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不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
第壱章
21/115

第21話 生きる目的

 俺よりも小さな身体に抱きついた状態で意識を飛ばしていた事に気が付いた時、既に夜明けが近い様だった。

 小鳥の囀りはまだ聞こえてこないが、時間の問題だろう。

 窓の僅かな隙間に目を向けると、それが良く分かった。


 しかし、寒い。

 そして暖かい。

 疲れ切った様に眠り、何も身に着けていないイリアは、それでも寒さから逃れるために俺の身体に抱きついていた。

 そうする彼女から感じる温もりが、服を着たままとはいえとても暖かい。


 まだ幼さの残る顔の上、きめ細やかな長い髪に指をはわせ、ゆっくりとその感触を楽しむ。

 流石に流れる様な髪触りを満喫する事は出来なかったが、乱れていた髪は俺の指先によってて少しずつ整えられていく。

 素直でいう事を良く聞く髪質だった。


 昨日の事を思い出す。


 迷宮、教団、報酬、奉仕。

 少しずつそれらの情報を整理し、推論をくみ上げていく。


 まず、迷宮。

 レビスの手によって作られた迷宮ではあるが、どうもそれだけでは腑に落ちない点が幾つか見つかっている。

 階層ごとに湧き出る敵の強さが操作されているという事、好条件にしては迷宮探査者がかなり少ないという事、第一層に潜ってみただけでもトラップの種類がそれなりに特殊な感じがした事。

 ゲーム性が色濃く出ている事も気になる。

 これが現実だとしたら、かなり出来すぎな様な気がした。


 次に、教団。

 枢機卿の一人であるホーク以外に、俺はまだ男性の教団関係者を一度も見掛けていなかった。

 と同時に、村でも迷宮探査者らしき人以外で男性を一切見掛けていない。

 村の入口を守っていた者も女性。

 あの村とこの教会が間違いなく繋がっているのは、この土地の特殊性からしてもすぐに分かったが、それでも女性だけで固めている理由が、昨日の時点ではまだ分からなかった。

 だが、とある事を仮定にして考えれば、少なくとも説明が付けられる。

 それは、迷宮探査者のほとんどが男性であった事からも裏付けられる。

 また昨日、イリアは俺に対して、これが当たり前と言った。

 つまり、そういう事なのだろう。

 此処は、形を変えた巨大な娼館である可能性が高い。


 報酬の制度を考えてみる限り、それも一役かっていると思われる。

 あまりこういう事を考えたくはないのだが、ちょっとその傾向が強すぎた。

 金銭の流れを追うと、こんな感じになるだろう。


 許可証を発行する前に、実力を見るためと言って迷宮に潜らせ、まずは最低限の報酬を確定させる。

 その報酬から、初日の奉仕を差し引く。

 迷宮に潜り、また報酬を得る。

 教会での生活費で色々削られていく。

 まとまった金を持って村に行っても、恐らくかなり割高な諸々の費用がかさみ、また迷宮に潜りに教会に戻ってくる。

 可能な限り、与えた金銭がこの地で使用される様な仕組みになっていると俺は推測した。


 奉仕は、男達にとって最高の毒になるだろう。


 但し、教会も迷宮探査者の人選には、かなり気を使っている節が見て取れた。

 まず、俺は例外として、弱そうな奴は村には全くいなかった。

 誰もが歴戦の戦士であり、ちょっとやそっとでは殺されそうにない逸材ばかり。

 恐らく、この地へと至る道の入口辺りで、選り分けの検問もしくは仕事の受注を行っている筈である。

 シルミーやリーブラの様な女性もいる事から男女の仕切りはなさそうだが、内容を聞けば間違いなく屈強な男性だけが訪れる様な、特殊なシステムを構築している事だろう。

 勿論、あの老ドワーフのガルゴルの様に、兎に角、酒を思う存分飲みたいからという輩もたまに混じってしまう訳だが。


 迷宮探査者の総人数が多くないのは、許容量の問題か。

 物資にしても限りがあるため、あまり大勢の人間がやってくると人も物も追いつかず、大変な事態へと陥ってしまう可能性がある。

 教団側の人間に害がなければそれでも問題ない訳だが、非戦闘民の女性ばかりでは荒ぶる男の猛者共を抑える事はまず出来ない。

 また迷宮から漏れ出てくる魔瘴の気もそれほど多くない様なので、数もあまり必要としていないのだろう。

 迷宮が地下何階層にまで及んでいるのすら掴めていない上に、その主である不死賢者の強さは推定でSS級。

 どれほど頑張っても、元凶である不死賢者自体を討伐する事が不可能なため、現状を維持させる事で釣り合いを持たせている、と仮定するのが現実的か。


 しかし、俺が問題にすべきなのは、そういう所ではない。

 仕方なくなのかどうかは分からないがとりあえずこの地を維持管理している教団関係者や、その教団の餌に釣られてやってくる男達とは、はっきり言って俺の置かれている状況は全く異なっている。


 《死の宣告》


 最低限、この呪いだけは何とかしなければならなかった。

 未だ命があるという事は、まだその効果を発揮していない可能性が高いだろうというだけで、その正確な効果が分からない内は、迂闊にこの地を離れる訳にはいかない。

 教団というからには、もしかしたらこの呪いを解除する事が可能な人物がいるかもしれないが、少なくとも此処でそれを求めるには膨大な金が必要になるだろう。

 但し、それも可能性の話であり、出来ない可能性も高い。

 何しろ、SS級の化け物が掛けた呪いだ。

 解く方が遙かに難しいといってもいいので、あまり期待しない方がいいかもしれない。

 一番現実的かつ絶望的な案としては、呪いを掛けた不死賢者自身にもう一度会って解呪して貰うというのがある。

 こちらも怖ろしく危ない橋を渡る事となるので、会う事すら難しく、会っても素直に解呪していくれるとは思えないので、やはり期待するべきではないのだろう。


 どちらにしても、俺が迷宮に潜る事には変わりない訳だが。

 それ以外の案は、まだ浮かんで来なかった。



「すぅ……すぅ……」



 未だ眠り続ける少女の髪をすきながら、心を落ち着かせる。

 考えすぎてもほとんど無駄な状況なのだから、焦っても仕方がない。

 今はなる様にしかならないだろう。


 この少女の事を思う。

 いくら気にした所で、俺には彼女の人生に手を差し伸べる余裕はない。

 この世界、この時代、この国、この土地、この教団。

 知識を掘り起こせば、教団というものはあまりろくでもない世界でしかない。

 それは、今こうして俺に身を捧げている時点でも言える事だ。

 孤児であるならば、既に両親は他界している事になる。

 この少女が、あの少女達が、この地で生活を余儀なくされている全ての女性達が、それを望んで受け入れている訳がない。

 それでも、教団という大きな後ろ盾があるからこそ、生活は保障され、笑顔も作る事が出来るのだろう。


 イリアが昨日見せてくれた感情には、絶望の影はまるで映っていなかった事を俺は覚えている。

 村の宿屋で、ウィチアが浮かべていた笑みは本物だった。

 不満はあっても、それを許容出来るだけの幸せが与えられている。


 イリアの健やかな寝顔と、健康的で傷のない綺麗な肌を見る限り、それは俺の中で確信に変わる。



「ん……」



 まだ寝たりない筈の瞳が、薄く開けられる。

 つい先程まで寝る事が出来なかったのだから、まだ眠りが浅いのだろう。


 その小さな不満を零した唇が愛おしくなってしまい、つい塞いでしまう。

 俺の腕の中でイリアが驚いて身動(みじろ)ぎするが、俺はそれを許さない。

 まだ約束の時間には、少しばかり時がある。


 俺はそのまま、追加の三回戦を存分に楽しんだ。







 ――少し、羽目を外しすぎたかもしれない。


 異常に重く感じる身体を剣で支えながら、俺は肩で息をする。

 その剣には、何か脂ぎった液体が付着していた。


 迷宮の、地下第2層。

 予定通りの時刻より少し早い頃にロー達と合流した俺は、そのまま一緒に迷宮へと入っていった。

 何やら便利な能力を持ち合わせているのか、ほとんど迷う事なくサクサクと進んでいくローの後ろについていった結果、戦闘らしい戦闘もなく俺は下に続く階段を下り、現在に至っている。


 目の前にあるのは、俺に斬り裂かれた犬の死体。

 D級不死眷属魔者、彷徨う腐狼犬(バリィドドッグ)Lv11。

 その数、実に三体。

 俺が今し方、仕留める事に成功した初の戦果だった――と言いたい所なのだが、トドメは俺が躊躇している間に、シルミーの手によってまた奪われている。


 だが、そんな事は今はどうでもいい。

 流石に三匹を同時に相手にするのは、怖ろしく骨が折れた。

 体力の消耗があまりに激しい。

 それは自業自得な訳だが、危うく今回も命を失い掛けた。

 シルミーのフォローがなければ、今こうして立っている事はなかっただろう。



「何だか今日のハモハモは動きが悪いね―。昨日の疲れがまだ残ってるのかなー?」



 意味深な笑みを浮かべながら言うシルミーに、俺は勿論取り合わない。

 いつまた襲われても仕方がない場所にいるので、体力を回復させる事を優先する。

 彷徨う腐死者(ドレッドゾンビ)放浪の骸骨戦士スケルトンウォーリアーと違い、こいつらは通路の奥から現れたと思ったら、あっという間に飛びかかってきた。

 腐っても狼……いや、犬なのか?

 兎に角、生前と変わらぬ速度で襲い掛かってくるのだから、回避するのもまさに命懸けだった。


 イリアから、階層が下になればなるほど脅威も増すとは聞いていたが、この疲れた身体では例え上の階層でもどうなるか分からない。

 むしろ、この状態で三匹同時に相手が出来たのだから、俺との相性はこの階層の方がいいのかもしれない。

 ――最初の襲撃時にシルミーに助けられなければ死んでいた訳だが。


 そうこう考えている内に、獣が地を駆ける音が鳴り響いてくる。

 重たい身体を起こし、剣を出来るだけ身体の中心線と同じ位置の真正面に構える。

 勝負は一瞬。

 地を蹴り、壁を蹴り、三次元にジグザグ攻撃を仕掛けてきた獣に向けて剣を一閃する。

 狙いが僅かに外れ、頭部ではなく右前足を切断。

 だが同時に俺の方も左前足の爪の一撃を左肩に受けていた。


 血が飛沫き、遅れて強烈な痛みが走る。

 防御力など皆無に等しいただの服では、バリィドドッグの鋭い爪を防ぐ事など出来る筈がない。

 禍々しい爪の刃が着替えたばかり(ヽヽヽヽヽヽヽ)の服の肩口を斬り裂き、無残な姿を表していた。



「ぐ……」



 片膝を付き、傷付いた左肩を右手で押さえる。

 そんな悠長な事をしている場合ではないのに、俺は条件反射でその致命的な隙を生み出していた。


 ぐるるぅ……。


 前足の一本を失った所で痛みを感じる事のない獣の死者は、残った3本の足を懸命に使って姿勢を整える。

 真っ赤に充血しっぱなしの目と、垂れ流し続けている(よだれ)の付着した牙と、腐敗し所々欠損している全身の肉と、そのどれを見ても様々な意味で不愉快な気分にさせられる害獣に、俺は少なからず恐怖を感じていた。

 体調さえ万全であれば、ほぼ攻撃一辺倒のこの敵を屠るのはそれほど難しくはない。

 だが、ただ一撃、攻撃を受けてしまった事で、心にそれを刻み込まれてしまった。


 今にも飛びかかってきそうな敵愾心を向けながら威嚇行為を続ける敵の姿に、俺の足が少しずつ地面を擦って後退していく。

 バランスを欠いているその敵を斬るのは容易い事だと頭の中で理解していても、心と身体の両方がその意見を受け入れず、より安全を求めて後手のカウンターを選択していた。

 それこそ危険度が高い筈なのに、攻めの一手を打つ事が出来ない。


 ガゥっ!


 咆哮と共に獣が地を蹴る。

 力が足りていない跳躍では、ゆっくりとした速度でしか俺の身へと到達出来ない。

 思考の中で瞬時に3通りのカウンターがシミュレーションされる。

 そのどれもが勝利をもぎ取り、この敵を絶命させる結果を指し示したが、しかし俺の取った行動はそのどれでもなかった。


 逃げる様に横へとずれ、その攻撃を回避する。

 それをした瞬間、獣の頭が音を立てて砕け散った。



「すぐに手当てするねー、ハモハモ」



 一部始終を全て見ていたシルミーが、俺の戦闘に一切の助言なく、傷の手当てを開始する。

 何も言ってこない事が却って俺には苦痛だった。


 手際よく俺の服を破き――破くなと言いたい――血を拭くための布として使用する。

 一度乾拭きした後、飲み水用の水筒から少し水を拝借し、更に俺の肌から血を拭き取っていく。

 その頃には既に傷口からはもう血は湧き出ていなかった(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)


 傷の姿がハッキリした所で、シルミーが手を当てて治療の法術を唱え始める。

 すぐに痛みが消え去り、傷跡も徐々に塞がれていく。

 目の前で起こっている奇跡の光景に、そのまま傷が完全に塞がるまで俺の心はずっと奪われ続けた。



「はい、終わりー」



 時間にして約3分。

 それだけの時間が掛かるというのは、戦闘中に使用するには全く実用的ではない。

 だが、この奇跡の技は絶対に覚えておきたいと、俺はこの時初めて思った。



「すまない。ありがとう」

「どういたしましてー」



 シルミーにとっては何でもない当たり前の奇跡なのだろうが、俺にとってはそうではない。

 そのうち早い段階で教えて貰おうと、俺は心の中でそっと誓った。


 肩の傷が回復した所で、本当に治っているのか確かめるために肩をぐるんと回す。

 瞬間、激痛で俺は(うずくま)った。




「あー。傷は塞いだけど、完全に完治してる訳じゃないからまだ無理しちゃだめだよー」



 それは早く言って欲しかった。


 涙目になりながらも立ち上がり、右腕に剣を持って床に突き立てて支えにする。

 武器というよりも身体を支える杖としての方が役に立っているのではないかと思い始めた頃、通路の先から全身ローブ姿の小さな人影が姿を表した。



「おかえりー、リーブラちゃん」



 まだ顔は見えないが、背丈とローブの色で俺もそれがリーブラである事を認める。

 ゆっくり歩いて近付いてくるリーブラに、俺もおかえりの挨拶を投げかけた。

 反応はおろか、一瞥すら返してくれなかったリーブラだが、ここ数日一緒に行動している限り、それはいつもの事なのであまり俺は気にしない。



「そろそろ小腹も空いてきた事だし、撤収するか?」

「んに? ハモハモ、朝ご飯食べてきてないのー? だめだよー。そんなんじゃ力でなくなっちゃうよー。お腹空かせた状態で迷宮になんて潜ってたら命取りになっちゃうよー」

「本当は食べたかったんだがな。起きたのが遅すぎて、食べてる暇がなかった」



 実際には一睡もしていなかった訳だが。



「ハモハモのお寝坊さーん。じゃ、仕方ないから、ちょっと早いけどきりあげて御飯食べにいこっかー。その後は村に帰って、ハモハモだけながーいお昼寝だね♪」

「……」



 何だかシルミーには全てばれているような気がしたが、気にしない事にした。



「リーブラも、それで構わないか?」

「……」



 リーブラが無言で頷く。

 だが、一瞬その顔が歪んだのを俺の瞳は逃さなかった。

 どうしたのかと思いリーブラの方へ近付いていった所で、俺はそれに気が付く。


 リーブラが歩いてきた道のりに、血の跡が続いていた事に。



「怪我をしてるのか!?」

「え!?」



 驚いて近付いた俺達のその後の行動に、リーブラは全く抵抗しなかった。


 シルミーがローブを剥ぎ取り、その中に隠されていた裸体を晒す。

 下着一枚、それ以外の何も身に着けていなかった、透き通るような白く美しい肌。

 しかしそれは、左肩から流れ落ちる赤い血によって汚されていた。


 シルミーがすぐに俺の服を破き――だから何故破く――リーブラの左腕を手にとって血を拭いていく。

 既に乾き始めていた血には、今度は盛大に飲み水を別の布に掛け――やはりそれも俺の着ていた服の一部なのだが――肩口から手の先に向けて丁寧に拭き取っていった。

 最後に、血の流出口であろう肩に濡れた布を当てた時、リーブラの顔が痛みで僅かに歪む。

 構わず、シルミーがそのまま肩の血を拭き取り、傷口の姿をさらけ出す。


 鋭い爪の痕。

 美しい肌に無残にも刻まれたその傷跡は、もしかしなくてもバリィドドッグのものだろう。

 それは先程、俺が見た自らの傷跡と全く同じ形をしていたため、俺にもすぐに分かった。



「なんで……ううん、理由なんてどうでもいい。すぐに手当するね、リーブラちゃん」



 まさかリーブラがこんな所でそんな傷を負うとは、俺は思ってもみなかった。


 シルミーも同様の感想を抱いた様だったが、すぐにかぶりを振って、治癒法術を唱え始める。

 俺の時よりも遙かに早い速度で、リーブラの肩口に出来た傷が消えていく。

 その光景を、やはり俺は見ている事しか出来なかった。



「――何があったんだ?」

「何も」



 治療が終わり、少し落ち着いた所で俺がした質問に、リーブラが即答する。

 何もなかった訳がない筈なのに、リーブラは本当に何事もなかったかの様に、いつもの無表情でそう答えた。



「ありがとう」



 俺に対しては一瞥すらしないリーブラが、シルミーにお礼の言葉を告げて視線を向ける。

 その視線には剥ぎ取られたローブを返して欲しいという意味が込められていたのかは分からないが、一応は男である俺の前でリーブラが裸体を惜しげもなく晒している事にようやく気が付いたシルミーは、すぐにローブを手にとってリーブラの上から素早く被せた。

 剥ぎ取るのも一瞬ならば、着せるのもまさに一瞬芸。



「ハモハモの、えっちー」



 苦笑すら返さず無視して、俺はリーブラの身を心配する。

 まるで空気の様に俺の事をリーブラが無視する。

 彼女がご機嫌斜めになる法則がまだ掴めない。

 あの日、森の中では多少ではあるが会話をしてくれたので、完全無口な少女ではなかった事は確認済なのだが、どういう訳か俺と口を聞いてくれる回数は少ない。


 結局、そのまま俺はリーブラと会話を交わす事が出来ないまま、ローと合流して迷宮を後にした。


 割り当てられた部屋で、シルミーに買って貰った最後の一着に着替えて、部屋を出る。

 昨日の夜、生きているからには絶対に免れる事が出来ない生理現象を処理するために、ダガーで斬り裂いて無理矢理脱いだ呪われていた初期装備は、既に部屋には残っていなかった。

 期間限定だとは思うが、俺専属のメイド?であるイリアが恐らく捨ててくれたのだろう。


 教会の入口で待っていたロー達と合流して、予定通り教会を後にする。

 イリア達の見送りは、残念ながらなかった。

 彼女達は彼女達で、それなりに忙しいのだろう。

 これだけ大きな建物なのだから、掃除も大変そうである。


 村よりも少し高い位置にある教会から、道なき道をゆっくりと下りながら村を目指す。

 村までの距離は約一刻。

 下りなので多少は早く着けるだろうが、それでも昼は過ぎてしまいそうだった。

 空腹を覚えた身では少し辛い。

 が、お喋り好きなシルミーの言葉に耳を傾けながら先を急ぐ。

 教会で食事をする事も出来たのだが、代金不明の費用として計上されてしまうので、俺の希望で却下させて貰った。

 意外にも、その俺の意見は特に反対される事もなく受け入れられた。

 まぁ、教会で味のない質素なパンとスープを出されるよりは、ウィチア達が働いている食事所でそれなりに味の保証がされている暖かい食事の方が誰だって良い筈である。


 昨日から積み重なっていく疲労がピークに達し、4人の中で誰よりも汗をかいて苦しんでいた頃、ようやく俺達は村に到着した。

 空腹に耐えていたのは俺だけではなかったのだろう、すぐに食事所に俺達は向かう。

 席に着き、適当に注文し、食事がテーブルに到着し、そして食べる。


 食べ終わり、シルミーが勘定を払った所で、俺達はそこで解散した。

 勘定で思い出したが、そういえば教会で仕事料を貰うのを忘れている。

 早く無一文の窮地を脱しなければ、とは思うものの、まぁまだ何とでもなるだろうと思い、そのままの足で部屋に向かい、寝台に倒れ込む。

 何か猫の悲鳴の様な鳴き声が聞こえたが、無視した。


 本当に疲れていたためか、迷宮から此処までくる間、世界の時の流れが非常に遅く感じられた。

 しかし、その間に起こった出来事はほとんど記憶に残らず、まるで早送り再生されているかの様に、一瞬に過ぎ去っていく。


 寝台の上で、眠気が大津波の如く襲ってくる。

 にも関わらず、眠る事が出来ないもどかしさ。

 例え疲れていたとしても、脳はまだ興奮状態にあるのだろう。

 脱力している全身の心地良さとは別に、少しずつだが思考の意識だけが働いていくる。


 ここまで――本当に、色々あった……。

 また今日も、その記憶をゆっくりと反芻(はんすう)していく。


 初日における、4つの出会い。

 不死賢者レビス、『緑園(テーゼ)』の森の聖女アウラ、《星の聖者》占星術士リーブラ、風の導士フェイト・ジーン・ローとその従者たる風の精霊。

 それぞれの出会いにはあまりにもインパクトがあったため、今でも良く覚えている。

 この日の事を、俺はこれからの一生の中で忘れてしまう様な事は絶対にないだろう。


 二日目には、更に4つの出会いがあった。

 踊り子シルミー、人形使いエーベル、ハーフエルフの少女ウィチア、老ドワーフのガルゴル。

 そして更に、初めての戦闘経験。

 見知らぬ土地で新しい人生を生きていかねばならなくなった訳なのだが、今思い返してみれば、その一日は随分と恵まれていた様な気がした。

 泊まる場所と食事はリーブラが事前に手を回していたし、戦闘に関してはシルミーのお膳立てとエーベルの補助付き。

 情報はガルゴルから手に入れる事が出来たし、初対面にも関わらずウィチアを含めて皆あまりに親切が過ぎる。

 思い返せば、却って怖いぐらいに。


 三日目となる昨日の出会いは、果たしてどう考えるべきなのだろうか。

 果たしてあれが出会いと呼べるものだったのかは今でも疑問が残っている相手、一度目はただ黒髪黒瞳の一致が興味を惹いた故に起こった会話の流れ、二度目は今でも鮮明すぎる程に脳裏に焼き付いている縞々模様の乙女の聖域を見せてくれた少女シイナ。

 教会でほんの僅かな間だけ謁見する事を強制された《コーネリア教団》枢機卿ホークは――正直言って、これ以上の関わりをお断りしたいぐらい、強烈な覇気を持った老人だった。

 だが、迷宮探査の仕事を続けていく以上、これから何度も会う事になるだろう。

 その強大な権力を持った者が、俺と不死賢者との間に出来た一方的な因縁に深く食い込んでくる様な事態だけは避けたい。

 (ろく)な事にはならないだろう故に。

 そして、俺専属にあてがわれた愛しの少女イリア。

 あの夜の事は、多くは語るまい。

 ただ、この世界に生まれ落ちた事を、俺は心の底から感謝した。

 同時に、それ以上の楽しみを謳歌する事の出来るこの歪んだ小さき世界に感謝する。


 そして今日が――恐らくは始まりとなる、第四日目。

 結局、頭から離れる事のなかった非現実世界を象徴する言葉が、それを俺に予感させている。

 必然を義務づけられる事になった、驚愕のイベントに満ちた一日目。

 現状を理解させられ、体験という形で過ごす事となった二日目。

 閉ざされた世界とそのシステムを教えられ、生き抜く価値がちらついていた三日目。


 初日がオープニングとすれば、二日目と三日目はチュートリアルとも取れてしまう。

 そんな馬鹿げた現実を、俺は今この頭の中で思考していた。


 これは――ゲームの様で、ゲームではない。

 しかし、まるでゲームの様に都合の良すぎる現実。

 俺が持つ知識、それを前提に思考するならば、この状況はあまりにも異常すぎた。


 濃密な欲望を餌に組み込んで作られた、迷宮探査の仕事と教会の褒賞システム。

 加えてまだ未確定ではあるが、俺の予想が正しければ、この村も欲望に満ちた天国の一端を担っている事になる。


 限りある命。

 いつ終わる事になるのか分からない、この俺の命。

 《死の宣告》によって、いつ死が確定されるか分からないこの人生。


 俺はようやくここにきて、己の目的を見つける事が出来たと確信した。


 ゲームであろうが、ゲームでなかろうが、関係ない。

 今、俺が生きている事実は変わらない。

 俺がこの三日間と少しの間に体験した事は、紛れもなく俺の現実。

 あの快楽は、正しく俺を喜ばせた。


 ならば、迷う事はない。

 それを存分に貪るために、とりあえず今を生きればいい。


 この感情が、不死賢者レビスが俺に掛けた《欲望解放》の呪いの影響によるものかは分からない。

 だが、俺の心はもう決まってしまった。


 全ては我が欲望の赴くままに。


 それもまた一興。


 これよりは、迷宮へと潜り不死なる者共を倒し続け、その褒賞を以て沸き立つこの情欲を満たし続ける事とする。


 ――眠りに落ちていく意識の中で……俺は、その危険な夢の中へと……ゆっくりと……堕ちて、いった……。

2013.05.26校正

2014.02.13校正

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