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不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
第弐章
28/115

第27話 死竜の息吹

 席には四人が座っていた。


 一人は少女、黒衣を纏う白銀の髪を持った小柄な術士。

 一人は女性、存在感が希薄なのに、遠目からでも分かる美貌で男性の瞳を引きつける。

 一人は少女、猫に似た風貌を持った可愛い容姿と活気に満ちた肢体が印象的。


 そして人目を引きつける三種三様の彼女達と共にいる、一人の男性。

 見た事のない衣服、漆黒に身を包んだ彼だけが明らかに異質だった。


 三人の注意だけでなく給仕の少女達までもが彼に興味を持ち、それだけでなく此処にいる全ての者達から注視されている。

 殺気すら感じるのは妬みからくるものだろうが、厄介事には不干渉を決め込む者も少なくないこの場所で、あからさまに全員が意識を向けているのは異質と言うより他なかった。


 木と銀に支配された空間。

 木造建ての室内には木製のテーブルと椅子が所狭しと並べられ、今日の様に晴れた日には縁側を開放し外にまで店が広げられる。

 そのテーブルの上に置かれた食器の類が、ほとんどが木製なのは何処に行ってもそう変わる物ではないが、ごく一部だけ見事な装飾に彩られた銀色のフォークやスプーンが飾られていた。

 見るからに上等と言えるそれらは、カウンター奥の棚に鎮座しそこから出てくる事はない。


 夜には酒場と化す宿屋付属の食事処は、朝早くに出立する者達のために、かなり早い時間から営業を開始している良心的な店だった。

 森の最奥にある村のただ一件の宿は、村を中継地点として更に奥にある教会を訪れる者達の面倒を一手に引き受けると同時に、その利益の全てを独占する。

 その宿の利益自体が村の利益に直結しているため、村人が総出で宿を支えている形を取り、また奥の教会とも強く結びついている。

 深き森の奥にあっても来訪客が訪れるのは、その奥にある教会が尽きる事のない仕事の依頼を出しているからだった。


 そして、人が集まるにはそれ以外の理由もある。

 苦労に見合うだけの魅力があるからこそ、深く危険な森の奥地にある此処へ彼等はやってきていた。


 この地は『緑園(テーゼ)』と呼ばれている聖域の森。

 大陸の南方に位置する広大な森は、かつては人の住める土地ではなかった。

 世界に蔓延る人ならざる存在《魔者》と、大自然の驚異たる災害に加え、森を守護する強大な力を持った精霊の加護。

 そして自ら《人》より堕ちた死する大賢者の邪なる意思によって、森は外界からの進入を妨げられ続け、入らざるべき聖域として大陸の人々より畏怖されていた。


 時代の進歩と経過と共に今ではかなり奥地にまで人の手が入り、その最奥となる場所に教会が建っている。

 それより先は森を守る精霊の加護により進入不可侵と指定され、踏みいる者の命は保証されていない。

 村や教会までの道中も命の保証はないため、基本的にある程度以上の力を持った者しかこの地を訪れる者はいなかった。

 勿論、教会による選別も行われている訳だが。


 そこにふって沸いた様に現れた、明らかに力を持っていない謎の存在。

 五日前に忽然と姿を現したという全身を漆黒で統一した非戦闘種の一般人に、いま此処は不思議と騒然に包まれていた。

 それに気が付いていないのは浮世離れした当の本人と一部の鈍感な者達だけであり、その彼を取り巻く三人の女性もその事には気が付いている。


 過去に一回だけ起きたとある事件以降、約五十年にもおよび平穏を保ってきたこの地に新たな災いをもたらす者となるのかは誰にも分からない。

 だが既に種は撒かれ、前触れは起こり、様々な陰謀は張り巡らされている。

 後は、その時を待つだけだった。



「聖者への試練にしては、あまりにも危険すぎはしませんか?」



 静敬たる声の指摘に、男はゆっくりと首を振って答える。



「仮にも大陸最強の名を継ぐのです。彼には相応の結果を出して貰わなければ、双皇女様も満足して頂けないでしょう」



 静かで丁寧な言葉。

 他の者達と同様に観察者の瞳で今一度青年の姿を映す。

 青年は立ち上がっていた。



「私達ですら手に余る方々を上手く利用出来るのですか?」

「利用しているつもりはありませんよ」



 涼しい顔で男は答える。

 観察者であり、ただの傍観者でもある事を主張している様だった。

 納得のいかない姿なき声が三度質問する。



「不確定要素があまりにも多すぎるかと。彼の者は特に」



 答える言葉はなく、静寂が続く。

 黒衣の主を追って姿を消した青年に続き、威厳ある美女がその後を追う。

 四人の中で舞人の猫娘だけが行く先が異なっていた。


 すぐにテーブル上に残された皿と杯を給仕の少女達が片付け、新たな客を席へと案内する。

 身体に見合わぬ長重槍斧を軽々と手に持つ歴戦を思わせる短身の老戦士と、分厚い大剣二本を背に交差させ背負った屈強の傭兵剣士がまず座り、重剣が収納された大盾を壁に立て掛けた重装の鎧戦士が兜のみを外した姿で現れる。

 椅子が軋み床が悲鳴を上げていたが誰も気にする事はない。


 先程は4人でもまだ余裕があったテーブルが、今度はそのたった三人によって満席となっていた。

 見た目通り大食漢であった三人が次々と料理を注文する度にテーブルの隙間が埋まっていき、まるで争うかの様に三人は料理を平らげていく。

 見ているだけで胸焼けしそうな光景だった。


 同様に、興味の対象をなくした傭兵や戦士達が至る所で思い出した様に注文を開始しはじめ、それまでの静けさが嘘の様に一瞬にして霧散していた。

 いつもの活気と騒々しさを取り戻した食堂に給仕の少女達が小走りに行き交い、あのいつもと違う静けさが何であったのかを考える暇もなく仕事に忙殺される。


 その一人が律儀にも食堂の隅の席にまでやってきて追加の注文を聞いてきたが、青年は軽く手を振って断った。

 代わりに代金を渡して席を立つ。

 白衣のローブの下から白銀の鎧が僅かに姿を覗かせ、立ち上がった拍子に微かにシャランと鳴る。



「どちらへ?」



 語り掛けてくる言葉に、答えは返されなかった。












 深い森の中へと入り、道には見えない道を進む。

 一度は整備された山道は、長い年月を経て雑草の生い茂る自然道へと姿を変え、不定期にではあるがその道を通る者達が無ければたちまちに道の姿を失ってしまう。

 雑草が踏みしめられている事で僅かに周りと違和感を感じながら、自身もまたその道を慣らす者へ。



「歩きにくいですねー」



 先行く旅の随行者が間食を取りながら、話し掛けてきた。



「足を取られない様に気を付けて下さいね、シルミー。注意して行きましょう」



 そうは言えど、軽快な速度で先行するシルミーに追いついていかないといけないため、足下への注意は散漫にならざるをえない。

 獣らしく道無き山道には慣れているのか、シルミーの足取りは無駄がなく、いつの間にか主導権を取られていた。

 本当に歩きにくいと思っているのかも疑わしいぐらいに軽やかなステップが舞う。


 用心しつつ、そのうち転ぶだろうとも予想しながら足早に歩を進める。



「フェイも食べるー?」

「いえ、結構です」



 不作法に食べ歩きまでしている猫の体力は、いつになったら陰りを見せるのか。

 反面、軽い食事はとったものの、山道には慣れていない身体が疲労を訴え汗を浮かばせる。

 この進軍速度に加えてまだ全快とはいえないこの身体には、正直言ってまだ持久力がない

 少しずつ慣らしてはいるものの、まだ当分は掛かりそうだった。



「あ、そうそう。聞くのをすっかり忘れてたんだけどー」



 シルミーが振り向いて、器用にも後ろ歩きに獣道を登りながら見下ろしてくる。



「これから何をしに行くのー?」

「………」



 答える気もなくなって、沈黙と笑顔だけで答えを返す。



「んに?」



 沈黙と笑顔の意味が分からずシルミーが首を傾げる。

 結果、重心の変動と足下への注意を疎かにした罰がシルミーの身を襲う。

 お尻を打ち付ける音が響く。



「うう……痛いです」

「ちゃんと前を向いて歩かないからです」



 手を差し出して起き上がらせる。

 幸いにして獣道に生い茂る草がクッションの役割を果たしてくれた模様で、大事はなさそうだった。



「少し、休憩を取りますか?」



 頃合いを計っていた所に運良く舞い込んできたチャンスを逃す手はない。

 答えを聞く前に掴んだ腕を促して、腰掛けられそうな道の脇の方へと誘導する。

 敷き詰められた枯葉の一箇所に、極々近い時間に休憩を取ったらしき名残があった。

 二人分の跡。



「そこに座り……」



 降ろし掛けた腰を止めて、背後を振り返った。



「――なんだ、誰かと思えばお前達か」

「誰ですか?」



 重なる言葉。

 警戒を解く音色と警戒を高める音律が響く。

 腕を引いてシルミーを背後に。

 残った方の腕で構える。


 瞳に捉えたのは漆黒の青年。

 どう見ても怪しき存在。



「あれ、ハモちゃん? それにリーブラちゃんも。奇遇だねー」



 場の雰囲気が一瞬にして粉々に砕けた。



「ちゃんを付けるな、ちゃんを。それと略して呼ぶな。俺は子供か」

「んに。可愛いのにー」



 どこをどう見ればあれを可愛いと見えるのか。

 少しだけ目付きが鋭く理知的な風貌にクールな雰囲気を漂わせた黒い存在。

 見た目の年齢は自身と同じくらいか、少し上。

 声質は低めで、瞳と髪の色は珍しく黒で一緒だった。

 黒い上着を着ていた。

 黒いズボンを履いていた。

 黒の革手袋を着用していた。

 しかも指貫。

 黒のブーツが重そうだった。


 肌の色さえ黒ければまさに黒一色だったが、唯一そこだけが正常色の異質な男性。

 その傍らには、黒というよりは青に近い藍色のローブを纏った清純そうな少女。

 その汚れ無き白銀の瞳がゆっくりと横にいる青年の顔の方を向き……。



「……ハモちゃん」



 前言撤回。

 天然かつ機械的な硬質の表情を持った少女は、よく見れば知っている顔だった。

 今朝方に部屋の前ですれ違ったのも思い出す。

 あの時は顔は見えなかったが、纏っている雰囲気が同じなのと、感情の色が全く感じ取れないのが同じだった。

 その時のイメージと、先程発した言葉とが噛み合わないのはとりあえず置いておく事にする。

 名は、リーブラと言った。


 そして、この『なんだか分からない黒い人』と見立てた単なる一般人っぽい怪しき人物の名は、ハーモニー。 



「……ハーモニーだ。御前までちゃん付けしてくれるな」



 呆れた顔をして、自らの正式名を名乗った青年は、少女の頭に手を置いてグリグリした。

 小動物の様に少女の瞳が潰れる。


 結局、どちらも知っている人物だったので、とりあえず警戒をとく。



「傷の具合はどうだ? ロー」



 咄嗟には返せなかった。

 意識に隙間が出来た瞬間を狙っての問い掛けが、疑問となって突き刺さる。



「……問題ありません」



 強がって答える。

 正直言って、僕はこの人にあまり良い印象は持っていない。

 どちらかというと、間違いなく悪印象。



「そうか。それより、御前等もまた迷宮に潜りに行くのか?」

「んに? そうだよー」



 即答したシルミーに、先程の僕との会話は何だったのかと問い詰めたい。



「目的は、一緒の様ですね」

「やはりそうか」



 言って、リーブラの方へとハーモニーの視線が向く。

 その視線をリーブラが真っ直ぐに見つめ返す。

 表情のない顔に浮かぶ瞳の色からは何も感じる事は出来なかったが、素振りからは何かを訴えている様にも見えないでもなかった。

 むしろ主導権もしくは決定権が彼女の方にあるのでは、とも思う。

 少し意外だ。


 目の会話が終了する。

 何らかの手段によって相互に意思疎通が成されたのだろうか。



「折角の縁だ。また、迷宮に一緒に潜らないか?」



 黒瞳の奥に隠されている深淵の眼差しは、確実に何かしらの意図を潜めてこちらを見下ろしていた。

 ほとんど物言わぬ人形みたいな同胞は、黙したまま真っ直ぐに前だけを見つめている。

 その先には何故か一時的に静観して呑気に笑っている猫の姿。

 互いに意見を述べる事もせず、この会話には踏み込んでこない。



「色々聞きたい事もあるしな。受けてくれると助かる」



 ハーモニーの口から提案の言葉が出てきた事に驚く理由はなかった。

 しかし即答だけは控える。

 但し、考える素振りは見せない。



「少し考えさせて下さい」



 答えは決まっていた。

 故に嘘を吐く。


 現実のリスクとメリットを考えれば受諾しても問題はない。

 だが、もう少しだけ見定める時間が欲しい。

 答えが決まっているからこそ。



「見た目の印象通り、用心深いんだな」

「性分ですので」

「これまでの人生訓、の間違いだろ?」



 その問いに答えるつもりはない。

 代わりに質問を投げかけてみる。



「ハーモニーさんは、自分が何者なのか分かりますか?」

「うん?」



 突然の意味不明の僕の質問に、ハーモニーが妙な声をあげた。



「それは何だ? 何か意図あっての質問なのか?」

「はい。一つ、五日前の事に関して、どうしても解けない謎がありまして」

「……」



 ハーモニーの瞳が細くなり、鋭さを帯びる。


 五日前の事を少し思い出す。

 僕は、鬼人と闘い敗れた。

 それは苦い経験であり、あまり思い出したくもない過去である。

 だが、それに関しては僕自身も納得がいっているため、問題にはしていない。


 問題なのは、その直前の事。

 僕がその鬼人と闘う切っ掛けとなった、あの闇の空間。


――それは、漆黒に歪む球状の霧。

 夜闇よりなお深く――

 混沌よりも純粋に彩り――

 漆黒の煌めきが如き、仄かなる静謐の園。


 その闇は、月の光を受けても大地へと通す事なく、まるで光を吸収しているかの様に黒く浮かび上がっていた。


 そこから、一人の男が出てきたのを僕はハッキリと覚えている。

 その人物像が、微かにだが今ここにいるこの人にとても良く似ていた。


 一つ、僕はある仮説をこの人に対してたてている。

 それは、夜の淵より零れ堕ちし隣人の一滴。

 暗闇の監獄より這い出せし、異界よりの訪問者。



闇の敵(ダークエネミー)

「!?」



 その言葉は小鳥が囀る様に、鋭く響いた。

 リーブラの言葉に、ハーモニーが愉快そうに鼻で嗤う。



「貴方はっ……!!」

「いや、違うから安心しろ」 



 ハーモニーが無造作に冷静な言葉で諫める。

 唯一、二人の言葉に驚いて緊張を高めていた自身だけが、やり場のなくなった緊張感と切れた糸に翻弄され、沈黙の間をもたらす。

 シルミーの不思議そうな視線。



「適当な事を言うな、リーブラ」



 コツンっとリーブラの頭をハーモニーが小突く。



「同じ様な者」



 本当にそうだとすれば、呑気に会話などしていられる筈もない。

 だが、それは冗談でもありながら、的を射ているのかもしれなかった。



「……あの時、存在なき闇の霧の中にいたのは――」

「ああ、そうだ」



 まるで誇らしげに。



「あの闇から出てきたのは、たぶん俺だ」



 ハーモニーの告白に、すぐに言葉を返す事が出来なかった。

 偶然に居合わせた者として、告げられた言葉は脳を通り身体中を震撼させる。


 唇の端に僅かな笑みを浮かべた漆黒の訪問者が黙して言葉を待つ。

 それは、純粋に喜びと期待のみを現していた。


 白銀の瞳が二つ、注がれる。

 リーブラの視線はまるで自身を試しているかの様に見つめていた。

 そこに光はなく、多くを口にする事の無い少女の無情の顔が、ただ固定されているだけ。



「そしてその俺を、闇ごと破壊しようとした奴から助けてくれたのが御前だな、ロー」



 温もりを忘れたパンの様に乾いた言葉の先には、空けた間で少しだけ羞恥の混ざった感謝の意が続く。

 そこに言葉は混ざっていない。


 パズルのピースがまた一つ揃う。

 同時にそれまで見えていなかったパズル枠が、その広大さを物語るかの様に闇に沈んだ面の一端を浮かび上がらせていた。


 目を粒って、そのパズルのピースを今一度よく見てみる。



「――闇の敵(ダークエネミー)。確かに、そうですね……」



 自身が同意した事に、ハーモニーが少し怪訝な顔をする。

 その言葉の比喩を、恐らくハーモニーは知らないのだろう。

 本当に異界からの訪問者であるならば、知らなくてもおかしくはない。



「あの後……僕はどうなったのですか?」



 ようやく本題へと繋がってきた会話。

 リーブラにじゃれているシルミーの事は無視して、只ならぬ存在のハーモニーにだけ気持ちを集中させる。

 邪魔さえ入らなければ情報を引き出すのはそれほど難しくない様に思えた。



「今こうして五体無事にいるのだから、助かったんだろう?」



 明らかにはぐらかしている言葉。

 いや、勿体ぶっているのか。



「むしろ驚愕に値する。たった二日で全快か」

「外面だけです。まだ中の方には相当なダメージが残っています」

「瀕死の重傷だったんだ、死体も同然の。普通、一月は屍と変わらない。暫くは寝たきりの生活かと思っていたが……」



 ハーモニーの言葉は間違ってはいなかった。

 事によっては、本当にそうだったかもしれないのだから。



「優れた治療士が二人、必死に介抱してくれたそうです。彼等がいなければ、今頃は風と共に旅をしていたかもしれません」



 ハーモニーが一瞬、疑問の表情を浮かべる。

 親指を上頬に差し、額に人差し指と中指をあてて少し考える。

 まるで右目を大きくえぐろうとするかの様な独特の思考姿勢。


 だがすぐに解決したのか、微笑を浮かべて腕を組む。



「便利な世の中だな」



 まるでどうでも良い事の様に言う。


 風と共に旅をする、という比喩をハーモニーは恐らく知らない筈だった。

 その疑問が本当に解決したのかは分からなかったが、たった二日で重傷の傷が歩けるにまで回復したという結果に関しては、おおむね納得出来る理由に辿りついたのだろう。



「それで、どうだった?」

「何がですか?」



 さっきよりも期待に満ちていた言葉。

 質問の意味が分からない。

 期待という喜びを口元で表現しながらハーモニーが言葉を継ぎ足す。



「楽しかったか、と聞いてるんだ」



 心臓の鼓動が止まる。



「全力を賭しても決して敵わない、鬼人の如き羅刹と純粋に命のやりとりをしたんだ。遙か高みにある強者と死合うのを、潜在的に闘士の資質を持ち合わせている御前が分からない訳がないだろう?」



 狂喜の資質をその内に宿した笑みが僅かに零れ落ちていた。



「僕はただ、死を前にして恐怖し抗っていただけに過ぎません。いまこうして立っていられるのは単なる奇跡です」



 何を、話しているのか。

 単なる奇跡などある訳がないのに。



「その喜びを否定し、隠して忘れるのは御前の自由だ」

「恐怖が喜び、ですか?」

「一級の触媒になりうる心の揺らぎ、と言った所か」



 分からない。



「まぁ、そのうち分かる時が来るだろう。ただの戯れ言として聞き流してくれ」



 ハーモニーが顎に手を当てて、また鼻で笑う。

 少し不愉快にさせる仕草だった。



「シルミー」

「んに?」



 直立不動で成り行きを静観していたリーブラに抱き付いて頬ずりをしていたシルミーが呼ばれて顔を上げる。



「ローが目を覚ましたのはいつなんだ?」



 本人が目の前にいるのだから直接聞いてくれれば良い事なのに、ハーモニーがシルミーに質問を投げ掛ける。

 どこかに天の邪鬼な気質を持っているのか、それともこちらの情報を探っているのか。



「朝だよー」



 警戒する色も無く、プライバシーに関わる情報をさらりとシルミーの口から流れ出る。



「朝、ね……」



 ハーモニーが呆れて言う。



「そんなボロボロの身体で、よく迷宮に潜る気になったな」



 隠す必要もなかったので、その質問には素直に答える。



「貴方の方が遙かに弱い」



 温もりのない眼差しと冷たい言葉がリーブラより送られる。

 本当にそうなのであれば、共に行動するのは憂慮すべき選択肢である。

 特に、怪我人である今の自身よりも遙かに戦闘能力が劣っているというのは、戦闘に関して言えば助力はまるで当てにならない程に……早く言えば、足手まといになる。



「ハーモニーさんは、どうしてこの仕事を?」

「簡単な理由だな」



 余裕の態度でハーモニーが言葉を返す。



「食べるお金に困っているから、働くだけだ」

「そう切羽詰まっている様には見えませんが……」



 ハーモニーの斜め後ろで置物の様に立ちつくしたままのリーブラの姿を見てみる。

 ローブは上質、血色も悪く無い。

 戦闘能力は折り紙付き。

 纏っている雰囲気からしても、並の使い手では到底太刀打ちできないだろう強さが滲み出ていた。


 特に……彼女には、隙がない。



「そうだな」



 あっさり同意してハーモニーが鼻で笑う。

 先程とは違い、多少は好感の持てる笑みだった。

 続く冗談を言うのに迷うかの様に、少し間を置き、ハーモニーが続ける。



「御前に興味が沸いた。これでは不服か?」

「迷惑です」



 完全な嘘ではないにしろ、冗談だと分かっていたのでキッパリと本心で答える。



「じゃあ、こんなのはどうだ? シルミーに惚れたから、まずは適当な理由をでっち上げて相方の御前に近付いて縁を深めようとしている」

「ありがと、ハモハモ―♪」



 機嫌を良くしたシルミーがハーモニーの腰に後ろから抱き付く。

 ここで毅然としていれば恰好が付いたのだろうが、生憎と女性への免疫に欠けていたのだろう。

 なんとかして平然を保とうとはしていたが、ハーモニーの顔には喜びがしっかりと滲み出ていた。

 緊張する汗と一緒に。



「リーブラさんという、とても可愛いらしい方が側にいらっしゃるのにですか?」

「英雄、色を好む」



 どこの誰が英雄なのか。



「――いつか刺されても、私は知りませんよ」

「そう言われるのは、これで何度目かな」



 女性の嫉妬は怖い。

 例えそれが色恋沙汰でなくても。

 リーブラの手がしっかりとハーモニーの服の袖を掴んでいるのがとても微笑ましかった。


 ハーモニーは抱き付くシルミーの腕を優しくひっぺがして、リーブラの方へと誘導する。

 吸い付く様にシルミーがリーブラの身体に再び抱き付く。

 少し煩わしそうに見えるのは、たぶん気のせいだろう。

 時折喋る以外には、最初からずっと変わらない。

 そこに感情の色は全く見えなかった。



「さて、雑談もそろそろ終わり時か? 少し休憩が長すぎたな」



 何故か喜ぶ様にハーモニーが告げる。

 その言葉は何か予感めいていた。



「それで、どうする?」

「どうしましょうか?」



 シルミーに言葉を投げ掛けてはみたものの、予想通り答えらしい答えは返ってこなかった。

 そもそも、仕事をしにいくと決めたのは自身であり、彼女はただの付き添いに過ぎない。

 勝手に付いてきただけだった。

 故に、この件に関してはどちらの答えであってもシルミーは構わないと思っている筈である。



「こういう利害の絡んだ話を、その場ですぐ承諾するのは少し難しいですね」



 もう一度、よく考え直してみると見えてくる疑問もある。


 果たして、この場でハーモニーとリーブラに出会ったのは、単なる偶然なのか。

 木に寄りかかってくつろいでいる様に見えて、内心では慣れない事をして緊張しているのがあからさまな、挙動不審の無力な男性。

 腕を組んでるのは、その自信のない心を落ち着かせるためにも見えてくる。


 無関心に見えて、その実すべてを見聞きしているリーブラにしても、怪しさで言えば語る迄もなく、そう簡単に心を許せる相手でもなかった。

 何より隙のない姿は、戦いの中に身を置く者としては珍しくなくとも、見た目通りの若さならば警戒すべき美点としてどうしても映ってしまう。

 瞳の中心に捉えていなくとも、視界の隅に映る自身の思考する姿をじっくりと観察し、その時が来るまで情報を集め続けているのでは、と勘繰ってしまうのは自身の悪い癖だけが原因ではないだろう。


 再びハーモニーへと注意を戻す。

 黒き者は、瞳を閉じ額に右手中指を当てて、何かを考えていた。

 いや、その素振りを見せていた。

 待つ事が嫌いなタイプだ。


 面には出していないがそれを感じた瞬間、自身の脳裏に嫌な閃きがはしる。

 その閃きを、現実で先に察したのか、リーブラの瞳が今までとは全く別の方向へと向いていた。



「!?」



 予感が結論に達する。


 リーブラから離れて自身の背後へと忍び寄っていた悪戯者の猫の身体を無理矢理抱えて、背後へと跳躍。

 力を紡ぎながら、リーブラによって待避させられるハーモニーの姿をこの目でとらえる。

 顔には驚きの表情が浮かんでいたが、その口元はすぐに笑みへと変わっていた。

 そして、自身の耳には届かない声量で、独り言に呟く。


 来たか、と。



「シルミー、頭を低くして下さい!」



 返ってくる返事を待たず、強引にシルミーの頭を地面近くまで下げる。

 その上から覆い被さり、紡いだ風の防御壁を地面に対して斜めに展開。

 元々、坂道の斜面だった所から伸びた防御の膜は、世界に対して不思議な角度で生成された。



「――来ます」



 その前方、木々によって遮られた森の彼方から、世界を横断する熱光が迫る。

 それは木々を焼く事なく大気のみを燃やし、辺り一面を赤光の色で染め上げた。


 陽光が降り注ぐ森林が熱波によって急激にその温度を上昇させる。

 空を飛ぶ虫達は一瞬にして燃え尽き、風に揺られながら優雅に地面へと落ち向かっていた葉が炭へと変わり果てる。

 それはほんの僅かな時間のみ続き、音もなく過ぎ去っていった。



「くる」



 その攻撃が消失するのを待って魔法障壁を解除するのと同時に、リーブラが空へと飛び出る。

 いや、回避した。


 少し遅れて、何かが落ちた衝撃が響く。

 その音は、今し方までリーブラとハーモニーがいた場所からだった。

 確認できた姿がリーブラだけだった事に、一瞬脳裏にハーモニーがその何かに押し潰された無惨な姿を思い浮かべてしまう。

 例えその何かを察する事が出来たとしても、自身の位置からでは彼を救う事は出来なかった。

 もしもの時を考え、先に内心で謝罪をしておく。



「ロー! 後ろだっ!」



 それはやはり杞憂の事。

 ハーモニーの叫びに反応し振り向くと、表面を炭と化した木々の向こう側から、今まさに死の息吹を解き放とうとしていた死竜の姿があった。

 先程までは存在していなかった巨大な体躯が木々に前足をかけて狙いを定めている。


 謎の襲撃者と突然の襲来が、生命が危険に晒されている事の察知を遅らせた。


 闇紫色に澱む毒霧の風が、こちらに迫ってくる。

 高熱を伴う息吹は所々紅蓮に燃え盛っていた、と思った時には視界が揺れていた。 



淡き燐光の円舞フォールド・エンブ・ェプト



 シルミーの布が舞う。

 優雅な弧を描き、燐光に包まれた布膜が猛襲する霧の息吹を余さずすくいあげ上方へと()なしていく。

 その高熱に焼かれる事のない薄い長布を片手に、シルミーが緩やかにターンを舞う。

 布の内と外での時間の流れを錯覚させる程に、彼女の舞はとても綺麗だった。


 死竜の息吹は標的の自身を焼く事なく、布に遮られ四方のみを死で焼き尽くす。

 無限の肺活量を誇るのか毒霧の息吹はすぐに止まず、辺りを毒に染め貪り続けていく。

 死を撒き散らす開口。



「助かりました、シルミー。ありがとうございます」



 踊りに集中しているためか、シルミーからの返事は返ってこない。

 踊り子という職業には、その実、戦闘支援に特化した舞踊士という特殊な上級職が存在する。

 発声を媒体にした詠唱による集中を得意とする自身とは異なり、シルミーは踊りによって精神を集中させ、法技・術式を発動させる舞踊士。

 その集中力を乱せば、その防御結界によって守られている二人の命が危険にさらされる事になる。

 僅か一動作で強固な防御結界を作り上げる事は出来ても、永続する舞踊によってそれを維持しなければならないのがこの結界壁の弱点の一つだった。


 前方のみに展開された球状の防御膜が、澱みうねった息吹によって攻撃を受け続ける。

 吐出時に鳴る叫び声を媒体にした詠唱による【魔】の法技。

 胸元に空いた肺より大気を吸い続ける事で呼吸し、体内で生成される死の成分と共に口より吐き出している、といった所か。

 属性は単純に【風】と見ていい。


 その吸い込んでいる肺口を塞ぐか、大気そのものを遮断してしまえば事が足りる。



「今度はこちらの番です。覚悟をして下さい」



 その反撃の宣告と同時に、僕は反撃に移るべく詠唱を開始した。

2014.02.12校正

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