしまっている訳だが。
小汚い迷宮の中よりは幾分かましだろう。
「この際、仕方ないか。梅の間に運んでてくれ」
「了解しました」
彼女達は牢屋に入れる前から既にゴブリン達によって身包みを全て剥がされている。
よって、今彼女達が申し訳程度に身に付けているのは、この迷宮内に侵入した侵入者達から奪い取ったものばかり。
つまり、ピクシー達はあくまで武器を持ち出しただけで、服などに関しては持ち出していないという事か。
いや、それは早計だな。
後でちゃんとイリアに確認させるとしよう。
盛大にやつれた女性二人がこの竹の間ならぬ竹コースの牢屋からいなくなったのと入れ替えに、ウィチアがまだ湯気の上る湯桶と布を数枚手にして帰ってきた。
早速受け取り、布を湯につけて熱湯消毒させる。
というか、熱い!
そんな悪戦苦闘をしながら布をしっかりと絞り、死体のお腹の中から子供をゆっくりと取り出し身体を拭いていく。
血色に染まった布は後で焼却処分するとして、ようやく身体が綺麗になった子供を湯浴み室へと連れ込み、ぬるま湯でもう一度全身を綺麗に洗う。
綺麗になった後の子供の肌は、やはりというか少し緑色を帯びていた。
「それで、この子供はどうするんですか?」
「さて、どうするかな……」
ちょっと強めに布で身体を拭いてもぬるま湯の中に浸けても目を覚まさなかったその子供を前に、俺はついでに自身の汚れも落とすために湯に浸かっていた。
返り血だけでなく、流石に慣れない事をして全身に汗をかいていたので気持ち悪い。
ウィチアはその俺の傍らで子供を胸に抱いて座っている。
気のせいか、子供はさっきよりも大きくなっている様な気がした。
いや、気のせいだな。
そんなに成長が早い訳がない。
「無駄飯ぐらいのピクシー達にでも育てさせてみるか?」
妖精が子供をさらって育てるという御伽話というか伝説があった事を不意に思い出す。
いったい何の知識なのか分からないが、その話によれば突然に神隠しにあった子供が、数年後にまた突然に帰ってくるという。
その時には子供は記憶を失った状態で帰ってくるため、きっとそれは妖精の悪戯なのだと噂されていた。
もともとこの子供は生まれたばかりで記憶がないのだから、成長して帰ってきた時に記憶がなくても別に構わないだろう。
むしろ手間が省けて大助かりだ。
記憶がないので性格がねじ曲がるという心配もない。
「キュイちゃん達はこちら側に入って来れませんよ? 逆にこの子供はあちら側に行くと死んでしまいますが……」
――ああ、そうだった。
その問題があったか。
うっかりしていた。
残念。
「そうなると……ターチェユに育てさせるしかないか。流石に他の面々では色々と問題がありそうだしな」
「そうですね。私達もサポートしますが、一番子育て慣れしていそうなターチェユさんに任せるのが一番でしょうね」
「それが良いかと思います。彼女も、いつまでも優遇されると思ったら間違いです」
いつの間にか戻っていたイリアがそう言って、俺の浸かっている湯船に手を入れてバシャバシャと血を洗い流し始める。
その血はきっと、あの亡くなった母親を埋葬した際についた血なのだろう。
イリアが身に着ているエプロンにも若干血が付いていた。
……なるほど、最初からそれを想定して、剣を取りに行った際にエプロンを身につけて帰ってきたのか。
というか、この湯で手を洗うなコラ。
俺の身体が血生臭くなってしまうだろうに。
「それに、もう二方のお腹にも子供がいるみたいですし、いっそ同じ部屋にしてはいかがでしょう?」
なに……。
その可能性が十分にあるという事は想定していたが、既に確定事項なのか。
まぁ、それも仕方のないこと。
排卵日は当然人によって異なるからな。
あの亡くなった女性は、最悪のタイミングでゴブリン達に捕まったという事なのだろう。
「既に精神は壊れているみたいですので、私としては全員処分してしまった方が賢明かと思いますが」
「――賢明であろうと、今生きている命を俺は奪う事だけはしない。その案は当然却下だ」
「後悔する事になりますよ?」
「それでも、だ。どんな後悔でも、手を下した後の後悔よりはマシだ」
「やはり私にはその考えは理解しかねます」
「理解しなくていい。これは俺のエゴだからな」
そして翌日。
様子を見に向かった先で、俺は冷たくなった女性二人の遺体を発見する。
そのお腹は大きく膨れ、今にも生まれ落ちてしまいそうな程の圧迫感を見せていた。
「どういう事だ……」
「ゴブリンの子供ですからね。元々彼女達は衰弱していましたので、お腹の子供によって急激に栄養を奪われてしまい、眠っている間に息を引き取ったのでしょう」
「たった一日でか?」
「ゴブリンの子供ですので。ただ、普通はちゃんと栄養をたっぷりと与えて母親を死なせてしまわないようにしている筈なのですが」
その栄養が、どういう手段で与えられるのかは敢えて聞かない。
きっと三方向から絶えず、なのだろう。
「お腹の中の子供は恐らくまだ生きています。きっとその内、自力でまた出てくるのではないでしょうか?」
今ならばまだ既に死んでいたという言い訳を持ち出してお腹の子供も殺してしまう事が出来ますよ、というような視線がイリアから向けられてきた。
生きていると口に出している時点で、俺の取る選択肢は十分予想出来るだろうに。
仕方なく、昨日に引き続き俺は亡くなった女性のお腹から子供を取り出した。
しかしお腹の膨らみは二人とも同じぐらいだったので、だいたい同じ大きさの子供が現れるだろうと思っていたのだが。
いざ取り出してみると、片方は双子だった。
そして三人全員が全て女の子。
この隔離空間は、何かそういう類の力でも働いているのだろうか、ともつい勘ぐってしまった。
流石にターチェユに授乳までさせるのは忍びないので、消化しやすそうな食べ物を細かく切って湯で泥状にした離乳食を用意して、その子供達に食事させる。
嫌がって口にしてくれなかった。
その後も色々と肉以外の食べ物を用意してみたが、まるで受け付けず。
仕方なく、迷宮内で獲れたウォーラビットの生肉を恐る恐る目の前にだすと、彼女達はようやく暴れて泣き叫ぶのをやめて、嬉しそうにその生肉を食べ始めた。
俺の驚きはまだ終わらない。
生態系の違いを理解させられた後、重い足取りでターチェユの部屋に入ると、そこにはたった一晩で二回りも大きくなった子供が二足歩行で歩いていた。
成長が早すぎる。
ゴブリンという種は、本当に化け物か。
「パーパ。パーパ」
子供が俺へと走り寄り、そんな言葉を発しながら抱っこしてくれとせがみ始める。
いつか俺にもそういう時期がくるかもしれないとは思っていたが、その時期は決して今ではないという事は確かだろう。
「――ブラックス様。フォーチュラのために子供を用意してくれるのは有り難いのですが、流石にゴブリンとの間に子供を設けるというのはどうなのでしょうか?」
「俺の子供ではない。拾い子だ」
「あら……そうなのですか」
その子供――母親と同じ綺麗な髪の色をした幼女フォーチュラを抱き上げながら、俺は部屋の隅でこちらをじっと見ている子供を見る。
フォーチュラ自身の成長もかなり早かったが、その成長速度とは比べるに値しない程の成長力。
その瞳はまるでモンスターの瞳の様に不気味に輝き、明らかに俺の事を警戒していた。
「怯えているみたいですね」
「餌付けすればすぐに懐きますよ。ハーモニー様、こちらを」
そう言ってイリアが俺に手渡したのは、先程産まれたばかりの子供3人に与えた食事の残り。
生臭い香りが僅かに残る、ウォーラビットの肉片。
それを受け取った瞬間。
「ヤーなの! その臭いヤー!」
フォーチュラがその臭いを嫌い、腕の中で暴れ始めた。
別に望んで抱き上げていた訳ではないので、フォーチュラの望み通りに下へと降ろして身軽になる。
――っと。
屈んだ瞬間、目線近くの高さまで降りてきたウォーラビットの肉に、こちらを警戒していた子供が急に走り寄り、かぶりついた。
俺の指ごと。
「ぐっ……コラ、俺の指まで噛むな!」
「うがうが」
言葉にならない言葉をあげた子供が、俺の指から離れた肉片をムシャクシャと数度だけ噛み、よく噛まない内に胃袋の中へと落とす。
しかしそれだけでは足りなかったのか、子供はその後期待に満ちた目で俺を見上げてきた。
子供は何かを物欲しそうに俺を見ている。
「ターチェユ。昨日はあれからこいつに何か食べさせたのか?」
「それが……その子は今この部屋にある食べ物は何もお気に召さないみたいでして。何も食べていません」
「……やはりそうか。完全に肉食系か」
「食料の確保に行ってきますね。ハーモニー様、こちらの子供をお願いします」
「頼む、イリア」
「私も何かお手伝いが出来ると良いのですが……」
「こいつらの子育てだけで十分だ。追加で三人、お願いできるか?」
「はい、勿論です」
また……人口密度が上がったな。
しかも今度は問題児確定の子供が四人もか。
だんだんと迷宮造りからかけ離れていっているような気がするのは気のせいだろうか。
もっとも、その根本的な原因を作っているのはいつも俺な訳だが。
この子供達の未来以上に、俺の未来が不安でならない――。
2014.02.15校正




