第60話 狩り
迷宮1階層、後半部。
そこは迷宮らしく迷路の造りをしている。
前半部は絶対に通らなければならない道に多重の罠を嫌らしく仕掛けたり、やたら分岐させた道に一方通行路を混ぜて精神的な面で追い込んでいくタイプの迷宮にしていた。
中央付近は四方八方から多くの不死者が襲ってくるという体力勝負。
それに比べると、後半部の巨大迷路はしっかりマッピングを行えば、時間さえ掛ければ突破するのは難しくない。
勿論、迷路の途中には所々『落とし穴・小』『矢』『トラバサミ・弱』『落下天井・軽/遅』の罠を仕掛け、また行き止まりには『薬草・粗悪』『銅鉱・微結晶』『鉄鉱・粗悪』『壊れた腕輪』『くたびれた楠』等の宝パーツを設置している。
必ず通らなければならない魔者の巣も何カ所かある。
ただ、この迷宮1階層後半部まで来る事の出来る実力者であれば、その迷路はやはりそれほど苦労するとは思えなかった。
事実、これまでこの後半部までやってきた者達は、迷う事はあってもこの場所で力尽きた者は一人としていない。
故に、4つの組に分かれて進み始めた彼等の1組――仮にAチームとしておく――が、難なくその迷路を突破しても別に驚く事はなかった。
「最短記録を更新されたか」
「地図を持っている様には見えませんでした。いつもの侵入者達とは異なる模様です。ご注意下さい」
「分かっている」
とはいえ、リアルタイムで迷宮の中を弄って侵入者達に嫌がらせをするつもりはない。
俺はただ見ているだけだ。
なので、俺はいったい何に注意すればいいのだろうか?
湯上がりでほてった身体のイリアを注意深く眺めてみる。
イリアの細い腕と狭い肩と小さな頭の上には、同じく湯上がりらしい妖精達がだらしない姿で寛いでいた。
長湯してのぼせでもしたのか、その顔は少し赤く染まっている。
……ふむ。
今なら簡単に握りつぶせそうだ。
そう思った瞬間。
一斉にその妖精達の瞳が全て俺の方へと向いた。
「……今思い出したのですが、ピクシーは近くにいる者の心を少しだけ読む事が出来るそうです。ハーモニー様、何か良からぬ事でもお考えになりませんでしたでしょうか? 例えば、ピクシー達によくじょ……」
「それは絶対にない」
「そうですか。ですが、ピクシー達がハーモニー様の心を読んで何か危険を感じたのは確かな様です。ハーモニー様がいったい何を思われたのかは知りませんが、ピクシー達の近くではくれぐれも軽率な思いは浮かべぬ様にお願い致します」
「……もし、俺がこの妖精達と敵対関係になったら、イリアはどっちにつく?」
「心情的には100%ピクシー達につきます。ですが、私はハーモニー様に逆らう事は出来ませんので、その点はご安心下さい」
それは遠回しに俺の事は嫌いと言っている様なものではないのだろうか?
「――イリア。前の暮らしと今の暮らし、どっちが好きだ?」
「間違いなく今です」
「それは妖精達がいるからか?」
「それも勿論ありますが、ここでは自由に振る舞えますので。無理に笑顔を作る必要もなく、意味もなく祈りを捧げる必要もありませんし、何より時間に縛られません。無償労働しなければならないのは今も変わりませんが、その量は多くありませんし好きな時に行う事が出来ます。それだけではなく、更に今は可愛いピクシー達と触れ合う事も出来、今度はお風呂に入る事も出来る様になりました。私にとってここは天国です。前の暮らしにはもう絶対に戻りたくありません」
「そうか……それは良かったな」
「はい。ハーモニー様には本当に感謝しています。私にこの運命を導いて頂き、本当に有り難うございます」
そう言うイリアだったが、しかしその顔には変わらず感情の色は見えなかった。
しかしその言葉が全て本心から言っているものならば、教会で最初に見たイリアは、全て作られた笑顔と言葉遣いと態度だったという事になる。
落ち着いた雰囲気で柔らかい笑みを浮かべお辞儀した姿。
突然に口調を崩してちょっと艶っぽくなった姿。
給仕としての義務を果たそうと、慣れない事を必死に頑張ろうとする姿。
あれが全て猫を被った姿だったとは到底思えなかった。
しかし逆にその被っていたものを全て脱ぎ去ったからこそ、あの教会の暮らしではまったく成長する事が出来なかったイリアの感情と身体は、互いに上手く噛み合っていないのかも知れない。
「イリア、ちょっと笑ってみてくれないか?」
「はい。こうでしょうか?」
そこには、教会で見たイリアの柔らかい笑顔があった。
「お望みとあれば、いつでもこの笑顔を浮かべる事は出来ますが、いかが致しましょう?」
「イリアの好きにしてくれていい」
「分かりました」
イリアの顔から笑顔が消え、そしてまたあの感情の色が見えない顔が現れる。
俺を喜ばすためにあの柔らかな笑顔を浮かべてくれる、という様な淡い期待は見事に叶えられなかった。
俺に逆らえないというのならば命令すればずっとあの笑顔は見れる訳なのだが、そこにイリア自身の感情はまるでないという事を知ってしまった今となっては、それを命令する気はまるで起こらなかった。
「捕らえられ絶対に逃れる事の出来ない檻に入れられるというのは、必ずしも悪い事ばかりではないんだな」
「それはハーモニー様の方がよくご存じなのではないのですか?」
……まぁ、確かに。
ここでは色々と好きに出来るからな。
肯定の苦笑だけをイリアに返して、この話は終わりにする。
迷宮の方では、4組の中で最後に移動をし始めた組――仮にDチームとしておく――が、行き止まりに隠していた『隠し扉』を通り、迷宮前半部へと戻っていた。
その道は『一方通行路』になっているためもう戻れない。
よって、Dチームはほとんど最初からやり直す事となった。
残り二組も別の道で行き止まりにぶつかり、一度4組に分かれた分裂地点まで引き返したのだが、その後Dチームが進んだ道を時間差で進んだ。
しかし彼等は『隠し扉』に気が付かなかったのか、それともその道を通る事を選ばなかったのか、引き返していった。
途中の別れ道で入れ違いになった彼等は、再び元の分裂地点へと戻り、一方がAチームの進んだ正解の道を選び――こちらをBチームとする――もう一方がBチームが最初に通った道へと進んでいく。
「どこかで合流する予定は立てていないのでしょうか?」
「目的を優先させた可能性が高いな。いったい何を目的としているのかは分からないが」
「世間に出回っているこの迷宮の地図を持たないままでですか?」
「大方、タイムアタックでもしているんじゃないか? 相当に腕が立つ奴等ばかりに見えるしな」
画面を切り替えて、2階層へと進んだAチームの様子を見てみる。
意外にもまだ2階層の最初の付近を彷徨いていた。
というよりも、更に奥に進むならば必ず通る事になる場所で止まっていた。
しかもその場所は安全地帯。
「いや、タイムアタックにしては妙だな。一応、合流する予定はあるようだ。となると、入口付近へと戻ってしまったDチームが問題か。先行して立ち止まったAチームは兎も角として、残りの2チームはDチームと合流しようとしたが見当たらず、少し焦っている可能性もあるな。運悪く行き違いになったとしても、その後に選んだ道が違うのは少し妙だ」
部隊を4つに分けたのであれば、必ず各部隊が進んだ道に目印をするだろう。
4チーム全てが目印を付けているとは限らないが、少なくとも本隊は目印を付けなければ部隊の収集が付かなくなる。
BチームとCチームは分裂地点に戻ると迷わずDチームの選んだ道を進んだ。
しかしその道にDチームがいなかったと知り、分裂地点に戻った際には少し迷っていた。
そしてまた別の道へと進む。
ここでおかしいのが、BチームとCチームが別々の道を選んだ事だ。
もし目印を付けているならば、両チームとも同じ道を進まなければおかしい。
合流出来る筈のチームと合流出来なかったのだから、普通ならば分裂地点で暫く待機するか、目印を付けてその道へと進んだ事を報せ様とする筈だ。
しかし、そうならなかった。
「もしかしたら、洞窟探査に関しては素人の集まりなのかもしれないな」
「と言いますと?」
「地図を持たない、途中まで集団行動だったのに何故か分かれた、そして合流の目処が意外にたっていない。個々の戦闘能力は高い様だが、慎重には見えない。むしろ何か切羽詰まっている様にも見える。これは、何か裏があるかもな……」
「気のせいでしょう」
何故だかバッサリ切られた。
「これまでハーモニー様がそういう事を言って何かあった試しがありません。だから気のせいです」
「……」
――さて。
この後はいったいどうなる事やら。
初めて迷宮を攻略されるのか。
それとも、やはり何か裏があっての事なのか。
たまには後者であって欲しいな……。
音もなく崩れ落ちた身体を支え、男はゆっくりと周囲を確認する。
そこには同じ様に音もなく獲物達を仕留めた仲間の姿があった。
その中の一人、右目を眼帯で覆った小柄な青年が、指で幾つかのサインを出す。
口元を黒い布で覆った強面の男性がそのサインを見てゆっくりと頷く。
同じく目元を仮面で隠した長身の男性が頷いたのを確認して、眼帯の青年は音もなく洞窟の中へと消えていった。
残された二人は、今し方仕留めたばかりの異種族の男性5人を地面へと横たえ、そのまま暫くじっと待ち続ける。
少しして、森の中からチカチカと小さな灯りが瞬いた。
それを見た黒布の男性がすぐに短く法術を詠唱し、同じ様にチカチカと小さな光を発して森へと合図を返す。
そしてまた少しの時間が経った頃。
森の中から数人の男性が手に首輪と手枷と足枷を持って現れた。
「相変わらず凄ぇ手際だな」
「無駄口はいい。さっさと連れて行け」
開口一番、口を開いてきた男に、仮面の男が上から見下ろしながら言う。
その威圧的な態度に男は少し恐怖する。
が、すぐに自身に課せられた仕事の事を思い出して、他の仲間達に一瞬遅れて地面に横たわっている異種族の男性に首輪と手枷と足枷を慎重に填めていく。
一番油断しやすく反撃を受けやすいその瞬間を、二人は全員が見える位置でじっと警戒し続けていた。
全ての枷が填められると、今度は男達は縄を袋から取り出して丁寧に縛っていく。
暴れられないように芋虫状態へとした後は口に布を当て、その布に染み込ませている薬品を暫く吸わせる。
布はそのまま口枷にし、更に追加で用意した布で目元も隠す。
そして最後に、縄や布を入れていた大きな袋を被せて、男達はその捕らえた獲物を担いで森の中へと消えていった。
その全てを見届けた後、仮面の男が指でサインを出す。
サインを見た黒布の男性は再び短く法術を詠唱し、小さな光をチカチカと発する。
今度は洞窟の中へと向けて。
洞窟の中から光の合図が返ってくる。
それを見た黒布の男性が単身で洞窟の中へと入っていく。
仮面の男はその場に残り、周囲を警戒し続けた。
また暫くして――。
洞窟の中から光の合図が発せられたのを確認した仮面の男は、一度周囲を見回して何も異常がない事を確認した後、ようやく洞窟の中へと入っていった。
仮面の男は洞窟の中に入ると迷う事なくやや右よりの位置を選んで進む。
その歩みに足音は一切ない。
にも関わらず、仮面の男は周囲をほとんど警戒する事なく普通に進んでいく。
そして進んだ先のT字路の分岐点では、黒布の男性が待ち受けていた。
そこに眼帯の青年の姿はない。
黒布の男性は、仮面の男が隣に来ると同時に短く法術を詠唱し、また光を発する。
するとまた、洞窟の奥から小さな光が返ってくる。
黒布の男性がまた単身で奥へと進んでいく。
それを仮面の男は止めない。
少しして、遠くから何かが羽ばたいている音と、肉が斬られる音と、その何かが小さく悲鳴をあげる声と、そして地面や壁にぶつかる音が聞こえていた。
しかしやはり仮面の男はじっとその場に立ち尽くしたまま、周囲を警戒し続ける。
洞窟の奥から光が発せられる。
仮面の男が奥へと進み、その道中で上から襲ってきた敵を軽く屠り、また奥へと向かう。
分岐路で黒布の男性と合流。
黒布の男性が再び光を洞窟の奥へと発し、奥から光が返ってくる。
黒布の男性が奥へと向かい、仮面の男はその場で周囲を警戒し続ける。
それが何度も繰り返された後。
光が明滅する間隔が変わる。
それを見て、仮面の男が緊張を一気に高める。
洞窟の奥へと進むと、黒布の男性は懐の短剣を抜き放ち、最大限に周囲を警戒していた。
近くまで行くと、黒布の男性は仮面の男のいる後ろには振り返らないまま、指で幾つかのサインを出す。
そのサインを見て、仮面の男は腰から細剣をゆっくりと抜き放つ。
刹那。
黒布の男性が最大限の警戒をして見続けていた通路の奥から、無数の矢が飛んできた。
と思った瞬間には、黒布の男性は短剣を振り抜き、眉間に突き刺さる予定だった矢の一本を斬り弾く。
同様に、仮面の男も手に持った細剣を振るい、急所の胸へと突き刺さる予定だった矢を斬り弾いて自身の身を守る。
それは一方的な攻撃だった。
洞窟の奥から次々と飛んでくる矢は必ず1本だけが急所を狙い、その他の数本は回避行動を封じる様な位置へと飛来する。
但し一本だけは常に同じ軌道を通る。
二人はその脅威をただ黙々と防ぎ続けた。
矢を斬り弾いた後に訪れる一瞬の間に横へと移動しても、その移動した位置に向けて矢は向かってくる。
そこは逃げ道のない一本道で、矢を防げる様な場所もない。
後ろの分岐点までには距離があり、前へと進むには飛来する矢の間隔が早すぎる。
高速で飛んでくる矢はとても重かった。
しかし金属の様に斬り弾いた時に硬質の音は鳴らない。
斬った矢も地面や壁に突き刺さった矢も、例外を除いて少しするとすぐに消えた。
つまり、その矢は法術で作られたものであり、数の限界はほぼ存在しないという事になる。
二人は根気の勝負になる事を覚悟した。
しかもかなり分の悪い勝負。
一度でも本命の矢を防ぎ損じると死に至る。
二人は死も覚悟した。
だが、その一方的な矢の猛襲は少しして終わる事になる。
二人はどう動くべきか迷い、そのまま少しその場で警戒しながら待機し続けた。
一瞬の見逃しが死に繋がってしまう中、二人は瞬きをする事も忘れて集中し続ける。
短くも長い時間だった。
洞窟の奥から小さな光がチカチカと発せられたのは、瞼が少し重く感じ始めた頃。
二人はその光を見ると、大きく息を吐いて全身の力をほんの少しの間だけ抜く。
一時的にではあるが、脅威は去った。
それをしたのが誰であるのかを二人は光によって理解している。
故に、黒布の男性は短く法術を唱え、その人物に向けて答えを返す。
自分達は無事である事を。
そして、合流する事を伝える。
暫くして、了承の意を示す光の明滅が洞窟の奥から返ってきた。
そして三人は合流する。
待ち受けていた眼帯の青年は、5分岐路の端で一方のみを警戒しながら、やはり二人には目を向けず指でサインを幾つか作る。
その眼帯の青年の足下には、首を斬られて血を流す絶命した異種族の女性の死体。
ほとんど灯りがないので一瞬見ただけでは普通は性別など判断出来る訳がないのだが、その者は仰向けに倒れた状態で胸に大きな膨らみがあったため、二人はすぐにそれが女性である事を理解する。
そして落胆した。
三人は、獲物が一人でも捕らえられればすぐに踵を返して入口まで戻る予定だった。
入口さえ確保しておけば、狩りはいつでも出来る。
時間が経てば経つほど狩られる側は不利になっていく。
確認した限り、食料はほとんど持っていない。
洞窟内の水質は悪く、食事の代わりとなる動物の類も今の所確認されていない。
例外として食べられるとすれば、粗悪な薬草ぐらいだろうか。
しかしそれで何日も保つ訳がない。
予想に反してまだこんな所を獲物が彷徨いていたのは驚いたが、獲物の数が少なかった事から部隊を分けた事も理解した。
弓の練度から、迷宮に仕掛けられている罠の餌食になるとも思えない。
狩りはまだ始まったばかり。
三人は、その獲物達へとまずは標的を絞り、焦らず慎重に追い詰めていくのだった。
2014.02.15校正




