表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
第壱章
20/115

第20話 欲望を満たす最高の世界

 迷宮を出さえすれば心休まると思っていたのは、早計だった。



「遠路遙々、この様な地を訪れるには随分と年若い。命を捨てに来たか」



 開口一番、重そうな毒を吐いた老人の鋭く尖った瞳が、俺の瞳を睨め付けてくる。

 まるで殺気すら籠もっていそうな視線に、俺はとてつもない重圧を感じ、一瞬で動きが束縛されてしまったかの様に全身が硬直してしまう。

 あいつは、やばい。

 目で人を殺せるタイプの危険な権力者。

 俺の第一印象は、そんな感想だった。



「しかもその半数が女人とは、いったい何の冗談か」



 目線の遙か上、まるで王城の謁見の間の如く数段高い位置で、玉座の様な椅子に腰掛け肘を付きながら見下ろしているその老人に、畏怖を覚えない者は誰もいないだろう。

 まるで覇王の如き振る舞いで、圧倒的な存在感を解き放ち続ける格上の存在に、俺は呼吸する事すら忘れてしまいそうな程、一瞬で恐慌状態に陥っていた。


 俺の存在を威圧する瞳が横にずれた事で、僅かにながら緊張の糸が緩む。

 その老人にしてみれば、ただ瞳に映しただけにすぎないのかもしれないが、俺はこの人生で初めて概念としてしか知らなかったプレッシャーという恐怖攻撃を体験する事となった。

 あんなものをぶつけられれば、弱い者が怯んで何も出来なくなるというのは当たり前だ。

 強敵と対峙した時に強い心を持っていなければ、たちまち容易く殺されてしまうのも納得がいく。


 俺はこの期に及んで、本当に自分が命の危険を伴う場所にいる事を、ここでようやく実感した。

 不死賢者と出会ってしまってから――あれ程の恐怖を感じてしまっては、それと比べて彷徨う腐死者(ドレッドゾンビ)放浪の骸骨戦士スケルトンウォーリアーなどといった遙か格下の恐怖は、ほぼないにも等しいぐらいに矮小過ぎる。

 心がずっと麻痺していただろう事に、俺はようやく気が付いた。



「答えよ。貴様等の名はフェイト、ハーモニー、シルミー、リーブラで間違いないか」

「はい」



 老人の言葉に、ローがまるで臆した様子なく返事をする。

 あの強烈なプレッシャーを身に受けて平然としているとは、この少年も化け物の類という訳か。

 いや、シルミーとリーブラも平然としているので、問題があるのは俺の方だろう。


 老人の瞳が、再び俺の方をちらっと見る。

 瞬間、背筋に戦慄が走り、感じる圧力がまた倍増する。



「迷宮探査の許可証を貴様等にくれてやるのは別に構わぬ。例え足手纏いが混じっていようと、死ぬのは汝等の自由だ。好きにするがいい。だが、我が決めたルールを守らぬ時は、覚悟せよ」



 老人が言う足手纏いというのは、間違いなく俺の事だろう。

 どうしてそれを知ったのかは、恐らくは迷宮に入る時に受け取り、迷宮を出た時に預けた紋章を調べた結果だと思われる。

 予想していた事だが、あれは何かしらの力が込められた法術具だった様だ。



「《コーネリア教団》『緑園(テーゼ)』の森、特別区ルーラストン大教会、枢機卿(カーディナル)ホークが汝等4人の迷宮探査をここに許可する」



 虫を見ているかの様な瞳で、老人は姿勢を正すことなくそう言葉を発した。

 その言葉を受けて、ローとシルミー、リーブラの三人が僅かに頭を垂れる。

 その礼に気が付いた時には、既に3人は元の位置に頭を戻していたため、俺は結果的に礼をする事が出来なかった。


 遙か上から見下ろす視線が俺の所で固定される。

 だが、その無礼な俺の態度に、自らを枢機卿と名乗った老人は、何ら感じる事がなかったらしく何も言ってこなかった。



「精々、励むがいい」



 それで言葉は終わりだった。

 ローが、シルミーが、リーブラが踵を返し、各々の歩行速度で退室していく。

 遅れて俺も彼等の後ろを追って退室する。

 結局、ローの「はい」という返事一回だけが、俺達4人がその場で口にした言葉だった。



「――結局、この謁見は何だったんだ?」



 巨大な扉が後ろで閉まったのを確認してから、俺はそう言葉を零していた。

 すぐ近くに扉の開閉と見張りを兼ねているらしき少女二人がいたが、彼女達には聞こえない様に絞った声で、シルミーに質問する。

 同姓であるローに話し掛けないのは、何となくシルミーの方が話し掛け易いからである。

 色々と互いに含む所があるのも理由の一つではあるが。



「んー。私達への釘刺しと、実力と実績の確認かなー? 仮にもこの辺りのトップだからねー。迷宮探査の許可っていうお題目は二の次で、本音は監視だと思うよー? 報酬を受け取る時には査定した結果をあのお爺ちゃんが必ず確認して、受け渡す前に毎回お爺ちゃんに会わないといけないみたい」



 あれだけの存在感を持っている、仮にも教団で大きな権力を持っている枢機卿をしてお爺ちゃん呼ばわりとは、シルミーの言葉の軽さは相変わらずに底が知れない。

 こんな事、ここの関係者に聞かれてでもしたら――ああ、既に遅い様だ。

 扉前で立っている少女達の口から、ぷっという笑いが零れ落ちていた。

 まぁ、その反応を見る限り、あの印象からは想像出来ないが、そこまで堅物という訳でも無い様だ。

 俺が彼女達に視線を向けた時、すでにその笑みは掻き消されていた。

 一応、笑ってはいけないという自覚はあるらしい。



「毎回、会わないといけないのか。意外と暇してるんだな」

「ここは僻地だからねー。仕事なんてほとんどないんじゃないかなー。大陸中から孤児が大勢送られてくるみたいだけど、そんな世話なんて全部部下任せだと思うしー」

「じゃあ、何で高位の枢機卿がこんな所を統べているんだ? そんなの、適当な司祭を派遣しておけばいいだろうに」



 まさか左遷という訳なのだろうか?

 それとも本人が望んでの隠遁生活か。



「司祭の力では、迷宮に潜る人達を管理しきれないからでしょう。ここ50年ぐらい姿を見せていないとはいえ、彼等よりも遙かに危険な存在である不死賢者もいる事ですし、権力と実力の両方を兼ね備えているホーク卿が自他共に認める適任者である事は広く知られている事です。未だ生きている歴史上の人物としても、有名な話ですよ」



 まさか知らないのですか?という意味のこもった瞳をぶつけてくる少年に、俺は正々堂々と己の無知識を自慢する様に、口元に笑みを作って返事を行う。

 それが恥じる必要ある知識なのかどうかすら判断が付かないのだから、俺には事実を受け入れる事しか出来ない。



「あの圧倒的な気迫は、未だ健在という訳か。老いて益々盛んであり続ける年齢には見えなかったがな」

「……それは僕も不思議に思いました。歴史の紐を解くだけで最低80年、高齢な事には間違いないのですが、あれだけのプレッシャーを維持し続けていられる秘訣が此処には何かあるのでしょうね。是非、僕にも教えて欲しい所です」

「その若さで老後の心配をしてもしょうがないだろうに」



 ローには若さが足りない様に思える、と口に出そうとした所で俺は言葉を呑み込んだ。

 流石にそこまで言ってしまっては、まだ少年であるローでも傷付いてしまう可能性がある。

 険悪な関係にもなりたくないので、話題を変える事にした。



「――で、俺達は今日この後どうするんだ? また迷宮に潜るのか?」

「潜るのは明日の朝一でいいでしょう。とりあえず僕は昼まで潜って、報酬を貰ってから一度村に戻る予定です。ハーモニーさんはどうしますか?」

「付き合おう。借りはそれでチャラだ。良いな?」



 俺の言葉に一瞬ローが言葉に迷う。

 尚、借りというのは、俺がローを拾い村まで運んだ事である。

 今後の付き合いも考えて、この精算は早めに解決した方が良いと思ったからだ。

 本音で言えば、状況が状況だけにいつまでも粘着質に付きまとって絞り取りたい所だが、それは俺の矜持に反する。



「ハーモニーさんがそれでいいのであれば、僕は構いません」



 男同士の仁義の会話はこれで終わった。



「――で、俺達は今日どこで寝ればいいんだ?」



 実は俺の聞きたい事はこっちの方だった訳なのだが、まぁどうでも良い事だろう。

 話し掛ける相手をシルミーに変えて、俺は彼女の姿を視界に映す。

 シルミーは扉番の少女達と何やら談笑していた。



「もう少ししたら案内の子達が来るみたいだから、それまでは適当に暇を潰しててー。って言ってる間に来たみたいだねー」



 シルミーの視線に促されて瞳を向けると、ててててっと小走りに4人の少女達が現れた。

 どの少女も扉番をしている少女二人とそう年齢の変わらない姿をしている。

 俺の身長と比べて、俺の胸まであるかどうかも怪しい小さな女の子も二人混じっているのには何か理由があるのだろうか?

 詮索したい気分にかられるが、今はとりあえず妄想する事は放棄しておく。



「大変お待たせ致しました。私達がお部屋までご案内させて頂きます。私はイリアと申します」



 同じくルーニィ、ティナ、メルルと名乗った少女達が、一斉に俺達に向けて深々と礼をする。

 一糸乱れぬ、という訳には流石にいかなかったが、秘部の前に小さくて可愛い両手を当ててお辞儀する様は、よく慣れている動作に俺には見えた。

 先程シルミーがこの教会には多くの孤児が送られてくると言っていたが、彼女達もその類なのかもしれない。

 この教会に入ってからずっと年若すぎる少女達しか見ていない事には物凄く疑問に思っている訳なのだが、それにも何かしら理由があるのだろう。

 例えば、この教会は修道院みたいな感じで、若い女性だけを受け入れて躾と教育を施しているとか。



「お手を失礼します。貴方様のお世話は、この私、イリアが努めさせて頂きますね」



 柔らかな微笑みと、冷たい手の感触に俺の心がドキリと跳ね上がる。

 シルミーとリーブラをあわせてこの場に8人もの少女がいる訳だが、イリアは別にその中で飛び抜けて美人という訳ではない。

 可愛いという意味ではリーブラに軍配があがり、美人という意味では扉番の少女の一人、可憐という意味ではシルミーに付いた少女が俺の評価では一番だったが、俺の手を握ったイリアはそのどれとも異なる青い果実の色香を身に纏っていた。


 柔らかい笑みの中に僅かにながら感じられる緊張の面持ち。

 暖かそうな雰囲気を醸し出しているにも関わらず、冷たかった彼女の手の平。

 まだ成熟しきっていない身体から漏れ出る、女性特有の甘い香り。

 年相応の幼さがまだ見え隠れしているのに、共にやってきた少女達の中では一番の年長者なのか、しっかりしようという気位の心意気。

 その色々と反するギャップが、逆に良い意味で彼女の魅力を引き出しているかの様だった。



「あの……どうかなされましたか? ご主人様」



 衝撃の戦慄がこの身に走る!


 ――という事は勿論ない訳なのだが、その言葉に少しばかり魂が惹かれたのは事実である。

 僅かながら戸惑いの感情を浮かべていたのだろう、少女の顔が下から俺の顔を覗き混んでくる。

 何か作為的なものを感じてしまうが、いや、気のせいだろう。



「――仕事に関する詳しい説明をまだ受けていないんだが、どこで聞けるんだ?」

「それでしたら、私がお部屋の中で御説明させて頂く予定です」

「俺の部屋で、全員でか?」

「いいえ。私とご主人様の二人きりでです。他の方々も、それぞれお付きとなる彼女達がしっかりと御説明させて頂きます」



 なんともまた、随分と効率の悪い方法だと思う。

 が、敢えて俺はそれに関しては突っ込まない事にする。



「ご主人様は、私に説明されるのがお嫌ですか? もし望まれるのであれば、ご主人様が気に入る別の人に変わりますが」

「いや、それには及ばない。色々と苦労を掛けるかもしれないが、宜しく頼む」

「……はい。不束な身ではありますが、宜しくお願いします」



 応えるまでに何故か一瞬の間があったが、さて、この間はいったい何だったのだろうか。

 それまで淀みなく、緊張をしているのか機械的な喋りだったのが、最後のその言葉だけは何故か覚悟めいた感情が感じられた。



「こちらになります、ご主人様」



 暫く歩き続けた後、辿り着いた先には幾つもの小部屋が並んでいる通路だった。

 俺の後ろを同じ様に歩いていたリーブラが、手前の部屋に無言で消えていく。

 ローは部屋に入る前に明日の集合時間を俺に伝え、シルミーは含み笑いをしつつ陽気な声で別れの挨拶を送ってきた。

 その仲間三人と、付き人の少女3人がそれぞれの部屋へと入っていったのを確認してから、俺専属の付き人であるイリアが部屋の扉を開ける。

 俺は促されて、その部屋の中へと入っていった。



「それなりに広いんだな」



 第一の感想は、ちょっと過大評価気味に。

 実際の広さは、村の宿の2階一室よりも僅かに広いぐらい。

 但し家具の類は3階一室と似たようなものだったので、体感的には明らかに広く感じていた。


 っと。

 俺に遅れて部屋に入ってきたイリアが、扉を閉めると同時に閂をずらして手を翳したのを俺は見逃さなかった。

 昨夜の恐怖が一瞬蘇る。

 いや、この少女に襲われるのであれば、それは御馳走でしかないか。

 ――そんな美味しい事態が三度も四度も起こる訳がないとは思っていても、考えてしまうのが醜い男の性なのだろう。



「今は最低限の物しか置いていませんが、ご主人様が望まれるのでしたら幾つかの物は御用意させて頂く事も出来ます。ですが……」

「何事もただという訳にはいかない、という事だな」

「はい」



 何となく、この仕事のカラクリが少し見えた気がしてきた。

 報酬は出すが、色々と融通する代わりにその報酬を少しずつ削っていく事で、費用を抑えようという魂胆なのだろう。

 となると……。



「ですがまずは先に、ご主人様がお受けになりました迷宮探査のお仕事に関しまして、御説明させて頂きます」

「――それはいいんだが、そのご主人様というのは、何でだ?」

「お気に召しませんでしたでしょうか? もしお望みであれば、マスターでもお兄様でも、好きな様に呼び方をお変え致しますが」



 ちょっと考えてみる。

 いや、考える必要などないか。



「名前で呼んでくれ」

「畏まりました。ですが、まだお名前を頂いていませんので、もし宜しければお聞かせ頂けませんでしょうか?」

「ああ、そういえばそうだったな。ハーモニーだ」

「ハーモニー様ですね。以後、そう呼ばせて頂きます」



 本当なら様付けも取っ払って欲しかったが、これはこれでそれほど違和感を感じなかったので、とりあえずそのままにしておく。

 しかし……マスターは兎も角として、いくらなんでもお兄様というのはやり過ぎだろう。

 いったい此処ではどんな教育をしているのか、詳しく調べてみたい気になった。

 勿論、そんな酔狂な事はするつもりはないが。



「――以上が、ハーモニー様が本日お受けになりましたお仕事の説明になります。何か質問はありませんでしょうか?」



 たっぷりと半刻並の時間が費やされて、ようやくイリアの口から終わりの言葉を聞けた時、俺はちょっと安心した。

 仕事の契約内容はそれほど多くの事は含まれていなかったのだが、様々な例をあげてより詳しくやっていい事とやってはいけない事を説明されたので、予想を大幅に上回る時間が掛かった。

 仕事の内容を要約すると、以下の通りに恐らくなる。


 一つ、報酬は必ず後払い。

 一つ、教団の奉仕を受ける場合には、確定している報酬から差し引く事とする。

 一つ、夜間の入場は禁止する。

 一つ、迷宮内で手に入れたアイテムは、全て教団の物とする。

 一つ、手に入れたアイテムを教団側で確認した後、買い取りたい物があれば許可した物のみ買い取る事が出来る。

 一つ、教団は死およびあらゆる傷害に関しての責任は一切受け付けない。


 この説明を聞いて、教団がどうやって迷宮に潜る者達の報酬を用意しているのかという疑問の一つが溶解した。

 勿論、それだけではないとは思うが、少なくとも手に入れたアイテムを売りさばく伝手(つて)や、報酬金額を差し引くための様々な手段は色々と講じている事は確かだろう。

 何の説明もなくこの部屋を与えられた訳だが、それも先に聞いていた報酬から引かれてしまう可能性がとても高そうだった。



「だいたい分かったが、幾つか確認しておきたい事がある」

「はい、何でしょうか?」

「この仕事を正式に受ける前に、迷宮に潜って百体の不死者を倒さなければならなかった事には、どんな意味があるんだ?」



 正確に言えば、パーティー全体で最低百体の敵の討伐を要求された。

 ローはやたらと倒しすぎて、たった一人でその条件をクリアしてしまった訳なのだが、姿の見えなかったリーブラや、俺のすぐ近くでお守りをしてくれていたシルミーが討伐した数を足せば、軽く二百体は越えている筈である。

 俺の予想が正しければ、これは後報酬の条件に繋がりがあると思われる。



「それはこのお部屋と……その、私達の御奉仕のための支度金に……当てられています」



 イリアの言葉に、再び妙な間があった事を俺は見逃さない。



「余分に倒してしまった数はどうなるんだ?」

「そちらに関しましては、次の報酬が支払われる迄の間にハーモニー様達が望まれますご要望その他様々な便宜を図るために当てられます」

「余剰金の還元、もしくは繰り越しはあるのか?」

「残念ながらありません。また限度額を越えてしまった場合には、各御奉仕もお受け出来なくなります。例外として、寝泊まりするお部屋だけは御用意させて頂きますが、その費用は前借りという形となりますので御注意下さい。また、食事や飲み水は御奉仕の対象となっていますので、そちらに関しても御注意下さい。こちらは前借り出来ません」

「つまり、そう悠長にはしていられないという訳か」

「はい」



 再び揺るぎない口調に戻ったイリアに、俺は思考を巡らせる。

 先程から奉仕という言葉をやたらと使っている事には、何か関係があるのだろうか?

 扉の方に視線を移して、そこに掛けられたあの法術の事を思い出す。


 一瞬、何故だかイリアの身体が強ばった様な気がした。


 気が付かない振りをして、視線をイリアに戻す。

 長時間の説明にも負けず、姿勢を真っ直ぐに保ち続けた身体が、また一瞬強ばったのを感じる。

 立ったままの体勢を一度も崩す事なく、少女は頑なにその姿勢を維持し続けていた。



「奉仕……」



 今度は分かりすぎるぐらいにイリアの身体がビクッと震える。



「……に関して何だが、リストや料金表とかはあるのか?」

「私共には何も教えられていません。ですが、日々変わっていくものだと聞いています。これは私の予測ですが、物資にも限りがありますので、備蓄量と使用頻度に応じて個人ごとに変えているのかと思います。ですがその代わりに、このお部屋の様に変わらない物に関しましては、迷宮での頑張りや御使用されます奉仕回数……に応じて、安くなっていくのではないかと思っています」

「そういえば迷宮探査の報酬に関しても、詳しい説明はなかったな。シルミーからは、討伐数×階層×時間×人数とだけ聞いているが、その分だとその係数も都度変化しそうだな」

「金銭面の事に関しては、やはり私共には何も教えられていませんので、ハーモニー様のその質問にもやはり私には明確にお答えする事が出来ません。先程の話に関しても、あくまで私の予測に過ぎませんので、鵜呑みになさらぬようお願い致します」

「ああ、他言するつもりもないから安心してくれ」



 最後の言葉は少し動揺をさせるために言ったつもりだったのだが、効果はまるでなかった。

 鉄面美の笑みを崩すには、事務的な話ではダメな様である。

 やはり攻めるべきは、あの方面という事か。



「奉仕……」



 また、イリアの身体がビクつく。

 先程よりは反応が薄かったが、やはり警戒はしているらしい。



「……とはちょっと違ってしまうのかもしれないが、イリアに迷宮まで付いてきて貰うというのは駄目なのか? 荷物持ちとか、戦闘に関係ない部分でのお手伝いが欲しい時もある。いくら迷宮で手に入るアイテムがすべて教団の物になるとはいっても、持ち帰る事が出来なければ意味だがないだろう?」

「原則、私共の奉仕対象は迷宮を除くこの教会の敷地内に限らせて頂いています。申し訳ありませんが、迷宮に潜る事は認められていません。潜りたくもありませんし」

「そうか。それは残念だ」



 何だかイリアの反応が楽しかった。



「ほうし……」



 今度は眉がピクリと動くだけに留まる。



「……きを解き明かしつつ迷宮に潜るのも面白そうだな。さて、どうするか」



 意味深な風に独り言を呟いてみる。

 だが、つい口元に笑みが浮かんでしまったのがいけなかった。


 突然にイリアが近付いてきたかと思うと、唇が柔らかいもので塞がれてしまう。



「もう! 好い加減にして下さい。ハーモニー様は、全て分かっていて私を虐めて楽しんでいるのですね。酷いです!」

「お、おい……」



 あまりに突然の事に、俺が困惑する。

 その唇がまた、イリアの唇によって塞がれる。

 首の後ろに両腕が回され、抱きつく様な接吻。

 寝台に腰掛けている俺の右膝をくわえ込む様に、彼女の股が乗せられ体重が掛かる。



「私も、ハーモニー様のお付きとなった時点で覚悟は出来ています」



 紅潮する頬を俺の頬と重ねあわせ耳打ちする。

 俺の両腕は、それでもまだ空中を彷徨ったままだった。



「奉仕には……その、逢瀬(おうせ)も入っているのか?」

「当たり前じゃないですか。ここを何所だと思っているんですか?」



 イリアも恥ずかしいのか、俺の耳元で囁くばかりで顔を見せてはくれなかった。

 必然的に、抱きついたまま会話を続ける。



「いや……その当たり前を知らないから、聞いているんだが。そもそも、奉仕の全てには費用が掛かるんだろう? これは流石に、かなり足りていない気が……」

「その時々において変わる、と私は言いましたよね?」

「そうなのか……」



 彼女の呼吸が少しずつ速まっているのが分かる。

 覚悟が出来ているとはいっても、全ての感情を抑制出来る訳ではない。

 さっきまでの鉄面美はきっと必死に自制していたのだろう。


 その彼女を落ち着けるために、宙に浮いていた手を彼女の頭の上に置いて、優しく撫でた。

 撫でながら、少しずつ彼女の顔を俺の横から引き離す。

 ようやく現れた彼女の瞳はかなり潤んでいた。



「あ、あの……私、初めてですけど……その、精一杯ハーモニー様に、御奉仕……致しますので……可愛がって……下さいね」



 物凄く恥ずかし言葉を口にしている自覚があるのか、イリアは懸命にその言葉を口に出した。

 まるで自分自身に言い聞かせているかの様に、顔を真っ赤に染めながら。


 彼女の反応ぶりから初物である事は予想していたが、いざ実際にそれを知ると感慨深いものがある。

 俺がその感情に浸っていると、言葉が返ってこなかった事に不安が増幅されたのか、また俺の唇が彼女の唇によって塞がれてしまう。

 背伸びをしている口付け。

 とても甘かった。



「……脱がしますね」



 名残惜しそうに唇を離しながら、イリアが俺の服に手を掛けてくる。

 この場合、先に脱ぐのはどっちかなど、いっぱいいっぱいの状態にあるらしい彼女の頭では分からなかったらしい。

 いや、むしろ身を任せるよりも、少しでも主導権を取って心を落ち着けようとしていたのかもしれない。



「ん……」



 袖口を引っ張ろうとして、彼女の口から困惑の言葉が零れ落ちる。

 その力に引かれて、俺の腕も動く。

 俺の膝上に乗ったままではうまくいかない様だ。

 手伝うために、俺も手を貸す。



「あ、あれ……?」



 しかし、俺達の意に反して、服は頑なにそこから動こうとはしなかった。

 流石に俺も困惑して、少し強めに腕を引く。

 勢い余って、俺は寝台の上に倒れる。



「あ……」



 当然、俺の胸の上にイリアが倒れてくる。

 イリアは俺の上衣を脱がす事を一端諦めて、代わりにズボンへと手を掛ける。



「ど、どうして……?」



 だがそのズボンすらも、何故か彼女がしようとした事に、拒否の姿勢を取っていた。



「――少しどいてくれるか? ちょっと確かめたい事が出来た」

「あ、はい……」



 イリアが俺の言葉を受けて、躊躇いがち馬乗り姿勢から横にずれる。

 ちらりと下着が目に入り情欲が一気に跳ね上がったが、その気持ちの衝動を今はとりあえず押さえ込んだ。


 立ち上がり、俺は上の服を脱ごうと試みる。

 見られながら脱ぐというのは随分と恥ずかしく感じられた。

 だが次に起こった事に、その感情は吹き飛ぶ事になる。



「まさか……」



 服は、脱げなかった。

 ズボンにも手を掛けてみるが、下ろす事が出来ない。

 それどころか、ブーツも靴下も脱ぐ事が出来なかった。


 そこで一つ、ある事を思い出す。

 それらは全て俺が初期に身に着けていた装備達。

 そして村の万屋で買い戻した際に聞いた話では、これらは呪われている、と。



「えっと……ハーモニー様?」



 革手袋の方はすんなり取る事が出来たので、やはり間違いない様だった。

 油断した。

 一度身に着けていた物だからと思い、大丈夫だと思って軽くみたのが過ちだった。


 腰を下ろし、寝台に座る。

 横に座っているイリアが、気遣っているのか俺の腕に触ってくる。

 その腕をどうするべきか、俺は迷ってしまった。


 出来る事を、探す。

 どうやら最悪の事態だけは回避出来る様だった。



「服を着たままになるが……おいで、イリア」

「え? あ、はい……」



 俺は彼女を怖がらせないように、出来るだけ優しく声を掛けた。

 既に経験は三度積んでいる。

 初めての者を、これ以上不安にさせてはいけない。


 肩に触れていたイリアの手を取り、ゆっくりと引き寄せる。

 か細い声で失礼します、と鳴いたイリアの唇を塞いだ後、俺は彼女の胸に向けて顔を近づけていく。


 一晩中、彼女の鳴き声が消える事はなかった。

2013.05.26校正

2014.02.13校正

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ