EX#08 風の気紛れ
雲一つない空を見上げると、いつも思い出してしまう。
僕が子供であった頃。
僕が――僕という存在が、何のために生きているのか、不思議でならなかった。
生きている事に喜びを感じる事がなく、それでも生かされていた少年時代。
死ぬ事を許されなかった絶望の時間。
「敵を前にして呑気に空を眺めていられるとは、随分と余裕そうじゃな。それともただの馬鹿か。どちらじゃろうかの?」
ただの馬鹿かもしれない。
愚か者と罵られても文句は言えなかった。
「愚か者が。その行為はぬしだけでなく我をも愚弄する狼藉としれ。この我に、余所見をしておる阿呆を愚者の如く斬らせるな。心が腐る」
突きつけられた刃の切っ先は一度もぶれることなく。
勇ましき言葉が誇りを持って叩きつけられる。
敵とされた、僕へと向けて。
「ぬしに言うのはこれで二度目じゃ」
その先は言われるまでもなく予想が出来た。
自信と誇りに満ちあふれた偉大なる王者の如く。
「そこを退け。我の邪魔をするな」
その少女は、身の丈以上もある斧槍を僕へと突きつけながらそう言った。
姿と武器と言葉遣いがまるでイメージに重なり合わない。
可愛らしくて麗しい外見に全く似合わない重そうな斧槍を片手で持ち上げながら、聞き慣れない古風な言葉を次々と吐き続ける唇。
正直言って、僕は呆気にとられていた。
その延長線上で、つい現実逃避してしまったと言っても過言ではない。
僕の知っている現実からは程遠い現実。
それが実は僕の見た幻であり錯覚であり幻聴である。
冷静さを取り戻すために見慣れた空を眺め、次に視線を戻した時には正常な現実が待っている事を僕は期待していた。
「我の貴重な時間をぬしのくだらぬ妄想で費やすな。いつまでへらへらと笑うておる。不愉快じゃ。斬り殺されたいのか、ぬしは」
しかしいつまでたっても僕は斬り殺されない。
攻撃もされない。
僕ではとても片手では持ち上げられそうもない斧槍を少女は僕へと突きつけ続けるだけだった。
いったいどれだけの筋力を有しているのだろう。
それともやはり、これは僕の見ている幻なのだろうか。
「君は……」
「質問は許さぬ。否か諾かのみ答えよ」
有無をも言わせぬ迫力で威圧し続ける少女。
その身から発せられる闘気に心なしか殺気が混じり始めていた。
このまま惚けたふりをして時間を延ばすのもそろそろ限界なのかもしれない。
それ以前に、この身に迫っている危険と危険人物をわざわざ背負う必要性がない。
考えるまでもなく、答えは最初から決まっていた。
さっきは思わず助けてしまったが、理由も分からないまま手助けするほど彼とは仲が良い訳でもない。
一度命を助けられた身ではあるが、その感謝を逆手に取って利用されている身なので、むしろ印象としては悪い方である。
「どう、ぞ!?」
刹那、それまで僕のいた場所を鋭い刃がものすごい速度で過ぎていった。
身の危険を察知した僕の身体が咄嗟に避けなければ、いまごろ胴の上と下とが二つに離れていただろう。
「えっと……」
「ぬしは仲間を見捨てるというのか! 恥を知れ!」
間一髪でかわしたものの、完全に殺気から怒気へと変わった少女のほんの少しだけ痛い言葉が僕に突き刺さる。
痒くなる程度に。
「もし僕が否と答えていたらどう……」
「勿論、斬って捨てるまでのこと。我の眼前に立ちはだかった時点でぬしに選択の余地はない」
キッパリと言い捨てて、少女は改めて左手に持った長大な斧槍を悠然と構えた。
つまりは、気持ちよく僕を斬り捨てるかそうではないかの違い。
どちらでも結果が同じなのであれば、聞かないで欲しい。
ほんの少しだけ斬られてしまった僕の髪の毛がひらひらと舞う。
自由でいいな。
「ところで、ぬしよ。あれはどういう輩じゃ?」
あれ、とはたぶん彼の事だろう。
かろうじて視界の隅に入っている二つの人影のうち、背の高い方へと視線を動かさないまま意識を向ける。
むこうも取り込み中の様だった。
「見たままかと思いますが……」
「たわけ。そこをもう少し詳しく話せと言うとるのじゃ。ぬしから見て、あれは我が斬るに値する輩だと思うかや?」
どうでもいい事だった。
なんでもいいから早く僕に絡んでくるのをやめて、彼を斬りにいってほしい。
誰もとめないから。
「さあ、どうでしょう? 僕もまだ彼の事は計りかねている段階ですから。少なくとも斬ってみるぐらいの価値はあるかと」
とりあえず斬ってみてから判断すればいい。
あのままいなくなってくれていた方が僕にとっては都合が良かったので、それを奨めてみる。
「ふむ……ぬしにも計り知れない輩という訳か。面白い」
――ぐらいの気持ちで言ったのだが、どうやら少女は僕が高評価を下したものと勘違いしたらしかった。
まあ、どうでもいい。
僕にこれ以上の害がなければ。
視界の隅で、彼が懸命に逃げ回っているのが見える。
問答無用で攻撃を繰り出すもう一つの人影が、長い黒髪を舞わせながら武器らしき長い得物をぶんぶんと振り回している。
背丈はこちらの少女よりも高いかもしれない。
勿論、それは見た目だけの話。
時折聞こえてくる冷酷な言葉からは、僕の知っている一般的な女性像とはまったくもって異質な存在だった。
僕の知っている女性像というのは――いや、やめておこう。
あの二人も、たぶん、例外……。
「ロー、じゃったか」
「え?」
「我と対しておるぬしの名よ。そう呼ばれておったじゃろ?」
「ああ……はい、たしかにそうです。僕の名前、覚えていたんですね」
「奇妙な掛け声じゃなとは思っておったが、思い返せばぬしの名を叫んでいたともとれる場面じゃったな――まあ、名を覚えたところでやりにくくなるだけじゃが。折角じゃ。これより死合うぬしの名を聞いておくかの」
死合うことに喜びを感じているのか、少女は心底嬉しそうに言う。
「我は、悠幻のユーフォリア。愛称はユフィじゃ。故に、我の事を呼ぶときはそう呼ぶがよい」
自身の身長を超える長大な斧槍を一薙ぎしたあと、丁寧に両手で構え直す。
「そして、これが――我が刃、グランスヴァイン!」
この名こそをぬしが心に刻むがよい。
少女はそう続け――誇らしげに僕へと斧槍を見せびらかした。
あらためて見ると、少女の持つその斧槍はかなりの業物――の様に見えてしまう。
勿論僕にそんな見識はなく、それはただの感想。
斬れ味は良さそうで刃は見るだけで痛々しい。
突くも払うも必殺必斬、とてもその刃のお世話にはなりたくない一級品っぽかった。
「さあ、ぬしの番じゃ」
名を問うならば、先に自身の名を。
流石に答えない訳にはいかないだろう。
「フェイト・ジーン=ロー」
ただ名だけを簡素に伝える。
「ふむ、よき名じゃ」
満足そうに少女は言う。
しかし続く言葉は聞き流せるものではなかった。
「しかし……ジーンに、ローのう? それが嘘偽りなき名であれば、ぬしは風を操る者じゃな。実に分かりやすい良き名じゃ。これは心してかからねば」
風が生まれる。
風が僕の動揺に呼応して静かに舞い始める。
「ぬしは慎重じゃな。軽薄そうに振る舞ってはいても実は隙が無い。初対面の我に対して色々と隠そうとするのは相応の反応じゃが、それではバレバレじゃ。そしてまだまだ知らぬことも多いとみえる。我の名乗りに対し純粋に応じてくれたこ事は誠に嬉しかった。が、しかし。その名はいかん。軽々しく名乗るものではなかったの。ぬしが持つ名の意味ぐらいはしっておくがよい」
少女はそう言って――これ見よがしに、にやりと邪悪に微笑する。
この時初めて、僕は彼女の存在をハッキリと認識した。
見た目こそ彼女は少女のそれだが、経験は僕とは比べるべくもない。
そう――僕は忘れていた。
見た目がそのまま生きてきた年齢であるとは限らない事を。
戦闘前の駆け引きは、圧勝され惨敗。
「余興は終わりじゃ」
彼女にとっては余興でも、僕にとっては……。
「斬るぞ」
一言、宣告し――彼女は僕を斬った。
思考を中断する事さえ、間に合わなかった。
次の瞬間には、少女の斧槍は僕の身を袈裟斬りに斬りぬいていたという現実を認識する。
文字通りに刃が身体の中を斬り抜け、地面すれすれまで振り下ろされていた。
「ふむ……意外とぬしの心は強いの。軽く振るっただけでは斬れぬか」
と。
予想と現実との違いに困惑する僕を見つめながら、こともなげに少女は言う。
僕は、斬られた。
少女の持つ武器によって。気がつくよりも前に、斬られていた。
その軌道からして、浅くはなく。
とても深く、斬られていた。
右肩から、左脇腹にかけて。
認識するよりも早く。
想像より、早く。
斬り抜かれた。
「少しはやる気がでたかの、ぬしよ」
そのあまりの幻術の速度に驚くよりも先に、身体の反応が先行する。
間合いの圏外へ――四肢は何事もなく動き、当然の事ながら痛みの追随は欠片もない。
幻で斬られただけで、万全の状態。
「速いですね」
少女が愉快そうに笑う。
嘲笑するのではなく、まるで子供が悪戯をして無邪気に笑う様に。
実に楽しそうに笑った。
笑う。
ただそれだけである事は分かる。
笑いに意味を求めてはならない。
結果を受け入れろ。
――不愉快、だ。
だがそれだけだ。
それ以上を求めてはならない。
求めては、ならない。
思っては……ならない。
「うん?」
空の、旋律……。
其の流れ、我がもとへと集え。
奏でるは、西空の息吹。
「やっと、やる気が出てきたようじゃの」
色も無く、色も無く、色も無く……。
「次は手加減なしで斬る。覚悟せよ」
宣告し、彼女は僕を斬った。
否。
すでにそのとき僕は詠唱を終え、その見えない斬撃軌道から外れていた。
そして――。
「其の色を以て、断つ」
「させぬ!」
遅い。
「疾く舞え――透閃の刃!」
振り抜いた斧槍の刃が翻るよりも早く、見えない刃が疾走する。
振り抜いた刃は薄い布切れを易々と斬り裂き、その先へと進む。
少女が身に着けている衣服の断面から肌が覗く。
風の刃は勢いを弱める事なく、刹那の間に少女の身へと到達。
そして、斬り抜けた。
「背中がガラ空きじゃのお。斬ってもよいかえ?」
宣告し、彼女は再び僕を斬る。
目の前にいた筈のその瞬間に、背後へと現れて。
瞬間移動?
それとも、知覚を超える超高速移動術?
そんなのは関係ない。
ただ、事実だけを受け入れろ。
少女が宣告を言い終える前に、僕は横へと回避行動をとる。
事前予期ではない。
事実を認識してからの動作でもない。
ただ単に動き続けなければ危険だと思ったからだ。
「ええい、避けるでない! 斬れぬではないか!」
「――斬られたくありませんから」
「それでも我に斬られよ。それで万事解決する。一件落着じゃ」
するわけがない。
「風は天に。翼は空へと」
詠唱は言葉によって増幅される。
簡略化された単唱法術を瞬時に発動させ、自身の行動速度を飛躍的に向上。
次なる宣告と同時に迫り来た死角からの刃を間一髪で回避する。
その刃と打ち合うための武器を持ち合わせていない以上、回避するのが最善の策。
「疾閃」
腕を一振り。
回避の合間に詠唱破棄した小さな鎌鼬を放つ。
攻撃の片手間に薙ぎ払われ、たやすく霧散。
かまわずもう一度腕を振って次の鎌鼬を生み出す。
しかし既に標的の姿はそこにはなく、少女はまたしても背後の死角へと瞬間移動していた。
「良い動きじゃな。我の動きに翻弄されず、よくついてきておる。ぬしの評価はうなぎのぼりじゃ。名前負けはしておらんようじゃのう」
雑談という名の宣告。
そして、斬撃。
「旋律は風に。風は衣へ――」
斧槍の刃を右の掌で弾き、続いて風の衣を鋭き刃へと形状変化させる。
狙うは最短距離、最速の刺突。
「衣は刃へと、心を踊らせる」
眼前の少女の胸めがけて、右手を突く。
否。
眼前に見える敵の姿を無視し、背後へと手刀を滑らせた。
「残念じゃが、そのどちらにも我はおらぬ」
言葉は頭上から。
耳に届いたときには肩口へと向けて刃が斬り下ろされている――そう判断し、左足で大地を蹴って跳躍。
「刃は風に」
上空へと向けて凪ぐ。
右手の一振りにより突風が生まれ、少女の身を襲う。
かまわず、少女は暴風の中を突き抜けてくる。
もともとその風は攻撃手ではない。
彼女の位置を正確に掴むための調査手段――そこにいない!?
「そうよ、見えるものすべてが正しいとは限らぬ。目でばかり追っていては、現世におる数多の強者達とはまともに戦えはせぬぞ」
「もとより、そのつもりはありません」
「ぬしにはなくとも、そのクラスの輩、この現世には満ち溢れておる。そのすべてから逃れる事など出来ぬ。特に、ぬしの様な数奇な存在には、の」
とても不吉な予言。
「戦いとはいつも因果なものじゃ」
急に遠い目をして黄昏れる少女が一人。
見た目だけが可愛らしい少女の姿の、戦闘狂人。
「これ、不埒な事を考えるでない。斬るぞ」
宣告はいつも終わったあとに。
「斬ってから言わないでください」
珍しく突きの追撃が無言と共に繰り出され――慌てて言葉を中断し、軌点から身体をそらす。
新しくきってきた攻撃の手札。
むしろ、今までそれが無かった事の方が不思議と思うべきか。
それにしても、口数が多い。
いちいち対応するのが面倒だ。
「ぬ?」
不意に、彼女の意識の一部がどこかへと逸れる。
完全戦闘態勢の敵を前にして、少女が注意を向ける理由。
心理誘導により僕の意識をひきつけ、虚をつく罠かと思案する。
結果として、その疑心が余計だった。
「!?」
何か大きな物体がぶつかる衝撃が背中を襲い、僕はその何かとともに地面に倒れた。
身体は押し潰され、地面にすり下ろされた手の平が痛い。
熱い!
「おーい、大丈夫かや?」
呆れた声とともに、少女の持つ斧槍の穂先がつんつんと刺さってくる。
棒でつつくように――斬れてる、刺さってる。
痛い!
痛い!
「う……」
僕ではない、何者かの声。
男の声。
起き上がろうとした彼が手をついた先は、今も痛くて熱い僕の左腕。
倒れる際、僕の身体をかばった救いの手――痛い!
痛くて叫びたいけど、頭の上から思い切り荷重が掛かっていて呼吸すらまともに出来なかった。
というか、苦しい。
死ぬ……。
「無様ね」
凍えるような冷たい言葉。
僕ではない、何者かの声。
男の声ではない。
ユフィ、と名乗った少女の声でもない。
それ以外の、何者かの声。
「手加減をしてくれるんじゃなかったのか? 強すぎだろ」
「あなたが弱すぎるだけよ。思っていた以上に小物ね。まるでゴミ屑のよう――いえ、同じ扱いにされるゴミ屑が可哀想ね。彼らはもとは有用だった物だもの。屑になれ果ててはいても、最初から有用な部分が一つとして存在しないあなたとは違う。言い直すわ。あなたは屑――一欠片も価値を持ち合わせていない、開花する希望すらない、生きているだけ無駄な存在よ。早く死になさい。今すぐにこの世から消え去り、世界に害を及ぼすのをやめなさい。邪魔よ」
――聞こえてきた言葉は、なんか痛かった。
凄い言われ様だ。
「身体より心が痛い」
「邪魔よ。退きなさい。消えなさい。死になさい」
「だが、だんだんそいつにも慣れてきたな。ちょっと刺激的な方言だと思えばいい」
どうでもいいから、早くそこを――。
「退いてください!」
「うおっ……!?」
酸素の限界に到達する寸前で、僕は両手の力でガバッと上体を起こした。
男の身体がバランスを失って横へと倒れる。
「無様ね」
もう一度、口に出された言葉。
なんだか今度は少し気持ちがスッとする。
いい言葉だ。
「ようやっと起きたか。呑気者め」
「屑が一人増えた」
初対面の相手に第一声でそれは酷いと思う。
少し傷ついた。
「姿が見えないと思ったら、そんな所にいたのか。大丈夫か?」
真面目な顔でそう言って、男は先に立ち上がり僕へと右手を差し出してくる。
僕はその手を無視して自力で立ち上がる。
手が痛い。だから触って欲しくない。
「元気そうだな」
「――さっきまでは無傷でもありましたが、誰かの御陰でこの通りです。左手に裂傷と右腕に刺し傷。痛い限りで……って、聞いていますか?」
「聞いている。だが意識をそらすな――戦闘中だ」
そういえばそうだった。
「敵を前にして呑気に駄弁っておるとは、これまた随分と余裕そうじゃな。やっぱりぬしはただの馬鹿じゃ」
僕はただの馬鹿だ。
最初の時とは違う。
完全に注意をそらしていた。
やはり僕は愚か者と罵られても文句は言えない。
「この、戯けが! その行為はぬしだけでなく我等をも愚弄する狼藉としれ、と言ったじゃろうが。ぬしは不注意が過ぎる。よくこれまで生きてこれたものじゃ」
「……」
死ぬ事を許されなかった時代が微かに思い浮かぶ。
「少し見ない間に、随分と仲良くなったんだな」
一方的にですけど。
と、苦笑いをしながら言葉を返す。
その僕の耳元に顔を寄せ、コソコソと彼は囁きかける。
「まあ、そんな事は置いておく。チェンジだ、ロー。相手を変えてくれ」
「作戦会議? 無駄なことね。無意味だわ。無理よ。屑は屑らしく、潔く散りなさい」
「よいよい。遺言ぐらい残す時間をやるわい」
今にも斬り掛かってきそうな怖い女の子を斧槍で制して、少女は年長者の如く諭すように宥める。
「これより死の先へ逝く者への情けじゃ。我の貴重な時間、些かなれど汝に裂いてやる。ぬしよ、聞いてやってはくれぬか?」
場合によっては感動劇ともいえる懇願の言葉。
だけどこの場合――情けというより非情の言葉にしかなっていない。
「――そういえば、そうだったわね。楽しくてつい忘れていたわ」
二人の間でも、彼が希望した交換が約される。
わざわざ密談までして計画した策を労せずして結果が得られたことに、僕はほっと胸を撫で下ろす。
しかし……。
どちらにしても疲れそうなのは、あの少女の口調からして変わらないだろうなあ。
溜息を一つぐらいは吐きたくなる。
吐けば、また彼女が不機嫌になりそうなのでやめておこう。
「ぬしには悪いが、これが――我が我に課した誓約」
神聖な言葉で、誓約――と。
重い言葉が少女の唇から紡がれる。
「嫌な呪いね。必要ないけど、一応覚えておくわ」
それが邪悪な言葉で、呪い――と置き換えられる。
なんだか重さが倍増してる。
あの女性の口から零れてくると更に重い……というより、純粋に怖い。
「そういう訳じゃ。今度こそは我と相見えよ。卑怯なことはせぬ、一対一じゃ」
斧槍を彼へと突きつけ、少女は宣戦する。
僕の時とは違って、なんだか気が乗らない風に。
「ぬしらは――まあ、煮るなり焼くなり好きにするがよい」
「そうさせてもらうわ」
言って、少女は僕に向けてほくそ笑む。
背筋に冷たい戦慄が……。
「ロー」
「なんですか、ハーモニーさん」
折角だから名前を呼び返しておく。
彼女達が彼の名前を知らないまま、ことを終えないように。
僕のささやかな親切心。
「正直言って、どちらも地獄なんだが――」
不吉なことを言わないでほしい。
「閻魔より鬼の方が気が楽だとは思わなかった。がんばれよ」
だから口に出して言わないでほしい!
「こんなに可愛らしい美少女を捕まえて、閻魔なんて酷いわね。ちょっと惜しくなったわ」
「麗しき美少女である我が鬼かや。お主がそう思うのならば、我もそう努めなければならぬのう。……存分に期待するがよい」
自信過剰の評価はともかく、
美少女二人のやる気は格段にアップした様だった。
閻魔は少し機嫌を害し。
何故か鬼は少し機嫌を良くし。
どちらも微笑みを顔に浮かべている。
「では……」
宣告が始まる前に、彼は走り出していた。
後ろに、全速力で。
続いて、少女もゆっくりと加速する。
そして宣告と同時にその姿をかき消す。
「楽しい鬼ごっこの始まりじゃ!」
洒落ではなく――洒落にならない殺人劇の幕がきっておろされたという、それだけの話。
とても楽しそうに。
羨ましいぐらいに。
ハッと気づいて、思考を無理矢理中断する。
油断すれば、死ぬ。
「賢明ね」
この敵を前にして、寛大な忠告で済むとは思えなかった。
二度でも三度でも自身の誇りの為に許してくれそうな彼女とは違って、この少女に容赦の二文字は似合わない。
堂々と後ろから刺してくる絵図が頭に浮かぶ。
残酷な絵図が。
「でも、安心しなさい。私は無意味なことはしない主義なの。あなたに斬る価値は無いわ」
やっぱり屑評価なのか……。
少し落ち込む。
「いえ、少し言葉が違うわね。あなたを斬る理由が私には無い、そう言いたかった。これから私とあの娘がする事に――あなたが邪魔をする気が無いのであれば、私はあなたを斬るつもりは無い」
キッパリと。
表も裏もなく、先ほどまであった殺す気満々の気迫――恐怖?――はどこへいったのか、少女は坦々と話す。
どこか拒絶の色を帯びて。
「見殺しにしろ、と?」
「そうよ。見殺しにしなさい。それがあなたにとって最善の選択肢。私と彼女があの屑を斬る理由を知らない者が、私達の間に入り込む余地はないの。何をどうしても、あなたがこの件に関わろうとする限り事態は悪化するだけ。あの屑の死という現実は変わらないかもしれないけど、そこには確かにすべてが丸く収まる最善の結果が訪れる可能性が残っている。でもあなたが関わればそれはない。私が言ってること、分かってもらえないかしら?」
少女は要求をつきつけてくる。
言葉はまだ終わっていない。
「あなたにその理由を話すつもりはない。この行為を理解してもらうつもりもない。ただ私と彼女が求める最善の結果にたどり着くためには、あなたの介入は致命的なの。特にこの私にとっては」
「僕は彼女に何度も殺されそうになりましたけど」
その件だけを考えても、既に致命的となっているのではないのか。
その問いに少女は薄く笑って答える。
「私と彼女では理由が異なる。思想も考え方も、誇りも夢も――勿論、その過去も含めて彼女と私はまったく同一ではない。なにより、既に可能性が失われているのであれば私はあなたを説得する必要がない。ただ斬り殺すだけ。そしてあの屑もろとも排除する」
確かにそうなのだろう。
だが納得させるには信頼も言葉も足りなさ過ぎる。
完全に一方通行の要求。
引く理由には値しない。
「――彼女は最初、僕にこう言いました。私の邪魔をするな、と。一度目は逡巡し、二度目で僕はそれに応じた。しかし結果、僕は彼女に斬られた。だから、ここでまたあなたの要求に応じても、斬られる可能性を僕は否定できない」
「あの女――」
言って、少女は鋭く舌打ちした。
その崩れた仮面はすぐに修復され――いま一瞬本性があらわれた!?――元の静かな表情へと戻る。
「仕方ないわ、それが彼女なのだから。義に生きる戦士、みたいなね」
涼しげな表情で少女はしれっと言う。
「彼女のことはどうでもいいわ。まずはあなた」
少女の瞳が突き刺さる。
左手に持つ武器ではなく、少女は目で以て静かに僕を威圧する。
「斬られて死ぬか、見殺しにするか」
その言葉の先を、彼女は続けなかった。
言わない事で、それが少女にとっても苦渋の選択肢であることを密かに主張しているのだろうか。
「……」
それ以上は一切語らず、少女はただ僕の言葉を待ち続けるだけだった。
「幾つか質問があります」
「拒否する」
ほぼ一方的に語り、一方的に打ち切る。
主張するばかりで聞く意思がない。
それとも、それだけこの少女は追い詰められているという事なのだろうか?
いや、それ以前に――やはり、この身に迫っている危険と危険人物をわざわざ背負う必要性が僕にはない。
五体が満足でいるのだから、別に斬られた事にも恨みを感じていない。
考えるまでもなく、答えは最初から決まっていた。
「僕は引かせてもらいます。頑張ってくださいね」
刹那――。
ものすごい目で僕は睨まれた。
「そう」
しかしそれも一瞬の事で、すぐに少女の瞳は元通りの冷たいものへと戻っていた。
「ならば早々にこの場から立ち去りなさい。邪魔よ、屑」
その"屑"という言葉には――それまでの同じ言葉とは異なり、熱が籠もっていた。
今まで少女が口にした言葉の中で、それだけが本当の意味で僕の心へと届く。
しかし僕には分からない。
なぜ分からないのかも分からない。
だから――それは何でもないこと。
どうでもいいこと。
そう僕は認識し、それ以上を捨て去る。
「最後に一つだけ、僕の質問に……」
「拒否する」
やはり明らかに拒絶の意思がそこにはあった。
仕方なく、僕は質問を諦めて身を翻す。
その隙をついて斬られる可能性はあったが、最大限の警戒をあからさまに意思表示して――全身を多重の防御結界で包み込み、更にその上からいつでも放てるように無数の鎌鼬を張り巡らせながら、その場を後にする。
それが、昨日の夜のこと。
彼が姿を消して、二日が経った日の出来事だった。




