EX#03 死と、生と……
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ありがとうございます。
私はかつて、生きていた。
生きていたというのは、文字通りの意味ではない。
生物としての生死の話ではなく、意識ある者としての生を持っていた。
今は、ない。
これからも、それは決してないだろう。
私がこの世に生を受けたのは、もはや記憶に残っていない過去の事。
百年か、二百年か。
それとも、たった十年か、千を超える年月が経っているのか。
それすらも私にはもう思い出せない。
だが、かつて私はこの世界に確かに生きていた。
世界を認識した時、私は既に孤独だった。
私を産んだ筈の母の姿はなく、私と同じ姿をした仲間も存在しない。
ただただ孤独だけがあった。
私は生きるために多くの命をこの胃袋に収めていったのを覚えている。
世界には私ほど大きな生物は滅多に見掛けないために、それは意外と容易く困る事はあまりなかった。
世界を意識して初めて認識した洞穴に住処を持ち、この胃袋を満たすために他の生物を喰らう。
それは自然な事だ。
それ故に、何度も私の命を奪おうと戦いを挑んできた者達がいたが、その全ては返り討ちにしてやった。
今はもう、その彼等は私の胃袋の中に収まり、私の血となり肉となり糧となっている。
私は成長した。
それまで暮らしていた洞穴に身を入れる事が苦しくなるぐらいに。
だから世界に飛び立った。
特にそれを必要とした訳ではないが、その住処では暮らしていく事が難しかったために。
生きるために喰らう中で片手間に集めた光り物は、そこに置いていった。
それを喰らったとしても腹の足しにはならないからだ。
別に固執もしていない。
ただ興味を惹かれたので集めてみただけだ。
今頃は、幸運にもその私の元住処を訪れた者達が処分してくれている事だろう。
なに、私という存在に喰らわれる事を覚悟してまで私に戦いを挑んできた者達なのだ。
運悪く私がそこにいなかった事の謝罪としては十分だろう。
大空の旅は楽しかった。
それまで自らの胃袋を満たせれば満足であった私は、あまりあの元住処からは離れていなかった。
故に、この目に見える世界は私の予想以上に広く、そして意外と綺麗に彩っていた事を知って私は喜んだ。
何しろ、あの住処の周りにはあまり草木は生えておらず、生物もあまり住んでいなかったのだから。
もしかすると、私の親が住んでいたため、そうなってしまったのかもしれない。
兎に角、私は空の旅を楽しんだ。
時折、羽休めに高い山へと降り立ち、食事をする。
空にも私の胃袋を満たしてくれる生物は多種多様にいたのだが、私は陸に住んでいる小さな生き物達を好んで餌としていた。
特に、柔らかい身体をした若者は美味しい。
肉のない年寄りや堅い肉をした者達も勿論喰らう訳だが、そちらはまとめて胃袋に収めるだけであまり味わう事はない。
だが柔らかな身体をした若者は、前の住処ではよく生贄として備えられていたので、その味を吟味する事が多かった。
結果、私は食に対して多少なりともえり好みをする性格へと育ったといえよう。
その餌共は、総称して人と言った。
対して、その餌共は私の事を竜と呼んだ。
意識はあっても知を学んでいない私は、ほとんど理性のない野生の存在。
その言葉がいったいどの様な意味を持っているのか、その頃の私は知らなかった。
時が経ち、様々な土地を巡り、幾度となく捕食を繰り返した頃。
久しぶりに、私の前に戦いを挑んできた人の種がいた。
定住をしていない私の位置をどうやって特定をしたのかは分からないが、その人の種は明らかに私という個を狙って戦いを挑んできた様だ。
その戦いは、一瞬で決着が着いた。
私の圧勝。
意識すれば自由に私の口から出てくる光輝く息に、その人の種は何もする事なく消滅した。
その時、私は後悔したものだ。
消滅させてしまっては、食する事が出来ないではないか。
私はその日より、人の種にその息を吹きかけるのを禁じる事にした。
そういえば、と思う。
人の種を喰らいに彼等が多く集まっている場所を訪れた時、いざ食事をしようとした時にはその数が予め見えていた数よりも随分と少なくなっていた事に。
最初はうまく逃げているのだな、とも思っていたが、そうか、そういう事だったのか。
どうやら私のこの息は、人の種にとっては怖ろしい程の脅威になるらしい。
それほど多くの人の種を喰らった訳ではないのだが、私の認識に対して私が人の種の命を奪った数は相当数に上っていたのだろう。
種々様々な生物がいる中で、人の種だけが私に戦いを挑んでくる。
もともと人の種というのは数が多く、本能よりも理性を重視し、それでいてあまり制御が出来ていない生物。
支配欲が強く、他に支配される事を嫌い、時には隣人である仲の良い者すらもその手にかける。
にも関わらず、同じ種の肉を何故か喰らう事のない不思議な種族。
生きるために喰らう必要があるならば、躊躇わず喰えばいいものを。
その点に関しては,私よりも有害な種族といえよう。
私は、例え私と似た様な姿を持った者であっても、死して屍となったのであれば躊躇なく喰らうつもりでいる。
父母であってもそのつもりだ。
勿論、味が悪ければその限りではないがな。
人の種より、私が竜という存在である事を知ってから、随分と時が経った。
それが私の感覚でいう時なので、他の種でいうとどうかは分からない。
兎に角、時間が経った。
ただの気まぐれであったのだろう。
私は再び、定住地を作り、そこで暮らし始めた。
どういう訳か、そこは生物が少なく見晴らしも悪い土地。
恐らく、かつて私が住んでいた洞穴とよく似た場所を私は無意識に選んだのだろう。
私は、そこで暮らし始めた。
ただ、少し前の住処とは異なっている部分もある。
まず近くには大きな湖があり、飲み水には困らなかった。
住処とした山は非情に暖かくて寒さに震える事もない場所だ。
そして何より、近くには人の種がいない。
人の種がいない場所を選んだのは、戦いを挑んでこられても面倒だからだ。
少し羽ばたけば人の種などすぐに見つけられるので、わざわざ人の種が近くに住んでいる所を選んでも仕方がない。
柔らかい身体をした生贄を備えられる事がないという部分には少し不満もあったが、食に困っている訳でもないのでよしとしよう。
必要ならば、狩ればいいのだから。
そこで私は眠りについた。
別に理由はない。
生きていた理由もないのだから、どうでもいいことだ。
ただ気の赴くままに私は眠り、無駄に時を費やしていった。
時折に目覚めては、たまに空腹を訴えてくる胃袋を満たしてやる。
一度いっぱいにすればかなりの長期間、私は捕食行為を必要としなかったので、本当にそれは希だった。
その際には光り物も持ち帰ったのだが、何故それをしているのかは理解していない。
種としての習性だったのだろう。
今の私ならば、それが分かる。
また、時が経った。
人の種では容易に近付くことの出来ない山の中に住み、ただ眠るだけの毎日を送る。
私が何のために生まれ、何をなすのか。
そんな事はどうでも良かった。
私も私を産み出してくれた父母の様に自らの子を成しても良かったが、残念ながらこの長い時の中で私と見合う者はついに巡り会う事が出来なかった。
その落胆も、もしかしたら私が眠りついている理由の一つとなっているのかもしれない。
私が少なからず興味を持っている人の種と交わってみるか?という馬鹿げた考えがたまに出てくるぐらいには、私は私という種に興味を失っている。
いや、私という存在の価値にももはや興味を失っているのかもしれなかった。
一度だけそれらを確かめるために、人の姿にこの身を変えて人の住処に降りた事がある。
結果は、今も私が子供を成していない事から察してくれるといい。
あれはまことに詰まらない酔狂であった。
そして私はまた眠る。
繰り返し行われてきた、今。
三番目に選んだ、私の生き方。
それがいつまで続くのかは私も分からなかった。
最初の時の様にその住処よりも私の身体の方が大きくでもなってくれれば、恐らく私はその生活を捨て去るだろう。
だが、その日にはまだ遙かに遠い。
もしかすると、一生そんな時は訪れないかもしれない。
そんな覚悟もした上で、私は眠りについている。
そしてまた、ごく希にだけやってくる目覚めの時が訪れた。
瞳を、開ける。
……だが、何故か開かなかった。
身体を起こそうとする。
しかし、身体は動かない。
いったい何が起きたというのか?
分からなかった。
分からなかったので、私は再び眠りについた。
恐らくそれは夢だったのだろう。
現実に怖ろしく似ている夢。
その様な夢を見る時もたまにはある。
私は、眠りに落ちていった。
そして、私はその長きに渡る生命の活動を、終えた。
それが私という存在が生きていた時代の話。
ここからは、生きる事を許されていない、死した私の話。
気が付くと、私は死した姿をした人の種によって捕らえられていた。
抗えない力によって拘束された私の身体。
否。
私が幾ら頑張っても、死している私の身体はまったくといって動かなかった。
何故なら、既に生命の活動を終えているのだから。
それにも関わらず、私の意識はそれの存在を感じ取っていた。
異形なる者。
人である事を望んで捨てた、永遠に探求せし存在。
不死なる賢者、レビス。
その者は、私に向けてそう名乗った。
私はそれを認識する事しか出来ない。
死した身体は私の命令にはまるで反応せず、ただそこにあるだけ。
にも関わらず、その者は私という存在を認識していた。
私はその時、既に理解している。
生前はあれほど無知で野性的であった意識も、何故か今ではかなり明瞭だった。
覚醒した、といってもいい。
死した自分を間違いなく私は理解していた。
死した後で覚醒するというのは何とも馬鹿げた話ではあるが、生前は何者でもなかった私なので、それもあるかもしれないだろう。
強敵など、一度として巡り会う事の出来なかった不運な人生を送っていたのだから。
その私の意思とはまったく繋がっていない私の元身体が、ゆっくりと動き始める。
肉は腐って崩れ落ち、瞳は失われ、骨の見えている体内にはドロドロの内臓が不気味に蠢いている。
もしかしなくても、私の身体は不死者と化していた。
人の種の言葉で言うならば、俗に言う死竜だろう。
その私の身体を動かしているのが、いったい何なのか。
私の見えない意識が疑問に思った事を、不死なる賢者は応えてくれた。
これは、私が生きていた頃に喰らった者達すべてが動かしているのだと。
私は、餌とした者達の数を、当然の事ながら把握していない。
動物も、魚も、鳥も、人も、魔者ですら私は食事とした。
それら種族も異なるすべてが、私の腐敗した身体を動かしているという。
なんとも私の理解を越えている解答だった。
それから私はずっと、その何者か達によって操られている私の元身体を見続けている。
これは、決して生きているとは言えないだろう。
ただ見ているだけの存在。
死した永遠の傍観者。
ついに生前は自らの名前すら持つ事の出来なかった私という存在の、その末路。
それからまた時が幾つも経った。
私の吐く息にはもはやあの輝きはない。
触れる者すべてを消滅させてしまう私の息吹は、今ではただ強力な毒を与えるだけの霧の息吹に成り果ててしまっていた。
あれほど大きかった身体は腐敗が進むにつれてどんどんと小さくなっていく。
いっそ骨だけの存在になってしまえばまだ気持ちが楽だったのだが、私の望みに反して私の元身体は頑なに自らの身体から零れ落ちていく肉を自らの口で咀嚼し、体内へと戻していった。
それは既に肉ではなく、ただの泥。
毒性の強い肉が体内に取り込まれる度に、私の身体からは力が失われていき、骨格も僅かにずつ小さくなっていく。
にも関わらず、私の元身体は竜としての姿をまだ保ち続けており、なかなか活動を終えてくれない。
死者故に、そこに終わりはなかなか訪れない。
私の苦痛は続く。
そして、今に至る。
私は身体の中心を強力な法術によって跡形もなく消滅させられた訳なのだが、残っていた部分が無限再生を繰り返して、元の形に戻ろうとしていた。
それは私も初めて知る再生能力。
死しているというのに驚異的な回復力だった。
しかし、惜しい。
あの少年は、あれほどの力を持っているというのに、死者という存在をまだ正しく認識していない様だった。
あの様な生者相手の技が、私の身体に致命的なダメージを与えられる訳がないのに。
生前であれば、私も多少のダメージは受けただろうが、堅い鱗があの法術の威力を弾いていたことだろう。
聖術を使用したというのは正解だったが、ただそれだけで私の身体を倒せる訳がない。
例え死したとしても、私は十分な強さを持っているのだから。
今回は、死者の特性が色濃く出て消滅する事が出来なかったが、次こそは完全に消滅させてくれる事を私は祈っている。
いっそ、聖なる武器を持ってきてくれれば話は早いのだがな。
まぁ早々そんな事を可能にする強力な武器を持った者が死した私の元身体の前に現れてくれる事はないだろう。
初めて空の旅へと出た時にも思った事だが、この世界は非情に広大だ。
この死した人生を、私はいつまで続けなければならないのか。
私は、聖竜。
今は……ただの死竜だ。
2014.02.14校正




