第39話 王たる者の気苦労
★第二章あらすじ★
今いる世界の実態を知ったハーモニーは、限られた命を楽しむ事にした。
一人になり、自らの実力を確認するために単身森の中へと入るハーモニー。
窮地に陥るも、リーブラの助けが入りなんとか命を長らえる。
だが、ハーモニーの死相はまるで消えてはいない。
教会に向かう途中ではレビスの配下らしき死竜と死狼に襲われる。
迷宮へと潜ると、夜には閉じられてしまう入口の門の事を知らず、大量の骸骨達に襲われてまた死に瀕した。
その後、リーブラとの間に成されていた契約をハーモニーは知るが、その記憶がリーブラの手によって消されてしまう。
その後、部屋を訪れたローとの会話で法術の事を知るが、ローと共に入った修練用の部屋で、ハーモニーは人知れずレビスによってどこかへと連れ去られた。
あぁ、眠い。
なんと眠たいことなのだ。
このところ、碌にグッスリと眠る事が出来ない。
世界の中心にある筈の我が、何を気に病んでいるというのか。
たかが一度。
たったそれだけの事だ。
毎朝、必ず我の食事を用意してくれていた者が姿を見せなかったとて、何を心配するというのか。
我とて万能ではない。
そうなのだから、あの者が寝坊してしまったとて、何を責められようか。
例えその朝の食事が我の口にあわぬものだったとしてもだ。
我の命令を受け、慌てて用意したが故に、その量も少なかったとしてもだ。
その際に我の尻尾を誤って踏んづけてしまったとしてもだ。
――いや、尻尾を踏んだ事は後できっちり報復をしておくとしよう。
久々の狩り。
この爪が久しく血を吸うか。
あの者も、それが如何に罪深き事かをその身にたっぷりと知る事だろう。
さて、何だったか。
ああ、そうだ。
眠いのだ、我は。
まさかあの者は食事に睡眠薬を混ぜでもしたのではないかというぐらいに、我は今猛烈に眠気を感じている。
だが、眠れない。
いつもの我が聖域に腰を落ち着けたとしても、うまく眠る事が出来なかった。
一昨日の夜は、最近我が聖域を住処としている同居人の一人が部屋にいて何やら悶え苦しんでいたが、その時はグッスリと眠る事が出来たというのに。
昨日は温もりのない冷たき場所で、一切誰にも邪魔されずに惰眠を貪る事が出来たというのに、ほとんど眠る事が出来なかった。
何を気にしているというのだ、我は。
その者に情でも湧いたというのか。
否、その様な事がある訳がない。
夜になり、また五月蠅い時間が始まる。
この時間帯は、我は嫌いだ。
英雄でもある我が一度鳴けばあの者達は一斉に喜ぶではあろうが、我は極力この時間帯は姿を見せない事にしている。
たまに気が向いた時にのみ顔を見せてやるのだが、今日もまた我を不躾に扱う輩がいたので、それが間違いだったという事を実感する。
だが、我は王。
例えこの者達が愚かなる民だったとしても、賢王たる我まで愚かなる者に成り下がるつもりはない。
高き場所にいるだけが王ではない。
時には下民共と視線を同じくし、彼の者達がいったい何を考え、求め、欲しているのかを間近で観察し、最低限の奉仕をしてやる必要ある。
でなければ、支配されているだけの民は、我に供物を備える事も恭しく傅く事もしなくなる。
そしていつしか我の存在を忘れ、自らの力に驕り高ぶり、迷う事なく破滅の道へと進んでしまう。
そしてそれにまったく気が付かないなんとも救いのない者達なのだ、この者達は。
こうして我が時折姿を見せる事で、この者達の心は癒され、明日への望みを思い出す。
死地へと好んで向かう事を躊躇し、我に尽くす事の喜びを思い出す。
この者達は、なんと幸せな事だろう。
我という偉大なる存在に仕える事が出来るのだから。
だがこの喧噪の中にも我の安眠を妨げている者の姿はなかった。
まったく、あの者は今何をしているというのか。
我に尽くす事以上の幸せなど、どこにもないというのに。
次々と贈られてくる供物に少し辟易しながら、その場を後にする。
人気があるというのも困りものなのだが、悪い気はしない。
しかし我の胃袋は有限だ。
あれほどの量を食べ尽くし収めるには、流石にこの命を掛けなければならない。
謹んでお断りさせて頂いた。
特に、酒を差し出してきた老戦士よ。
貴様、我を殺す気か?
我の身体の数十倍の大きさを持つ木樽をそっくりそのまま差し出してくるではない。
泳ぐにしても、酒の海は気持ちの良い場所ではない。
鼻が曲がるだけの水溜まりだ。
だが我は寛大にして寛容なる王の中の王。
その様な暴挙にも、きっちり感謝の言を鳴いて世辞を返してやった。
まぁ、酔っているあの者が、我が美声をハッキリ認識出来ていたかは疑わしいものだが。
喧噪の海から抜け出して、静かなる村の中を歩く。
あの一角だけが五月蠅く、他はまだ虫の鳴き声しか聞こえてこない。
夜も深くなれば人が鳴く声も耳を澄ませば聞こえてくるのだが、今はまだその様な時刻ではなかった。
光の薄い世界でも、我の瞳には世界は薄く輝いて見える。
彼の者達を代表する下等なる民族は、この能力を持ち合わせていない。
まさに我という王が存在する我が種族のみに与えられた特権。
見慣れた世界の中を、我は迷うことなく進む。
向かう先は、村の外れ。
新参なる者であるあの者は、そこに一応の住まいを我から与えられている。
もっとも、そこを普段から使っている訳ではない。
新参という事で、我の世話を朝一番に行う様に躾けられているので、我が聖域の近くで眠る事が多い。
あの者は何かと理由をつけて否定するが、我の側にいたいというのはもはや明白。
その意気や、よし。
そのうち、我専属の世話係にしてやろうと我は考えていた。
にも関わらず、我を心配させるとは何事か。
これまで我に一度も姿を見せなかった日は一度としてなかった。
この様な日はこれが初めてだ。
まさか、我を想い悩みすぎるばかりに、身体が心に耐えきれなくなったのだろうか?
心が暴走して我に飛びかかってしまいそうな精神状態にあるため、自重しているのかもしれない。
それとも一足飛びに祝言の準備でもしているというのか?
人という種はいつも突然に突飛な事をし始めるので注意が必要だ。
うむ、少し心構えをしておくとしようか。
あの者の仮住まい宅へと辿り着く。
共同住まいとはいえ各人に一部屋ずつきちんと割り当てられているので、多少の融通はされている。
そのどこであろうと我が領地のため、我にはそのどこでも自由に振る舞う事が出来るのだが、我とて無遠慮に我が領民の個人領域に踏み込むつもりはない。
だが、どうやら今は誰もこの家にはいない様だった。
家の中から光が零れていなかったからではない。
人の気配がまるで感じられなかったからだ。
例え寝ていたとしても、我にはすぐに察する事が出来る。
今この家には、決して珍しい事ではないが、誰もいない様だな。
無駄足だったか。
踵を返し、来た道を戻る。
いや、やはり止めよう。
もしも、という事がある。
こんな事態はこれまで幾度もあった訳なのだが、今回は妙な胸騒ぎがする。
これまで幸運にも我の世話係を任されてきた者達にも、時折姿を見せない時はあった。
なのでこういう事は別段珍しい事ではない。
気が付けばまたひょっこり顔を出して我の世話をしたがるというのはよくある事だ。
そういう場合には一応のお仕置きをした後で、それを許す事にしている。
恐らく、今回もそうなる事だろう。
しかし我には珍しく、あの者が与えられているその住処をみたいと思った。
妙な胸騒ぎ、というのはただの無理矢理な理由のこじつけかもしれない。
だが、我は王。
したい事は素直に行い、それであの者達が例え気分を害しても、我は気にする必要はない。
必要はないが、王である我は賢人故に、そんな無法な事を我が物顔で傲慢に行う事はまったく好まない。
ただ、器が大きいのは我の美点の一つだが、大きすぎるというのも意外と悩みの種である。
その理由を簡単に言えば、勘違いして図に乗る者が出てくるからだ。
例えば我が自慢の一つ、美しき尻尾を踏んでくる者など。
それがどれだけ罪深き事かを、彼の者はまるで理解していない。
その瞬間に、我に殺されても文句は言えぬぞ?
王たる我だけが使用する事の出来る専用の秘密通路を通り、家の中へと入る。
その通路は少し埃っぽかったが、致し方あるまい。
我しか知らぬのだから、我が配下達は掃除をする事も出来ぬ故。
共同の玄関に辿り着き、少し足を払う。
本当は水拭きして綺麗にしたかったが、誰もいないのではそれも叶わない。
足繁く通っている訳でもないので、我が訪れる事を見越して足拭き様の布が常備がされている筈はない。
予想通り、見渡してもそれらしきものは見つからなかった。
音もたてずに目的地へと向かう。
音を消す事など、我には造作もない。
それをする必要がないからといって、我は油断などする訳がなかった。
戦士たる者、例え王となったとしても、いついかなる時も気を抜くなかれ。
うむ、良い言葉だ。
我のためにあるような言葉だ。
いや、これは偉大なる我を称えている言葉だろう。
それにしても静かだ。
誰もいないのだから当たり前だが、それにしても静かすぎる。
先程から虫の声も聞こえない様な気がする。
我が遊び友達である鼠共の気配もまったく感じられない。
我を恐れての事だろうか?
いや、だとしても……我には、奴等が我の気配を察知して逃げるその音を遙か遠くから聞く事が出来る。
しかしその様な音は、この住処からまったく聞こえてこなかった。
それは、何故だ?
他の住処からは耳を澄ませば今も鼠共の声が聞こえているというのに。
この住処からはまったく聞こえてこない。
奴等は人が住んでいようが住んでなかろうが、住める所であれば住処とする。
それが、この住処だけはそれがない。
妙だ。
いったい何が起こったというのか。
目的の部屋の中には、やはり予想通り人の姿はなかった。
それどころか、人が住んでいた形跡もほとんどない。
あの者、それほどまでに我の側にずっといたかったという事か。
あの者にとって、ここは住処ではなかったのだろうな。
匂いを嗅いでみたが、あの者の香りはまるでしなかった。
どころか、他の者の香りが漂っている。
それはつまり、この僅かな形跡も、あの者のそれではないという事か。
あの者がこの部屋を使っていないのを知って、同居人の誰かが使用しているのだろう。
結局、ここには収穫はほとんどなかった。
収穫があったといえば、あの者が我をそこまで好いていたという事が再確認出来たという事ぐらいか。
それだけでも行幸とだったと今は思っておく事としよう。
来た道を通り、その住処を出る。
村の中を通り、住み慣れた我が家へと入り、階段を登っていく。
辿り着いた先の我が聖域には、今日も誰の姿もなかった。
あの者が寝床としている部屋にも向かってみる。
やはりあの者の姿はそこにはなかった。
上の階からあの者の香りが強く漂ってきていたが、それは既に確認済。
それ以外の真新しいあの者の匂いはどこからも感じる事が出来ない。
諦めて、また我が聖域へと帰る。
寝台に飛び乗り、丸くなる。
眠たい頭に鞭を打ってまで歩き回ったというのに、ついにあの者の姿は見る事が出来なかった。
また今日も、よく眠れない事だろう。
それも2、3日もすればすぐに忘れてしまう筈なので、あまり気にする必要もない。
我の世話係が不躾なあの娘に変わる可能性があるのはちょっと気が進まないが、まあ追々調教していけばよいか。
昔はよくそうしていた。
またそういう時が来たのだと思えばいいだけだ。
大きく欠伸をする。
欠伸がこれほどまでに鬱陶しいと思ったのは久しい。
これは、ふて寝というやつだな……。
……。
あぁ、眠い。
なんと眠たいことなのだ。
2014.02.14校正
2014.03.15修正 (45話になってました。すみません)




