第14話 力無き者
世の理、万物の根源。
源素はその一つ。
別名を属性と呼び、それは二十六種存在すると言われている。
そのうち守護属性とされるものは自然属源素十四種、非自然属源素三種の、計十七種。
生誕と共に定まり、生涯を通じてその属性から影響を受け続ける事になる。
この特性は生者、魔者、死者、異者、ありとあらゆる全てに共通していた。
守護される、または加護を受ける属性の選定は、主に生誕した月と源日、種族によって決まる確率が最も高く、そのどれにも該当しない属性が守護属性に選ばれる可能性はほぼ皆無に等しかった。
例えば、第七の月〈火月〉の〈光源日〉に生まれた水の民ウィンディアの子の場合、守護属性は【火】【光】【水】属性のうちのどれかになる。
その中で最も可能性が高いのは種族そのものが洗礼を受けている【水】属性であり、次いで生誕の月である属性が守護属性となる可能性が高くなる。
但しこの場合、【火】属性と相性の悪い【水】属性の洗礼を受けているウィンディアの民は、生誕の源日である【光】属性の方が優先される。
とはいえ、その可能性の割合はそれほど差はなく、生誕の月と源日、種族が受けている洗礼属性が全て一致しない限り、守護属性は実際に調べてみないと分からない。
占星術士は、その守護属性を調べる事の出来る、特殊な能力士の一つだった。
――なお、これは後から聞いた話だ。
今の俺に知るよしはない。
真顔なのか、感情の色がないだけなのか。リーブラの真摯な眼差しが俺の瞳を見つめ続ける。
「やはり、見えてこない」
星空を思わせる濃い青色の瞳。
髪の色に似た、白銀の瞳。
時間が止まっている様な静けさの中、まるで心の奥底を覗き込んでいる様な深い眼差しが、ゆっくりと外される。
そして虚空へと向く。
「あなたは、明らかに私達とは違なる存在」
淡い唇が薄く開き、透き通る音色を鳴らす。
断定の旋律――。
「……の、はず?」
それが急に自信のない疑問形に変わる。
と同時に横目で盗み見るような視線がフードの影から覗く。
そこにはミリ単位の変化だったが、僅かに感情の色が彩っていた。
「占星も万能じゃないみたいだな」
沸き上がってくる笑みを噛み殺しつつ、俺がズレていない眼鏡の位置を弄る。
「守護属性、か」
思いあたる事は……ある。
ありすぎるぐらいに、ある。
だが、それとは別の理由を求めて、俺は両手を組んで思考に向かう。
僅かな間の、沈黙。
「リーブラの守護属性は何なんだ?」
問われたリーブラの蒼と白の瞳が空へと向かう。
その先に言葉はなかった。
程なくして言葉なき答えに行き着いた俺は苦笑する。
「なるほど……それも属性、という訳か」
自然属源素の一つ、精召九源素に属する性質。
こことは違なる世界の法則では遠き世界の輝きとされているそれが、果たしてこの世界では同じ原理で見えているものなのか。
出てくる筈のない答えだが、まだまだこの世界の知識には乏しい俺にとっては実に考え甲斐のある命題だった。
だが、やはりそれよりも優先されるべき事がある。
「その力は、どうやったら扱う事が出来る?」
差し迫った驚異はなかったが、それでも欲しいと思うもの。
俺の中にある現実――向こう側の世界にはなかったものが、ここにはある。
だから純粋に、その力が欲しいと思った。
恐らくそれは、向こう側では誰しもが一度は望んだ事のある、とても純粋な真実の想い。
欲望の一欠片――。
「あなたには無理」
薄紅の可愛らしい唇が耳に心地良い響きを奏でる。
予想していた言葉と一言一句違わず、予期していたタイミングから僅かなズレもなく伝えられた答えは、内容がどうあれ俺の脳に気持ちよく響き渡った。
悠然と微笑む。
大雑把に切り揃えられた黒髪が風になびく。
夜色に沈む森の中で、俺の姿が闇の影に重なりあう。
風がやみ、雲に隠された半月の灯りがなくなった世界は、二人が言葉を交わさなければ静謐にのみ彩ってしまう。
俺は、その余韻を十分に楽しんでから、用意していた次の言葉を紡ぎ出した。
「それは、先天的な理由か?」
髪を揺らさない程度の答えが返される。
注意して見ていなければ分からないレベルの首の動きだった。
「違う。守護属性と、それを扱う術は全く別物。特性による得手不得手の差違はあっても、そこに絶対はない。きちんと修練を積めば、あなたにもこの力は扱う事が出来る」
静かな声が闇に響く。
正確なリズムで奏でられるオルゴールのような言葉の音色。
「そして、あなたがこことは法則の違う世界からやってきた存在だとしても、既にあなたはこの世界の住人となっているので、この世界の法則に支配されていると言っていい。だから、あなたが思っているような心配はない」
そこでまたリーブラの首がミリ単位で傾げた。
「……の、はず?」
自信たっぷりに見えた言動が、その行為で以て全てが崩壊していく。
「だけどあなたが力を使えない理由は分かっている」
「ああ、俺の方もだいたいの検討はついている。いや、今ようやくその可能性に気が付いたと言った方がいいか」
含んだ笑みを隠す事なく、俺はその名を口にする。
「アウラ。そして――レビス、か」
「違う」
リーブラは俺の予測をすっぱり否定した。
大袈裟に驚いて苦笑する。
『緑園』に守られし者、禁忌の聖女アウラ。
魔に堕ちた僧侶、永遠を得し魔導の王。
即ち、不死賢者レビス。
意外にも、そのどちらもこの辺りではとても有名な名だった。
出かける前に軽く情報収集しただけであの少女の名まで分かってしまった事には、少し拍子抜けしたものである。
「偶然と必然。あなたは、ただ運がなかっただけ」
淡い唇が薄く開き、占星術士の言葉とは思えない過酷な運命の予言を曖昧な表現で告げる。
だが、俺はそれとは別の見解を持っている。
「それは違うな、リーブラ。災厄となるかどうかは、俺自身が決めていく事だ」
まるで幸運だと思っているかの様に、俺は不適に笑む。
アウラに出会ったのは確かに偶然かもしれない。
知らなかったのは必然。
触れてはいけない者に触れる事となってしまったのは、偶然必然どちらであっても《欲望解放》の呪いを受けていた状態では結果は変わらなかっただろう。
奪われてしまった力、俺が本来持っていた力――才能がいったいどれほどのものなのかは分からないが、既にそれは過去の出来事。
あった事は事実でも、それがどんな力だったのかが分からなかったので、そんな謎の力に後悔するほど俺は自分を高く評価していない。
それこそ、そういう事実を知らなければ何もなかったのと同じだ。
後付の言い訳にも聞こえる内容だが、それは本心だ。
あの時こうしていればなどというくだらない妄想をしていちいち後悔しても詰まらないだけである。
意に介さなければ良いだけだった。
レビスに目を付けられたのは、必然だろう。
なにせ、俺は違界からの訪問者だ。
実験素材として調べようと思うには十分過ぎる理由だろう。
呪いを掛けられはしたが、まぁこうしてまだ五体無事でいるんだ。
貴重な素材なのだから、後先考えない改造を施すほど雑に扱われる心配もない。
死者には寿命がないので焦る必要もない。
暫くは様子見だろう。
絶望すら出来る状況ではあるが、俺は今まだ生きているこの事実を不運とは考えず、むしろ勝ち誇っているといってもよかった。
この運命は、面白い。
だが笑みはいつのまにか俺の顔から消えていた。
帰結した思考の中では強気に振る舞っているが、本心では楽観視している訳ではない。
諦めている訳でもないが、不死賢者の存在によって道が絶望の色に染まっているのは、まずどうしようもない。
思いつく限りの不幸な未来は、既に飽きる程思い描かれ尽くしていた。
月が再び姿を表し、再び辺りを差し照らす。
「逃れる事が出来ないと分かっていても?」
占星術士の読みもまた同じ未来を指し示している様だった。
星空を見上げたリーブラの横側に感情の色はどこにも見えない。
運命を見通した後の、諦めの顔。
だが俺にとって、それはとても嬉しい反応だった。
リーブラとは昨日今日の短い付き合いだったが、彼女が自分の事を少しでも心配してくれているのであれば、絶望にしか見えない道も進んでみる意味はある。
「……そういえば、最初に俺を救ってくれたのはリーブラだったな」
懐かしむ様な微笑み。
「私は拾っただけ」
リーブラの顔が俺の方に向き、半秒ほど視線を合わせてからまた星空へと上げられる。
「冗談のつもりだったんだがな。まさか本当に飼われるとは思わなかった」
ほとんど全てが喜びに彩った呑気な苦笑。
「あなたは私の奴隷」
その言葉は流石に俺の顔を一瞬驚きに変えた。
事実のみを告げる、リーブラの非常な宣告。
初めて聞く言葉だった。
だが、彼女と最初に出会った後に見た《職業一覧》の中に、その言葉が含まれていたのを俺は確認していたため、予想はしていた。
驚きはすぐに消え、代わりに笑みとなって俺の顔に零れ落ちた。
「ならば、俺は主人の許可なしに、勝手に死ぬ事は出来ないという訳か」
そして無礼にも主たる少女の顔へと近づけ、その顔を隠しているフードへと手を掛けた。
抗う動きはない。
フードが外れ、銀色の髪が姿を現す。
露わになったリーブラの顔。
俺はその顔を覗き込み、じっと静かに見つめ続ける。
眼前の無礼者に、しかしリーブラは瞬きすらする事なく、彫像の如くずっと固まったままだった。
無表情で。
「――それもまた一興。悪くない」
頭を優しく撫でる。
まるで可愛いペットを扱っているような手付き。
――刹那。
俺の目線が真剣な色に変わり、森の奥へと向かう。
「ならば、もう少し役に立つ所を見せないといけないな」
笑っていた。
鋭い笑みと、研ぎ澄まされた意識が俺を統べる。
そういう変貌だった。
「それが、あなたの本性?」
「違うな。これは、ただ気分を変えただけだ」
身体ごと向き直るのと、それが姿を現したのはほぼ同時だった。
俺の後ろ姿を暫く見つめた後、リーブラの視線がその向こう側にいる存在を視界に収める。
人型の、人ではない者。
魔に属する存在でもない。
生命すら持たない偶像。
人形と言うべきか、それはまるで造られた物の様な姿をしていた。
「あなたでは勝てない」
それが何であるかを知っていたリーブラが、先に予測した結論を無慈悲に下す。
「あれの防御力はあなたの攻撃力を遙かに上回っている。スピードもあなたより上。戦闘技能は比べるに値しないぐらい遙かに上。総合戦闘能力は……」
「天と地の差があるな」
「それ以上」
容赦のない評価。
実際にはそれほどの差がある訳ではないのだが、結果は変わらないという点では一緒といったところだろう。
俺は薄く笑う。
「そういう訳だ。お手柔らかに頼む」
言葉を理解しているのかどうか、人形は反応を返さない。
しかし攻撃する対象は決まっているのか、その身体は真っ直ぐに俺へと向いていた。
延長線上の背後にはリーブラもいたが、その気は感じられない。
対峙する俺と人形もどき。
そして無音の予備動作。
リーブラの指摘。
「遅い」
鈍い音が鳴る。
先制は、先に仕掛けた筈の俺の胸部へと入っていた。
先程闘ったD級眷属魔者への攻撃方法と同じやり方で脚撃を放とうとした所を、無駄のない正確な動きで迎撃。
手を防御へと回す暇もなく、第二打が腹部へと決まる。
一拍遅れて、吹き飛ばされた俺の身体が木に打ち付けられる。
体格的にはリーブラよりちょっとだけ背の高い細身の人形。
だが、そこから繰り出される攻撃は重く、まったく鍛えられていない一般人がまともに受けて耐えられる代物ではない。
「……終わり?」
呆気ない結末。
少しぐらいは期待していたかもしれないリーブラの、少しばかり控えめな質問。
「問題……ない。攻撃が早すぎて助かった」
地面に手を付いて二度ほど咽せた後、胸を抑えながらも俺はゆっくりと立ち上がる。
双眸に灯る闘志の輝きはほとんど変わっていない。
闘争に対する喜びの灯火、戦闘に対する真面目な彩り、敵に対する警戒の色。
そして、現実に襲ってくる苦痛の歪み。
「なるほど、確かに強いな。俺の踏み込みがもう少し早ければカウンターになっていた」
「そういうレベルの問題じゃない。あなたが弱すぎるだけ」
これで何度目になるのか。リーブラの指摘が俺の耳を打つ。
「知っている」
苦笑と軽口で返す。
俺の戦闘意欲は変わっていない。
大きな一呼吸で気持ちを直した後に、俺は再び疾走。
体勢を低く、右手を拳に変えて力を溜める。
「無謀」
言葉を後ろに置き去りにして、俺は疾走する。
上半身を前に傾けた小刻みの疾駆。
大地を駆ける一陣の風と化して、強敵たる人形に向かっていく。
人肌とは異質の感触、硬質の左腕に拳が激突。
堅固な腕が、突進力をも含めて威力の全てを受け止め制止、機械的な動きで右腕を振り上げる。
真っ直ぐ打ち下ろされた右が俺の頬を掠めた。
間一髪の回避、防御された時に負った右腕の痛みに歪む顔へ、しかし更なる追撃打が迫る。
打ち下ろした右腕から続く裏拳撃。
縦ではなく、横へ凪ぎ払う強引な一撃。
交差された両腕による防御ごと俺の身体が宙へと浮く。
続く次手のための踏み込みが見えていたが、既に打つ手はなかった。
衝撃。
苦痛。
僅かな間、霞む視界。
現状を認識したのは、吹き飛ばされ地面に倒れた後の事だった。
「無駄」
リーブラの冷たい言葉に、しかし引き下がる気はない。
素早く立ち上がった俺は、枯れ草を投擲。
直後に左へと走り、木の後ろへと隠れる。
次の瞬間、反対側へと走り抜けた俺は、自らの視界を狭めるように両腕を水平に構え、待ち受けるだけの人形へと急接近。
そのまま身体ごと叩き付けるようにタックルを仕掛けた。
対する人形は不可解な行動に全く動じる事なく、体勢を低くして真正面から俺の身体を受け止める。
衝突、そして微少の後退。
刹那、頭部が真後ろに引かれた。
その一瞬後を右足の爪先が過ぎる。
不完全な垂直蹴り、続いて身体を捻ると同時に繰り出された不安定な体勢からの脚撃。
威力のないそれを人形は防御せず胸で受ける。
跳躍。
脚撃を放ったのではなく、人形の頑強な胸を壁に見立てて俺は距離を取っただけだ。
着地と同時に今度は右へと疾走する。
俺の前方で、リーブラの瞳が人形の動向を追う。
それまで受け手に回っていた敵が攻勢に出てきた事を俺は察し、更に距離を取る。
しかし追う側の速度の方が勝っていたために、その差はすぐに零へと近付いた。
三度目となる強打が腹部を襲う。
体格差、それ故の打撃される箇所。
硬質の拳による鋭い撃が、咄嗟に張られた腹筋を易々と撃ち破って深くめり込む。
くの字に折れ曲がった五体、強烈な痛みに涙が浮かび上がる。
その腹部に刺さった腕を、俺は両腕で掴む。
支点にして身体を旋回し、右足による膝蹴り。
ガっという打撃音と共に人形の首が曲がる。
否、頭部と足の間に捕まれていない方の腕が差し込まれていた。
衝撃はその腕によって半ば相殺され、ダメージはほぼ皆無。
間に腕がなくとも、硬質の肉体の防御力を越える攻撃力を持たない俺には、まともな手段で痛手を負わせるのはほとんど不可能に近い。
蹴り足を捕まれる前に足を引く。
だが片足立ちの不安定な体勢に、戦闘に不慣れな身体。
脳の中でイメージしていたものから大きくズレた動作に、人形の精密な動きが易々と追いつく。
踏み込み。
俺との距離が更に詰まる。
身体が真横に旋回。
そして足払い。
一連の動作がスムーズに行われた後、気が付くと俺は空へと投げ飛ばされていた事を遅かりしながらも自覚した。
ゆっくりと空転する世界。
かつてこれほど高い位置へと投げ飛ばされた事などある筈もない。
初体験に心が僅かながら歓喜する。
だからといって、そのまま為す統べなく空を飛んでいていい訳でもない事にすぐに思考が突き当たり――。
そこで時間切れとなった。
2013.05.26校正
2014.02.13校正




