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不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
第弐章
38/115

第36話 模倣

 闇の中、トンっという足音だけが鳴る。

 床を慣らすブーツの音。

 考えるまでもなく、それは足音だった。


 急な接近を悟り、勘を頼りに横へと移動する。

 そのすぐ側を、音だけが過ぎる。


 僅かに風を切る音。

 服のすれる音。

 極限まで殺した息づかい。

 幾つもの気配を五感がとらえる。



(攻撃してきた?)



 目の前をすぎた気配の現在置を測り、その場から距離を取る。

 灯りを消す前の景色から憶測で、壁から少しだけ離れた位置。

 入口からほぼ90度の場所に立つ。


 暗闇に目がまだ慣れない。


 その自身に向けて、真っ直ぐ歩み寄ってくる足音。

 鋭く、そして出来る限り音を消そうとしているかの様に。

 同じ条件下にも関わらず、迷う事なくこちらの方へと真っ直ぐに向かってきた。


 手刀。

 空ぶった空気の切れ方から予想する。

 右に斬り薙払われた腕に続く攻撃はなく、一拍の間をおいて今度は左に薙ぐ刃。

 一撃目を後方に躱し、二撃目がくる前に大きく右へと回避していたので、やはりその手刀も空ぶるだけに終わる。

 見えているのであれば、恐らく相手もそれが当たらない事も予想出来ただろう。

 空気を斬る音は鈍く、明らかに闘いに慣れていない攻撃だった。


 音もなく着地し、そして音もなくその場から離れる。

 未だ相手の姿は瞳に映らない。

 だが、音も気配も消した自分の姿を本当に見えているのであれば、それでも追ってくる筈である。


 空気の流れが変わる。



(また来る)



 冷静にそう判断して、見えない敵が次はどのような攻撃を仕掛けてくるのかを考える。

 素直に直線的な攻撃。

 重く力ののった一撃。

 カウンターは考えない。

 必要がないからではなく、それを考えていてはまともな攻撃にならないが故に。


 大きく息を吸う音が耳に届いてきた。

 音の出所から、予想していた位置とほぼ同じだという事を確信する。

 二人の間に障害物は存在しない。

 夜灯りを集め続ける視界の中で、そこは光の届いていない闇の中にあった。


 全身を闇と漆黒に包まれた影が床を蹴る。

 その音が室内に響く。


 目標を視認出来ているのであれば、その渾身の一撃を外すことはないだろう。

 こちらが動いても、それに応じて軌道を変えて対処してくる筈である。


 問題は、その攻撃の軌道。


 気配からだいたいの行動は事後に予想出来るが、全く見えない相手の事前の攻撃手は予測する以外に手がない。

 顔を狙った攻撃。

 腹部を狙った攻撃。

 それとも足下を狙った攻撃。

 直線で向かってきている事は分かっても、回避が難しい場合、その確実な軌道が分からなければ対応する選択肢を絞り込めない。


 (さば)くのか、()なすのか、躱すのか、受け止めるのか。

 否。

 確実に避ける手はあった。

 要は、攻撃の届かない場所へ逃げれば良いだけの事。


少し深く膝を曲げ、屈伸する。

 そして、攻撃が届く前に跳躍した。


 左腕を上に伸ばし、天井に頭がぶつかる前に逆受け身を取る。

 勢いを殺しつつ天井に足を付き、天井を蹴ってもう一度跳躍。

 空き戸から入ってくる光によって床の位置が良く分かる場所に向けて、斜めに部屋を横切る。


 そして、着地。

 刹那、その瞳に人影が映し出される。

 まるで追ってきたかの様に、上方から繰り出された飛翔脚を咄嗟に十字に組んだ腕がかろうじてその攻撃を受け止める。



(……軽い? なら、次が来る)



 予測を大きく上回った動きに、それまでの推測情報を全て破棄し、新たに未知の敵として情報を構築する。

 強さの段階を、素人から達人の域へ。


 暗闇の中に浮かぶ人影が素早く回転する。

 繰り出されたのは空中回し蹴り。

 左腕で受け、その力を利用して跳ぶ。

 が、すぐに背が壁に当たり、隅へ追い込まれたという事に気が付く。


 闇の中、室内での戦闘だという事をいつのまにか忘れていた。

 光のある所へ逃げ様として天井を蹴った時に立ち位置を見失ったのだろう。

 しかも、壁にぶつかり一瞬視界がぶれた瞬間に、敵の姿をも見失っていた。


 音のない一時が訪れる。

 その沈黙を破ったのは、右前方からの足音。



(また、気配がある。いや、それを囮にしている?)



 よぎる疑念が僅かに対処を遅らせる。

 だが、それをしても十分に余裕のある速度と距離から繰り出された攻撃を、勘だけを頼りに左へと逃れる。

 壁を背にしていた事で、相手も衝突しそうになるほどの突進を仕掛ける事が出来なかったのだろう。

 紙一重のほぼギリギリを掠めていく様な、ゆっくりとした軌道で脚撃がすぎたのを空気の切れ方で察する。


 次の行動に移るのが遅い。

 待ち構えていたのが間違いだったと思わせる緩慢な動き。

 僅かに闇に慣れた瞳に、相手の姿が映し出される。

 それに勘付いたのか、人影が闇の中へと逃げ込む。


 闇の中に消えた瞬間、再び視界の中に現れた人影の動きはとても俊敏だった。


 急激な加速を得た肢体から繰り出される右の拳。

 思わず受けそうになったのを、咄嗟の条件反射で左へと往なし、右へと躱す。

 素早くその拳が戻され、右へと逃げ様とする自身の道を塞ぐ様に、相手も左に動いて牽制を仕掛けてくる。

 対応が早い。

 再び右。

 今度は右へと往なし、滑る様に相手の懐へと潜り込む。

 否。

 突然にその往なした腕の肘が落ちてきたため、攻撃を中止して後退する。


 間合いが一時的に外れる。


 それを再び零へと近づけるために相手が前進をしてくる。

 体当たり。

 いや、体勢が低すぎる。

 足を掴んですくおうとしているのか。


 捕まれる前に脚撃を放つ。

 これが、こちらからの初めての攻撃。

 頭部を狙った攻撃が腕によって防がれる。

 僅かにも仰け反った様子がない。

 完璧に受け止められていた。


 構わず、同じ足で上下に脚撃を連続で叩き込む。

 三撃目は直線的に顔を狙ったが、やはり硬い腕の防御壁に阻まれ目的の場所に当たる事はなかった。



(肉弾戦闘は好きじゃないのに)



 こちらの好き嫌いを相手が考慮する筈もなく、もう少し威力をのせた四撃目を叩き込む前に相手が右側へと回り込む。

 軸足を変え重心を移す。

 きたる攻撃へと瞬時に体勢を整える。

 だが、その自身の動きを見て思うところがあったのか、攻撃はやってこなかった。


 回り込むと見せかけて、その先にある闇の中へと人影が沈み込む。

 闇に消えた時、音の気配も同時に掻き消えた。



(そして次に来るのは……)



 予測と予想に想像を混ぜ、少し不思議な状況への解を求めて頭を巡らせる。

 その思考に割り込んできたのは、自身の顔を鷲掴みに掴もうとする腕だった。


 闇を巧みに利用した攻撃。

 突然に目の前に現れた腕に、少しだけ驚いて心が跳ねる。


 瞳に映ったのは右手の指の配置。

 右利きの者が繰り出す攻撃。

 ならば避ける方向は左がベストなのだろう。

 意表をつくなら右に。

 条件反射ならば後ろに。

 しゃがむという選択肢もある。

 掴んで攻撃を止める事も出来た。

 攻撃を払うか、それとも攻撃に合わせてカウンターを入れるか。

 あえて掴まれてみるのもいい。

 前進して打たれる暴挙も一つの手。

 真上に跳躍して回避が間に合うかどうか試してみる?


 幾つも選択肢はあった。

 それを考えるだけの余裕も。

 その思考が終わる頃には、左へと避ける動作を終えてその攻撃をやり過ごしていた。


 次の選択肢がまた幾つも浮かび上がる。

 そのどれを選んだとしても、行き着く先はやはり一つしかない。

 結果への経路のみが異なる、勝利という終着点に。


 結論が出てからの動きは一瞬だった。


 鈍い音が鳴る。

 頭部に繰り出した一撃が入り、その相手との戦闘が終わる。

 そして、もう一方の相手の姿を瞳に映した。

 闇夜に慣れた双眸に一つの影がハッキリと浮かび上がる。



「あなたは誰ですか?」



 戯れに攻撃を仕掛けてきた戦闘の素人が倒れるのを後ろに聞きながら、その何者かの動きに注視する。

 既に瞳の中に闇はなかった。

 故に隠れる場所も存在しない。

 その者もそれを理解していたのか、隠れる様な素振りはなかった。


 そして応えの代わり、その者が歩みを始める。

 まるで凍った積雪の上を歩いている様な歩行術。

 重心の揺らぎを警戒する上半身は僅かに緊張し、床を踏む足取りは慎重に。

 円上に足跡を残していく。


 どこかで見たことのある模倣。

 その模倣する者が、模倣元の精度を大きく上げて襲い掛かってきた。


 まず最初に手刀。

 一閃。

 右に斬り払われた手の刃が大気を鋭く斬り裂く。

 触れれば本当に切れてしまいそうな刃をまともに受けるはずもなく、後方に下がって躱す。

 続く手は左に薙ぐ凶刃。

 その一閃が次に来ることは予想出来ていた。

 だが一閃目からの時間差がほとんどなかったそれは、右へと回避する時間など与えてはくれない。

 一閃目の時点で勢いよく後方に逃れていた御陰で、軌道そのものは全く変わらないその連続攻撃がこの身を切り裂く事はまかった。


 今度は音と共に着地をして、急いで体勢を立て直す。

 記憶が確かであれば、次は渾身の一撃。

 跳躍して上に逃げる事は恐らく出来ないだろう。

 代わりの対処方法を練る前に、影が疾風と化す。


 音もなく、風を切る音もない。

 ただ、模倣元が行った攻撃方法のみが同じなだけの驚異がそこにはあった。

 そして、見る事が出来なかったその攻撃の全容を知る事となる。


 体勢を低くした、右の拳撃。

 先行させた左手でその軌道を真っ直ぐに捉え、右拳が当たるその瞬間までその左手があらゆる攻撃を妨害し、定めた標準へと確実に拳撃を叩き込む。

 その強い意思が込められた重い一撃だった。



「くっ……!」



 躱す事も出来ず、捌く事も許されず。

 ただ、受けるのみを強要された。

 受け止めた腕が悲鳴をあげる。


 素人らしく、純粋にただ打ち込むだけの、真っ直ぐな軌跡だった事が幸いだった。

 当てる事を目的とし、倒す事、殺す事には昇華されていなかった攻撃。

 戦闘の域でも武闘の域でもないそれは、戦いとは程遠い単なる遊技。

 傷付く事はあっても、その先を望んでいない加減された攻撃では誰も倒す事は出来ない。

 負けを認めさせる事は出来たとしても。


 そこで、思考が一瞬停止する。



(なら、この次にきた攻撃は?)



 今受けた手応えの重みと、それを最初に繰り出してきた者。

 その両者は一致しない。

 前者は模倣した者が行った攻撃ゆえに受けざるを得なかった。

 この攻撃まではずっと模倣元のコピー行動だった。


 だが、後者は純粋にその者が行った行動。

 それがどういう意味を持っているのか。


 刹那、その瞳から謎の人影の姿が消える。

 と同時に、前の一撃を受け止めるために十字に組んでいた腕に、謎の一撃が突如として襲い掛かった。


 予期の遅れた攻撃に、そして予想以上の威力を持って繰り出された飛翔脚に、受け止めきれなかった身体が蹴り跳ばされる。

 一手前の攻撃とは比較にならない重い強撃。

 後ろに跳躍して威力を逃がさなければ、確実に受け止めた腕が折られていた。

 そして、恐らくはそれだけではすまなかっただろう。


 間髪入れず、旋風脚が空を舞う。

 既に精度を上げた模倣の域ではなかった。

 受け止め、その力を利用して跳ぶなど言語道断。

 分かっていても躱すだけで精一杯。

 綺麗に空気を斬るような、思わずスパッという音が思い浮かぶほどに鋭利な軌跡がそこには生み出されていた。


 模倣の手順通り、次の攻撃が来ない事を祈りつつ間合いを取る。

 本来ならばここで一切の音が消える沈黙の時が来る筈なのだが、その一時すら縮められ、右前方から足音だけが鳴り響く。


 次なる手は突進撃。

 運悪く背後には壁がなく、相手の動きを躊躇わせる要素がない。

 間違いなく遠慮のない鋭い脚撃が飛んでくることだろう。

 軌道が同じでも、精度がここまで違えば躱すのは全く容易ではない。


 弱音を吐きたくなるような心境を振り払い、ほんの僅かな間に次の手に対する対処方法を思案する。

 受け止めきれない、たぶん捌けない、躱すのは間に合わない。

 いったいどうすれば良いというのだろう。

 そして考えているうちに時間切れとなった。


 脚撃が、紙一重のほぼギリギリを掠めて過ぎる。



(当てる気がなかった!?)



 あの時の一撃が、実は意外な意味を込めて放たれていたという事に正直驚いた。


 驚いたうえで、やはり思考の渦に落ちる。

 それは、何のためか。

 だが思考する間もなく、次がやってくる。


 俊敏の上をいく速度。

 そこから繰り出された右の拳は、もはや精度の向上だけには収まっていない。

 驚異という名の攻撃。

 反応出来たのが奇跡、思考より早くに動いた反射運動がその一撃を左へと往なし、身体を右に捌いていた。


 そして、その先へと逃げるのを阻む様に、相手が素早く回り込む。

 再び、右腕による攻撃。

 顔面へと突き向かっていたそれを、咄嗟に顔を仰け反らせることで躱す。

 躱しきれず、頬を鋭く切り裂く。


 目の前で血の飛沫いた光景が視界いっぱいに広がる。

 世界が、ゆっくりと時を刻み始める。

 時の流れる速度が突然に遅くなり、頬から血が飛び、その一滴が真っ直ぐに右の瞳へと向かってくる映像がハッキリと見えていた。


 時の流れが元に戻る。

 血で視界のほとんどが遮られた先に待っていたものは、突き出されてから曲がり落ちてきた肘撃ち。

 胸へと食い込み、崩れる体勢を無理矢理落とし、そして身体ごと大地へと叩き付けられる。

 その痛みが脳に吹き荒れた。


 苦痛に目が開く。

 頬と、胸と、背中の痛み。

 撃たれた胸の痛みが一番痛い。

 しかし何より、直前まで頭の中に思い浮かべていたにも関わらず、その瞬間のみ忘れてしまっていた事が痛かった。


 思考が追いつかない。

 少し前の出来事が思い出せない。

 その余裕がない。


 紅い血を見て意識を奪われた。

 いや見取れてしまった。

 そして、思い出しかけた。

 同時に気が付く。


 こちらが起き上がるまで相手は攻撃を仕掛けてこなかった。

 当然だろう。

 順番通りなら、次の攻撃は相手を転ばせ様とするもの。

 最初から倒れていては模倣出来ない。


 案の定、立ち上がると同時にすぐに相手は仕掛けてきた。

 その軌道は単純。

 真っ直ぐ直進し、最も近い方の足を掴もうとする。

 躊躇する理由はない。

 思い切りその顔へと目掛け、順番通りに脚撃を放った。

 当然、それは腕によって防がれる。

 僅かにも仰け反った様子もない。

 手加減などせず、容赦なく本気で放った一撃にも関わらず完璧に受け止められていた。


 構わず、同じ足で上下に脚撃を連続で叩き込む。

 勿論、本気で。

 三撃目は直線的に顔を狙う。

 やはり硬い腕の防御壁に阻まれ、目的の場所に当たる事はなかった。


 四撃目を叩き込む前に、相手が右側へと回り込んでくる。

 その先に攻撃が来ない事は分かっていた。

 故に、初戦では繰り出しそこねた四撃目を今度は放つ。

 蟀谷(こめかみ)にピリッとしたもの奔る。



(違う。攻撃してはいけない!?)



 脳を鋭く刺すような不吉な悪寒。

 咄嗟に蹴る事を止め、その直感に従って身体を無理矢理にねじる。

 ほぼ無意識の動作だった。


 刹那。


 それまで顔のあった部分を、鷲掴みに掴もうとする腕が闇の中から疾く現れた。

 まるで岩石でも砕けるかのような強打撃。

 あの速度で突然に目の前に現れたら、驚くだけではすまなかっただろう。

 脳が破壊されていた可能性も否めない。



(いや、問題はそこじゃない)



 危うく命を失う所だったという過去の出来事よりも、今は目の前に映る現実を問題にしなければならなかった。

 不思議な状況への解を求める思考に、また一つの疑問材料が追加される。

 瞳に映る人影は、二つあった。


 四撃目の脚撃を放つ事を止めたため、闇の中へと消え去る一つの人影。

 それとは別に、腕のみを闇の中から突き出してきた者がそこには存在していた。


 腕はそれ以上は動く事もせず、ただ闇の中に浮かんだまま動かない。

 気配もなく、音もなく佇む不可思議な腕。

 光の乏しい室内の中にあっても、その腕は真っ黒に染まり不気味な事この上ない。


 まるで何かを待っているかの様に、沈黙したまま。

 終焉の、一撃を……。



(――付き合う理由はない)



 両の腕を開いて、叩いて合わせる。パンっと鳴る音に意識を重ねる。



「照らせ」



 ただ一言。

 魔の法による力が、瞬時に室内を明るく染め上げた。


 そして、そこには――。

2014.02.12校正

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