第13話 闘士ハーモニー
地面に手を突く。
バランスを崩し転びそうになった身体を無理矢理に右手の筋力だけで押し戻した後、右足に力を込めて跳躍。
僅か半歩も進まないうちに左足の踵が大地に引っかかり、そのまま後ろ向きに無様な転倒を周囲の者に披露する。
「まったく、何をやっているのかね。もう少し華麗に倒れられないのか?」
と同時にやってきた、フォローと叱責の言葉。
倒れた所をまさに襲い掛かろうとしていた敵の一体、その目の前に身体を滑り込ませた全身ローブに包まれた仲間の一人が、躊躇なくその命を奪い取る。
小柄な体格に似合わない、残酷で見事な一撃。
いったいこれで何度目になるのか、その者は感謝と謝罪の言葉を伝える間もなく一瞬で目の前からいなくなる。
それだけ同じ事が続けばもう迷う事も少なく、すぐに立ち上がって体勢を立て直した。
現状確認――身体の損傷は皆無。
未だに擦り傷程度なのが不思議なぐらいだ。
軽い疲労はあるが、今暫くの行動には支障はないだろう。
一呼吸を入れて体力の回復も忘れない。
周囲警戒――ざっと周囲を見渡して、敵の配置を瞳から脳に入れる。
一瞥で覚える事には慣れてないので、出来る限り仲間の側からは離れない様にするとしよう。
戦場分析――いくら失敗をしても完璧にフォローしてくれるのは有り難い事だが、これまでの観察から相手が弱い敵だと分かっているにも関わらず、自身がまったく歯が立たないのは情けないとしか言い様がない。
まぁ、一般人なのだから仕方ないと言えば仕方がないか。
よって、戦闘続行。
ギブアップという選択肢を捨てて行動を開始。
息を吐いて、身体が戦闘の態勢に構えられる。
先制は左からの跳び蹴り。
真正直に前へ進むと見せかけて右足で地を蹴って左へ。
次の着地足で再び地を蹴り、そのまま右足で敵の右肩へと蹴撃を入れる。
緩慢にしか動く事が出来ないらしい相手は、防御すら取る事が出来ずにクリーンヒット。
蹴り飛ばされて盛大に転んだ。
攻撃は、しかしそこまで。
「何か武器でもあれば、やりようがあるんだがな」
ぼそりと呟いて顎をかく。
眼前にはゆっくりと立ち上がろうとしている敵の姿。
ダメージを感じていないのか、その動きは最初から代わり映えしていない。
ただいつでも苦しそうな呻き声を発し、身体をバラバラにされるまで際限なく襲い掛かり続ける死者がそこにはいた。
D級不死眷属魔者、彷徨う腐死者。
その中でも更に弱い方の部類に位置するだろうレベルの死者の、そ虚ろな瞳が眼前の生者へと向けられる。
恨みと妬みと呪いとその他諸々の彩りに満ちていた。
「この程度の敵に遅れを取る者というのもなかなか珍しい。いったい君はどこの田舎から出てきたのかね?」
「此処からだと気が遠くなるほど遙か彼方の地……です。この大陸に住んでいる人は誰も知らないと思います」
少し丁寧に応えて、俺は身を翻した。
目の前にいる敵は放置して、まだ立っている敵へと向かう。
敵前へと迫る道中で拾った木の枝を投擲して対象の視界を奪い、素早く背後へと回り込む。
腐って脆くなっている死者の身体に直接触るのは当然気が進まないので、やはり利き足で脚撃を放ち転倒させる。
そして再び次手に悩んで、攻撃を中止した。
先程はその瞬間を斜め背後から別の敵に襲われ、慌てて逃げ様とした所を地面に足を取られて無様に転んだ。
仲間の助けがなければ、そのまま上から覆い被さられ酷い目にあっていただろう。
「邪魔」
抑揚のない冷たい言葉が俺に向けて発せられる。
いつの間にか全身ローブ姿のとても便りになる味方が、言葉通り邪魔だと言わんばかりの雰囲気で俺の隣に立っていた。
我が主、占星術士リーブラ殿。
目が覚めてから初めてリーブラの口から発した言葉は、あろう事かその言葉と一言一句違わぬものだった。
流石にその時はグサリと心に突き刺さって俺に呆気の間を与えたが、二度目となる今回はそんな過ちは犯さない。
戦闘中にあの様な隙を見せるのは己の命に関わる。
「まったく、手間が掛かる。シルミー殿の頼みとはいえ、やはりこの仕事は受けるべきではなかったかな……」
そしてもう一人からの冷たい言葉。
言葉の作りと声の彩りとが噛み合っていない三人目が俺の視界に姿を現す。
「一般人の俺に何を期待しているのか……」
俺の口から軽い言葉が飛ぶ。
戦い初めてから四半刻。
当初は圧倒的な数の差があったものだが、圧倒的な力の差でそれを苦なく覆してきた二人を瞳に認めて、俺の身体から緊張の色が抜け落ちていく。
そろそろ終わりが近いらしい。
先程俺が蹴り倒した腐死者を合わせても、既に活動を続けている者は二桁を超えていなかった。
「勿論、報酬の金額に見合った働きに決まっている」
悠々とした態度で俺がいる方へ歩みつつ、腕を一閃して敵の一体を屠る。
「等分か?」
「働きに見合った分配に決まっているだろう」
俺の期待をバッサリと切って薄く笑う。
笑みは、とても人形めいていた。
「草臥れ儲け――いや、儲けは零だから骨折り損か」
数えるまでもなく、俺が葬った敵の数は零から一向に変わっていない。
倒した敵の数ならば結構な数に及んではいたが、ただ転倒させただけで、トドメは全てローブ姿の少女が行っていた。
主との共同作業だと言い張っても誰も認めてはくれないだろう。
「役立たず」
突き刺さった言葉の矢に俺の身体がぐらつく。
「今日一番のダメージだな」
言葉の主、小柄な少女の方へと俺の瞳が向かう。
ローブ下の素顔は、やはりまた見えなかった。
気を取り直して、眼前の敵へと再び意識を集中させる。
今度のドレッドゾンビはLv39という情報を持っていた。
だが俺は既にその数字がただの飾りだという事を知っている。
自身のレベルよりも圧倒的に格上の存在に向けて俺は走り出す。
僅か数歩進んだだけで零へと至った距離。
勢いを付け腹部へと右足の一撃を放ち、Lv39の敵を蹴り飛ばす。
予想以上の重量負担が右足に掛かったが、構わず同じ体勢で今度は筋肉の力だけでもう一度蹴る。
ドレッドゾンビはたまらず数歩後退するものの、倒れてくれる様な事はなかった。
意外としぶとい。
それにダメージを与えている様にもほとんど見えない。
痛覚のない相手に、闇雲に物理攻撃を当てても効果がない事は分かっていたが、それでも俺の取れる手段はほぼ限られている。
また脚撃をお見舞いして、距離を取った。
ドレッドゾンビは控えめに言ってもずっと眺めていたい相手ではない。
何せ、腐っている死体だ。
皮膚は剥がれ落ちて筋肉が剥き出しだったり、所々骨が見えていたり、肉が腐ってぐずぐずになっていたり、内臓が零れていたり、片目が無かったりとと、見ていて不愉快極まりない相手である。
そんな、闘う事はおろか、素手でも触れたくない相手に俺が足の裏による脚撃以外の攻撃方法をほとんど取らないのも仕方がないだろう。
ステータスを確認する。
戦闘前の情報と比べて、『職業一覧』では《闘士》が、『特技一覧』では《脚撃》と《投擲》が増えている。
しかし、戦闘を開始して暫く経っているが、それ以上の追加はない。
やはり現状の戦闘方法を取っている限りは、真新しい情報は取得出来ない様だった。
レベルも全てそのまま、HPとMPの最大値も増えず。
リーブラの情報も確認してみたが、そのレベルは14から変わっていなかった。
この事から推測出来る内容は、俺が取った行動等によって『職業』や『特技』は追加されていくという事、そして恐らくは関連する行動を繰り返し行う事でそのレベルが上がるという事である。
不死賢者レベルと相対していた時に確認した、特技《現実逃避》のレベル上昇は、幸いな事に?あれ以降レベルは上がっていない。
また、リーブラのレベルが上昇していない事から考えると、可能性として、敵を倒す=経験値取得という訳ではない可能性があった。
但しこちらの推測は、ドレッドゾンビがリーブラにとっては弱すぎる相手なので、簡単にレベルが上がってしまうような経験値を取得していない、もしくは経験値が入る事のない格下、という可能性もあるため、確証には至っていない。
そして、もう一つ。
レベルという数字は、まったく当てにならないという事も分かった。
最初に俺が遭遇したドレッドゾンビはLv71という破格の数値を持っていた。
俺とのレベル差は70。
三人の中で一番レベルの高いエーベルにしても、その敵の数値は十分に格上だといえるものだった。
だが、実際に蓋を開けてみると、レベル最低値の俺であっても圧倒される様な事は決してない雑魚クラスの実力者。
打撃系の物理攻撃しか有していない俺では倒すのは不可能らしい相手ではあるものの、瞬殺されるという事は絶対にない。
今相手にしているLv39のドレッドゾンビにしても、その強さはほとんど他と代わり映えしなかった。
一応、個体差ぐらいは確認する事は出来たが、それはレベルとはまるで関係ない。
どうにも、彼等の肉体の痛み具合だったり体格差だったりといったものが要因らしかった。
相手の足を折るつもりで繰り出した蹴りが、その目的を果たせずに肉を撃つ。
ぐちゃりという嫌な感覚と同時に止まった利き足。
バランスを崩して俺の方へと倒れた事に、嬉々としてその口が大きく開け放たれて不揃いの歯が俺の瞳に入ってしまう。
咄嗟に払いのけようとしたが、致命的にも死体へと触れる事に抵抗した脳がその命令を伝えるのを一瞬躊躇したため、それはかなわなかった。
俺の肩口に、死者の口が噛み付く。
――と思われた瞬間、強烈な一撃を受けたその頭部が胴体より離れ、宙へと飛んだ。
ついでに倒れてくる身体も俺へと覆い被さる進路から外れ、不愉快すぎる抱擁の時が訪れるような事は遂になかった。
その骸が、黒い靄の様な塵に変わりながら消えていく
先程からそういう事ばかりが立て続けに起こってくれているので、もう何が起こっているのかは理解していた。
また、助けられただけである。
見放す様な言葉を言いつつ、しっかりと俺の窮地を見逃さず確実に助けてくれる女性。
その顔には変わらずに呆れの色が見て取れたが、彼女の優しさは折り紙付きの様だった。
「ありがとうございます」
「君の戦い方は、ただの無謀だな」
礼を言うのはこれで何度目になるだろうか。
そして律儀にも必ず何らかの言葉を返してくれる彼女の冷たい感想を聞くのも、俺としてはそろそろ終わりにしたい。
褒め言葉を貰うには、さて、どうすれば良いか。
等と考えているうちに、残念ながらその機会はなくなってしまった様だった。
「――それで仕事は終わり、でいいんですか? エーベルさん」
今まさにトドメをさした女性の姿を、もう一度よく確認する。
名は、エーベル。
流石に命の危険が伴うため自身の戦闘能力の低さをシルミーにハッキリと告げた結果、お守り役として雇われた臨時の護衛である。
人形使いLv46の、なかなかの使い手だった。
その仲間の顔には綺麗な形をした女性の風貌。
「ああ、終わりだ。さっさと戻る事にしようかね」
そして声色も女性のそれと何ら変わりはない。
胸にもしっかりと特有の膨らみがあった。
肩幅も狭い。
一見しても、よくよく観察しても疑う余地はどこにもなかった。
それ以外の、ある一点を除いては。
「それはそれとして、君のその口調はどうにかならないのかね? 微妙に丁寧で他人行儀だが粗暴で雑というのは、聞いていてとても響きが悪い。口が悪くても構わんから、もっとスッキリした言葉を使ってくれると有り難いのだが」
言葉の作りは男性の如く、しかし声の質は女性のままでエーベルが言う。
「――美人が紳士風言語を使うよりかは良いだろう? まぁ、それはそれで味があるから良いけどな」
「そういう風に気取った喋りの方がまだ聞こえがいい。それが素かね、ハーモニー」
言葉を受けて俺は鼻で笑う。
右手中指で眼鏡のズレを直す。
「さぁな」
「――まぁ、いずれは分かるだろう。長い付き合いになれば、の話だが」
会話に終止符を打って、エーベルが先頭をきって歩き始めた。
小休憩すら取るつもりはないらしい。
俺はそのエーベルの横を選択せず、少し後ろを自分の胸までしかないもう一人の仲間と共に歩く事を選ぶ。
エーベルと話していた時の緊張感とはまた別の、数段上の緊張の色が浮かび上がった。
「リーブラ」
やっとの事で紡ぎ出された言葉が少女へと届けられる。
「……なに?」
振り返る事なく応えられた抑揚のない言葉。
長い間が、空く。
目の前を先に行くエーベルの歩みは速く、少し急ぎ足にならなければ引き離されそうだった。
その速いリズムが平常を求める俺の心から思考するゆとりを奪い去っていく。
時が経つにつれて飛沫く汗は、緊張と疲労のどちらによるものか。
隣に瞳を向ける。
同じ速度で横を歩き続ける小さな少女。
全身をローブで包んでいるためにその顔を見る事はほとんど出来ないが、リーブラからは疲労の色はまったく感じられなかった。
戦闘中に費やされたエネルギーも、俺が費やしたそれとは比べものにならないぐらいに莫大な筈である。
小柄なのに凄いな、と俺は思う。
問い掛けたまま黙っている俺に、リーブラの意識が疑問となって向けられる。
比較的話のしやすいウィチアやシルミーに比べると、無口で感情を見せないリーブラは話が非常にし難かった。
それでなくとも、第一印象は最悪といってもいいのだから、始末におえない。
「――星が、綺麗だな」
「だから、なに?」
リーブラの横顔は変わらず正位置に、声は絶対零度の如く響き渡る。
予想していた応えが返ってきた事に、俺は少し安堵の色を覚えた。
目を覚ました時にいた部屋の中ではまったく成りたたなかった会話が、今は成立する。
たったそれだけの事でも、俺の心は随分と楽になっていた。
遅れている俺達を気遣ってか、エーベルが振り返っていた。
「夜歩きをするのは久しぶりだ」
右手中指で眼鏡のズレを直す。
唯一残っていた、俺がこの世界の住人ではない事を物語っているだろう特殊アイテム。
それは何故かステータス欄にも載っていなかったが、そんな事は些細な事だ。
その事について考えるのは、もっと暇を持て余している時でいい。
今は、隣にいるリーブラとの会話を楽しむ事にしよう。
「君は……」
「弱いだろう?」
エーベルの言葉を遮り、自らをも切り捨てる。
肯定の応えだけを、そして望む。
実際にそれは最も適当な表現だった。
「感情を殺せるタイプか」
だがエーベルは細めた瞳の奥で、俺の本質に探りを入れている様だった。
「残念ながら、分からないとしか答えられない」
夜空に目線を向けて遠い目をする。
丁度、雲が月を隠し始めている所だった。
「そもそも、俺はそういう世界とは無縁の環境に浸かっていた。生き死には事故と病気と寿命が最有力候補だ」
月明かりで辛うじて見えていた森の中の夜道が、見る間に暗闇に閉ざされていく。
風が再び流れ始めたのか、静寂に包まれていた世界に葉音が僅かに響き鳴る。
村にはまだまだ遠かった。
「そういう訳で、な」
「いや」
「断る」
即答だった。
「いや、まだ何も頼んでいないんだが……」
それも予想していた答えではあった。
が、呆れを通り越して既に諦めの境地に至っていても、俺はそう簡単には引き下がる事は出来なかった。
事は、やはり自らの命に関わるが故に。
「私に頼み事をするのであれば、それなりの対価を支払いたまえ」
エーベルの美麗な右側の嘲笑。
拒否の言葉。
「金銭による対価の支払いが無理だという事は言わなくても分かるだろう? 俺が提供出来るのは、さっき見た通りの労働力か、もしくは知識だけだ」
それは無価値にも等しい。
夜空の下、深き森である地、死者の彷徨う時間帯。
既に自らを売り込む唯一の機会は過ぎ去っていた。
長い付き合いになれば、というエーベルの言葉が冗談で口走ったものだという事を俺は分かっていた。
リーブラの評価は既に下され、未だ俺の心に深いダメージとして記憶に浅い。
興味をなくしたのか、エーベルが答えないまま前へと向き直っていた。
「……あなたは、なに?」
続かぬ会話を、更に切断する問い。
有無を言わさない迫力が伴ったリーブラの声音。
そして一瞬の無音。
問い掛けの答えに悩む俺の横顔へ、リーブラの瞳が初めて向けられる。
早くも癖がついてしまったのだろう、顎に手を当てて俺は思考する。
やがて答えに行き当たりリーブラの方へと向くが、既にリーブラの視線は俺の方へは注がれていなかった。
「何だろうな」
結局行き当たったその答えに、俺は苦笑する。
「占星術士なら、その辺りの事は俺よりも分かるんじゃないのか?」
「分からない」
気が付くと、リーブラは立ち止まっていた。
歩いていた事が嘘だったかの様に。
その隣を歩いていた俺の歩みも、気が付くと止まっていた。
まるで二人は繋がっていたかの様に。
それでも時だけは確実に流れる。
エーベルの姿が視界から暗闇の中へと消えようとしていた。
そして、消える。
「あなたは、なに?」
見計らった様に再び問い掛けられた言葉。
ローブ下の双眸が、今度は俺の瞳と重なり合う。
リーブラが振り向いていた。
「あなたには、守護する源素が存在しない。本来、誰もが持っている筈の守護源素、守護属性は、私達にとって絶対の特性。それが、あなたからは見えてこない」
《星の聖者》、占星術士リーブラが再び俺へと問う。
「あなたは、なに?」
2013.05.26校正
2014.02.13校正




