第24話 法術
閃光。
絶望を受け入れ、最後の悪足掻きを敢行しようと決心した時だった。
突然に眩しい光が辺りを包み込んだかと思った瞬間。
すぐ隣から発生した気配に、俺は驚いて無様に転んだ。
「な……」
「勝手に出歩かない」
俺の驚きの声をそうスッパリと切り捨てて遮ったのは、全身を黒っぽいローブで隠した小さな存在。
女性特有の声の質と聞き覚えのある音色から、すぐに俺はその人物が誰であるのかを察する。
だが、驚きは変わらない。
「私の目の届かない所まで離れるのは駄目」
「いや……」
「口答えしない。返事は?」
「だから……」
言葉を探す間に立ち上がろうとした所で、ローブの下から伸びてきた細い手が俺の頬を捕獲する。
ギュッとつねられ、その突然の暴挙に俺は再び言葉を忘れてしまう。
「分からない?」
俺は愕然と言葉を失った。
数秒経ってから、どうにか状況をのみこめて声を絞り出す。
「後ろに……」
「星屑の結晶壁」
再び俺の言葉を遮った少女の腕が後ろに向けられ、その直後に囁いた言葉の意味を俺はすぐに見る事になった。
少女の掌から発生した青白い光の奔流がキラキラと光輝きながら、複雑に絡み合い少女と俺の周りに散らばっていく。
星々の瞬きの様なそれらは、更にすぐ近くにあったお互いを光の線で結びつき、やがて頂点数が異なる様々な多角形面を生み出し、その面を薄い光の幕で埋めていった。
言葉の意味する所とその見た目の状況から、俺はすぐにそれが防御結界である事を認識する。
それは、近くまで迫っていた不死者の一体が、その光の壁に前進を阻まれた事からも確認する。
ただの一言で、俺はその少女、我が主?であるリーブラによって光の檻の中へと閉じ込められた様だった。
「もっと罰が必要? 例えば、噛む?」
抑揚の無い言葉で怖ろしいのか怖ろしくないのか微妙なラインの脅しを仕掛けてきた少女に、俺は何と応えて良いのか分からず苦笑いする。
それが怒りに触れたのか、頬をつねる力が少しばかり強まった気がした。
「リーブラ、痛い」
「それは自業自得。私の許可無く一人でこんな危ない所にいるのが悪い」
「いや、それは初耳なんだがな……?」
さっきまでの戦闘の緊張感がいったいどこへいってしまったのやら。
今も続々と集まりつつあるD級不死眷属魔者たるドレッドゾンビ達がリーブラの張った光の結界にベタベタと張り付いて中へと侵入しようと試みている。
その光景は、気持ち悪くて仕方が無い。
「――とりあえず、これを何とかして貰えると助かるんだが」
「放っておけばいい」
と、次の瞬間、リーブラが有言実行した。
指にピリッとした痛みが走る。
――噛み付かれた。
「あー……」
どう答えて良いのか、俺は立ち尽くす。
未だローブの中の顔は見えないが、左手の人差し指がそのローブの内へと消え、ちょっと尖ったもので下と上の両方から挟まれてるのが分かる。
そのまま、十数秒。
いつのまにか歯を立てるのでは無く、唇で嘗め吸い着く様に人差し指へとひっついていたものがようやく離れ、小さな声が生まれた。
「……おいしくない」
周りにいる観衆が、一斉に羨む様な視線を投げつけてきたという錯覚。
俺の顔を見上げてきたリーブラの瞳が、じっと見つめてくる。
意味不明の視線。
とりあえず、可愛いのでなでなでしておく。
前からずっと思っていた事なのだが、小動物を相手にしている様な気がしてならない。
「それにしても、今日は随分と言葉が多いな。何か良い事でもあったのか?」
「……」
リーブラの顔が再びローブの中に隠れる。
「気のせい」
「……」
今度は俺の方が空白の言葉を話す。
俺は微かに微笑みを浮かべると、その話題には触れない方が良いのだろうと思い、視線を敵の姿へと戻してから会話を続けた。
果たして会話になっているかは、この際、考えない事としよう。
「こいつら、どうする?」
「どうして欲しい?」
「リーブラがどうにかしてくれるのか?」
「どうもしない」
「それは困るんだがな」
「貴方には丁度良い相手」
「……あれ抜きならな」
件の化け物は、他の死者達に混じる事無く、遠巻きにこちらを見ていた。
何だかその態度がとてもボスっぽい気がするのだが、そもそも脳まで腐っている死体がそんな知恵ある振る舞いが出来るのだろうか?
「あれを呼び出したのは貴方」
「だとしてもだ。あれだけ倒して貰えないか?」
「面倒」
「うん? リーブラでも苦戦する相手なのか……?」
「違う。雑魚」
「あー……」
つまり、普通に面倒だから、嫌だと。
「あれだけを倒すのは手間が掛かる。やるなら他も一緒」
では無かった。
少し早合点だったか。
「なら、頼む」
「ん。分かった」
さて、リーブラはどうやってあれを倒すのか。
少し楽しみにする。
「星屑の雨」
と思っていた間に、それは終わってしまった。
リーブラが言葉を発した瞬間、俺とリーブラを守っていた光の壁が突然弾け、全方位に向けて勢いよく降り注ぐ。
その間、僅かコンマ5秒未満。
まさに一瞬の出来事だった。
遠巻きに見ていた鬼の腐死者ごと貫いた光のシャワーが消え去った後、呆気に取られていた俺が思い出した様に動き始めたのと同様のタイミングで、死者達も一斉に黒い煙となって掻き消えていく。
「これでいい?」
何でも無い事の様に聞いてくるリーブラに、やはりどう答えて良いのかが分からず、またもや返す言葉を俺は忘れていた。
でたらめな強さとしか言いようが無い。
ここの奴等は皆こういうレベルなのか?
結局、その日の狩りは、随分とやる気がなくなってしまったので、もう少しだけ狩って終わりにした。
流石にリーブラの前ではっちゃける訳にもいかず、無難に鉄の槍を振るうだけ。
オーガのゾンビに受けた傷は、気が付いたら治っていた。
いったいどういう理屈で怪我がこうも簡単に治ってしまうのか不思議でならないが、まぁこの世界には法術もある事だし、これが普通なのだろう。
ローもたった二日で完治してしまったし。
森の中でリーブラと肩を並べて歩き続ける。
道中、何度も敵に遭遇したが、そのたびに俺は鉄の槍をぶんぶん振り回して片付けていく。
特に俺が何も言わないので、リーブラはずっと観戦待機モード。
じっと眺めているので少しやりづらい。
「少しは強くなった?」
時折そんな事を聞いてくるリーブラに、俺はたぶんとだけ言葉を返す。
「一日二日で強くなれれば苦労はしないな」
「でも、動きにだんだん無駄が無くなってる」
「疲れているだけだろう。無駄な力が抜けてそう見えるだけだ」
「そう」
実際には、それは嘘である。
やたら高確率で遭遇し、更に高確率で仲間を呼び続けるドレッドゾンビを同じ武器で倒し続けているので、既に両手槍術のレベルは4まで上がっていた。
リーブラが現れた時はまだレベル2だったので、結構上がったといえる。
というか、上がらざるをえないほど、怖ろしい数の敵がワラワラと集まってくるので、殲滅速度優先で倒していかないと大変な事になってしまう。
結果、それがレベルによる恩恵なのかは分からないが、両手槍に関しての扱いには結構慣れてきた。
この分だと両手槍術だけ一つ頭が抜きんでてしまいそうだと思いつつ、一息吐いた所で全体の能力値を再度確認する。
■ハーモニー 男 人
■《星の聖者》の従者:Lv1
■HP:22/22
■MP:5/5
■欲望解放 痛覚麻痺 死の宣告 死後蘇生(不死者化)
■欲望半減 欲望減衰 理性増幅 痛覚10倍 感覚鋭敏化 生命共有化(隷属)
■武器:鉄の槍 ダガー
■頭:
■体上:布のシャツ、革の服
■体下:革のズボン、布の下着
■手:指貫の革手袋(黒)
■足:布の靴下、木の靴
■他:《蒼天の刃》の腕輪
■職業一覧:剣士Lv3 戦士Lv5 闘士Lv2 拳法士Lv2 盗賊Lv1 《星の聖者》の従者Lv1 強姦魔Lv2 色魔Lv3 奴隷Lv1
■特技一覧:片手剣術Lv1 片手槍術Lv3 両手槍術Lv4 片手棍術Lv2 両手棍術Lv2 短剣術Lv3 二刀流Lv2 拳撃Lv2 脚撃Lv2 投擲Lv3 逃走Lv1 警戒Lv3 観察Lv5 分析Lv3 熟考Lv4 現実逃避Lv7
■才能:
戦闘系の職業レベルが上がったせいなのか、HPも若干上昇している。
それはそれとして、雑魚クラスの敵だけを百体以上も倒してレベル上げを行うのは、非常に疲れる。
かといって、迷宮の中にいけば明らかにまだ挑むにはちょっと早いと思える強さの敵が待ち受けている。
単体ならばまだ良いが、そっちの敵も遭遇率と仲間を呼ぶ確率が非常識に高いので、まず間違いなく一人で行けばゲームオーバーとなる事だろう。
しかも、低確率ではあるがボス級の敵が現れるので、楽に倒せる様になったとしても全く油断できない。
何か、切り札でも無いと……。
「――ああ、そういえば。俺にも法術は使えるんだったか?」
「……?」
不思議マークが浮かんだ様に見えたのは、俺の気のせいだろうか。
押し黙ったままのリーブラに、俺は更に言葉を続けた。
「前にした話。あの時は話が脱線したため結局聞きそびれてしまったが、もう一度聞いても良いか?」
今日と同じ様に、リーブラと肩を並べて森の中を歩いていた時にした会話を思い出す。
この世界の理の一つ、万物の根源、源素。
馴染み深い別名では、属性。
あの時リーブラは、俺には守護属性が無いと言っていた。
それは不思議な事であり、その理由も分からない。
その際に俺はリーブラの守護属性を聞き、その属性の力を使う事が出来ないか聞いていた。
それに対して返ってきた答えは、否定。
まぁそれはもしかしたら当然なのかもしれない。
リーブラは俺の質問を、俺がリーブラが持つ守護属性そのものを扱えるのか、という内容で受け取っていた。
俺は純粋に、ただその属性の力を扱えないかどうか聞いただけだったのだが、それはそれとして情報が得られたので良しとしよう。
問題はその後の会話。
リーブラは、例え守護属性の無い俺であっても、きちんと修練を積めば扱えるようになると言っていた。
勿論、特性による得手不得手の差違はある訳だが。
しかしその後、更にリーブラは続けて言った。
俺がその力を使えない理由は分かっている、と。
「結局、俺が法術の力を使えない理由って、何なんだ?」
そもそも、誰にでも使える筈のものが使えないというのは、理屈としてもちょっとおかしい。
もしかしたらという思いはあるが、俺が異世界からやってきた人間だからなのだろうか?
そんな事実はどこにも無いし、それを俺もリーブラも知ってはいない。
あの日、ただ突然に俺という存在が発生した。
それ以上の証拠は無いし、まだ世界中を旅して確認した訳だから、本当の所も勿論分からない。
俺は、俺というこの世界の住人として生きていくしかない。
だとしても、その生きる術として、法術という力はとても魅力的だった。
俺もいつか、手を振っただけで風の斬撃を生み出して周囲一体を、斬!っと切断してみたい。
「もう使える筈」
「ん?」
まるで不思議がる様に言うリーブラ。
いや、俺の方がその解答を不思議に思いたい。
「どういう事だ? 俺はもう法術の力を使えるのか?」
「使える」
「どうやって?」
「使えるのと、使う事は違う。使い方を知らない貴方は、この力は使っては駄目」
「……使い方を知らないのは確かだが、それと法術の力を使ってはいけないという事には何か理由があるのか?」
リーブラの顔がコクンっと僅かに上下する。
じっと見ていなければ分からないちょっとした動き。
「危ないから」
「危ないのか? まぁ、使い方次第で結構な威力を出す事の出来る力だからな。あまり使い慣れていないと色んな意味で危険か」
「違う。貴方が確実に死ぬ」
「確実なのか!?」
俺の問いに、リーブラが一瞬考えてから、また少しだけ顔を上下に動かした。
「確実に死ぬ。魔法と聖術のどちらを使っても、まず間違いない。力の使い方を知らない子供が興味本位で法術を使って、大惨事を起こすという事故はよく起こる。親のいない子供や、親がいても最低限の適切な教育を受けていない子供が、毎年よく周囲を巻き込んで自爆する。私も実際に何度か巻き込まれそうになった事がある」
「……」
試そうなどと思わなくて心底良かったと俺は思った。
それに、リーブラが先に俺は使えないと釘を刺してくれてて良かったとも思う。
使い方が分からないのと、使えない事を分かっているのとでは、思考の方向性が異なる。
優先順位を物理戦闘側にしてて本当に良かった。
まぁ、思考の渦に沈み込みやすい就寝前が、それどころでは無かったというのもある訳だが。
昨日の夜の事を思い出してしまい、ちょっと耽ってしまった後、ハッと我に返る。
「その使い方というのは……望めば教えて貰えるのか?」
リーブラの顔がほんの少しばかり喜んだ様にふわりとする。
瞬きした瞬間に消えたので、恐らく錯覚だろう。
止めていた歩みを再開して、リーブラの顔がローブの中に消える。
まるで恥ずかしいのを隠す様に。
それも俺の願望がなせる技、まったく気のせいだろう。
「問題無い。暇な時に、来て」
「ああ、そうする」
女性からの誘いの言葉が心地良く心に残る。
先程、昨日の夜の事を思い出したからだろう、欲望の感情が溢れ出て止まらない。
《欲望半減》《欲望減衰》の呪いで《欲望解放》の呪いを抑えている筈なのに、《理性増幅》の呪いで冷静になりやすくなっている筈なのに、隣にいるリーブラに抱き着きたい気持ちを止める事が出来ない。
まぁ、それも当然だろう。
リーブラは可愛い。
恐らく、俺の中で一番である。
「?」
しかし必死にその感情を抑え、俺はリーブラの頭をなでなでだけするに留める事に成功した。
された方のリーブラは不思議な顔をして、またこちらにその可愛い姿を見せる。
「すっかり遅くなったな。少し急ぐか」
最近、だらしなくなりすぎているな、と思いながら、俺はリーブラの歩速に合わせたまま森の中で二人きりのデートを楽しんだ。
ちなみに後日、森には実体を持たないC級眷属魔者の不死霊体、幽霊も出る事を聞いた。
一人でいる時に出てこなくて本当に良かったと、その時の俺は思ったものである。
2014.02.12校正




