表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
第弐章
30/115

第29話 名乗ることの出来ない名

 想定外の状況となっていた。


 植物にすぎない木が、形を変えて次々と男に向けて襲い掛かっていく。

 切断された幹から新たな芽が咲き、太木となり腕へと化す。

 折れた先は枯れ果て大地へと吸い込まれた後、新たな芽となり木となり敵となる。

 砕いた所で大地の養分となるだけで、人ならざる物の数は減る事はなかった。


 無法地帯の自然界を、巨大な木の人形達がただ一人の男を取り囲む。


 人形達の動きは鈍く、捕まえる事は出来ない。

 動かない木を器用に避けながら、巨体には狭く動き難い森林内で、メキメキと全身を鳴らして奏でる驚異。

 数は時間の経過と共に増え、現在は5体となっていた。


 巨人が右手で握った左腕を引き抜く。

 大地から木を引き抜いた様に、根が張り巡らされた身体から左腕が引きちぎられる。

 無理矢理に破壊された断面はすぐに芽吹いた葉によって覆われた。

 即座に枯れ、養分となるのか身体に吸収される。

 そして数十本にもなる芽。

 今度は葉となる事なく緩やかに成長する。

 絡み合いながら細木は太木へと。

 先端は5つの枝へと別れ、巨大な五指が展開される。


 そんな見飽きた再生には意識を向けず、巨大な棍棒と化した左腕の投撃を男は躱す。

 まともに受けてはひとたまりもない攻撃が、ぶんぶんと勢いよく回転しながら目標を外れて大地へとぶち当たる。

 柔らかい土と葉と草の絨毯となっていた斜面が、まるで爆弾が爆発した様に轟音と共に弾け飛んだ。

 大地が僅かに鳴動し震えるが、それを意に介した者はいない。


 視線の先、遙か頭上の木の上で濃い蒼のローブを着た少女がその様をじっと眺めている。

 何をするまでもなく、ただ傍観している者。

 木の人形の行動範囲から外れた場所で、静かに佇んでいるのが本来相手にするべき存在。


 空虚な瞳を向けて木の枝に座っていた占星術士は、リーブラだった。

 不意に襲ってきた災厄に巻き込まれる事なく、彼女は安全圏内で沈黙を続けている。

 窮地に陥っている仲間を助けにいく事もせずに。


 右にいた巨人の口が大きく開く。

 その技は既に見ている。

 最初の一撃目では驚いたが故に不覚を取ったが、分かっていれば幾らでも対処する事が出来る。


 限界を超えて避けた口から、巨大な種が吐き出された。



「小五月蠅い。邪魔だ」



 棍棒の投擲よりも遙かに速く迫ったそれを、高熱を伴った光の壁で遮り、消し炭に変える。

 そのまま種を飛ばしてきた巨人に近付き、光の壁を真横に凪いだ。



「燃えてろ」



 本来の使い方ではないが、燃えやすい木で出来た人形は触れた先から焼失し、膝下を残して絶命する。

 実体があったかも疑わしい程の、あっさりした焼滅だった。

 焦げた臭いが周囲一体にたちこめる。


 それで終わるのであれば、とても容易い相手。


 人ならざる大自然の守護者に、まともな常識など通用する筈もない。

 膝から下だけになった所で、無尽蔵の再生力を持つ彼等には何ら問題にはならない。

 ただ再生し、甦るのみ。

 そして異物を排除するべく動き続ける。



「いったい、なんだというのだ」



 愚痴る言葉に人形は耳を傾けない。



「久しく呼び起こされたかと思えば、詰まらぬ使いで詰まらぬ者達と戯れなければならないとは、どうかしてる。枢機卿を殺る話はどこにいった?」



 問いに答える者はなく、虚しく独り言に言葉が響いていく。


 背後に迫った巨体に風穴を空ける。

 余裕の一撃を放った後、一拍ほど睨め付けてから続く攻撃で全身ごと焼いて滅する。

 しかし初撃で四散した欠片が大地に到達後、再び発芽。

 見る間に身体が復元されていく。



「術者は何処にいる」



 言葉はリーブラに向けられたものではなかった。

 ここにはいない第三者へと向けられた苛立ちの念が行き場を求めて迷走する。


 一撃で頭部を破砕した木片の飛沫。

 決して柔らかくはない巨人の身体が、人の姿にして常識外れの豪撃により容易く形を失う。

 焼く事ですら無駄だと分かってからは、一方的な武技だけが披露され続けていた。


 無駄に動く事はせず、襲い掛かってきた巨人だけをカウンター気味の力技で粉砕する。

 自身の二倍以上の背丈を持つ木偶人形の四肢が吹き飛び、胴が折られ、頭部が砕ける。

 間近で再生されると次に遅いか掛かってくるまでの時間が短縮されるため、最後に残った余り物は適当に蹴って引き離した。



「ウルボロスはまだか」



 まるで自分は標的外を標的から引き離しておくだけの、時間稼ぎの駒の様に言う。

 その瞳が思い出したかの様にリーブラの方へと向けられる。



「貴様は仲間が心配ではないのか?」



 何度問い掛けた事か。

 幾度目となる沈黙の答えだけが返ってくる。



「人形が」



 本物を前にして侮辱の評価を吐き捨てる。


 男の腕が凪ぎ払われ、その先にいた巨人達の身体が斜めに滅焼される。

 確認する迄もなく男が飛翔。

 傍観するリーブラに向けて距離を詰める。



「――転星」



 リーブラの唇がか細い言葉を呟く。



「サダルメリク、天秤の宮へ」



 淡い光の粒が散光しながら立ち上る。

 美しき輝きがリーブラの周囲を染め、瞬時に包み込んでいく。


 そして光の残滓が完全に消える頃には、男の眼前でリーブラの姿は完全に掻き消えていた。



「宝瓶の宮、ズベン・エス・カマリとする」



 何事もなかったかの様に、遙か先の木の上にリーブラの姿が現れる。

 その唇から漏れる言葉は男には伝わらない。


 気配でその位置を察してようやく男がリーブラの姿を探し当てた時には、彼等の準備が整っていた。


 唸る様な重低音の叫びと共に、大地の上で大口を開けた巨人達の攻撃が一斉に放出。

 空中に一人取り残された男が身体を捻る。

 巨大な五種の砲投花が咲き乱れながら目標目掛けて乱舞する様は、見ている分には拍手喝采ものの美を表現していたが、避ける隙間すらない程に散弾する花弁に襲われた者にとっては驚異以外の何でもなかった。



「巫山戯るな!」



 怒喝と共に男が回避行動を止め、身構える。


 回避が難しい状況ならば、絶対的な力で焼き消せばいい。

 無限の再生力を誇るとはいえ、たかが植物。

 何を畏れる必要があるのか。



「我が陽光にて燃え盛れ……光熱の乱舞フォン・ディエート・カ・ルラ!」



 刹那――。


 光の使い手である襲撃者の身体から眩しき光熱が発せられ、周囲の木々ごと迫り来た乱舞砲弾花の尽くを燃やし尽くした。

 扇状に下方へと解き放たれた焼却の光は、そのまま口を開けて大地に座す5体の人形を飲み込み、灰燼と帰す。

 一瞬の悪夢の後に残ったのは、炭と化した大木の慣れの果てと、緩やかに降りていく男の姿だけだった。


 焦土と化した地面に足を付く。

 その眼前には、炭と化し動かなくなった巨人像。



「フンっ」



 鼻で一笑すると共に男が右腕を薙払い、本物の人形と化した巨人の像を破壊する。



「次は御前だ」



 振り返り、届くはずのない声をリーブラへとぶつける。

 その胴が海老剃りに鋭く折れ曲がった。



「!」



 声にならない悲鳴が男の口から漏れ出る。

 無理矢理吐き出されられた肺の中の空気。


 巨大な拳が男の背に突き刺さっていた。

 海老剃りに背後を見る羽目になった男の瞳がその姿を視界に入れる。

 見飽きた巨人の大きな瞳がそこにはあった。


 拳が振り切られ、男の身体が斜めに空へと殴り飛ばされる。

 刹那の飛翔。

 その行き先へと狙いをすましたかの様に、天に咲く葉々の更に上から巨人が振りてくる。


 両の拳は天へと翳され――。



「!」



 視認すると同時に勢いよく振り下ろされた。


 轟音。

 巨体から繰り出された豪撃は慈悲もなく、男の身体を真正面から撃ち落とす。

 轟音。

 大地へと勢いよく衝突し、大地が穿たれる。


 そしてトドメとばかりに、男を撃ち落とした巨身がその上に着地した。

 だけでは飽きたらず、間もおかず巨人は大地に向けて拳を叩き込み始めた。

 他の巨人達もすぐに集まり、穿たれた場所を囲み、ただひたすらに殴り続ける。


 間断なく続く地響きの音色。

 いつ終わる事もなく、大地が無情に鳴り続ける。



「……」



 一連の唯一の傍観者たるリーブラの瞳には、やはり何の感情も浮かんでいなかった。









 不思議と、彼が取ろうとしていた行動を僕は先に読みとっていた。


 絶対の窮地の場面から助け出してから、ほんの僅かな時しか経過していない。

 気を失っている間に戦局を覆し、十分すぎる程の手傷を相手に負わせ、後は降着状態と見せかけた現在の状況から決め手となる一撃を放つだけとなっていた。

 先程までは。


 長い詠唱が終わり、紡いだ力の一欠片を解放する。


 合図と共に走り始めた愚か者。

 いえ、無謀な人。


 初見の印象から値踏みした戦闘能力の評価は、やはり予想通りの結果を彼は出していた事を思い出す。

 動きは鈍く、身体は鍛えられてもいない。

 技も持たず、法術すら使う事の出来ない一般人以下の存在。

 この場における最大のお荷物。

 見捨ててしまおうとすら考えてしまう他人。

 漆黒の、青年。


 そのどうでもいい彼の命を救っているのは、旅の同伴者であるシルミーがちょっと気に掛けているからという、やはりどうでもいいレベルの理由からだった。

 付け加えるとするなら、目の前で人が死ぬのをあまり見たくないからかもしれない。

 助けて貰った恩は既に返し終えているので該当しない。


 無情になりなさい、という師の言葉を思い出す。

 情によって自らが死んでしまっては意味がないのと、情に流され本当の目的を見失ってしまわない様にと、日頃から身を以て忠告されていた頃を思い出す。

 思い出したくもない。


 最後の言葉を発した時、彼は走り出していた。

 かけ声を掛けた時には、既に横を通り過ぎている。

 ほぼ予想通りの展開。

 読み誤ったのはフライング気味のスタートのタイミングと、想定以上の加速で死竜の真正面へと向かっていった事。


 余裕を持って対処できる筈の事態が、よりにもよってこの瞬間に彼が発揮した潜在能力と悪運によって、彼自身を窮地に陥れた。

 それはそのまま、彼の命をとりあえずは救う予定だった自身への負荷へと変わる。


 読み違えた。

 間に合わない。

 死した竜の口より、一度は消し去った毒炎の息吹が今まさに放たれようとしていた。



「させぬ!」



 咆哮。

 予期せぬ方角からの叫びが、竜の頭部を吹き飛ばす。



「――なっ!?」



 今まさに死ぬ所であった彼の唇から呆然とした言葉が呟かれる。


 驚くべき事態だった。

 その絶対の死を防いだのは、敵である筈の巨狼の咆哮波。

 開け放たれた竜の口には風穴が空き、その先にあった前足すら貫いていた。


 死者に痛みはないが、息吹を吐こうとした瞬間に空けられた穴と衝撃波に、反射的に口を閉じてしまったのだろう。

 行き場を失った毒炎が、塞ぐことの出来ない口の第二穴から漏れ出て死竜の身を炙り始める。

 死者にとって炎は弱点の一つであり、それは自らが吐き出したものだとしても変わる事はない。


 業火に焼かれて初めて死竜に焦りの動作が垣間見える。

 既にその時、この場で最も邪魔な彼の身は巨狼の強烈な一撃の余波で弾き飛ばされ、のたうち回る死竜の側にはいなかった。


 絶好の機会が訪れたのを認識する。

 対象への距離を確認。

 軌跡上と有効範囲に邪魔な存在は皆無。

 妨げる者なし。



「此の先、此の時、此の瞬間。汝が力、汝が色で以て蒼翼と成す」



 全ての条件は整った。

 爽天の風よ、吹き荒れよ。



「其は聖なる風。故に侵される術もなく、自由なる空を舞い踊るのみ」



 我が眼前に立つ、この現世に囚われし迷える魂を彼方へと連れてゆけ。

 聖浄の戒、十翼の羽。



「疾く羽ばたけ――蒼翼の突鳥アウリアル・フューリー!!」



 弓を射る様な左手の先から、蒼爽の力が発動。

 風の織りなす聖なる翼が羽ばたき、鋭き(くちばし)が生み出された。


 風を失った世界に、新しく風を起こす者。

 眩しき蒼光を纏いし聖鳥がその姿を現す。

 そして掻き消えた。



「終わりです」



 告げる言葉は、まさに全てがもう終わった事を皆に宣告するもの。

 視線の先では、既に死竜はそのほとんどの原型を止める事なく絶命していた。


 巨大な何かに貫かれ、大きな風穴を空け身体のほとんどを消失していた亡骸が、ようやく重力を思い出したのか崩れ落ちる。

 嫌な音だけを残して。



「……それが、本当に一撃だったのか」



 あまりに壮絶な光景に、彼が絶句する。



「とすると、最初のあれは……」



 一度は死を前にしたというのに、まだそれだけの言葉を話せる気力を持っていた事に少し驚く。

 あれだけの事があったのに、見た目にもそれほど驚いている様子はなく、早々に冷静さを取り戻して目の前で起きた現実を考察し始める様は、神経がかなり鈍いのか、それとも図太いだけなのか。


 そんな事を考える前に、まだ生き残っている筈のウルボロスの姿を捜す。


 既に滅した意識なき死竜よりも、知性と誇りを宿した死狼の方が遙かに厄介な相手だった。

 不意を突いて一撃を叩き込めたのは幸運で、まともに正面から死合うには危険すぎる相手。

 あの体躯で自在に高速で動き回られては、落ち着いて詠唱する事はままならないだろう。


 もともとウルボロスにやる気がなかったのが、死竜を容易く倒せた大きな要因だった。



「フンっ。少しは出来る小僧とは思っていたが、なかなか小癪な術を持っておる様だな。汝が名、聞いておくとしよう。名を名乗れ、風の使い手」



 油断は、全くしていなかった。

 むしろ十分すぎるほどの警戒を強いていた筈。

 にも関わらず、ウルボロスにいとも簡単に後ろを取られていた。


 動く事を強制的に阻む、殺意なき闘気。

 緊張する背中のすぐ先で、静かだが恐ろしく強烈な威圧感が自身に向けて放たれていた。


 行動を、命を、意思すらも束縛される重圧。



「名乗るべき名は、まだありません」



 回避すら間に合わない瞬速の牙が、自身の頭部を飲み込む様に噛み付いた。

 ……そんな錯覚を覚える程に、ウルボロスの気が一瞬だけ跳ね上がる。



「生殺与奪は我が意にある事を忘れ……」

「ですが」



 ウルボロスの言葉を遮る形にはなったが、構わず言葉を続ける。



「後に名乗る事になるべき名を、今ここで先立って告げる事ならば出来ます」



 いずれ名乗る名。

 それが自身には定められていた。


 但し、まだその偉大なる名を名乗る事は許されていない。

 しかし、それを許してくれる者は……名の継承を行う前に、彼女は恐らく既にこの世から旅立っていた。


 故に、後は自身の覚悟次第。

 そして、その名を名乗る事を認められるのみ。

 意を決して口を開く。



「――我は」

「その名を名乗る資格は御前にはまだない」



 告げようとした言葉を、彼は遮った。

 行動を咎める、鋭い瞳が突き刺さる。


 それまでの印象とは明らかに異なる漆黒の双眸。

 ハーモニーという存在がそこにあった。



「フフンッ。それが汝の本性か」



 ウルボロスが問う。

 明らかに自身への注意が散漫になった事にどうするべきか迷った。



「いや、気分が変わっただけだ」



 含んだ笑みがいっそうに濃く彩る。



「しかし、あんたもリーブラと同じ事を聞いてくるんだな。レビスにしても、俺を過大評価しすぎだと思うんだが……」



 物騒な名が出てきたことに、一瞬心臓が跳ね上がる。

 聞き間違いだと思いたくなるような名。



「奴はえらく汝にご執心の様だ。汝にそれほどの価値があるとは思えぬのだが」



 しかしそれは聞き間違いではなかった様だった。

 全く危機感を覚えていないハーモニーから零れ落ちたレビスという名。



「あなたは……まさか、あの不死賢者から狙われているのですか!」



 冗談ではない。

 いくら自身が名乗ろうとした偉大なる名が人の世で高く評価されていようとも、不死賢者の名の前では霞んでしまう。

 この歴史ある偉大なる名は、今まさに歴史を作り続けている不死賢者のそれとはまるで比較にならない。

 ましてや先代より継承すら行われてない自身が、その名を持つ者と対等以上に胸を張って名乗れる訳がなかった。


 自身が犯そうとしていた過ちに気づき、ハーモニーは止めてくれたのだろうか。



「ん? 不死賢者がどういう存在なのかはあまり分からないが、鬼人と真っ向から殺り合って生きていた御前の方が十分に驚きだと思うんだがな」

「ほう?」



 ウルボロスの興味の瞳が再び自身に向けられる。


 天災にも等しき鬼人と闘うなど、無謀にも程がある。

 ましてや、真っ向から殺し合ってまだ生きている理由が僕には分からなかった。


「レビスですら慎重に接触を避けているというのに、小僧はあれと死合ったというのか」



 微かな驚きと賞賛の言葉。



「なかなか壮絶な光景だった。あの闘いを見せられた後では、ここでの事は戯れにしか感じないな」



 絶対の弱者であるハーモニーが、堂々とウルボロスと言葉をかわしていた。



「引け、ウルボロス」



 ウルボロスの巨大な顔に、ハーモニーの言葉が叩き込まれる。


 気紛れに軽く前足を薙ぐだけで簡単に殺せる距離にまでハーモニーはウルボロスの側まで歩み寄っていた。

 その行為は狂気に等しい。


 もはや彼の命を助けることは自身には無理だった。

 その気すらも沸いてこない。

 無謀すぎる。



「汝が、我に命令するというのか!」



 巨大な気が膨らみ、まるで殺すと言わんばかりの咆哮をウルボロスがあげる。

 まるで豪風の如き威圧。

 気を強く持たなければ心が麻痺してしまいそうな程の覇気が全身をビリビリと振るわせる。


 肌が痛い。

 その覇気を直接叩き込まれたハーモニーが無事であるはずがない。

 一般人ごときが耐えられる様な生易しい気圧ではなかった。



「笑止!」



 だが、ハーモニーは立っていた。

 戦慄が走る。

 言い様のない驚きが自身を包む。



「初めから闘う気などない者が、いったい何をしに来た?」



 ハーモニーの手が巨狼の前足に触れる。



「死しても尚、その朽ちた身を生きながらえさせているのは、生への執着心からか?」



 全く臆する様子もなく、頭上のウルボロスの顔をハーモニーが見上げる。

 年不相応の貫禄を帯びた青年の顔が、真っ直ぐに巨狼を見据えていた。



「触るな、下郎」



 低く唸る喉。

 怒り。


 本当に、気分一つでハーモニーの命はウルボロスによって散る。

 それはとても容易い事だった。

 それはいつ起きてもおかしくはない。



「誇りまで失って、何を求める気だ。誇り高き者よ」

「言うな!」



 悲鳴の様な声だった。


 ウルボロスの腕が動く。

 それは引き金でもあった。


 衝撃。

 あっという間の出来事だった。

 痺れた腕が痛い。

 血を流した腕が重く肩にのしかかる。

 そして何より、我が身に驚いた。



「なぜ……」



 言葉にしても、やはり信じられなかった。



「どうして、僕は貴方を助けている?」



 掲げられた腕が、巨狼の一撃を受け止めていた。

 理解不能。

 巨狼の瞳も驚きに見開かれていた。



「あの時もそうだったな。御前はやはり、俺の命を助けてくれた」

「分からない」



 呆然と呟きつつ、前足の進攻を妨げた腕を跳ね上げる。

 そして薙ぐ。

 生み出された風の刃が眼前の敵へと向かうが、一瞬早くそれに気が付いた巨狼が間一髪に顔を反らせて直撃を避ける。

 だが間近で放たれたため、回避仕切れずその頬が鋭く切れた。

 血は、飛沫かない。


 その避けた額に掌打が打ち込む。

 ウルボロスの顔が歪む。


 踏み込んだ足を軸に僅かな回転力を乗せ、更にもう一薙の風刃。

 掌打を受けても見開かれていた瞳がそれをしっかりと見ていたため、二撃目は流石に入る事はなかった。

 ただ狼の毛を数十本刈り取っただけに終わる。


 そのままウルボロスは間合いを抜け、自身と距離を取った。



「一興」



 意味不明の言葉を呟くハーモニー。

 今は無視する。



「闘法戦術の心得があったか」



 ウルボロスが口の端を緩める。

 それまでの笑みとは明らかに異なる、喜びの表情。



「一興」



 今度はウルボロスがその言葉を呟いた。



「まことに一興なり」

「それもまた一興、故に」

「我は汝を好敵手として、ここに認めるとしよう」



 奇妙にもハーモニーの言葉がウルボロスの言葉と連なり合った。

 この構図は、いったい?



「我が名はハーモニー。そしてこの者の名はフェイト・ジーン=ロー」



 自身の意思を無視して、勝手に名乗りが上げられる。

 しかも名乗ってすらいない名をも付け加えて。


 状況の変化に全くついていけない。

 逆に無力の筈の青年が、この場の主導権を握っているかの様に振る舞っていた。


 ウルボロスが戦闘態勢を解き、高めていた気をほぐす。

 赤光の二つの眼が、自身を真っ直ぐに射抜く。



「此度の戯れ事に我をも呼びだしたのは、そういう事か」



 眼は喜びを飲み干したように輝き、深い納得の色があった。

 死した顔に知性が灯っている。

 牙と爪の先から香るのは、他者の血の臭い。


 やはり先程倒した死竜とは明らかに格が違う敵だった。



「汝が名はハーモニーと言ったか」



 うなずいて、ハーモニーが笑む。

 その顔が一瞬にして鋭い爪で一文字に斬り裂かれる。



「貴公はいまここで殺しておくべきなのだろう」



 しかし、血は飛沫かなかった。


 僅かに遅れて、ハーモニーの姿が光の粒子と化して消えていく。

 ウルボロスは手応えがなかった事にも驚かない。


 殺されても当然だと思っていた自身は、意表を突く突然の行動にも驚きはしても特には何も感じなかった。

 身体も今度は意にそって動かなかい。

 非常ではあるが、ウルボロスが相手ではそれだけの余裕もなかった。



「磨羯の宮、カストルに帰す」



 突然にどこからともなく現れた占星術士が、意味不明の言葉を告げ右腕を振る。



「ジャバト・アル・アクラブを此に」

「ん?」



 すると、忽然と姿を消したハーモニーが光の粒子と共に現れた。

 瞬間移動をした本人には、それをどう感じたのか。


 恐らくはあの少女リーブラの手によるものなのだろうが、瞬間移動させられなければ本当は死んでいた事など梅雨にも思っていない様子だった。

 突然に変わった景色と立ち位置を不思議に思いつつ、左にリーブラがいた事に気が付いて再開を喜んでいる。

 呑気にリーブラの頭を撫でていた。



「星の子よ、邪魔をするな」

「させない」



 抑揚のない拒絶の言葉。

 リーブラの瞳に意思の光はないが、威嚇する巨浪にたじろぐ事もない。



「その者の闇は不吉を運ぶ。いずれ御前等も飲み込まれてしまうぞ」



 ウルボロスが鼻を鳴らして踵を返す。

 去り際の一言が残される。



「それが運命なら」



 続く言葉はなかった。


 その応えだけを聞いて、ウルボロスが薄闇へと颯爽と去る。

 音もなく、影もなく。


 ようやく一息がつける。

 だが、薄闇になるにはまだ早すぎる時間帯。

 辺りのこの暗さは明らかに異常だった。



「――続いて第二幕か?」



 一度は経験した事があるのだろう。

 ハーモニーが不吉な言葉を吐き、やがてその通りになった。

2014.02.12校正

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ