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不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
序章幕前 『EX#00 狂襲の鬼人』
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第4話 絶望の襲撃者

 闇夜の霧の中から浮かび上がってきた人の姿。



「――あれは、人……?」



 そこから人が出てきたとしても、フェイトはそれほど驚く事はなかった。

 異常の存在の中にに異常が現れたとしても、何ら不思議ではない。

 むしろ予感すらあったのかもしれない。



『上です、ロー!』



 だからこそ、それは間に合ったと言える。



「纏え、爽臨(ファイン)!」



 衝撃。

 そして重い轟音。


 一拍遅れて強烈な衝撃波がフェイトの身を襲う。



「なんだ、てめぇ。邪魔するのか?」



 状況を確認する前に耳へと届いた宣戦の告。


 そして、理解する前にそれは攻撃を仕掛けてくる。



『ロー!』



 フィレスの絶叫で、それが恐ろしく危険な威力だと瞬時に察する。

 だが、既に遅い。

 紡いでいた魔法障壁は、すべてあれを守るために回してしまった。

 新しいのを練る時間はない。

 それ以前に、それが頭の中に浮かんだ時には、もう拳は身体に突き刺さっていた。


 おそらくは、初めての――死。


 そして最後となる、生の瞬間。


 その時が、これからやってくるのだろう事がフェイトにはよく分かった。



『纏え、天麗の衣(イルヴェリア・ガーヴ)!』



 間一髪でフィレスの加護が間に合う。


 天恵のそれよりも遙かに強度の高い風の障壁。

 それでいて弾力のある防御壁。


 だが、十分な時を掛ける事の出来なかった即興の鎧は、目の前にいる鬼人の一撃に耐えきれずに破砕の悲鳴を上げていた。

 僅か一瞬の攻防の中で、為す術もなかったフェイトが眼球だけを動かして敵の姿を確認する。

 映ったのは、やはり人の姿をした鬼。

 想像していたものよりも遙かに兇悪な笑みを浮かべた羅刹だった。


 その羅刹の双眸が、フェイトの瞳と重なり合う。


 浮かんだのは、笑み。


 何が楽しいのか分からなかったが、フェイトは喜びを浮かべていた。


 それを認めて、鬼人の口端も喜びに出会い、つりあがる。


 応えなければ――。


 そう思った時、力と力の衝突によって生まれていた一瞬の均衡状態が崩壊の時を迎えた。


 轟音。

 鬼人の拳が天麗の衣(イルヴェリア・ガーヴ)の防御力を上回り、フェイトの身を殴り飛ばす。

 同時に、弾力を持っていた風障壁に、鬼人の身は反対側へと弾き飛ぶ。


 背中からの衝撃は、予想通りやってこなかった。



「裂け、白き風爪(アデュースヴィンテ)!」



 そのままの体勢で、右腕を振るう。

 『五翼の鎌』

 斬風の刃が横薙に生成される。


 吐血したのはその後。

 威力の八割方は相殺されたとはいえ、鬼人の一撃を受けていた生身の肉体が苦痛を覚えない筈がなかった。

 弾き飛ばされた後の衝突は、同じくフィレスの加護によって完全に緩和されていたのが救いと言える。

 それがなければ、今よりももっと重傷を負っていただろう。

 いや、死んでいた。



『ロー、いったい何を!』



 今度は悲鳴に近い叫びがフィレスの口から発せられる。


 呼吸するだけでも激痛が疾るので、フェイトはほとんど何も喋る事が出来なかった。

 先程の力ある言葉もほとんど掠れていて、自身の耳でも聞き取る事など遠く及ばない。

 ましてや、この苦痛をハッキリと感じ始めた今となっては億劫である。


 短い時間の間に、苦せずして楽にそれを伝える手段がなかったので、フェイトはそのまま無視を決める。


 それ以前に、他の事に集中をさいて戦える程、相手の実力は生易しいものではなさすぎた。


 何重もの白い斬撃(アデュースヴィンテ)が、ただ腕の一降りで微塵に砕かれる。

 鋭き風の刃を、生身の肉体でいとも簡単に退ける化け物がそこにはいた。

 舞い散る風刃の残滓がその肉体を薄く斬り裂く。

 本当に薄く、皮の一枚もそれは斬り裂いていない。

 血が渋くなど夢のまた夢だとつい考えてしまう。

 思考する、それだけの余裕を与えてくれているのも分かった。


 それに応えるべく、フェイトは再び鬼人に鋭き刃を連続して放つ。


 その刃の尽くが、次の瞬間には破砕されていった。


 遠すぎる距離が威力を奪い、到達するまでの時間が対応する余裕を与えてしまう。


 力を集める。

 絞ればまだ湧き出てくる。

 与えてくれる者もいる。


 死が先に待っているのであれば、躊躇する理由はない。



「――奏でよ、蒼き翼(フレーサウス)



 身体から、地面へと縛り付ける力が消失する。


 爽天の聖姫(フィレス)が、応えてくれたのが分かる。

 そうでなければ、この飛翔聖術が発動する事はない。

 『十三翼の蒼天』

 自由に空を飛ぶ事を許される自分だけの特権。


 だからこそ得る事の出来る、大加速。


 大地を強く蹴る様に、集めた風を大地へと叩き付ける。

 大加速による衝撃はフィレスの加護によって打ち消された。


 疾風と化したこの身が鬼人へと刹那の時で迫る。 



「裂け、白き風爪(アデュースヴィンテ)!」



 より疾く走った斬風の刃が、振るった右腕と共に鬼人へと斬り掛かる。

 間合い深く踏み込んでの一撃。

 気が付いた時には斬られていたと思わせる程の、素早き攻撃手。


 蒼き翼(フレーサウス)の飛翔、白き爪の牙(アデュースヴィンテ)が鬼人の身を襲う。


 人より高位の力を持つ精霊の力を借り、自由なる翼を手に入れた導士の、人の域を超えた斬撃は――だが、それ以上に人の位を遙かに超えた鬼に届く事はなかった。


 白き風爪が、羅刹の左腕の前に捕まり停止する。


 微動だにしない強制力、それ以上の進攻は不可能。

 まるで時を止められた様に右腕が動かなった。

 圧倒的な力による、不可能と思われる程の高速対応。

 あまりにも現実離れした行為。


 即座に判断し、考えていた次の一手を放つ。

 そこに詠唱や魔法名の宣言はない。

 最初の一合がなければ予測出来なかっただろうこの状況を想定しての、ほとんど自殺行為にも似た行動。

 目の前の空間に向けて、溜めていた力を一気に解放した。


 空間が、爆ぜる。

 悪しき構成、純粋なる破壊の力である【魔】の力による滅びの嵐が吹き荒れる。

 あまりに危険な行為であるため禁忌とされている禁呪が、フェイトと鬼人だけでなくフィレスの身をも襲う。


 刹那、フェイトの背筋に強烈な悪寒が走った。


 そして、死を覚悟している筈のフェイトを驚愕させたのは、それこそ信じられない光景だった。


 闇夜の彼方をも奮わせる剛撃。


 狂喜する羅刹が、フェイトがつくりだした【魔】の純粋なる破壊の力を、それこそ純粋な破壊の力でもって貫いた。

 凄まじき威力を持っている筈の【魔】の力場が、剛撃の圧力に耐えきれず一瞬で霧散する。

 控えめに言っても辺り一帯の空間を飲み込んで消滅させてしまう程度には超絶で莫大な破壊力を持っていた【魔】力崩壊現象は、しかしその片鱗を見せただけで、遂にその威力が発揮される事はなかった。



「貫け、黒き風(スヴァルトデュッ)……」



 それすらも予測していたフェイトの次手が、その力ある言葉を(さえぎ)る超高速の脚撃によって、天麗の衣(イルヴェリア・ガーヴ)ごとフェイトの身を撃ち抜く。

 跳んだ時よりも速く、向かって来た方向へと落下。

 大地に突き刺さり、陥没し、亀裂が入る。


 フェイトの意識が、そこで初めて生死の境目を彷徨う。



「楽しかったぜ。久しぶりに骨のある相手だったな」



 追って、続く無慈悲な剛撃がフェイトの身を大地に縫いつける。

 くの字に折れ曲がった身体が、死線を彷徨っていたフェイトの意識を現実へと無理矢理に引き戻す。

 そんな生易しい一撃ではなかった事は、次の瞬間には光を失い現実を飛び越えて白い世界へと旅立ったフェイトの瞳がありありとそれを物語っていた。


 そして次に放たれた一撃が、血を飛沫かせる。



「――な……に?」



 鬼人の身が傷を負っていた。

 苦痛をこえた、驚愕の声。



『舞いなさい、爽天の風(ジーン・ゼ・ヴュント)!』



 その森一帯に響き渡る程の力ある言葉が羅刹の耳へと届けられる。


 気が付いた時にはその身に到達していた、風の刃。

 遅れて言葉が耳に届いてきたのは、その風刃が音速の領域を超えていたからだろう。

 それまで意識していなかった姿なき者からの攻撃であった事も、理由の一つにあった。


 だが、その刃が更に肉の内へと斬り進もうとする前に――つまり完全に想定外だった奇襲攻撃が己の身を傷付けてからほんの僅かな時間の間に――驚きの感情下から意識を引き戻した鬼人が、気合い一喝、ただそれだけで音速の零距離攻撃を吹き飛ばす。



「おもしれぇ」



 再度、喜びに釣り上がる鬼人の口端。



旋破(エウレダ)』 



 破ぜる空間、フェイトと鬼人の間に発生した超高圧縮された大気の球を、瞬時にその危険を察した鬼人の拳が撃ち抜いて壊す。



旋星(アストール)』  



 間髪入れずに天空より風の隕石をフィレスが落とす。

 同じく超高圧縮された大気の球が音速を超える速度で鬼人の身に死角から襲い掛かった。


 だが、後ろに目でもついているのか、音速を超えているために無音で迫ってきたそれを鬼人は回転脚撃――後ろ回し蹴りでもって難なく迎撃してしまう。


 続く動作で更に脚撃を放ち、いまだ半死状態気絶したままのフェイトの身を襲う。



爽翼の天臨アウスカート・イルミエール



 姿なきフィレスの風の腕が、兇悪な威力を秘めた鬼人の脚を受け止める。

 その衝撃に揺れた大気がフェレスの姿を浮かび上がらせる。


 鬼人の瞳が、そのフィレスの大気に透き通る一糸纏わぬ麗しき聖女の裸体を初めて捉えた瞬間。



蒼天の刃(フレースヴェルグ)!』



 裸身の女神が、一陣の風と化した。


 いや、風と称するには、それはあまりにも研ぎ澄まされた流れ。

 そよ風の如き緩やかな大気の流動の中に隠された僅かな速度差によって生み出された鋭き刃が、触れた全ての物質を浅く確実にゆっくりと斬り裂いていく。

 その切り口は、恐ろしく綺麗。

 最も近くにあった鬼人の脚に触れた刃が、まるで切断された事に気が付いていないかの様に布をいとも容易く切断。

 僅かに遅れてそれに気が付いた鬼人がすぐさま振り上げた脚を下げるが、既に刃はその先に進入し、鬼人の身を傷付けていた。


 傷痕の見えない脚から、血が滲み出る様に溢れ、流れ落ちる。


 不可視の鋭利な風の刃を警戒し、間合いを取るべく鬼人が僅かに下がった。


 再び姿を大気と同化し透明となったフィレスがそれを追って忍び寄る。

 緩やかな風が舞う木の葉を両断。

 まるで最初からそうであったかの様に、音もなく不自然な形で突然に二つへと分かれていく散る木の葉に、鬼人の瞳が夜の闇の中にも関わらず正確にその位置を視認。

 自身の身を捕まえようと伸ばされたフィレスの腕を、身体をねじる事で鬼人は躱す。


 更に近づかれる前に、鬼人の右足が木の胴を踏み、跳躍。  


 鈍重だが鋭すぎるフィレスの全身が追尾するが、踏み台にされた木の側が反動で折れてしまう程の力で跳んだ鬼人が、その行き掛けで折った木の枝を投擲する。

 大凡の勘で放たれたものだったが、それは正確にもフィレスの心臓部を直撃。


 地面に刺さった時、しかしそれは真っ二つに割れていた。

 風そのものであるフィレスに、そんなものは通じない。


 フィレスは意に介さず、上昇から下降に変わりつつある鬼人の予想軌道へと先回りする。

 今度は注意して木の葉を回避しながら移動するフィレスに、鬼人の瞳がそれを捉える事は出来ない。

 微風とはいえ、その動きは人の歩く速度よりも十分に早かった。


 天使さながらに舞うフィレス。


 天を仰ぎ、落ちてくる我が子を抱きしめようとしているかの様に、不可視のフィレスの両腕が大きく開かれた。

 そのフィレスに抱擁された時、鬼人の生は終わりを迎える。


 精霊と羅刹、二人の間から距離が失われていく。


 見えない死の予感に、しかし鬼人は敏感にも落ちる先に何かを感じ取ったのか、間一髪でその軌道を修正した。

 再びその衝撃に耐えられなかった木が吹っ飛び、無惨にも折れ千切れる。


 雨霰と降り注いだ木の破片と木の葉の乱舞が、フィレスの居場所、その動きをありありと晒し出す。


 それが分かれば十分だった。


 鬼人の身体が空中で弓なりにしなる。

 視界が外れるギリギリまで大きく胸を反らし、振り上げた右腕に力が込められていく。

 浮き立つ血管、一回り巨大化した鬼人の腕がしなりの限界点に到達し、停止する。

 かと思った瞬間、腕は弾かれたように加速。

 上から下への円弧が描かれた。


 大気が、鬼人の腕に薙払われ大きな流れを生む。

 剛風が唸りをあげてフィレスの身へと襲い掛かる。


 相手が風そのものであるなら、その風そのものを叩き付けて蹴散らしてやればいい。

 単純明快な思考で放たれた一撃ではあったが、それはしかし周囲一帯を暴風状態へと変えてしまう程に兇悪な拳風波だった。


 それだけでは飽き足らないのか、打ち振った兇風が地面に到達するよりも前に、鬼人の姿が霞む。

 と思う間もなく更に一閃。

 音速すら超える動きで反対側の大地へと降り立った鬼人の左腕が更なる一撃、追撃なのに同時攻撃となる拳風波を放つ。


 二発の重い剛風の衝撃が、風であるフィレスの全身を前後から押し潰した。


 すりつぶされる様な超圧縮の超重圧。

 蒼天の風の影響で鈍足にしか動き回る事しか出来なかったフィレスに、そこから逃れる術はない。

 逃げる暇すらも与えられなかった。


 人為的に生み出された風と風とがぶつかり合い、暴風が嵐となって世界に吹き荒れる。

 枝という枝は折れ、強度の限界を超える風を受けて遂に耐えられなくなった細木はメキメキと言って折れ、空へ向けて舞い上がる。

 土と葉だけの大地はめくりあがり肌を露出。

 ただ一人、鬼人だけがその乱気流の中にいて平然と立っていた。


 その鬼人の双眸が、見えない得物よりは遙かに見つけやすいだろうもう一人の得物の姿を映し出す。

 視界に認めて、喜びへと出会い口端が釣り上がる。


 暴風圏からは離れた遙か先、戦闘に巻き込まれるのを恐れて咄嗟にフィレスから待避させられていた少年が、おぼつかない足取りでゆっくりとこちらへと向かっていた。

 その顔には、涼しい笑顔。

 まるで全身に負ったダメージが嘘であるかのように、フェイトは恐れもなく純粋な笑みをそこに浮かべていた。


 向かわれている側の鬼人が向き直る。



「……」



 フェイトが何かを呟いた。

 言葉は、フェイトの耳にすら届かない、声のない宣言。

 

 鬼人の右腕が霞む。

 音速を超える風刃の斬撃が、即座に撃ち落とされる。

 少し遅れて、風が大気を斬る音が鬼人の耳へと到達。

 遠距離から放たれた続く二撃目の刃は、既に撃ち落とされた後だった。

 そして休む間もなく腕は次の一刃へと向かい、叩き壊す。


 間断なく風の乱舞が踊り続けた。

 半死状態が故に集中力が極限まで高まっているのか、白き風爪(アデュースヴィンテ)が尽きる事を知らず飛翔し、その都度に鬼人の片腕が振るわれ蹴散らしていく。

 構わずにフェイトは歩み続ける。

 足跡はフラフラして真っ直ぐではないが、確実にその距離はゆっくりと縮まっていた。



「……」



 再び、フェイトが何事かを呟き宣言する。


 鬼人の腕に撃ち振るわれた一撃が、風刃の残滓を残してその腕に絡みついた。

 間を置かずに次の一撃が、やはり迎撃され霧散。

 僅かな風の名残が絡みつく。


 死が確定付けられた旋律(たたかい)が、なお絶望的に奏でられる。

2013.04.13校正

2014.02.13校正

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