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不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
第弐章
31/115

第30話 裏の事情

 夜。

 それとも暗い朝。

 光なき昼下がり。


 そこは時間の概念を持たない、外界の光を一切拒む閉ざされた世界。

 静かに時だけを刻み続ける歯車の音色が鳴り響く。

 正確に、ゆっくりと。


 しかし、その歯車は見渡す限りどこにも見あたらない。


 寝台が一つ。

 その場所を部屋と称していいのかどうかも分からない。

 天井のない立法空間の狭い室内の中にある唯一の家具。

 その姿を照らし出しているのは虚ろな鈍色の緑光だった。


 空とは似ても似つかない歪んだ渦を巻く天上世界。

 触れれば引きずり込まれてしまいそうな部屋の上。

 距離感すらも掴めない。

 その先から歯車の音が鳴り響いてくる。


 不愉快以外の何でもない世界。



「……眼が覚めたか」



 男が意識を覚醒すると同時に声が鳴り響く。

 同時に歯車の音が止んだ。



「ウルボロスか」

「左様」



 狭い室内の角、その一隅から何者かが入ってくる気配だけが伝わってくる。



「まだ堕ちてはいない様だな」



 寝台に横たわったままの姿勢で男が呟く。

 心なしか残念そうな声色。



「詰まらぬ望みだ」

「貴様に何が分かる。己の死すら受け入れていない者が、死の先へ逝こうとする俺の望みを否定するな」



 淡々とした言葉には怒気は含まれていなかった。

 気配だけを伝えてくる方向へと瞳が動く。



「獣風情が人の姿を象るな」



 男の瞳に裸身の獣人が映しだされる。



「ここでは姿形が意味を持たない事を貴公も理解していよう。その姿は貴公の心がそう映し出しているにすぎない」



 瞳に映るウルボロスは腕を組んだ姿勢で背後の壁に背中を預けていた。



「貴公にはこの何もない世界がどう見える?」



 覇気を持った青年に見えていたウルボロスの姿が、その言葉を発した途端に聡明な老人の風貌へと変化する。

 その瞳が紅く彩ったと思った時には、ウルボロスの姿は本来の巨浪へと変化していた。


 同時に、明らかにその巨狼の体躯を収めるには狭すぎる室内が、いつの間にか壁が消え去り無限に続く草原へと変化する。



「――狭いだけだ。吐き気がする」



 瞳を閉じる。

 再び開けた時には元の狭い立法空間に世界は戻っていた。

 視線を歪んだ空へと戻したため、ウルボロスの姿も視界から外れる。



「……これが今の俺の心境か」



 口に出した後で男は後悔した。

 空の色が更に鈍る。



「まさかあれに破れるとは思わなかった」



 男が力無く笑う。



「あれが噂に聞く『人形使い』が操る人形か。俺は――まだその程度の強さしか持ち合わせていないのだな。人を捨て、それから五十年もの月日が経ったというのに」



 男の身体が寝台の中へと沈んでいく。



「残された時も、もう少ない」

「卿の命か」



 ウルボロスの言葉に男は頷く事もしない。

 寝台に沈みゆく身体と共に、瞳も徐々に閉じ始めていた。

 夢魔の誘いを拒む事なく、意識が遠のいていく。

 同時に世界も少しずつその形を失っていく。



「眠りに落ちるのか?」



 消えゆく男の姿にウルボロスは言葉を投げ掛ける。



「この機を逃すのは、恐らく貴公にとって必ず後悔する事になろう」

「何度も……その言葉を聞いた気がする。眠りに落ちてもやはり後悔する事はなかった」



 その言葉が最後の返事だと言わんばかりに、男が瞳を閉じる。

 その顔の上まで寝台が浸食を始め、後は夢の中に堕ちるだけだった。



「――レビスの言葉を伝えておく」



 消えゆく意識の彼方で、そんな言葉を聞いた気がする。



「光と星の聖者がこの地に集い、鬼人がその姿を現した。違界より訪れし闇が風の精霊に言葉を託され、許されざる禁忌、巫女が境界を越えた。卿は、その事に気付いている」

「巫女が境界を越えたのか!」



 男の全身を今まさに完全に包み込み終えようとしていた寝台が弾け飛んだ。

 壁が瓦解し、空が吹き荒れ、世界が紅い炎で燃え上がる。

 その全てを掻き消すように男の身体が光を放ち、世界を白で染め上げた。



「ウルボロス」

「問わずともよい。貴公の言葉は聞き飽きた」



 ウルボロスの瞳は、男の事は見ていなかった。

 焦点もあっていない。


 その口から大きな欠伸が出る。

 睡眠不足がその眠そうな顔からうかがえた。

 その睡欲を見たそうと、ウルボロスが身体を曲げ、まるで犬の様に大地に身体を丸めて寝る。

 フサフサの尾が生えていた。



「まずは癒せ。全てはそれからだ。今日明日で事が起きる訳ではない」



 耳が閉じ、身体が狼の姿へと変わる。

 本来の大きさではなく、普通の獣の大きさで眠りに落ちようとする姿は、飼い慣らされた家犬を思い浮かばせる。


 もう一度、その口が大きく欠伸を漏らす。



「それと……」



 なんとも覇気のなくなったウルボロスの姿に、男の見る世界が矮小していく。

 快眠を貪ろうとする姿に影響を受けたのか、消えたはずの寝台が男の横に姿を現していた。


 腰をかけて、ウルボロスの言葉を待つ。

 煮え切らない思いを表しているのか、空が所々紅く燃えていた。

 くすんだ火の様に。



「あれは『人形使い』ではない。巫女の守護者だ。大いなる大自然の緑力に勝てずとも、悔やむ必要はない。あれには、我でも敵わぬ」



 その言葉を残して、ウルボロスの姿は掻き消えていった。

 止める間もない。



「勝手に現れ、勝手に消えるとは――相変わらず勝手な奴だ」



 目覚めたばかりでうまく頭が回らなかった男の口調に、ようやく力の籠もった言葉が吐き出される。

 苦笑したのは自身とウルボロス、どちらを思っての事か。


 そこに突如、大きな瞳だけが空より現れる。

 瞳は瞬きを一つ。

 それから周囲をぐるっと見渡した後、男へと注意を向けた。


 急に寒気を覚えた事に気付き、男が空を見る。

 瞳を発見した時、身体が緊張した。



「また、しくじった様だな」



 二重三重の甲高い声と、鈍い低音の声とが混じり合った奇妙な言葉が落ちてくる。



「カッカッカッ。それも想定内。次は楽しませてくれる事を、期待しておるぞ」



 ただそれだけの言葉を置いて、瞳は渦の中へと消えていった。

 耳障りな言葉に、男のいる世界が軋む。



「何も、楽しむ事などあるはずもない」



 今度こそ一人になった事を確かめた後、男は独り言を呟いた。



「俺は、勝つ。最後には、絶対に――」



 いつの間にか、歯車の音が再び鳴っていた。










 酷い目にあった。

 これまで死にかけた事は何度もあったが、本当に分かりやすい意味で死の恐怖を感じたのはこれが初めてかもしれない。

 巨大な竜と狼が襲ってきた時、人はその絶望的なまでの体格差と力量差に、現実から簡単に逃避してしまう。

 今回のそれも、俺のレベルをまた飛躍的にあげるだけの効果を及ぼしてくれた。


 つまり、現実逃避レベル11。


 遭遇前はレベル7だったのだから、一気に4もアップしてしまった。

 初の二桁台がこの特技というのは悲しすぎる。

 次に高いレベルはまだ5だというのに……。



「いかがなさ……られられました、か?」



 俺を先導して前を歩いていた少女が、思考に耽っていたため思わず抜かしてしまった俺に驚いて後ろから控えめに声を掛けてくる。

 まだその言葉の使い方になれないのか、言葉が少ししどろもどろだった。



「……いや、何でもない。ちょっと考え事をしていただけだ」

「そう、ですか。歩くの……遅くて、その……すみましぇいひゃっ!」



 舌を噛んだようだ。

 ふっ……可愛い奴だ。



「しちゅれい……しまひた」

「気にしなくていい。少し俺が早く歩きすぎただけだ。ゆっくりで構わないから、部屋に案内してくれ」

「ひゃい……」



 まだ舌の痺れがとれないのか、言葉が危うい少女に俺は苦笑を零す。

 恥ずかしいのだろう、少女の顔は少し紅く染まっていた。


 俺の言葉通り、今度は非常に(ヽヽヽ)ゆっくり歩きながら、少女が俺の前を歩く。

 気を抜けば、すぐにぶつかりそうな程、もどかしい遅さ。

 俺の最高レベルとは違い、まだ二桁にはいっていない年齢らしき子供が今日の俺の付き人である。

 別に俺が指定した訳ではない。

 どうやら、本来の付き人がまだダウンしているため、その代わりとして抜擢された様である。

 ただ……恐らくは、俺に抱かせないための人選かもしれないと俺は思っていた。


 ――たぶん、ウィチアを抱いてしまった事で、仕事の報酬がほぼ底をついているのだろう。

 早急に何とかしなければ、俺の残された人生をエンジョイ出来なくなる。



「それでは、しつれいいひゃし……ます」



 他に何か御用はありますか、とは言われなかった。

 もう確実かもしれない。

 まぁ、もしかすると彼女はまだ不慣れなため、言い忘れただけなのかもしれないが。


 さて、それでは迷宮へと向かうとしよう。

 前回よりも多少はレベルが上がっているので、少しだけ期待したい。

 それに、今回は槍を使う事で中距離戦に持ち込む事が出来る。


 多少不安な部分もあったが、俺は手短に準備を整えると、迷宮へと向かっていった。


 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………迷った。


 そういえば、この前来た時に泊まった部屋とは違っていたのを思い出す。

 前の部屋から迷宮の入口に向かう感覚で歩いていたので、真面目に迷ってしまった。

 この教会も、ほとんど迷宮と変わらないぐらいに入り組んでいるな。

 マップのメモを取りながら進んでいかないと、すぐに現在値が分からなくなりそうだ。

 ……もう現在値が分からない訳なのだが。

 誰か通り掛からないだろうか?


 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………たぶん、一時間が経過した。


 足の裏が歩きすぎてちょっと痛い。

 通りすがりの誰かに出会ってもいいと思うのだが、何故か誰も通りかからない。

 何だかおかしすぎる。

 まるで何かの罠にはまってしまったかの様に、無限ループの世界にいる様だった。


 仕方ない。

 手近にある部屋に入って、少し休憩する事としよう。

 ノックをして、中から返事がない事を確認してから俺は扉を開けた。



「!?」



 すると、何故かそこは俺が今日泊まる予定の部屋だった。

 おかしい。

 そんな偶然が起きるものなのだろうか?

 いや、そんな筈はない。

 これは、最初から仕組まれている事と考えた方がいいだろう。

 教会の中を勝手に出歩かない様に、何か特殊な仕掛けが施されているとみた。


 試しにもう一度外に出て、適当に彷徨いてみる。

 やはり誰とも出会わず、どこにも辿り着かない。

 そして、適当に部屋を選んで、その中へと入ってみる。



「これは、確定的だな」



 さて、これはゆゆしき問題だ。

 このままで、俺は迷宮に潜る事ができず、報酬を得る事が出来なくなる。

 報酬を得る事が出来ないという事は、ここでの生活が保障されないという事になる。

 特に一番の楽しみを満喫する事が出来なくなる。


 困った。

 何か打開策がないものかと、部屋の中を見渡す。

 すると、呼び鈴が机の上にちょこんと乗っかっているのを俺は発見した。


 なるほど、そういう仕掛けか。

 各個人に宛がわれた付き人は、そのためのものでもあるという事か。

 勝手に歩き回られる事を防ぐと同時に、監視の役割もしている。

 なかなかに面倒なシステムだ。


 ちりんちりーん。


 軽快な音が室内に木霊する。

 恐らく、この呼び鈴には何か特殊な力が施されているに違いない。

 でなければ、こんな小さな音で人を呼ぶ事など出来はしないだろう。


 暫く待つ。

 ……気を長くして、ゆっくりと待つ。

 …………焦らず、兎に角待つ。

 ………………苛ついては駄目だ、もう少しだけ待ってみよう。

 ……………………。


 ちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりーん。


 たたたたたたたたたたっ。

 バタンっ。


 あ、こけた。


 たたたたっ。

 コンコン。



「お、お呼びでしょう……か?」



 少し涙ぐみながら、先程部屋に案内してくれた少女が現れた。

 どじっこ属性持ちかな?



「迷宮に入りたい。案内して貰えるか?」

「えっ? い、今からですか……?」

「ああ」



 少女は俺の言葉を予期していなかったのか、少し驚いていた。

 さて、何故だろうか。

 もしかして俺に奉仕でもしたかったのだろうか?



「何か不都合でもあるのか?」

「いえ、そういう訳では……。すぐに行かれますか?」

「準備は出来ている」

「かしこまひゃっ! ……りまひは」



 また噛んだ。

 言い直す事も恥ずかしいのか、少女はそのまま俺を先導して部屋の外へと出て行く。


 道中、少女はさっきと比べて歩くペースが随分と早かった。

 もしかしたら何かをしている最中に呼び出してしまったのかもしれない。

 それならば、先程の少女の言葉も、急ぎ足になっている理由も説明がつく。


 程なくして、迷宮の入口に辿り着いた。



「それでは、私はこれで……」



 つれない事に、少女はそそくさと消えていった。

 本当に急いでいたのかもしれない。



「申し訳ありません。彼女はその……何故か間の悪い時に、花摘みに行きたくなる体質でして」



 迷宮の門番をしていた少女が、同僚の不手際をそう言って謝った。

 花摘みとは、十中八九生理現象の事だろう。

 そうか、そういうプレイもたまには……いや、俺にそんな趣味はない。


 俺は謝ってきた少女に苦笑を返してから、門をくぐった。

2014.02.12校正

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