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不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
第壱章
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第12話 早すぎた回答

 エスペリア大陸の南西を流れる大河『虹の滴(イリス・トレーレ)』。

 その大河を構成する七つの川が一度に交いする場所を中心に、怖ろしく広大な森が大陸南端を占拠している。

 それが、この地『緑園(テーゼ)』。


 今はもう知る者の少なくなった古き名や、いまや大陸の半分を支配している超巨大国家《ミネルヴァ帝國》によって新しく付けられた名称はまた別にあるらしいのだが、人々の間で最も浸透している名は、この『緑園(テーゼ)』だという。

 それは、この村を築いた開拓者達――大陸のどの国家にも属さない独立した巨大な宗教集団である《コーネリア教団》に拾われた戦争孤児の子供達によって名付けられた。

 だが開拓当時、その森周辺はあまりにも過酷な環境下にあったため、彼等の子孫は誰一人として残っておらず、その名前の由来も伝えられていない。

 ただ『緑園(テーゼ)』という名だけが、この世界には残った。


 そんな必要のない歴史情報を適当に聞き流しながら、重要と思われる単語を俺は幾つかピックアップしていく。


 この村は森の東側に位置し、その領土は《ミネルヴァ帝國》に属している。

 当然の事ながらこの村へと通じている道、つまり森の外へと続いている道は《ミネルヴァ帝國》領にのみ繋がっており、それ以外の土地へ抜ける事はほぼ不可能だという。

 その要因の一つは地理的なもの、森を東西に寸断する大河『虹の滴(イリス・トレーレ)』の存在。

 今の所、別にわざわざ川向こうまで泳いでいって帝国領外から森を抜ける必要性はないため、その辺の情報は追求せずに頭の片隅にだけ置いておく。



「そっかー。それは災難だったねー、ハモハモ」



 しかし情報収集をするにしても、何を知っていて何を知らないかが分からなければ、知りたい情報もうまくは引き出せない。

 故に、必然と明らかになってしまう情報もやっぱりある訳で。



「まさか、別の大陸からこんな所にまで飛ばされてくるとはねー。どれだけ強力な法術がその罠には仕掛けられてたんだろ」

「空や海の上とかに飛ばされなくて本当に良かったです。この『緑園(テーゼ)』の森も決して安全という訳ではありませんが、運良く村の近くに飛ばされたのは幸運だったと言えるかもしれませんね」

「そうそう、フェイもそれで助かったんだから、ほんと運命の巡り合わせって不思議だよねー」



 知っているべき事すらまったく知らない俺の様相に、二人の少女が不思議や疑問を感じるのにはほとんど時間が掛からなかった。



「――あの時は、本当に生きた心地がしなかった」



 軽く嘘を吐きながら、俺はウィチアの手からパンを受け取る。

 初の食事が簡素なパンと冷めたスープだった事には少し残念に思ったが、此処ではこれも立派な食事なのかもしれないと適当に割り切って、とりあえず文句や不満は喉の奥にしまっておく。

 パンを受け取る際にウィチアの指と俺の指とが一瞬触れ合ったが、残念ながらウィチアからは何の恥じらいも感じられなかった。

 俺の方は気持ちが僅かに跳ねたのに……少し寂しい。



「余程疲れていたんですね。とても深く眠っていましたよ。村の前で倒れてしまわれたハーモニーさんを村の人と一緒に運んで、傷の確認と手当てをして、この部屋のベッドに寝かせるまでずっと、何をされても(ヽヽヽヽヽヽ)ハーモニーさんは目が覚めませんでしたから」

「色々と苦労をかけたみたいで、済まない。改めて礼を言う。ありがとう、ウィチア」

「ふふっ、どういたしまして」



 さも当然の事の様に言って、ウィチアが笑う。

 血まみれだった身体が綺麗になっているのと、布切れ一枚しか羽織っていなかった服装が下着付きで変化している事などを考えると、色々と見られてしまっている気がしないでもないが、その辺りは深く考えない方が良いだろう。

 きっと男手もあった筈だ。

 そう――ウィチアの様なまだ若い女の子が、諸処世話をしてくれた訳が、ない。


 ――あの白くて小さくて可愛らしい手が、俺の全身を隅々まで……。



「いっただっきまーす♪」



 邪念を消し飛ばすかの様なシルミーの声が室内に響き渡る。

 遅れて、俺も思い出した様に同じ言葉を発して、食事を開始した。



「時に、リーブラ」



 しかし俺の言葉は完全に無視された。

 パンを契っては小さな口でもそもそと食べる様はとてももどかしく、スローな動きでスープを口に運んだかと思えば喉が動くのはワンテンポずれたタイミング。

 さほど量の多くない食事がいったいいつになったらお腹に全部収まる事になるのか、見ていて気が遠くなりそうなゆっくりとした速度でリーブラは食事する。

 片や小さな方のシルミーは、まさに全力といった感じで食事を堪能していた。

 大盛りに盛られた皿を目の前にして怯む事なく、床に皿が置かれた瞬間に突撃してハグハグと噛み付いていく。

 まさに一心不乱。

 このタイミングで頭を撫でようものなら、恐らく鋭い牙と爪の両方が襲い掛かってくる事だろう。

 その勢いにちょっと驚いて、俺の食事の手が止まってしまう。

 ついつい最後までその猛攻の食事風景を俺は眺めてしまった。



「見ていてとても気持ちが良い食べっぷりですよね―。食べ過ぎはあまり良くないと分かってはいるんですけど、ついつい大盛りにしちゃいたくなるんです」



 シルミーに目を奪われていた俺に、ウィチアが微笑ましい笑顔を乗せて語りかけてくる。

 ウィチアも食事の手を止めて俺を眺めていた様だった。

 少し気恥ずかしい。


 自身の皿を空にしたシルミーが、俺の膝の上に駆け上ってくる。

 そして、その肉食獣を思わせる純粋な瞳が、じっと俺の瞳に投げかけられる。

 あれだけ食べたにも関わらず、どうやら俺からのお零れまで期待しているらしい。

 さて、どうしたものか。


 ――っと迷っていると、愛想を尽かしたのか、シルミーの瞳が俺から外れる。

 残るターゲットは三人。

 しかし同じ猫種である大きい方のシルミーの手には既にパンはなく、スープも含めて全てお腹に収まっている。

 ウィチアを見るが、ちょっと彼女が微笑んだだけで、シルミーはすぐに彼女の手から獲物を奪い取る事は諦めた。

 最初から望み薄だと分かっていたのか、それとも後で怖い事が待っているからなのか。


 そして、残る一人。


 支える様に持たれていたパンが、リーブラの手の上からシルミーに奪われた。

 まさに一瞬の早業。

 リーブラの手がパンを契って口に運ぼうとした、意識が手に集中しているその瞬間を狙ってシルミーが俺の膝の上から鋭く跳躍。

 得物を得て、華麗に空中で前方宙返りの一回転まで決めた後、シルミーは着地と同時に疾走。

 空になっていた皿に戦利品を置いて一呼吸入れてから、再びガツガツとパンに齧り付いた。



「……」



 己の手の内から消え去ったパンの行く末を、リーブラが無言で見つめ続ける。

 その瞳の色に感情の彩りはここでもやはり見えなかったが、何となく言いたい事は俺にも分かった。



「もう、シルにゃんったら。あまり食べすぎると、本当に太りますよ」



 そういう問題ではない場面だと、俺は言っておきたい。

 ウィチアにとっては見慣れた光景なのかもしれないが、パンを盗まれた当事者のリーブラにとってはちょっとぐらい怒ってもいい状況だ。


 見ると、リーブラの手は完全に止まっていた。

 パンがなくなった事で、残ったスープにまで興味をなくしてしまったらしい。


 目が覚めてからずっと観察している限りでは、あらゆる物事にはほとんど興味がないといった様相に見えるリーブラという少女が、この時だけは何だか少し儚い存在に思えてならなかった。

 俺の中にも、優しさという感情がきちんと存在していたのだろう。

 俺は、まだあまり食していなかったパンを半分に契り、大きい方をリーブラの前に差し出した。


 白銀と蒼星の双眸が俺の方へと向き、まるで不思議だと思わんばかりにリーブラの首が僅かばかり斜めに傾く。


 俺は少しだけ笑って、己の意を告げた。

 言葉はなくともその意味を理解してくれたのだろう、リーブラはまるで何事もなかった様に食事を再開する。

 ウィチアの暖かい目がまたもや俺の方を見ていたが、照れくさいので無視。



「それで、ハモハモはこれからどうするのー?」



 僅かばかりの質素な食事を終え、白湯(さゆ)を片手に食後の余韻をゆっくり楽しんでいた所――シルミーが、それまで避けられていた本題を無造作につっつく。

 俺としてはもう暫くは頭を悩ませておきたい難題だったが、いつかはぶつからなければならない案件。

 候補の幾つかを再度検討しながら、今の段階での結論を述べる。



「さて――どうするかな。これといって目的もないので、途方に暮れている次第だ」



 俺の言葉に一番驚いたのは、予想していた通りこの中では一番まともそうなハーフエルフの少女だった。


「え? ハーモニーさんは故郷を目指さないんですか?」

「ああ、目指さない」

「そんな……家族の方とか、恋人さん……に、会いたくはないのですか?」



 恋人という言葉に、もしや探りを入れてきているのかという期待の念が一瞬過ぎるが、まぁそんな都合の良い事はないだろう。

 ごく自然な形で出てきた言葉なのだと自分に言い聞かせて、邪念を払う。



「天涯孤独の身の上に、心を通わせている相手もいない。定住していた訳でもないので知人がせいぜい数人といった所。その彼等にしてもほとんど心配はしていないだろう。――もし心残りがあるとすれば、手持ちの品に財布が見当たらない事か。どこかに置き忘れているかもしれない。とはいえ大した額は持ち合わせていなかったので、あまり気に病む必要もないがな」



 全てが虚実。

 過去の記憶が一切ない俺には、家族や恋人、友人知人といった情報は欠片もない。

 ついでに(もん)なしという分かりやすい事実を味付けしておく事で、寂しい身の上をさも小さな問題の様に誤魔化しておく。

 人の心配をするよりも、まず自分の心配事を片付けねばならない。


 ――そういえばこの部屋の宿泊代は、さて……どうなるんだろうな。

 踏み倒さなければならないのだろうか?



「ハモハモ。お金、ないの?」

「――ああ、ない」



 事もなげに俺は言う。

 今更ジタバタ足掻いた所で後の祭り、何が解決する訳でもない。

 相手方にも迷惑を掛けてしまう以上、事実は早い段階で潔く告げておくべきだろう。



「あ、このお部屋の事でしたら、ハーモニーさんは気にしなくても大丈夫だと思います」

「うん? それはどういう事だ?」

「リーブラさんから、予め2名分の宿泊費用とその他雑費を込みで十日分ほど頂いています。先程の食事にしましても、昨日の宿泊費と今朝の朝食代がまるごと1名分、余分に頂いている状況でしたので、ハーモニーさんの介抱代を差し引かせて頂いても十分に埋め合わせる事が出来るかと」



 衝撃の告白に、俺は思わず固まった。

 ウィチアの発した言葉の意味する所を――その内容に含まれていた、決して無視する事の出来ないパズルのピース。

 様々な疑問、問題が所狭しと乱立している現状において、一つの道筋が出来上がる。


 占星術士、リーブラ。

 本人による自己紹介の言葉ではなかったが、確かに俺はその言葉をシルミーの口から聞いていた。

 占星の術――空に輝く星達の位置や動き等と、人や社会の有り様を経験的に占う技術。

 運勢や運命を占うという事は、未来を占う事にも通じているという事。

 予知や予感ではなく、予測。


 この少女は、昨日今日に起こったあの出来事を、星の導きから予め(ヽヽ)予測していた。


 俺という存在が現れるという予測。

 不死賢者という存在が俺と接触し、呪いを掛けてくるという予測。

 呪いを掛けられた俺が、あの謎の少女によって才能という力を奪われてしまうという予測。


 不死賢者の呪いを打ち消すために、何をしでかすか分からない俺の動きを封じる事を前提として、星の運命に導かれるままにリーブラは俺と接触し、従属の契約を交わした。


 瀕死の重傷を負ったフェイト・ジーン=ローという少年の命を助けた俺が無一文である事も、当然この占星術士殿は予測していたのだろう。

 従者となる俺のために――まだ確定していないにも関わらず、予測した未来において円滑に過ごしやすくするために、問題事が起きる前に、俺の居場所を作り上げた。


 まるで予知の領域。

 その時点では発生していない事柄について予め知っていたかの様な振る舞いだが、しかしそれでも占星術は予知を行うものではない。

 経験則や情報による確定的な予測を導く、占星の術。

 読める筈のないものを、読む力。



「――この貸しは、随分と高そうだな。返すのが大変そうだ」



 これは金銭的なものではなく、心の問題。

 自身の背丈よりも頭一つ分以上に小さな少女の従者という職の(かせ)よりも、それは遙かに分かりやすい理由になる。

 本意不本意に限らず、己がこの寡黙な少女に尽くすには多少だが納得がいける材料だろう。


 《星の聖者(リーブラ)》の頭に手を置き、優しく撫でる。

 この小さな身体にいったいどれだけの――運命という名の犠牲を予測しているのか。


 不完全ながらも不死賢者レビスの呪いから救ってくれた俺の女神様に、さて、俺はいったい何を返してやれるのか……。



「ハモハモ、一緒にお仕事する?」

「――ん?」



 撫でられてもまるで変化のない少女に、これは役得とばかりにその柔らかな髪をじっくり堪能していたため、反応が一瞬遅れてしまった様だ。

 誤魔化しのきかなそうな状況に、努めて冷静に振る舞ってその声の主に俺は言葉を返す。



「それは、一攫千金の類か?」

「んー、それはハモハモの実力次第だと思うけど、私が誘ってるのは安定した定額収入の方。人数×階層×討伐数÷時間って条件のお仕事だから、結構気楽に出来ると思うよー。それなりに報酬額も大きいし。一緒にしないー?」

「――なんだそれは。随分と気前のいい内容だな」



 口ではそう言ってみたものの、決して無視出来ない言葉が入っていた事に俺は気付いていた。

 討伐数。

 つまりは、命を掛ける必要があるという事だろう。

 となると予想しうる仕事の内容は、モンスター退治という事か。

 階層があるという事は、ダンジョンの類と考えるのが妥当。



「いいだろう。一緒に行こう」



 ダンジョンでモンスター狩り。

 そこにいったい如何なる危険が待ち構えているかは分からないが、シルミーの気楽な反応を見る限り、少なくとも彼女にとってはそれほど危惧するべき仕事ではないのだろう。

 それに、俺としても凄く興味がある。

 俺はほぼ即決で、了承の意を答えていた。



「え? もしかして、最難関であるレビスの迷宮に行かれるつもりなのですか?」



 シルミーの言葉に、ウィチアの顔がハッキリと青ざめていた。

 それ以上に俺もちょっと青ざめたい。

 あの不死賢者殿の名が冠せられている、聞くからにやばそうな迷宮に、俺はついていくと答えてしまったのか!



「うん、そうだよー。最初からそのつもりでフェイと一緒に来たからねー。本当は今日から潜るつもりだったんだけど、フェイがあんな調子だからねー。どうしようか悩んでた所だったんだー」



 この少女は、その華奢な身体の内にいったいどれだけの強さを隠しているのか。

 ステータスを覗いてみるが、残念ながら職業がまだ分かっていないのでレベルも?表示のままだった。

 もしくは、あの少年の実力がずば抜けて高いのだろうか?



「すぐに……いくのか?」

「すぐには無理かなー。迷宮に潜るのは早くても明後日以降になると思う」



 それを聞いて、ほんの少しだけ安心した。

 安心した所で問題はまるで解消されていないわけだが。

 少なくとも、装備を揃えたり、自身の現在の強さを把握するぐらいの時間は出来たといった所だろう。

 気休めにもならない気がしてならないが……。



「――なら、先に近場で肩慣らしをしておきたい。可能か?」



 一瞬、悲惨な状態に陥ったあの少年のボロボロ姿が俺の脳裏で自身の姿と重なったが、もはや手遅れ。

 口から零れた提案が現実味を十分に帯びていた事が、ウィチアとシルミーの両名の態度から簡単に察する事が出来てしまった。

 ついでにこのタイミングで、また一つの事実を思い出してしまう。

 装備を揃える、イコール、お金が必要、バット、俺は無一文、だという事を。



「いいよー」



 特技枠のステータス欄にあった熟考レベルが低い事が原因なのだと――思いたい……。



「気を付けて行ってきて下さいね」



 ウィチアの明るい声が救いの言葉でなかった事に、俺は覚悟を決めた。


 それもまた一興。


 昨日以上の不幸など早々起こるものではない。

 流れに身を任せてみるのもいいだろう。


 ――既にやけくそになっている気がしないでもなかったが……人生とは、なんとも波瀾万丈に満ちている事か。


 願わくば、このまるでハーレムの様な明日がまたやってくる事を、切に願う。

2013.05.26校正

2014.02.13校正

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