第57話 滅亡へと向かう者達
今日は一日、風呂作りにせいを出す。
というか頭を悩まし続けた。
浴槽を作る事は難しくない……と思っていたのだが、いざ石や岩を迷宮内から持ってくるようにイリアに頼むと、嫌だ、という解答が返ってきた。
浴槽を作るだけの量を運ぶという重労働もそうだが、決して綺麗でも清潔でもない迷宮内の設置物を生活空間に持ち込む事にも非常に抵抗がある様だ。
試しに一個だけ小さな石を持ってきてもらったが、なるほど確かにと納得する様な代物。
お湯で洗ってみると、まるで石そのものが溶ける様に湯が汚物色に染まってしまった。
そんな洞窟の中を彼等は進んでいるのか……。
「回収する際には前室で念入りに綺麗に拭いてから持ち込んでいます」
「たまに身包みを剥いでから牢屋に入れていたのはそれが理由か」
「それはまた別です」
ピクシー達が俺の部屋にいる理由も、もしかしたら洞窟内が汚いからなのかもしれない。
早急に改善しなければ。
勿論、風呂を作った後で。
浴槽を作る上で越えるべき壁はまだあった。
イリアに採取して貰った石は、形が悪くしかも穴だらけだった。
一応『石・丸』というだけあって丸い形はしていたが、疑問系がつくレベル。
これを積み上げても隙間が多くてとてもではないが湯を溜めておくことなど出来そうにない。
かといって岩の採取をお願いしたら、持ち上げられませんとの事。
また一歩、風呂の夢から遠ざかる。
積み上げ式がだめなら、牢屋の床を掘って作ればいいではないか。
というダメ元の考えは、予想通りの結果で玉砕する。
堅すぎて掘れない。
折れた剣でも侵入者達から巻き上げた剣や槍でもまるで刃がたたなかった。
壁も右に同じ。
空箱を設置し回収してみるも、鍵が掛かっていて開けられない。
それ以前に、例えピッキングで開ける事が出来ても大きな空箱はそもそも重すぎて回収出来ない。
尚、空箱の大きさは完全ランダムだった。
イリアが持ってきたのは手乗りサイズだったので、とりあえず小物入れにでも使うとしよう。
一緒に回収してきて貰った錆びた銅貨を入れようとして、まだ鍵を開けてなかった事に気付く。
再びピッキングで小一時間。
ちょっと現実逃避気味に悪戦苦闘。
それはそれとして、いよいよ案がなくなってきた。
迷宮回収品での浴槽作りはイリアが嫌がって挫折。
ただの石では無理でも銅鉱などの鉱石類や火成岩等であればいけるかと思った所で、運搬係が首を縦に振らなければ話にならない。
だけでなく、形を整えるために膨大な研磨作業が必要だったり、隙間を埋めるための接着剤等が欲しかったりと問題はまだ山積み。
掘る事も出来ず、浴槽の代わりもなし。
その夢は、そのまま夢に終わった。
夢の続きは次のレベルアップ後に見る事としよう。
悪い事は重なるものである。
迷宮の侵入者達も、予想していた2階層への進行はなく早々に引き上げてしまった。
これからという時だったのに、何とも不甲斐ない。
最初から無茶をしすぎて予想外に被害を出しすぎたからか。
それとも目に見える成果が全く何もなかったからなのか。
どちらにしても、例の3人組も含めて彼等は迷宮から出て行った。
そして次の日には外に待機していた者達も含めて綺麗さっぱりにいなくなる。
また迷宮に、平穏な日々が訪れる……。
「キュイ」
……しかし俺に平穏は訪れなかった。
悪戯好きのピクシー達ですっかり荒らされたその部屋から逃げる様に、俺は細剣使いの赤髪ポニーのいる牢屋に入り浸った。
諦めきれない浴槽の作成方法と、ピクシー達を追い出すための花畑計画、そして洞窟内の美化に頭を悩ませつつ、適当に細剣使いの赤髪ポニーと会話をして二人の時間を過ごす。
好い加減出て行けと言われたので、試しに拘束を緩めて少し自由度をあげてやると、細剣使いの赤髪ポニーは少し大人しくなった。
もう少しぐらいなら別にいてもいい、とまで言ってくる始末。
もう少しどころか次の日まで居続けると、怒りを通り越したのか流石にもう何も言わなくなった。
朝帰りするとベッドは昨日と同じくピクシー達によって占拠され、やはり俺の入る隙間はどこにもなかった。
所有権を訴えて力尽くでどかそうとすると一斉に暴れ出して俺を攻撃してくる。
小さな身体をしているとはいえ、昨日から一匹増えて16匹になった妖精達が悪戯心も全開で襲い掛かってくると手に負えるものではない。
結局、今日もそのベッドで寝る事は不可能な様だ。
仕方ない、今夜は荷物持ちの金髪ショートの部屋に世話になる事としよう
「御前達は随分と好かれているんだな。昨日も一緒に寝たのか?」
「はい。心を通じ合わせる事が出来れば、きっとハーモニーさんも彼女達と一緒に寝る事が出来る様になりますよ。ね、キュピちゃん」
「キュピ」
「潰しそうで怖くてグッスリ眠れそうにない」
「ハーモニー様は意外にお優しいのですね」
意外は余計だ、イリア。
それに、俺は別にピクシー達の身を案じている訳ではない。
ぶつかったり潰したりするたびに攻撃や悪戯をされて安眠出来そうにないだけだ。
元々俺は寝付きが悪いので、そんな状況ではほとんど一睡も出来ないだろう。
やはりここは当初の計画通り、花畑を早く作成してピクシー達をここから追い出す事に尽力を注ぐべきなのか。
折角また浴槽を作る事が出来るかもしれない小さな可能性を見つけたというのに。
その検証は後回しにするとしよう。
すっかり飼い猫ならぬ飼い妖精になった裸で飛び回る彼女達に囲まれる中、迷宮画面の前に腰を下ろす。
その俺の頭の上にキュイがパタパタと羽根を羽ばたかせながら飛んできて腰を下ろす。
さてどの様に迷宮を改造するか再び頭を悩ませつつ、手を顎に当てる。
すると頭の上でキュイが俺と同じ様に手を顎を当てて考える振りを始める。
足を組んでみる。
キュイが足を組んで同じ体勢になる。
腕と足を前に伸ばして身体を解す。
一瞬遅れてキュイが手と足を伸ばして俺の物真似する。
そのキュイの様子を、イリアが後でこっそり俺に耳打ちして教えてくれた。
だから何だというのか。
私がその大変な事態に気が付いた時には既に手遅れでした。
「フォーチュラがあの連中に浚われたのは確かなんだな?」
「……はい。結界の外にあるあの湖で水浴びをしていた時に、突然に彼等が現れ私を取り囲み、その際に連れて行かれました。もっと周囲を警戒しておくべきでした。申し訳ありません、長」
「まったくだ。近くにある村が最近不穏な状況にあると注意しておいたではないか。結界の外に行くのに供も連れず、しかも子を一人にしておいて自身は水浴びとは。その罰はたっぷりとその身で人間共より十分に受けた様だが、それで許されるとは思わない事だ。村からの追放は免れないと思え、ターチェユ」
「覚悟は出来ております。ですがあの子だけは……」
「分かっている。あれに罪はない」
その言葉を聞いて、私はほんの少しだけほっとしました。
私は既に汚れた身。
その私が村にはもういられないという事は、この身を薄汚い人間共によって辱められた時から既に覚悟していました。
しかし、私の愛する娘のフォーチュラまでもが村から追放されてしまうのだけは避けなければなりません。
不甲斐ない母である私を例え恨む事となっても、フォーチュラには村で静かに幸せに暮らして欲しい。
その事だけを胸に、私は外界に出て必死にフォーチュラの行方を追いました。
「それにあれは我等の宝だ。人間共にくれてやる訳にはいかない」
「当然です。ですが長、ターチェユの情報は確かなのですか?」
「そこは信じるより他あるまい。ターチェユがその身を犠牲にしてまで手に入れてきた情報なのだ。それに森の精霊達も確かに見たと言っている」
あれほど仲の良かった仲間達が皆、私の事を酷く蔑んで見ていましたが、それも仕方のない事なのでしょう。
私はそれだけの事をしてまで、浚われたフォーチュラの行方を捜したのですから。
しかし、それだけに情報は確かでした。
湖で襲われた際に、一瞬の隙をついてその人間達を殺した後、私はすぐにフォーチュラの後を追いました。
襲われてからそれなりに時間が経ってはいましたが、構わず私はフォーチュラが連れて行かれた方向へと必死に走り続けました。
そしてその先で見たものは……。
「森の加護を持った我等と種を同じくする子が、その集団に入り込んだと」
それは、数多くの小汚い人間達が、武器を持った体格の良い男達によって無理矢理歩かされているという光景でした。
その小汚い人間達は種々様々な種族が入り乱れ、首輪と手枷と足枷を付けられた状態で、しかも決して健康には見えない苦しそうな表情。
すぐに私は彼等が奴隷であるという結論に至りました。
「それはターチェユの事ではないのですか?」
「既にその時ターチェユは森の加護を失っていた。故に間違いあるまい」
そのきつい言葉が私に向けられると同時に、より一層にきつくなった仲間達の視線が私に突き刺さる。
恐らく、彼等にとって私はもう仲間ではないのでしょう。
私の夫であった者も等しく嫌悪の瞳をその顔に浮かべていました。
それを知ってまた私の心が軋む。
私が彼を愛する気持ちは微塵も失ってはいないというのに、彼が私を愛する気持ちは間違いなくもうどこにも存在しないのでしょう。
それがとても悲しかった。
「して、その人間共の集団は今どこに?」
その情報を得るためではなく、私は娘のフォーチュラを探すためにこの身をまた犠牲にしました。
彼等は夜になる前に目的地へと到着したのか、突然に本格的なキャンプを張って逗留準備を始めたからです。
夜の帳が落ちた後、近くにある小さな人里に住んでいる娘を装ってその集団へと私は近づき、娘の情報を集めました。
しかしその成果は残念ながらなく、無為に時間を費やしてしまっただけに終わります。
夜が明けると、彼等は連れていた多くの奴隷を伴って、その逗留地のすぐ側にあった洞窟へと入っていきました。
それを知って私はチャンスだと思い、娘を助けだすために恥を忍んでこうして仲間に助力を乞い願いました。
「……だが、どうやら一足遅かった様だな」
「そんな!?」
少数となった人間達の集団を、三十人を越える精鋭部隊で急襲し一気に壊滅。
その後でゆっくりとフォーチュラを探し助け出すという作戦は、しかしたった二日という時間でその場から引き上げてしまった人間達の意外な動きに水泡と帰してしまいました。
「追えそうか?」
「昼過ぎにはこの場所をたった模様です。しかも人数が減ったためか馬を駆けさせた痕跡もあります。追いつくには夜を徹して移動してどうにかといった所でしょう」
「ここまでも急ぎだったのに、更に夜を徹しての移動は厳しいな。最悪、返り討ちにあう可能性が高い」
私が娘を置いて水浴びに夢中になってしまったために。
この地域に住む人間達の様子がおかしいと長より聞いていながら、あの湖は幼き頃から何度も通い、今まで一度も誰とも出会わなかったから大丈夫だと思い込んでしまったために。
結界の外でしか摘み取れない在庫の少なかった薬草を、私しか知らない秘密の場所へ単独で摘みに行ったために。
すべてはもう手遅れ。
私のしでかした罪は、とても大変な事態へと発展してしまいました。
「では、フォーチュラを諦めるのですか?」
「それは絶対にない。フォーチュラを失うという事は、我等の未来も同時に失う事に等しい。我等は何としてでもフォーチュラを取り戻す必要がある。例え我等のほとんどが人間共に殺されようとも」
「全滅覚悟でですか!? 長、何故そこまでフォーチュラに拘るのです? 村の守りに誰も残さなかった事についても私は不思議でなりません。いったいフォーチュラに何があるというのですか?」
それはまだ、私と長しか知らない事でした。
私の夫も知りません。
それを皆に話すべきかどうかは、既に村から追放される事が確定している私にはその権利がありません。
いえ、例え追放されなくとも元々私にはその権利はないでしょう。
唯一その判断を下す事の出来る一族の長が、私の事をまたきつい目で睨んできます。
この様な大変な事態へと長と仲間達を追いやってしまった私は、甘んじてその責めを受け続けました。
そんな事をしたところでこの事態が好転する訳ではありませんが、今は少なくとも仲間内で争っている場合ではありません。
一刻も早く、確実に娘のフォーチュラを助け出す必要があります。
一族を追放される私は兎も角として、彼等にはその必要性がありました。
「今は答えられない。済まない。そして、もう一度だけ森の秘術を使う」
「非常に貴重な精霊玉を再び使うおつもりなのですか!?」
一度使用するだけでも驚きなのに連続して使うという長のその言葉には、その場にいる誰もが耳を疑いました。
勿論、理由を知る私以外です。
「それに森の秘術を使用するには代償が必要です! 今度は誰がその代償を担うというのですか!?」
「勿論、私だ。残りの寿命を全て捧げる事になるだろう。だが問題ない。もともと1度目の秘術を使用した際に一族の長を辞任する予定だった。略式ではあるが既に次なる長に座を譲ってある。私亡き後は村に帰れば自動的に大樹カーランより継承のお告げがある事だろう」
「……」
絶句するしかありませんでした。
森の秘術の使用には代償があるという事は私も知っていましたが、その代償が寿命だという事までは私は知りませんでした。
私だけが罰を受けるものと思っていたのに、それ以上の代償を長が負う様な事になろうとは。
出来れば罪深き私自身がその代償の全てを肩代わりしたかったのですが、森の加護を失ってしまった私にはもはやその代わりになる事は決して出来ません。
これが一族の長になるという責任の重み。
その事を私は一生後悔しながら、これから生きていく事になるのでしょう。
長が精霊玉を呼び出し森の秘術を使う。
仲間が何かを言う前に、止める間もなく森の秘術を行使する。
眩しい光が長の身を包み込み、そして一瞬後、そこには一変して青白い顔をした長の姿がありました。
崩れ落ちそうになったその長を支えようと手を伸ばしましたが、その手は仲間の手によって弾かれてしまい、私はその反動で倒れてしまいます。
その私を助け起こしてくれる者は、当然の事ながらいませんでした。
そして後になって気が付きます。
私を突き飛ばしたのは夫だった事を。
「精霊の声を聞いた。フォーチュラはあそこの洞窟の中だ」
仲間に支えられたままの体勢で、長がその方向を指し示します。
そこには、確かに洞窟と呼べる大きな穴が空いていました。
「人間共があの洞窟で何をしていたのかは分からないが、安心してくれ。フォーチュラはまだ生きている。森の加護も失っていない」
それを聞いた夫が、長の身を抱きながら仲間達に指示を出します。
本来その役目を担っているのは別の方なのですが、どうも夫は私という汚点を払拭するためと、この機会に小さな野心を抱いてしまった様でした。
その事に仲間達も当然気付いていましたが、長を真っ先に支えたのは彼でしたので、今は大人しく彼の指示を聞いていました。
出された指示自体も悪くありませんでしたので。
「ターチェユ、御前には先頭に立って進んでもらうぞ。良いな?」
「はい」
そして私に命令します。
最も危険な役割を。
フォーチュラが浚われて初めて夫が私に告げた言葉は、事故を装って死ね、という意味の籠もった視線と共に私の耳へと届けられました。
しかし私は死ぬ訳には生きません。
フォーチュラの身の安全を確認するまでは私は死ぬ事は出来ません。
ですので、夫のその冷たい視線に私は頷かず、瞼を閉じる事で見なかった事に致しました。
素知らぬ顔で洞窟へと目を向け、フォーチュラの事を思います。
怖い思いをしていなければ良いのですが……。
「長はこのまま私と共に皆の帰りを待ちましょう」
「……いや、私も行く。この短い命、例えあの洞窟の中で尽きる事になろうとも、その全てはフォーチュラのために使いたい」
薄汚れた野心までが見え隠れし始める夫の言葉に長は頷かず、身体に鞭を打ってまで立ち上がります。
その長の最後の願いと強い意思を聞いて、流石に他の仲間達も明らかな野心が見え隠れしていた夫に長の身は任せず、側近の女性二人がその身を左右から支えました。
夫がまた何かを言おうとしましたが、本来その役を担うべき方が夫に指示を出して遠ざけます。
夫は渋々その命令に従い、その場を離れていきました。
「チェーシア、ティナシィカ。そしてターチェユ」
「はい」
「……どうやら私は選択を間違えた様だ。もし機会があったら……頼む」
私は、そのお願いには言葉を返すことは出来ませんでした。
しかし……。
ゆっくりと頷いていた自分を発見して、もう本当に私と夫の間には愛が残っていないのだという事を酷く痛感致しました。
いつか愛する娘に託す予定だった家宝の短剣を握りしめ、私はもうそれすらも叶わない願いだという事に気が付きます。
ならばいっそ……この短剣で……。
「では、出発する」
決意を胸に、私はその洞窟の中へと足を踏み入れました。
2014.02.15校正




