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不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
序章幕前 『EX#00 狂襲の鬼人』
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第2話 彷徨う不死者

 風が、鳴いた。


 疾風と化し戦場を一瞬で横切ったフェイトの姿をハッキリととらえられた者はいなかっただろう。

 まるで突然に強風が吹き荒れたかの様に、その直線上にいた魔者(ましゃ)の身体が微塵に切り裂かれ吹き飛んだ。


 不死者の喉が、悲鳴をあげる前にその形を無くす。


 遅れて、空間が風の悲鳴をあげ木霊したその異音が、敵の襲来――フェイトの登場を大々的に告げる。


 次の瞬間、運悪くその場に存在し、第一撃目を受けなかった魔者達が、振り返る前にその身体を真横に両断された。

 詠唱を破棄された風の魔法による斬撃。

 横凪に繰り出された風の刃が、無差別に世界を二つに斬り裂いた。


 肉が腐り脆くなっていた下級の魔者、D級不死眷属の彷徨う腐死者(ドレッドゾンビ)の斬り裂かれた上半身が、地面にぼとぼとと倒れ落ちる。


 少し遅れて身体のバランスを失った下半身が次々に倒れていった。


 人であるならば、それで終わっただろう。

 だが、もともと命というものが無い不死魔者は、身体のどこかが動く限り活動を終える事はない。

 上半身は腕を使い地面を這いずり、下半身はもう一度立ち上がって現れた敵フェイトへと殺到する。


 フェイトの攻撃は、単体としての能力は格段に落ちたものの、敵の数を倍にしただけであまり利いてはいなかった。


 無惨に横一文字の傷を付けられた木々の影から、新たなる敵の姿が現れる。


 初撃、弐撃目ともに難を逃れた完全体のドレッドゾンビが、その数を更に爆発的に増やし始めた。


 苦痛に彩る悲鳴が魂を喚び、大地という触媒から死した肉体を召喚し乗り移る。

 既に先行していた不死者達の魔瘴の力で辺り一帯を邪悪に染め上げられていたため、下級とはいえ仲間を呼ぶ死者召喚の儀に難はなく、そしてそれは無限に行われ続けた。


 刻一刻と増殖していくドレッドゾンビ達。


 ただ一体の異分子、生者フェイトの息の根を止めるためだけに、多くの魂が喚び集まってくる。


 どのように対処すべきかを考える。

 答えはいつもフィレスは教えてくれなかった。

 知識だけをフィレスはいつもフェイトに授けていた。


 その思考する時間の分だけ、不死者の数は鼠算式に増えていく。



「――聖術に切り替える? ……いえ、これだけの数となると流石に間に合いませんね。場の力も傾き過ぎていますし、やはりここは力技でいった方が良いのでしょうか?」



 問い掛ける言葉に、しかしやはりフィレスは応えない。



「では……天つ風薙、七翼の刃でいきます」



 答えて、フェイトは右腕を大きく上に伸ばした。


 続く詠唱に先駆けて、意識をその右腕の先、天空へと向ける。

 形の無いそれを一ヶ所に集め、凝縮し、望む形へと練り上げていく。


 全ての始まりは、まず想う事から。

 全神経を空へと向けて掲げる右手へ。

 莫大な集中力を必要とするため、五感の一つである瞳を静かに閉じる。


 戦場に於いて瞳を閉じるというのは致命的な行為ではあるが、フィレスの加護を信じているフェイトは、全ての意識を手の先へと注ぐ事が出来た。


 そして、詠唱が始まる。



「――天駆ける森緑の乙女、戯れし風の精霊に我は請う――」



 言葉は飾り、意識を高めるための触媒にすぎない。

 詠唱破棄が可能な様に、必要な力を練り上げる事さえ出来ればそれは完成する。

 その力を練り上げる事の出来る者を、人は導士と呼んだ。



爽翼(アウスカート)天麗(イルヴェリア)聖なる風の精霊姫(ティアルフィスト)エルフィレスの名に於いて、我等が風の夢(フォード)を言葉とする』



 フェイトの詠唱に続けて、フィレスが言葉を紡ぐ。



「風よ……」



 囁きかけるようにフェイトが呟く。


 望む言葉を紡ぎ終わったので、フェイトはそれを次の形へと変化させるために、閉じていた瞳をゆっくりと開ける。



『応えなさい……』



 力が、生み出される。


 純粋なる、破壊の力。


 ただ滅ぼすためだけに使われる、それ以外の何をも生み出さない悪しき構成。


 万物の根源属士、非自然属源素、十四なる魔法属性が一つ【魔】の属性。


 フェイトの【魔】なる法によって生成されし【風】の力が、フィレスの【風】と合わさりあう。



「我が手に集いて形と成せ」



 力が、その瞳に入る全てを斬り刻む風の刃へと形を変えた。

 視認出来ない刃がフェイトの周りに生成された事で、その圏内にいた魔者達の身が突然にスッパリと切断される。

 襲い掛かろうと飛び出した者は、刻一刻と位置を変える不可視の刃に見る間に斬り刻まれ肉片と化す。


 己の肉体のみで敵を倒すだけの存在に、風刃障壁で全周囲を守られたフェイトに弱き存在であるドレッドゾンビが攻撃を加える術はない。

 だが、知能を持たない、生者に対する闘争本能だけしか持たないD級眷属魔者たる不死者、ドレッドゾンビには、そんな事などどうでもよかった。


 前進あるのみ。

 眼前に立つ生者に死を与えるのが彼等の全て。


 それがただの自殺行為であるにも関わらず、向かってくる亡者達の行進に、しかしフェイトが浮かべる笑みは消えていなかった。



『我が眷属に連なる者、世界を駆ける風の精霊達よ。束縛を受けぬその自由なる翼を我等が風の夢(フォード)へと委ね、今一時を彼の者と共に……』



「ただ眼前の敵を斬り裂くだけの――鋭き剣たる汝を以て、我は全てを薙払う」



 空間を統べる大気が鋭利な刃物と化してより一層に広がり、群がる死者を次々と屠り去っていく。

 繰り広げられる惨殺の光景に構わず、肉片と化す同胞の亡骸を踏み越えて彼等は前進した。

 風が肉を斬る音に傾ける耳は無い。

 光無き瞳にフェイトの姿は映らず、ただ暗闇のみが占める。

 生という不可視の息吹のみを頼りに、生ける亡骸はフェイトの身へと襲い掛かった。

 それを、見えぬ風が無慈悲に払う。


 ――その風が、突然に終息した。


 静寂が世を統べる。

 拒むものが無くなった事に、嬉々としてドレッドゾンビ達がフェイトへと殺到する。


 刹那――。



『「疾く、走れ――西翼アウスロスの刃、白き旋風(アーヴェルヴィント)!」』



 荒れ狂う刃が、世界を蹂躙した。


 フェイトを始点に発生し、四方八方、全方位へと向けて迸った数万、数十万もの無数の旋刃が、ドレッドゾンビの身体を微塵に斬り刻む。

 その一閃一刃にさしたる威力は無いが、斬られた先から同じ軌跡をまた別の刃が、違う軌道の刃がまた異なる部位を切傷し、刃が重なった部分にはより深い傷が付けられる。

 それを一瞬で、全身を何十何百回と繰り返し斬り刻まれたドレッドゾンビの脆い身体が耐えられる筈もない。

 フェイトの間近にいた者は、斬り刻むと称するには不適切に、粉微塵の如く掻き消えた。


 局所的に低下した気圧に、殺到した大気が作り出す旋風の刃。

 それを初めに自らの周囲に発生させ、周囲から自らがいる方へと流れ込む攻防一体の旋風壁として展開。

 しかしそれは広範囲に及ぶ周囲一帯の気圧を低下させるための前準備でしかない。


 真の一撃は、そこに遙か天空で上昇させていた超高気圧の大気を流し込み、先とは逆の状態を生み出す事にあった。

 即ち、それをした者――フェイトを始点に、全周囲へと吹き荒れる必殺の大旋風を。


 まさに無差別の攻撃。

 天井を茂る木の葉は全て風に斬り落とされ吹き飛び、その母体たる木々も無惨に斬り削られ半円の柱と成り果て、見る影もない。

 数え切れないほど出現していた魔者の姿は、既に僅かばかりしか残っていなかった。

 その全てが半死の如く傷付き、戦闘力を失っている。


 たった一人の少年を前に、大打撃をうけた不死眷属の腐体が、時間の流れを思い出し崩れ落ちていった。

 四肢は斬り離され、肉は削り取られ、内蔵は溶解したかのように泥状に零れ落ちる。

 闇夜に塗りつぶされた紅血赤色の海が広がった。


 眼球と両耳一部を失いながらも、不死たる身体を動かそうとする者がいた。

 そこへ耐えきれなくなり折れた木の枝の先端が頭上に突き刺さり、ただそれだけで肉体の結合が限界を超え真っ二つに両断される。

 後には肉と骨と脳髄の固まりとなった。


 その骸の上を乗り越えようとした両手を失った魔者が、泥状の肉片に足を滑らせ、頭頂を勢いよく大地に叩き付け、その衝撃で今度こそ本当に全壊し永遠に動きを止める。

 二つの肉塊は、そのまま闇色の煙となって消えていく。


 フェイトの魔法により即死する事が出来なかった者達の末路は、まさに滑稽ともいえる終わりの迎え方となっていた。



「……少し、使う魔法を間違えてしまった――ようですね?」

『……』



 やりすぎてしまった事にちょっとだけ反省するフェイトに、フィレスは呆れて言葉が出なかった。

 どの魔法を使うかは予め宣告があったので分かってはいたが、それは予想していた威力よりも遙かに大きく――むしろ、魔法の選択ミスが問題ではない事に全く気が付いていない困った子供に、フィレスは心の中で大きく溜息を吐いていた。



(まったく、誰に似たのでしょうね)



 その答えは分かっていたが、そうならない様に極力注意しながら育てていたのに――結局その努力が全然報われなかった事に、フィレスは泣きたくなった。



「次は、もう少し手の掛からない魔法を使う事にしましょう。二つ下げて、五翼ではどうでしょうか?」



 フェイトは魔法の威力や種類を、数字や言葉で小分けして整理していた。

 数字の大きさは単純に威力を表し、その数字に追随する《翼》の文字はフェイトの好みでたまにコロコロと変わる飾り文字。

その後ろにつく《刃》という文字は攻撃の手法となっていた。

 他に、《閃》や《針》《断》などの一文字等が好んで使われる。

 逆に、数字の前にくる《天つ風薙》等の言葉は、場所や具体的な攻撃の種類を意味していた。

 天空を意味する《天》の文字に、風で薙払うという《風薙》の言葉をくっつけて、ちょっと格好良く言葉を継ぎ足し《天つ風薙》と名付けている。

 サポートを必要とする場合には、更にこの言葉の後に二文字もしくは三文字の単語を付け加えていた。


 尚、これらの言葉は、実際に放つ魔法に付けた名前とは一切の関連を持っていない。



『――ほとんど詠唱を必要としない、もう二つ下の三翼あたりの方が良いでしょう、あまり強すぎてはこの森の木々達に迷惑が掛かります。もう少し彼等を労りながら、繊細に対処していきましょう』



 まぁ、そういう年頃なのだろうと勝手に納得して、フィレスはフェイトの言葉遊びに付き合う。

 ハッキリと無駄が多いとは言わない。

 初陣の最中ぐらいは寛大に見てあげようというフィレスなりの配慮だった。

 後でたっぷりと仕置きするのは変わらないのだから。



「細々とした作業は苦手なのですが……」



 文句を言いながらも、フェイトは手刀に伸ばした右腕に力を込める。



『風の導士とは思えない言葉ですね。今からでも遅くはありません、他の四属源素へと乗り換えますか? 私は別に構いませんよ』



 肯定すれば今ここで半殺しにする、と心の中で思いながらフィレスは優しい言葉でフェイトに問い掛ける。

 それ以外の道をフィレスは許すつもりがなかった。


 長い付き合いの中でフェイトも薄々それを感じ取っていたので、軽く笑んで否定の意を伝える。

 効果的に虐めるという繊細な作業――半殺しを得意とする聖なる姫君(フィレス)に、冗談でもそういう事は言えなかった。



「ところで……」



 足下でジタバタしていた不死者の四体目を風の刃を纏った右腕で細切りにしてトドメをさしながら、フェイトはふと思いついたように動きを中断する。



『あまり無駄話をしていますと、なかなかこの掃除は終わりませんよ』



 まるで無益な雑用仕事の様に言って、動きを止めたフェイトをフィレスが咎める。

 もともと依頼を正式に受けてないので、ことすれば本当に無償になる訳だが。


 注意されてフェイトの動きが再び活発になった。


 今度は向かってきた五体満足の運の良い魔者をザシュザシュと斬り刻みながら、フェイトは続く言葉を口にする。



「この方達は、魔餓鬼(マガキ)……ですか?」



 フェイトがそう言った名、D級眷属魔者、生喰らう鬼人の幼子、魔餓鬼(マガキ)

 生魂と生肉が好物で、テリトリーに迷い込んできた旅人等を集団で襲い、その肉と魂の両方全てを貪り食う悪名高き魔者である。

 繁殖力が高く、縄張りを常に変えながら、地に潜んで得物を待つという厄介な習性があるため、人が住み着いていない場所へ赴く場合にはまず警戒すべき存在とされている。

 とはいえ、数が多いので群れられると面倒だが個体戦闘能力はかなり低く、しかも各々のタイミングで徐々に土の下から現れその数を増やしていくので、慌てずに素早く対処していけばそれほど恐れる程ではない。


 一般に、ある程度の修練を積んだ者で、対処法さえ頭に入っていれば最下級のD級眷属魔者の半分ぐらいは倒す事が出来た。

 D級の場合、最下級と呼ばれるように個体としての戦闘能力はそのほとんどが大した事はない。

 むしろ問題なのは、その弱点を幾分か補う様な厄介な特徴、習性を持っていたりする事である。

 集団戦法はその代表的な一つである。


 他にも、不死魔者の様に無限に仲間を呼ぶ魔者、知性は無いが身体全てが強酸で構成されている魔者、常により高位の魔者と共に行動してその恩恵を受けている魔者、様々である。


 故に、最下級のD級眷属魔者といえど、戦闘能力をほとんど持っていない一般の者にとってはかなりの驚異だった。


 そういう存在を相手に、フェイトはほとんど苦せずして目の前の驚異を次々と右手の見えざる風刃の剣で屠っていく。

 返り血は全て風の防壁が遮ってくれるし、そもそもドレッドゾンビには返り血など飛ばさないので、フェイトが着ている服には一滴も紅い血は付着していなかった。


 流石に血み泥の大地を歩く靴はどうしようもなかったが。



「――では、徘徊せし凶泥闘魔(メイデンマーダー)……なのでしょうか?」



 半信半疑に問い掛けた質問の答えがなかなか返ってこなかった事に、フェイトが頭に浮かべていた二つ目の候補で挑戦する。


 答えは、言う迄もなく不正解である。



『あなたの観察力は、なかなか大したものの様ですね。目が悪くなりましたか?』



 フィレスはそう言って笑い、軽くフェイトの頭を風で小突いた。

 不意の攻撃に、フェイトがバランスを崩す。

 咄嗟に手を突いて転倒する事だけは何とか防ぐ。

 危うく顔から突っ込む所だった。



「不死者……ですか」



 ぐちゅりとした手の感触と鼻を襲った異臭、そして間近で瞳に映された元は人だった者の成れの果てに、フェイトの顔が不愉快に歪められる。



『そういえば、あなたがさっき手にしていた紙切れには何と書かれていたのでしょう。よければもう一度、私にあれを見せて貰えませんでしょうか』



 その声は、聖女のごとく透き通った言葉で降りてきた。


 フェイトの前に今話題中の不死者が躍り出るが、一瞥もされる事なくフェイトが生み出した風刃によって斬り裂かれる。

 悲痛の声を上げてそのまま本当の骸と化した。



「人が悪いですね」

『ええ、私は人ではありませんので』



 フェイトの文句に対して、フィレスは遠回しに言葉を返す。

 人である者、つまりフェイトが悪いのだと。


 ブルーサファイアの様な瞳が腕輪に注がれる。



『まだ、終わってはいませんよ』



 子供のささやかな反抗を無視して、フィレスがそれを告げる。



「ええ、言われなくてもわかっています。次の段階が始まっているようですね」



 倒しても倒しても次から次へと取り止めなしに沸いてほとんどキリがないという言葉を、フェイトは頭の中の何処かで思い出していた。

 その意味を現実に()の当たりにするのはこれから。


 肉体を失った不死魔者の精神体、魔に堕ちた魂が実体無き姿となってポツポツと灯り出でていた。

 別の言葉で言い換えるならば死霊、邪霊、魔魂、よく使われる言葉では不死霊体と呼ばれている、不死魔者の本体。

 それが姿を現し始めていた。


 数は葬った死体の比ではない。

 肉体一つに無数の魂が乗り移るのは珍しくなかった。

 そして、呼び出され集まった霊の数に、肉体の数が足りる事などない。

 宿る事が出来ずに途方に暮れて彷徨い続ける魂の数の方が圧倒的に多いのが普通だ。


 しかし、ただそこにいるだけで霊が具現化する事はない。

 現に、フェイトが最初にドレッドゾンビと相対していた時には、肉体を持たない霊の姿はどこにも視認する事は出来なかった。


 全てを透過する精神体、自らは如何なるものにも干渉する事の出来ない者達、故にどこにもいるがどこにもいない存在。

 様々な言い方はあるが、宿る肉体もなく、最低限視認出来る段階まで具現化していなければ、見えないままの霊は恐れる程の存在ではない。


 だが、一度具現化してしまうと、それは恐ろしき驚異となる。


 実体なき不死霊体は、いかなる物質をも透過し、そして重力や慣性という物質特有の物理学を完全に無視してしまう。


 壁や木々、地面すら彼等にとっては何ら障害物とはなりえない。

 無論、剣や槍で攻撃した所で同じである。

 あらゆる物理攻撃は、精神体の彼等には全く効果がなかった。


 そして、彼等が驚異となるもう一つの理由。


 彼等は心や魂を削り、生者を殺す。

 精神攻撃と呼ばれるそれは、鎧や盾などで身を守るのとは違い、非常に防御する事が難しい。

 肉体は鍛えれば強くなる、物理的な防御力は硬質の装備を身に付ければ補う事は容易い、物理攻撃はその力の方向を変えてやれば流す事が出来た。

 だが、魂への攻撃に鍛える場所は存在しない。

 如何に強靱な精神力を持っている者でも、易々と確実に削り取っていく精神への攻撃にいつかその心は砕け散る。

 幾らかそれらの攻撃を軽減する事の出来る魔法金属はあったが、希少価値が高く手に入り難かった。

 そして、例えそれら精神攻撃耐性を持つ装備を身に付けていたとしても、精神攻撃を完全に防ぐ事は出来ない。


 故に、最も現実的かつ最大の効果を発揮するのは、あらゆる物質を透過して攻撃してくるそれら精神攻撃を、ただ避ける事。


 そして、迅速にその元を断つのが最良とされる。



「さて、どちらで対処致しましょうか?」



 この期に及んで、フェイトは悠長に構えていた。


 今更に助言を与えるつもりはフィレスにはない。

 高位の精神体とも言っていいフィレスにとっては、目の前の雑虚する霊達の力など無にも等しい。

 軽く力を振るえば、先程までこの辺り一帯に群がっていたドレッドゾンビを片付けるよりも遙かに楽に一掃する事が出来た。

 フェイトにとっても、彼等を片づける事は何ら難しい事ではない。

 このまま魔法による攻撃で一掃する力も、聖術に切り替えて浄化する手段も持ち合わせている。


 油断したとしても、やはりフェイトが負ける要素はどこにも見えなかった。


 そして、万が一にフェイトが彼等の攻撃を受けても、フィレスにはそれを防ぐ術も持ち合わせている。


 現実的ではない、およそ起こりうる筈のない要素を除けば、不安要素はやはりどこにも見つける事は出来なかった。



「面倒ですから、このままでいきましょうか」



 言うが早いか、フェイトはまるで弓を構えているかのような体勢を取った。


 殲滅の射手(いて)天恵(てんけい)、四翼なる矢。


 言葉を聞かずとも、その動作だけでフィレスはそれを察する。

 今のところ、その構えに該当する魔法は一つしかフィレスは知らない。


 対不死霊体用攻撃魔法――南天(イルタリウス)の弓、玖矢の颯(ノイントアイレー)


 意識を集中し、小声での高速詠唱。

 見えない弦を引き絞るフェイトの右手指先から魔力で生成された風の矢が徐々に形成される。

 そのフェイトの左右からも一拍子遅れて矢が生成されていた。

 その連なりは片軸四つ。


 フェイトの詠唱が終わった時、生み出された魔法の矢は合計九本にも及んでいた。


 一呼吸の間をおいて、一際大きくフェイトが右手の弦を引き絞る。


 横一列に連なった矢もまた、その動きにあわせて向きを変え後退った。


 そして、一瞬の停滞。


 緩慢な動作の後に、僅かばかりの間が空く。

 当然、そのフェイトを狙って、現世へと帰還した不死霊体魔者、C級眷属の死霊(ゴースト)達が次々と襲い掛かる。

 長い尾を引いてゆっくりと加速する淡い白炎の球、生前の姿から下半身を透過した姿の者は、まるで歩み寄る様に、肘より先の腕が地面より生えて地上を滑らかに進む。

 見る者によっては、ドレッドゾンビの行進よりも更におぞましき光景がそこにはあった。


 だが、その全てはフェイトのいる所に辿り着く前に微塵へと消えていく。


 爽天の聖姫フィレスの天恵。

 彼女が作り出す風の障壁は、隙だらけのフェイトの身を非物質世界においても完璧に守護していた。


 フィレスが存在する限り、下級の眷属がフェイトの身を傷付ける事はまずありえない。


 触れることすらも許されない絶対領域。



「――あなたがいる限り、私は本当の意味での戦闘を経験する事は出来ないのでしょうね」



 落胆の声と共に、引き絞られた風の弓がその力を解き放つ。


 飛んでいく九つの大気の矢が、フィレスの守護圏内を超えて敵に殺到する。

 全てが同じ軌跡。

 曲線のない真っ直ぐな軌道。

 その魔法の矢に、霊体魔者達が次々と撃ち抜かれていく。

 貫かれた者は例外なく完全消滅。

 一部を削られた者の末路も変わることはない。

 その一撃は触れるだけで死をもたらした。


 後には九つの軌跡に穿たれた大穴。


 否。

 南天の颯弓が、次なる死撃を光らせる。


 最速の一本、全ての中心に位置していた魔法の矢の先端が、木の一本に触れた刹那。


 矢は弾け、爆風と化した。


 超圧縮されていた空気の固まりが、貫通力から破壊力へと変わる。


 だが、それは物理世界での現象。

 顕現した破壊力が実体なき精神体である不死霊体達を傷付ける事はない。


 真の驚異は、その内に内包されていたものによってもたらされた。


 矢の炸裂と同時に全方位へと放出された魔力の針が初撃を免れた者達へと襲い掛かる。

 一瞬遅れて次々と破裂する他の矢が、更に死角の空域を埋めていく。

 その針の一本一本が全て必殺。

 フィレスの手によって、本来の威力から遙かに強化されたそれは、刺さる事なく確実に敵を、その命を貫いていった。



『……それほど近くはない、少しばかり遠い未来ではありますが、あなたは一人で闘わなければならない時が必ずやって来ます。それまで、私はあなたを失ってしまう訳にはいかないのです――例えあなたに嫌われてしまう事になろうとも、私は……』

「待ってください」



 続く言葉をフェイトが止める。


 その瞳が大きく見開かれていた。



『ロー、私は……』

「違います! あれは……いったい何ですか!?」

2013.04.13校正

2014.02.13校正

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