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不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
第弐章
26/115

第25話 拒めないこと

 すっかり夜も更けてしまった頃、村に到着する。

 行きは一人での行動だったため幾らでも歩の速度を上げる事ができたが、帰りはリーブラのゆっくりとした歩みに合わせていたため、結構な時間が掛かってしまった。

 ふと、リーブラ自身も俺との森のデートを楽しんでいたのだろうかという考えが脳裏をよぎるが、まぁ虫が良すぎる。

 考えすぎだろう。



「もう日が変わったかな?」

「まだ星の絶刻」

「星の、ぜっこく?」



 初めて聞く言葉だ。



「11番目の巡り、その終わり」

「ん~……」



 記憶を検索し、言葉の意味を確認する。


 ドワーフ老のガルゴルから得た知識によると、一年は12個の属性によって巡っている。

 確か……【水】【光】【天】【風】【陽】【封】【火】【闇】【陰】【地】【星】【聖】の順番だったか。

 丸暗記すると面倒だが、1、4、7、10番目は地水火風の四属性なので、季節と月にそれとなく当てはめると少し分かりやすい。


 1月、寒い冬は【水】。

 4月、暖かい春は【風】。

 7月、暑い夏は【火】。

 そして10月、涼しい秋は【地】、と。


 それ以外にも、2月の【光】と8月の【闇】、5月と9月の【陽】【陰】、12月の【聖】なども何となく分かりやすいだろう。

 リーブラの言う【星】属性は、言葉の通り11番目に位置する。

 リーブラに聞いた所、この世界の一日の時間の分け方として、一日を12の属性で等分した時法を使用しているらしい。


 一日が24時間と考えた場合、この12時属刻では1刻を2時間と考える事が出来る。

 しかし2時間をひとまとめに考えてしまうと、あまりに時間がアバウトになってしまうため、更にもう少し細かく時間を分けていた。

 だいたい30分置きに4等分され、順に始刻(しこく)始刻半(しはんこく)真刻(まこく)終刻(しゅうこく)、そして次の属性の始刻に重なる絶刻(ぜっこく)である。

 但し真刻(まこく)はあまり使われる事はなく、基本的に○○の刻と短縮されて使われる。


 少し紛らわし話しになるが、その○○の刻という言葉は、おおよそ正確な時間帯と、だいたい2時間ぐらいの大雑把な時間帯の両方の意味で使われるらしかった。


 ちなみに、これらは12時属刻とも呼ぶらしい。



「まだそんなものか」



 星の絶刻とは、だいたい23時にあたる。

 夕方前に起きて出掛けたので、思ったよりも時間が経っていない。



「だが、流石にもう店は閉まってるだろうな」

「私はお腹空いていない」



 まぁ、そうだろう。

 俺の持っていた残り一つの携帯食を帰り道で食べたのだから。

 処分しようと思って食べようとしたら、物欲しそうな顔をして見つめてきたので、俺は仕方なくリーブラにそれを渡した。

 まるで餌付けしている様だった。



「一応、顔を出してみるか。リーブラはどうする?」

「私は先に部屋に戻ってる」

「そうか」

「ん」



 その場で別れて、村の中を目的もなく彷徨う。

 別に不死者に感化された訳ではない。

 思えば、村の中をまるで見てなかったからだ。


 農業も林業も営んでいない森の中にある村なので、それほど村は広くはない。

 宿屋と食事所と万屋と、それに物資を保管しておく倉庫と、村人の家だけ。

 質素にも程がある。

 まぁ、それも仕方がない。

 教会が依頼している迷宮探査の仕事を受けに来た少数の戦士達だけを相手にしているだけの村なのだから、ほとんど必要な物というのは無いのだろう。


 ざっと見積もった所、村の総人口は百人未満といったところか。

 日々をいったい何に費やして過ごしているのか疑問だ。



「あれ? ハーモニーさん?」

「……ん?」



 不審者の如く夜の徘徊を終え、井戸から冷たい水を汲んで一息を吐いていた所、偶然にもウィチアが通り掛かった。

 まるで誰かが通り掛かるのを待っていたかの様な不審者振りだが、偶然だ。

 期待していた訳でもない。

 何を?

 愚問だな。



「帰りか?」

「はい。今日はガルゴルさんもいませんので、お店の方は早くに閉めてしまいました。ハーモニーさんは今お帰りですか?」

「ああ。見ての通り、無事に森から帰ってこられたよ。冷たい水が飲みたかったので、直接井戸まで足を伸ばした次第だ」

「無事で何よりです」



 ウィチアの微笑みは、屈託がなくて可愛い。

 ハーフエルフの美人な顔立ちにとてもよく似合う。



「森はどうでした? 何か変わった事はありませんでしたか?」

「変わった事と言ってもな。何が変わっているのかが分からない」

「そういえばそうですね。ハーモニーさんは最近こちらにいらしたばかりでしたよね」

「そうだな。最近だ」



 井戸に腰掛けながら話す。

 嬉しい事に、ウィチアも俺の隣に座ってくれた。

 少しばかり話に付き合ってくれるらしい。



「ウィチアはここに長いのか?」

「どうでしょうか。長いとも言えますし、短いとも言えます。私は1年前にこの地へ送られてきましたので、教会ではまだ新参者扱いを受ける事があります」

「送られてきたのか?」

「はい。孤児として教会に拾われ育てられた私は、教会の恩に報いるため、という名目で各地の教会を巡り慈善活動を行っていました。借金という訳ではありませんが、教会も孤児を拾って育てたり無償の奉仕ばかりをしていては先立つものもすぐに尽きてしまいます。ですので拾った孤児達は、ある程度育ってきたらほとんど教会の仕事を何でも手伝わされる事になります。私もその一人でした」



 何気なく聞いた言葉が、ちょっと重たい話になった。

 話としては少し興味があるので、俺は相槌をうちながら先を促す。



「とはいえ、いつまでも教会に奉仕している訳にもいきません。私の様に教会の元を離れたいと思う人も中には出てきます。そういう人には、この村の教会の様に少し特殊な場所にある地に赴き、そこで数年間の奉仕を行う事で、独り立ちする権利を貰う事が出来るそうです」

「それはつまり、この村にいる者が全員?」

「いえ、そういうのは一部の人だけです。ほとんどの人は幼い頃にこの教会に引き取られ、ここで暮らしているそうです。勿論、例外もある訳ですが」



 その例外がいったい何なのかも気になったが、今は忘れておく。

 俺の求める核心はそんな所にはない。



「ウィチアは、教会を出た後は何をするつもりなんだ?」

「そうですね……最初は特に何かしたいと思った訳ではありませんでした。ただ教会に言われるまま日々を過ごしてのに疑問を持っただけ。ですがこの村で働いていて、いつかどこかで自分のお店を開くのも良いかなと、思い始めている自分がいます。御飯を作って、みんなに喜んでもらえる。こんなに楽しい日々は初めてです」

「そういえば、村でまともに食事をとったのは一回だけだったな。それもガルゴルの爺さんの奢りだったが、あの時食べた料理は随分と美味しかったのを憶えている。なまじ堅いパンとか携帯食とかばかり食べてるので、尚更な」

「ふふふ。お世辞でもそう言ってもらえるととても嬉しいです。ありがとうございます」

「お世辞じゃないんだがな……」



 実の所、味に関しては憶えていないので、本当にお世辞である。

 あの時は情報を求めてガルゴルの話に集中していたし、何より酒を飲まざるをえなかったので脳が正常な味覚を知覚していない。

 今度、改めてウィチアの手料理を御馳走になるとしよう。


 その後も暫くウィチアと歓談する。

 夜のデートとしてはあまり色気のある場所ではないが、この時間帯なので特に人が通り過ぎる訳でもなく、二人きりの時間が続いた。

 とはいえ、いつまでもそうしている訳にもいかない。


 そろそろ、肝心な部分を確認するとしよう。



「そういえば、ウィチア」

「……はい?」



 心なしか、ウィチアの返事が遅かった事に俺の期待度が少し高まる。

 俺の脳裏に、手順を幾つか飛ばしても問題無いのでは、わざわざ遠回りせずに素直にぶつかるべきだ、という悪魔の囁きが木霊する。

 ――やはり、玉砕を覚悟で突撃する様な事はせず今のままの関係を維持するべきか……という小心な心の声もまた、本能故に悪魔の呟きに聞こえてしまう。


 さて、声は掛けたもののどうしようかと、この期に及んで俺は悩む。

 ウィチアの方も、俺が言葉を続けなかった事に少し訝しみ始めていた。

 時間稼ぎに空を見て、星を眺める素振りをする。

 つられてウィチアも空を見上げる。


 空一面の星が綺麗だった。


 ――などと現実逃避をしている場合ではない。

 空を眺め始めたウィチアの横顔に視線を向けて、その先にある至福の時を思う。

 勇気が必要だった。

 何か……この考えを後押しする、何か……それがないものか。


 レベル上昇が一番早い現実逃避の特技がまたあがりそうだなと思う。

 ……と、そこで俺は何か引っかかりを感じた。


 それは何だったか。

 特技……特技……何か、俺は忘れている気がする。

 それは小さな望みではあったが、可能性の問題として無視出来ない期待があった筈だ。

 それは何だったか。

 思い出せ……それがもしかすると突破口になるかもしれない。


 自身のステータスを確認する。

 特技一覧の欄に並んでいる特技名を、一つ一つ確認していく。


 戦闘系の技能は関係ない。

 こんな事で逃走レベルが上がったら恥さらしも良い所だろう。

 警戒レベルが上がれば、デート中に近付いてくる者の気配を察知出来る様になるかも知れないが、今のレベルでは役に立たないので違う。

 ――いや、そうか。

 そのレベルが上がれば役に立つかもしれない技能、それがあったか。


 該当する特技名を発見して、俺は安堵した。

 否、まだ安堵するには早いか。

 早速、俺はそのレベルが期待値まで上がった特技の効果を確認するために、ウィチアの横顔をじっと見る。


■ウィチア 女 ハーフエルフ

■修女:Lv7


 まず浮かんできたのは、何度も見た情報。

 名前と性別、種族、そして職業名とレベルだ。

 職業名に関しては最初???になっていたのでただの村人ではない事は分かっていた。

 今はこの村全体が教会の管理下にあり、そこにいる全ての村人が教会関係者だという事が分かっているので、彼女の職業名もフィルターが外れている。


 というか、ウィチアの職業は修女なのか。

 コーネリア教団では女性が神官位につく事が出来るのかどうかは分からないが、せめて僧侶とか聖女であって欲しかった。

 しかし……ちょっと背徳感を感じる。


 まぁ、個人的な感想はとりあえず置いておくとしよう。

 ここまでは、いつも通り。

 問題はこの先にある。


 今日の森での戦闘で、実は観察レベルが5になっていた。

 勿論、戦闘による経験値でレベルアップした訳ではない。

 とにかく何度も調べ続ける事が、この観察という特技の修練方法なのは早い段階で気が付いていた。

 だが、それにはちょっと困った制限があり、同じ相手を何度調べても経験値は最初の一回しかカウントされない。

 人の出入りがほぼ皆無なこの村では、ちょっといただけない制限である。


 だが、それにも抜け道はある。

 それが今日、命を掛けてまで頑張って大量に倒してきた、夜間限定の無限ポップエネミー彷徨う腐死者(ドレッドゾンビ)殿。

 調べると名前は皆同じな訳だが、個々は別人扱いなのでちゃんとカウントされる。


 フッ……苦労した。


 深呼吸を一つ。

 焦らず急がずの精神。

 自らのステータスを見る時の様に、意識の焦点を切り替える。


 ――よし。

 やはり俺の予想は間違っていなかった。

 ウィチアの第二ステータス、職業一覧が俺の瞳に表示される。

 いや、視覚化されているのではなく、直接脳に情報が浮かんでいるといった方が良いか。

 兎に角、これで目的の第一段階はクリアだ。


 ウィチアの取得している職業を一つ一つ確認していく。

 戦闘系の職業としてあるのは剣士と狩人。

 ともにレベル1なので、恐らくは短剣や弓などを持った事がある程度なのだろう。

 それとは別に、聖術士という職業をウィチアは持っていた。

 レベルは低いが、一応は法術が少し使えると言うことか。

 まぁ、教会に所属しているので、回復魔法とかが使えてもおかしくはない。


 次に目についたのは、料理人と給仕という職業。

 二つとも軽く10を越えているので、ウィチアがその道に興味があるというのがありありと分かる。

 給仕に至ってはレベル19と特に抜きんでているので、彼女の才覚が見て取れた。

 まぁ、普通にウェイトレスしていたしな。


 む……メイドという職業まである。

 といっても、恐らくは宿屋での仕事に関連している形だろう。

 清掃、洗濯、ベッドメイキング。

 流石に俺の求めている答えとは意味合いが違う筈だ。

 ハーフエルフのメイド……是非、欲しいな。


 ――そして。

 

 見つけた。

 やはり、俺の推測は間違っていなかった。

 遊女Lv1。

 この職業は、どう考えてもその手のものでしかない。


 息を吸う。

 吐き出す。

 もう一度吸い――ぐっ、と止める。


 最後の後押しが、遂に俺にその言葉を口にさせる。



「今夜は……ずっと、君といたい」



 ようやく言えた、この言葉。

 これの意味する所をウィチアは間違いなく知っている。

 俺はそう確信していた。



「……ハーモニーさんは、この村がどういう場所なのか、勿論知っている訳なんですよね?」



 空を見上げるウィチアの瞳はいつの間にか閉じられていた。

 考えている……というよりは、まるで覚悟を確認しているかの様に、少しの間、静寂が訪れる。

 少しずつ周囲の気温が下がっていると感じたのは、きっと気のせいだろう。

 それもそのはず、ウィチアの長い耳はゆっくりと赤みを帯び始めていたのだから。



「知らない。俺は正規の手段でこの村にやってきた訳じゃないからな」

「そうなんですか? なら、どうしてそんな事を言うんですか?」

「ウィチアに惚れたから……では不満か?」

「はい、不満です」



 俺の告白がバッサリと切られた。

 ……ん?



「だって、私とハーモニーさんは出会ってまだ三日しか経ってないんですよ」

「人に惚れるのに時間は関係無いだろう。一目惚れだってある」

「心を通じ合わせないで人に恋するのは、見た目が可愛いからですか? それとも、私がハーフエルフだからですか?」

「――好きになった理由を無理にこじつけるつもりはない。ウィチアがとても可愛くて魅力的な女性であったから惹かれたというのも事実だが、それだけで恋をするほど俺は節操がない訳ではない。この気持ち……返答はどうあれ、純粋に受け取って欲しい」

「できません」



 むぅ……口説き落とすには苦しいか。

 ウィチアが遊女である事は確かなのだが、しかしそれだけでは頷いてくれないというのは少し誤算だった。

 レベルが1なのは、もしかしたらガードが堅すぎる故の結果か。


 だが、諦めるにはウィチアは魅力的にかわいすぎる。



「なぜだ?」



 ウィチアは、俺の方へと決して振り向かない。

 


「私が先程、ハーモニーさんに聞いた内容がその理由です」

「この村が原因なのか? それはいったい……」



 予想は既に確信へと近付いているが、それでも俺は聞く。



「……何故でしょうね。ハーモニーさんは、私が思っている以上にたぶん頭が回る様な気がします。本当にハーモニーさんはこの村の事を知らないのかもしれませんが、薄々感づいているんじゃないんですか?」

「どうしてそう思う?」

「イリアちゃん」



 刹那、俺の心拍数が急激に増大した。



「聞いていますよ。彼女が耐えきれず気絶してもすぐに目を覚まさせて、ほとんど休ませる事なく夜通し肌を重ね合ったそうですね。今、教会ではその話題で持ちきりだそうです」



 ようやく振り向いたウィチアの瞳が、刺す様にとっても痛い。

 やばい、ピンチだ。

 恐らくここで目をそらせば、一気にウィチアとの関係が音をたてて崩壊するだろう。

 努めて冷静に、俺は彼女の瞳を見つめ返し続ける。



「ハーモニーさんが出掛けた後、暫く経ってもイリアちゃんが戻ってこないので、心配した娘が迎えにいったそうです。そうしたら、息も絶え絶えに衰弱して昏睡しているイリアちゃんを寝台の上で見つけたそうです」

「……彼女は、無事なのか?」

「それは大丈夫だそうです。初めての事(ヽヽヽヽヽ)で随分と放心していたそうですが、ただの寝不足と重度の疲労ですから。たっぷりと睡眠を取らせたそうです。とはいえ、目を覚ましてもまだかなり疲労が残っているらしく、今日は完全に使い物にならないとか」



 ウィチアがにっこりと微笑んだ。

 怖い。



「事に至る前に、そのイリアちゃんから教会でのお仕事に関して色々と説明を受けましたよね?」



 どうやら隠し事は出来ないらしい。

 ウィチアも存外に頭が回る様だ。



「……ああ、受けたな。何とも、実に男の性を手玉に取った、罪作りなシステムだと思ったよ」

「率直な感想は?」

「言わずとも理解出来よう」



 微笑みの裏に怒りマークが見えた気がした。

 気のせいだと思いたいが、気のせいではないのだろうな。



「一つ聞きたいんだが……」

「私は嫌ですからね」

「……まだ何も言っていないし、質問の内容も違う」

「ではご質問をどうぞ」



 ちょっと苦笑が零れてしまった。

 笑顔で睨まれたので、軽く咳をして誤魔化してから言葉を続ける。



「それは、拒めるものなのか?」

「!?」



 俺の質問に、ウィチアがハッと息をのんだ。

 たたみ掛ける様に、更に俺は言葉を続ける。



「その分だと、一年間、頑張ってきたみたいだな」

「それは……」

「無理強いをするつもりは毛頭ない。ただ俺は本当に、ウィチアと今夜はずっと一緒にいたいと思っただけだ」



 そこで一度、言葉をきる。

 歯に衣を着せた様な台詞で凄く恥ずかしかったが、目的の為ならばやすいものだ。

 純粋に、心の内にあるこの思いを、俺は素直にさらけだす。



「勿論、そういう意味ではあったが。ただ、純粋にウィチアという女性に惚れているというのも事実。可愛いというだけで惹かれた訳じゃない。ウィチアの柔らかくて暖かい人柄にも惹き付けられているというのを、今夜のデートでハッキリ自覚した。俺はウィチアが好きだ」



 欲望という、どす黒い思いを。



「――故に。そろそろ、返事を聞かせてくれないか? 今夜、俺はウィチアとずっと一緒にいたい」



 ああ……どうやら、いつのまにか《欲望解放》の呪いに心を支配されていた様だ。

 その情欲にまみれた心の赴くまま,俺はウィチアの手にゆっくりと触れる。



「なんで……そんなに、真剣になれるんですか?」

「言っただろう? 俺はウィチアが好きだ。その耳も、その困った様な笑みも、この綺麗な手も、この温もりも。俺はウィチアが欲しい。例えそれが今だけだとしても」

「ずっと……」



 言葉が続かない。

 焦らず、俺はウィチアがその言葉の続きを聞かせてくれるのを、じっと待ち続ける。

 俺の手を振り払おうと思えば出来た筈なのに、ウィチアはそれをしなかった。



「ずっと、覚悟はしてました。この村に、来る前から……」



 僅かに視線を下にそらしながら、ウィチアはポツリと呟いた。



「この村が、まだハッキリした自我すら生まれていない小さな女の子の孤児達を引き取って育てている事は知っていました。それは一部では有名な事でしたから。コーネリア教団は、この地に溢れ出る不死者達を外の世界に出さないために、成長した彼女達を餌に、迷宮に潜って不死者達を退治くれる凄腕の傭兵を雇っているというのはハーモニーさんも知っての通りです」



 いや、知らなかったがな。

 俺はただ推測していただけなのだが、それを今ここで言ったとしても意味はないだろう。

 黙してウィチアの言葉に耳を傾ける。



「当時、私がお世話になっていた教会の司祭様に、教団を抜けたいと相談を持ちかけた時、当然の事ながら司祭様は怒りをあらわにしました。それはそうでしょう。司祭様は教団のために身を粉にして働き、戦争で親を失った孤児達を引き取り育て、多くの恵まれない子供達に教団の愛を説いて救済活動を必死に行っていました。なのに、私は自分勝手な思いだけで教団を抜けようとしたのですから。それまで私を育ててくれた教団を裏切る行為だと」



 教団がどういう組織なのかは、実際に大陸を歩いて見てきた訳ではないので俺には分からない。

 ウィチアの言う様に、本当に人々のために活動している人もいるのだろう。

 だが俺が唯一知っている教団は、此処にあるこの世界しかない。

 この欲望に満ち溢れた、男としては絶叫して喜ぶべき至高の様な世界しか、俺は知らなかった。



「その相談を行った日から暫く経った頃。例え私のこの思いが愚かなものだとしても、それでも私が教団を抜けたいといった思いに頭を悩ませて考えてくれた司祭様は、とても悩んだ末、私にこの村へ行く様に勧められました」



 それは、どう考えてもおかしな推薦でしかない。

 ウィチアの言を信じるならば、ここがどういう場所なのかを司祭も当然知っていた訳である。

 にも関わらず司祭はウィチアにこの場所を勧めた。

 それはつまり、夢を見たウィチアに罰を与えようとしたか、それとも嫉妬や恨みをはらそうとしたかだろう。

 少なくとも、まともな考えでは無かった筈である。


 ウィチアがどの様な気持ちで、その司祭の言葉を聞いたのかは分からない。



「私、何か悪い事をしたんでしょうか?」



 そう口にしたウィチアからは、何の感情も感じられなかった。



「司祭様にこの村を勧められてから、すぐに私はこの村に送り込まれました。最初はただこの村のすぐ近くにある都市の教会に、新しく赴任せよとの命令を受けて。しかし赴任して早々に、その都市の周りにある各地の教会を巡るという奉仕活動を命じられ、その最初の訪問先だったこの村の教会を訪れた時、もう後戻りは出来ない状況となっていました」



 一気に話すのではなく、時々に言葉の休みを入れながらウィチアは続ける。



「予め仕組まれているのでは? という疑念は、相談を持ちかけた司祭様のいる教会から出た時から薄々感じていました」



 俺はまだ、この話の段階では聞いている事しか出来ない。



「そこには私の意思など関係なく、教団というとてつもなく強大な組織が私個人を陥れようとするのに、どうすれば抗う事が出来るのか。……途方に暮れるだけでした」



 そこで俺の手の温もりに気が付いたのか、それとも何かすがるものが欲しかったのか、ウィチアが俺の手を握りかえしてきた。

 ゆっくりとさする様に、ウィチアの五指が俺の手の上を滑る。

 気持ちいい。



「一年……よくもった方だと思いますよね。幸い、周りには私以上に魅力的な女性はたくさんいましたし、危険を感じ始めたら少し逃げる様に素っ気ない素振りを見せれば、皆さんすぐに諦めてくれました」



 ウィチアは決して魅力がない訳ではない。

 ハーフエルフは可愛い女性が多い筈なので、むしろ種族に嫉妬を憶える女性の方が多いかもしれない。

 だがハーフ故の問題もある。

 純血のエルフは、とにかく物凄い美人で、しかも怖ろしく長寿だ。

 それと比べると、ハーフはどうしてもあらゆる面で見劣りしてしまう。

 それが、ウィチアが自分に魅力がないと思う様になっているコンプレックスの正体かもしれないと俺は推測してみる。


 それにしても、やはりこの村はやりたい放題という訳なのか。

 しかし……気のせいか、俺はこの村でウィチア以外の女性との出会いの数が極端に少ない様な気がする。

 ウィチア以外で出会ったのは……名前の忘れた縞パン黒髪少女と、万屋にいた女性ぐらいか。

 村の入口を守っているらしき女性達とは、ただ通り過ぎる際に軽く挨拶をするぐらいなので、それは出会いとは全く呼べないだろう。

 むぅ……もう少し頑張ってみるか。


 ――いや、いまは目の前のウィチア攻略が先決か。

 過ぎた邪心は身を滅ぼす。

 その願望は捨て去るとしよう。



「でも……やっぱりそれにも限界が、あるんですよね」



 俺の手を握るウィチアの手が、ぎゅっと握られる。

 ウィチアは、この一年間ずっとこの村で暮らしてきて、嫌というほどそういう世界を間近で見てきたのだろう。



「今日も教会から使いの人が来て、圧力を掛けられました。まだ年端もいかない無垢な女の子から、何でお仕事しないの? って。その女の子が私の所に来るのも、既に結構な数になっています。恐らく、その女の子も私が何度言っても言う事を聞かない事に、結構なプレッシャーが掛かっているんでしょう。日に日に余裕が無くなって、言葉に熱が入り、言う事もだんだんきつくなっています」



 昨日の夜、部屋に戻る前に見た小さな子供の姿を思い出す。

 情事の世話が必要なさそうなリーブラとシルミーについた少女達。

 名前はまったく覚えていないが、恐らくはあの年齢よりも下なのかもしれない。


 そんな少女が、涙ながら自分を攻めてくる。

 考えただけでも嫌になる。



「酷いですよね」



 言葉が、切れた。

 俺の言葉を、恐らく待っている。



「そうだな」



 慰めの言葉など、本当なら欲しくないだろう。

 それまで頑張ってきた苦労が報われなくなる、それが分かっているから。


 しかし。



「なら、それも今日で終わりだな」



 俺は、俺の目的のためにそれを利用する。

 どちらにしてもウィチアには拒むという選択肢は奪われているので、攻めれば必ずおちる。

 酷い話だと思うが、今の俺にはそんな配慮はほとんど出来ない。


 《欲望解放》の呪いとは、そういうものなのだから。



「ウィチア」



 彼女の名を呼び、その肩に手を回す。

 ウィチアは拒まなかった。

 ゆっくりと抱き寄せて、その可愛い顔をこちらへと向かせる。



「ハーモニーさん……私は……」



 俺の唇が、ウィチアの言葉を止める。

 もうこれ以上の語りを聞きたくない。

 より辛くなるだけだ。


 俺の手が、ゆっくりとウィチアの手の上を滑る。

 ウィチアは、拒めない。


 耳飾りがついたハーフエルフの耳を噛む。

 後ろからウィチアを抱きしめ、その温もりを分かち合いながらもう一度キスをする。

 身体を俺に預けたウィチアは首が少し苦しそうだったが、俺は気遣いもそこそこ己の欲望に忠実に従っていく。



「あの……初めてなので……」

「分かってる。俺に全てを委ねておけばいい」



 互いの気持ちを高めつつ、俺はウィチアの身体をお姫様抱っこで抱き上げ、夜の営みの為に宿屋の方へと足を運んでいった。


 流石にここでは、な。

思いつきで別作を執筆して投稿したら、予想以上に初期反応が良かった。

まさか評価点まで……

2014.02.12校正

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