第51話 禁断のリザレクション
活かさず殺さずの半殺し。
無数の拳撃で壁に縫い付けられるという悪夢の状況。
「というのを想定していたんだが、意外と優しいな。一発だけで良いのか?」
「貴方、私の事をなんだと思ってるのよ」
「乱暴者」
「殴るわよ!」
そう言って蹴ってくる少女。
いや、もう幼女と言った方がいいか。
遠目だとはっきりしなかったが、こうしてすぐ目の前で立っているのを見るとそう表現した方がしっくりくる。
同時に捕縛した今は亡き少女ユーの方も十分に背が小さかったが、流石にクーほどではなかった。
ただ精神年齢はクーの方が上そうだが。
しかし、殴らずに蹴るというのは確かに言葉通りではあるが、少し納得できないものがあるな。
そう思ってるそばからまた蹴ってくる。
大して痛くない手加減された攻撃ではあったが、執拗にクーは俺の事を蹴ってきた。
何というか、手持ちぶたさ的な暇つぶしの様に。
「ところで、この拘束はいつになったら解いてくれるんだ?」
仰向けになって床に寝そべったまま、俺はクーを見上げる。
背中と床との間に挟まれている拘束された腕が少し痛い。
クーは俺を蹴るために長すぎるズボンをいつの間にか脱いでいたが、長い上衣の御陰で袖が異常に長いワンピースを着ている様な姿となっていた。
そのワンピースのスカートの中身が、クーが俺を蹴り蹴りするたびにちらちら見え隠れする。
羞恥の境界がよく分からない。
それともまったく気がついていないのか?
「は? 何言ってるの? 解く訳ないじゃない」
「それは困ったな。この体勢は色々と不便で立ち上がるのも一苦労だというのに」
「なんでそんなに余裕かな……私が子供だからってなめてる?」
さて、どうだろう?
《欲望解放》《欲望半減》《欲望減衰》という複雑な欲望環境下において《理性増幅》の呪いを利用した自称賢者思考を心がけてはいるが、別に余裕がある訳ではない。
むしろチラチラと魅惑してくる幼女の花園に、少し複雑な気分にされているぐらいだろう。
守備範囲外だ。
……そう思っておかないと一気に《欲望解放》が心の大勢を占めそうで怖い。
この世界には恐らく年齢制限という法律はないと思われるし、そんな法律が例えあったとしてもこの隔離世界には間違いなく適用されない。
此処は不死賢者レビスの創り出した謎の空間世界。
時間の概念すらも曲げられてる異常世界。
故に此処は不死賢者の法で支配されている。
まぁ、そのルール内であれば俺の法で支配されている空間と言っても過言ではないが。
「子供なのか?」
「見て分かるでしょ!?」
いや、分かる訳がない。
容姿が若いままで固定されるエルフという種もいる。
背丈が人とは異なる小人種族の平均身長も分からないのだから、この世界の常識に疎い俺がクーを一見するだけで子供だと決めつけられる訳がない。
まぁ、見た目も精神年齢も幼女もしくは少女そのものな訳だが。
心なしか蹴りの威力があがった。
踏みつけ攻撃まで混じってくる。
「あまり人を足蹴にするな。そんなに俺の身体は蹴りやすいか?」
「蹴りやすいというか、何だか落ち着くわね。どうしてかしらねー?」
「複雑で大変な幼少期を過ごしてきたみたいだな。可哀想に」
「……それは否定できないけど、その事とこの事は一切関係ないように思えるんだけど」
「純真無垢な幼女が俺の事を蹴って心が落ち着くなどという事は決してない」
「貴方、さっきから私に喧嘩を売ってる?」
「そんな自覚はない。それよりもクーは俺の事を名前では呼んでくれないんだな。折角、自己紹介しあったというのに」
「自己紹介したって……ブラックスという偽名の方で呼んで欲しいの? ゼイオンさん」
「さんは別にいらない。それと、そっちも偽名だ。今はハーモニーと名乗っている」
「殴るわよ!」
言葉通りまだ殴らずに、代わりに思い切り顔を踏みつけられた。
この床は綺麗だった事と、クーがちゃんと足を拭き布で綺麗にしていてくれたので思ったよりも精神的なダメージは少ない。
……ここで歓喜したなどという怖い感情が生まれていなくて少しほっとする。
俺はノーマルだ、間違いない。
「名乗ってるって事は、そのハーモニーという名前も偽名なのね」
「記憶喪失だと言っただろう? 本名すら俺は覚えていなかった。今となってはもはやどうでもいい事だが」
「私にとってもどうでもいい事ね。ハーモニーとの縁を私は深めるつもりはさらさらないから」
「それは残念だ」
クーと話していて少し心が落ち着いてきているのが分かる。
これまであまりからかい甲斐のある相手に俺は恵まれていなかった。
ローは真面目すぎるし、シルミーはあれでどこか達観している様な所がある。
リーブラは無口で反応自体がない。
ウィチアは気楽に話すには美人すぎるし、イリアは凝り固まって堅い。
エーベルとガルゴルは明らかな年上で、もっと親密にならない限り論外だ。
たぶんクーがはっきりとした年下だという事も関係があるのだろう。
捕縛した者と捕縛された者という悲しい関係でなければ、もっと親密に慣れたというのに。
――いや、まだ俺がクーを捕縛している者だという事はばれていないのか?
「ハーモニー、貴方は私を捕らえてどうするつもりだったの?」
きっちりばれていた。
まぁ仕方ないか。
クー一人では出る事の叶わないこの牢屋に、俺は普通に入ってきているしな。
むしろゼイオンという偽名を覚えていたのにその事は覚えていないという都合の良い事がある訳がない。
「勝手に捕まってきたのはクーの方だ。俺は捕らえるつもりなどなかった」
「それは殺すつもりだったっていうこと?」
「俺の住んでいる迷宮に不法侵入してきたのはクーの方だと思うが?」
「不法侵入って……あんな危ない洞窟を作ったのは、やっぱりハーモニーなのね」
「それほど危ないものを設置した覚えはないんだがな。ちょっとした警告程度の軽い罠しか入り口付近には設置していなかった筈だ。まさかそれで気絶するとは思わなかったが」
「悪かったわね、不幸体質で」
誰もそんな事を言った覚えはないんだが。
しかしそうか。
クーは不幸体質だったのか。
その不幸が巡り巡って俺に少しばかりの幸運を巡らせてくれたと。
ま、そんなのは迷信だな。
「でも、お生憎様。私はハーモニーの思い通りにはならないわよ」
「そうか、それは残念だ。俺は普通に仲良くなれればいいと思ってただけなんだが」
「どうだか。嘘吐きが聞いて呆れるわね」
嘘か。
そういえばどこまでが嘘だったかな。
「とりあえず、ハーモニーが諸悪の根源だという事は分かったわ。だから逃げさせて貰うわね」
そう言ってクーは俺の髪を掴み、壁へと向かって引きずっていった。
その方向にはこの部屋の入口がある。
何をしようとしているのかすぐに分かった。
この空間の主である俺を使ってとの入口の扉を開けようというのだろう。
扉は俺の意思とは関係なく、問題なく開いてしまった。
「さようなら、お馬鹿さん」
別れ際の最後にもう一発。
一瞬の浮遊の後、強烈な拳が俺の顔面へとヒットし、俺はそのまま部屋の中程まで殴り飛ばされた。
拘束されたままの状態で。
後には俺一人がその部屋に残され、虚しく時間だけが過ぎていく。
という訳にはいかないか。
そもそも、此処にはこの牢屋の他には迷宮操作の出来る俺の部屋しかない。
それ以外の出入口は存在せず、例外であるウィチアとイリア以外には他の場所にはいけない空間だ。
遠からずしてクーもその事に気がつくだろう。
だからといって、このまま俺は拘束されていていい訳でもない。
探し回っても出口が見つからなければ、当然クーはこの場に戻ってきて俺の口を割ろうとする筈だ。
そうなると、これまでの暴力行為が実は可愛いものだと思えてくる様な拷問をしてくる可能性もまるで否定できない。
故に、俺は両腕を拘束していたTシャツらしき拘束具を、腕が痛みを発するのをこらえながら勘だけを頼りに外していった。
指の可動範囲だけで結び目の状況を探り、手首の動く範囲で慎重に肌をずらし、力が入れられる範囲で少しずつTシャツの一端を引き千切っていく。
強度がそれほどなかったためか、意外と簡単にTシャツは引き千切れてくれた。
増えた可動範囲内で手首と指を少しずつ動かして拘束から抜け出る。
両腕が使えるようになると、両足を縛っていたTシャツの切れ端を解くのにはほとんど時間を必要としなかった。
さて。
この部屋は内部からは外の音を聞けない仕様だったか。
なので外の状況がどうなっているかは俺には分からない。
ウィチアとイリアは無事であると良いのだが。
自動的に閉じられていた入口の扉を開けて外を覗く。
見える範囲にはクーの姿はない。
間違っても他の牢屋には入ってはいないとは思うが、念のため周囲を警戒しながら他の牢屋の中を見る。
外からだと牢屋内は透けて見えるため、一目するだけでそこにクーがいない事は分かった。
クーはこの状況を見てどう思ったのだろうか?
最初、捕らえられたばかりの時はクー達は全裸だったのだが、彼女達が眼を覚ます前に俺はイリアに命じて服だけは着せた。
だが下半身だけは下着姿だったという事で、何かしら思うところはあった筈だ。
そういう状況下で、外から見られていたという事実を知って良い感情を浮かべるとは到底思えない。
その予想を裏付けるように、まるで見せつけるかの様に幾つかの拷問具が破壊された状態で床に転がっていた。
……ああ、むしろこっちの方が嫌悪感を感じたかもしれないな。
俺が用意した物でもないし、使う気も特になかった代物なのだが。
益々クーとの間に埋める事の出来そうにない深い溝が出来上がったように感じた瞬間だった。
しかしそれも次の光景を見た時には吹き飛んだ。
「……クー?」
牢屋を抜け、俺の部屋に入ると同時に目に入ってきたクーの姿。
前のめりに倒れ、横に向いた顔から見えている赤い瞳が開け放たれたまま、まるで動く気配のない幼女がそこにはいた。
もう一度履いた裾が長いズボンに足を取られて転んだのか。
それとも手をつこうとしたら長い袖が邪魔になり、頭から床に激突してしまったのか。
「クー?」
もう一度、声を掛けてみるがクーからは何の反応も返ってこない。
近づいて肩を揺すってみるが、クーの小さな身体は俺の力にただ揺さぶられるだけだった。
クーの腕を取って温もりを確かめる。
当然の事ながら、まだ暖かかった。
ユーにそうした様に、クーの手首を押さえて脈をはかる。
ユーの腕も細いと思ったが、クーの腕は更に細かった。
強く握ればポッキリと簡単に折れてしまいそうな、か弱い幼女の腕。
滑らかな肌、白い肌。
そこに血の通っている脈動を俺は感じる事は出来なかった。
小さな身体を抱きかかえ、ゆっくりとひっくり返す。
見開いたままの赤色と青色をした瞳の鏡に俺の姿が浮かび上がる。
しかしその瞳はまったく動かない。
光を受けて収縮する事もない。
とても綺麗だった瞳は、怖いくらいにより綺麗な宝石の様に輝いていた。
「何故、死ぬ」
膝の上にのせたクーの首筋に手を当てて、また脈をはかる。
その首も手に力を込めて握れば簡単に潰れてしまいそうなほどに細く、身体は鍛えられていてもその幼女は本当に子供であると再認識させられた。
首から口へと手の位置を変える。
予想していた事ではあったが、クーの開いた口からは息をしている気配はない。
ユーよりも明らかに膨らんでいる双丘も上下する事はない。
気道を確保し、唇を重ね、息を吹き込んでもクーは息を吹き返すことはなかった。
上衣を剥ぎ取り、胸の間に手を当て、心臓を何度もマッサージしても生き返ってくる事は決してなかった。
「私も先程気がついたばかりなのですが、どうやら牢屋から出ると強制的に魂を解離させられる模様です」
呆然としていると、部屋の中でずっと待機していたと思われるイリアがそう口を開いて教えてくれた。
そのイリアの手には薄く透き通った人の手らしきものが掴まれている。
その薄く透き通った手の先を見ると、残念ながら壁の中へと続いていたためその姿を確認する事は出来なかった。
「――それが、彼女達を解放する事が出来ないといった内容の本当の理由か」
「そのようです」
最初、俺は捕らえた少女二人を解放する事が出来るかどうかをウィチアに聞いた。
その解答は、不可能だという答え。
それは当初、俺がこの空間から出る事が出来ないのと同様に、物理的に空間的に隔離されている事が理由だと俺は考えていた。
だが実際には違った。
迷宮で気を失った者は、回収された時点で死んだ者として扱われる。
それをより確実なものとするために、レビスは捕らえた者達の命をこの牢屋内だけに限定し、そこから抜け出そうとすると強制的に魂を解離させ死を与える方法を施したという事か。
俺は、どのような状況になろうともクーを殺してしまわないためには、あの牢屋からクーを逃がすべきではなかった。
今頃その事に気付くべきではなかった。
しかし……。
「イリア、その手に掴んでいるのは何だ?」
クーの魂が解離されたというのであれば、その魂はまだこの付近を彷徨っているという事になる。
もしかすると、その魂さえ何とかして身体に戻せば、クーの命は助かる可能性がある。
「一応、その方の魂が勝手にハーモニー様を襲ってしまわないように捕まえています。ご命令があれば迷宮に解き放つ事も出来ますが、いかが致しましょう?」
「よくやった」
そう褒めてもイリアは表情を変えない。
しかしそんな事は今はどうでもいい。
彼女の表情を変えたければそれ相応の行為をすればいいだけだ。
それは後でたっぷりとすればいい。
「その魂をこの身体に戻す事は出来るか?」
「はい。恐らくまだ大丈夫でしょう。ただ、この部屋では流石に……」
「牢に戻ろう」
言うが早いか、俺はクーの身体をお姫様抱っこして部屋を出る。
とても軽い。
後ろを振り返るとイリアが薄く透き通ったクーの腕を引いて俺の後をついてきた。
そのクーの表情はどこか虚ろとなっている。
まるで幽霊だ。
いや、そのまんま幽霊か……。
途中、枕代わりになりそうな尋問道具ならぬ拷問器具を幾つか手にとって一緒に運ぶ。
予想以上に軽かったクーの身体は片手で支えて俺に抱きつかせた。
その密着した肌からクーの体温が急激に失われていってるのが分かる。
急がなければ。
クーが使用していた牢屋に辿り着き、部屋の中央にクーを横たわらせる。
その際、枕用に拷問器具を頭の下に置いた。
腕はお腹の上で組ませる。
袖が長すぎる上衣と裾が長すぎるズボンは、申し訳ないが返して貰った。
まだ少女の温もりが残る服を身につけ、下着一枚だけになった少女の姿を見る。
周りに花でも飾りたいぐらいに絵になる光景だ。
その本体とは別に、何故かクーの魂は自身の身体から離れようとする素振りを見せていた。
「はじめてもよろしいでしょうか?」
「頼む」
構わず、俺はイリアに早くクーを蘇生させるようにと促す。
イリアは霊体化しているクーの手を苦もなく引っ張り、その魂を身体へと近づけていく。
クーの顔は変わらず虚ろなのにも関わらず、抵抗している事だけは見ていて分かった。
しかしイリアに抗う事が出来ず、クーの透き通った手がゆっくりと本来あった場所へと触れる。
するとまるで吸い込まれるかのようにクーの魂は身体の中へと消えていった。
瞬間。
ビクンビクンという痙攣がクーの身体に起こり、続いて大きく息が吸われる。
息を吸いながら悲鳴の様な声が口から漏れてくる。
それは息を吸い終わった後も続き、息を吐く時にも小さな声として室内に鳴り響いた。
まるで幽霊が発しているかの様な高い声が間断なく発せられ続ける。
「生き返ったのか?」
「はい。生き返りました」
「それにしては反応がおかしい気がするが……」
生き返ったクーは、死んでいた時と同様に虚ろな瞳をしていた。
上半身を起こすも、小さな悲鳴を常に発しながら頭をゆらゆら揺らす。
焦点のあってない赤と青の瞳には光は宿っておらず、そこには意志すらもまるで感じられなかった。
まるで幽霊だった時と同じ様な状態。
「既に一度、魂と肉体が離れてしまいましたので。まだ死んだばかりでしたので魂と肉体の間にあった繋がりは完全に途切れておらず、再び一つに繋ぎ合わせる事は出来ましたが、壊れて失ってしまった記憶の部分までは元には戻りません。今は魂の側に残っていた薄い意識というか思いの欠片によって辛うじて生きている様に見えますが、それも長くはもたないでしょう。暫くすれば拒絶反応が起こり始め、再び魂は解離すると思います」
「……」
元には戻らないという可能性は勿論考えていた。
都合の良い事など早々起こらない。
ましてや死者蘇生などという大それた事をしようとしていたのだから、それがうまくいくという保証は最初からないのは分かっていた。
「クー」
俺の言葉に反応することなく、クーは虚空のみを見続ける。
「耳は聞こえているとは思いますが、それがいったい何であるのかは認識出来ないでしょう。今の彼女は赤ん坊よりも幼稚な状態だと思って下さい。強いショックを与えれば多少は反応を見せるとは思いますが、あまり期待はしない方がいいと思います」
事務的に答えるイリア。
教会であった時の彼女は決してそんな風ではなかったというのに。
もっと明るく小悪魔的な少女だった様に思えるのだが、その面影はもうどこにもない。
「腕を折ってみましょうか?」
恐ろしい事をさらりと言ってくるイリア。
「余計な事はしなくていい。暫く二人だけにしてくれないか?」
「分かりました。ですが一応、もしもの時のために側には控えていますので。何かありましたらお呼び下さい。すぐに処分致します」
俺はその瞬間、ユーという獣人の少女が死んだのは、イリアが意図的に殺したからではないかと思った。
方法は簡単、俺が寝ている間にユーを牢屋から出せばいい。
死んだ後は身体は牢屋に戻し、魂は迷宮に解き放つ。
迷宮内にゴーストという魔者がいた理由がそれで説明がついた。
あれは、ユーという獣人娘の魂が魔者と化した存在。
そうは思いたくないが、俺の頭にはその考えが思い浮かび、死した後もあの少女を俺は苦しませ続けているという罪の意識までが浮かんでくる。
目の前にいるこのクーという幼女の魂も、放っておけば同じ道を歩む事になるだろう。
この肉体に留まっていられるのも長くはないという。
一度壊れてしまった魂と肉体の関係は、俺にもイリアにも恐らくウィチアにも完全には修復する事は出来ない。
数百年の時を生き、迷宮すら遊び半分で簡易に造り出す事の出来る化け物、不死なる賢者の名を冠するレビスならば、それすらも何とか出来る可能性もあったが、間違いなくレビスは拒否するだろう。
レビスにとってはクーという幼い子供はどうでもいい存在だ。
俺とてただちょっと知り合っただけの縁。
苦労してまで生き返らそうという大それた考えを持つ事はない。
イリアが出来ると言ったから、ただ生き返らせてみたというのとほとんど変わらない。
俺はどうすればいい。
再び死ぬ事が確定付けられているクーを、俺はいったいどうするというのだ。
何をしたところで結果は変わらない。
何をしたところで先は見えている。
何をしても何も変わらない。
何をしてもクーは元のクーには戻らない。
クーという女の子はもう……。
気がつくと、クーが俺の目の前に移動していた。
その赤い瞳と青い瞳で俺の姿を映し出し、それが何であるかを不思議そうに見ている。
瞳には光が灯っていた。
少なからず意識というものがそこには感じ取れた。
「クー?」
「……おなかすいた」
「!?」
意味ある言葉を突然に発した瞬間。
クーは俺の唇に飛びついてきた。
否。
噛み付いてきた。
小さな歯が俺の下唇を噛む。
痛みが走る。
突撃してきたクーの身体を受け止められず、俺はクーに押し倒される。
そのまま下唇をクーに食い千切られる。
……という予想は、喜ぶべき事に外れる事となった。
クーの噛み付き攻撃は、さほど強い力を持っていなかったのだ。
しかしそれでもクーは執拗に俺の下唇に歯を立てて傷つける。
そしてジワッと滲み出てきた血を吸い始めた。
俺の口内の唾液と一緒に。
クーの腕が俺の両肩を床に押しつける。
俺に上に乗ったクーが血の流れ出てくる俺の下唇の、口の中にある傷から流れ出る血を求めて舌を入れながら吸う。
一方的な接吻。
角度を変え、舌の動きを変え、吸い方を変え、まるで熱烈な接吻の様な強い求めに対し、俺の中の野獣が徐々に目覚めていく。
いつの間にか首の後ろへと回されたクーの腕が強く俺の身体に抱きついてくる。
その呼吸すら困難になりそうなクーの勢いに俺は逃れようとずりずりと背中を引きずりつつ後ろに下がるが、上に乗って首の後ろに手を回しているクーの身体は当然離れる事はなかった。
クーを引きはがそうと彼女の肩を掴んで押すが、ほとんどびくともしない。
噛み付くという行為にはさほどの力は発揮しなかったのに、俺の血を吸うという行為には常識外れの力を発揮している様だった。
一瞬だけ身体を引き離す事に成功しても、すぐに再び飛びついてくる。
そしてその内、俺の頭が壁にぶち当たり後ろに逃げる隙間すら俺は失った。
ただ幸いな事に、その壁に辿り着く間にたっぷりと俺の血と唾液を吸って満足したのか、クーは暫くして俺の唇を解放し――代わりに肉を求めて、俺の目の前で大きく口を開ける。
まるで死食鬼の様に。
流石に命の危険を感じて、気がつけば俺はクーの顔を殴っていた。
幼女の顔面を思い切り殴り飛ばしていた。
「む……すまない」
自分がいったい何をしたのかを理解し、咄嗟に謝ってしまう。
が、クーは何ら気にした様子なくすぐに起き上がり、獣の如く瞳を爛々と輝かせ俺の方を見る。
両足を大きく開き、両腕を前にだらんと垂らしてその先端を床につけ、まるで獣の様な姿勢で俺へと飛びかかるタイミングを見計らっているかの様に振る舞う。
そのクーの姿を見て、俺は彼女とは話し合いが通じない事を悟った。
「正気に戻れ、クー」
だとしても、諦めきれるものではない。
イリアは暫くすれば拒絶反応が始まり再び魂が解離すると言っていたが、クーの現状を見る限りは獣の様ではあるが生に満ち溢れていて、まるで死を連想する事が出来なかった。
「御前はまだ、生きている」
御前はもう死んでいる、というまるで反対の巫山戯た言葉が頭の中に浮かんだが、その事については考えない事にした。
こんな時でも無駄な知識が呼び起こされるとは。
クーが以前のままを維持した状態で生き返ってきてくれていれば、その冗談で大いにからかう事が出来ただろうが、今の状態では意味をなさない。
寂しかった。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……おなかぁぁぁぁぁ……すいたぁぁぁぁ……」
変わらず高い声で常に悲鳴をあげながら、時折に意味ある言葉を発するクー。
先程の一撃が効いたのか、クーは警戒の色を瞳に灯したまま片時も俺から視線をそらさない。
瞬きもしない。
そのうち口からよだれが垂れ流しになるだろうと思っていたのだが、幸いにしてそういう風にはならなかった。
そういえばクーに口内を蹂躙された時、彼女の唇や舌からはほとんど湿っている感触を感じていなかった事を思い出す。
ザラザラとしていて乾いていた。
もしかしてクーは本能的に水分を欲していて、一番身近にあった俺の口の中から摂取する事を選んだのだろうか?
同じく、空腹感を感じていたために俺を喰おうとした。
「イリア、水と食事をすぐに用意出来るか?」
「はい。暫くお待ち下さい」
牢屋の入口からイリアが言葉だけを届ける。
姿は見せない。
もし姿を見せればクーがイリアに襲い掛かってくる可能性があったからだろう。
……たぶん。
暫くして、ウィチアが食事を運んできた。
クーが瞬時に反応し、ウィチアに意識を移す。
その隙を見計らって俺はクーに近づき、その身体を後ろから羽交い締めにした。
「そこに置いてくれるか?」
「はい。どうやら私は邪魔になりそうですので、失礼させていただきますね。また何か用がありましたら呼んで下さい」
一瞥して状況を察したウィチアは、そう言って下がっていった。
決して背中を見せず、刺激しないようにゆっくりと後ろ歩きで退室する。
ウィチアが牢屋内から消えるのを待っている間も、取り押さえているクーは暴れ続けていた。
再びクーと二人きりになってから、俺はゆっくりと羽交い締めにしたクーを連れて床に置かれた食事へと近づいていく。
連れて行くというよりも、引っ張られていく感じではあったが。
食事の前まで来て、俺はクーの膝裏を膝で軽くついて体勢を前に崩す。
前のめりに倒れるが、クーの両手を床につかせ四つん這いにさせる。
そしてそのまま、四つん這いになったクーの身体を同じく覆い被さるように四つん這いになった状態で拘束しながら、俺はクーに食事をさせる。
まるで獣の様に口だけでガツガツと食事を行うクー。
頻繁に上下するクーの頭が時折俺の顔にダメージを与えてくるが、我慢して耐えた。
暫くして……。
「ようやく落ち着いたか」
空腹を解消する事が出来て満足したのか、クーは全身の力を抜いてだらけていた。
それまでずっと掴んでいたクーの手首を解放しても、クーは暴れようとも逃げようともしない。
ただ、動こうともしない。
ひっくり返してその瞳を覗き込んでみる。
魂だけの状態だった時と同様に、その瞳は再び虚ろな色へと変化していた。
青と赤の双眸は、俺が間近で覗き込んでもまったく反応しない。
ペチペチとその顔を叩いても反応がない。
ただ、呼吸する度に高い声で鳴く行為だけはずっと変わらなかった。
口を開けて覗いてみる。
自分が影になってよく中が見えない。
なので、唇を重ねてクーの口内に舌を入れ、そこに湿り気があるかどうかを確認した。
まだ少し乾きはある様だが、一応は水分摂取した効果はある様だ。
今度は胸を強く揉んでみる。
残念な事に、まるで反応はなかった。
「生きるために必要な最低限の摂取だけは本能的に行おうとするだけで、それ以外はまるで反応も興味もなしか」
と思っていたのだが、もう暫く胸を弄んでいると、少しずつクーの瞳の色に変化があった。
これは、もしかして性欲に芽生えているのか?
「ふむ……もしかすると、色々と刺激を与え続けていれば次第に回復していく可能性もあるか」
俺はその実験をすべく、クーにあらゆる刺激を与えていく事にした。
当然その中には色事も含まれており、また近くに転がっていた拷問器具も俺は使う。
それから数時間。
再びお腹を空かせたクーに逆に襲われるまで、その実験行為は延々と続く。
結局、期待した成果はまるで得られなかった。
死者を蘇生させる行為。
それはただ、クーの姿をした人ではない生き物が誕生しただけだった。
2014.02.14校正




