第98話 誓約と条件
「……どういうつもり?」
恐ろしく間合いの広い武器を振り抜いたシェイニーの黒髪が優雅に舞う。
その彼女の前には、真っ二つになった俺の姿。
斬られた事でズズズと音を立てながらゆっくりとずれていく石壁が、すぐに傾いて遂にはズズンという音を立てて地面へと崩れ落ちる。
そんな光景を、俺とユフィは見ていた。
「……私まで騙すなんて、その理由を聞かせてもらっても良いかしら?」
そう言いながら振り返ったシェイニーの瞳が、本物の俺の姿を映す。
俺は、後ろにある壁とユフィが肩に担いでいる斧槍の穂先との間に挟まれて、全く身動き出来ない状態に陥っていた。
正確にアゴ下へと突き入っている凶器が、首の肉を僅かに押している。
少しでも動けば俺の命はない。
そんな危機的状況で、シェイニーがユフィの幻術によって作った偽物の俺を斬るという光景をずっと見ていた。
「もしかして、その糞虫に惚れでもしたの?」
――この絶体絶命のピンチがまさかのツンデレだったとしたら、と考えてみる。
俺と死合いたいというのがユフィのツン表現だったと仮定しよう。
恋人同士が相手の頬を指でツンっとつつくというデレ表現があるが、さてこの場合、突きつけられた凶器がそのデレ表現の様にツンっとつついてきたらどうなるか。
デレられたら死ぬ。
つまりユフィはツンデレではないし、俺にも惚れていない。
「それは絶対にないから安心せい」
自分の中で結論付けるならば痛くも痒くもないが、本人の口からそうハッキリと断言されると流石に傷付いた。
まぁ、それは置いておくとしよう。
現実逃避するにしても、事態がのみ込めないままというのは何だか落ち着かない。
何やら仲違いをし始めたらしい古風なユフィと現代風なシェイニーのやりとりを固唾を飲んで静聴する。
「済まぬの。詳しくは言えんのじゃが、それが我の戒めなんじゃ」
「そう。なら、私に譲る気が無くなった、というのはどういう意味かしら?」
「それはそのままの意味じゃの。口も過ぎれば災いとなる事はぬしも分かっておるじゃろうに。あまりとやかく言うつもりは無いが、誰彼構わずというのはちと気をつけた方が良いじゃろうの」
「……ああ、なるほど。大変ね、あなたも」
「これこれ、そこは鼻で笑う所ではないじゃろうに。我のこの姿を見てクスッと笑うのは流石に無礼であろう」
「大丈夫よ。需要はたっぷりとあるみたいだし。ねぇ?」
いや、俺に同意を求められても困るんだが。
「解ったわ。あなたは私よりも誓約が厳しいのね。ちなみに、私はあなたと死合う覚悟をしておかなければならないのかしら?」
「あのままぬしが戯れに興じ続けておったら、間違いなくそうなっておったじゃろうな」
「なるほど。その誓約もあるのね」
「ぬしがこやつをさっさと殺してくれる様であったなら問題なかったんじゃがのう」
「それ以前に、2人同時というのがそもそもの間違いだとは思うけど?」
「まぁそこは大目に見てやるしかあるまい。いつの世も、雄は複数の雌を囲いたくなるまことに愚かなる存在じゃて。種の本能としてならば、むしろそれは正しいとも言える訳なのじゃがの」
「屈辱だわ」
両者の間で何かしらの決着がついたのか、少しばかり張り詰めていた空気が若干和らぐ。
シェイニーが武器の構えを解き、殺す気満々であった殺意の密度もほんの少しだけ薄くなる。
同時にシェイニーの瞳が俺から外れる。
それを確認したユフィがようやく斧槍を引いて、俺の方へと向き直る。
予想通りというべきか、2対1をやめてまずはユフィが俺の事を殺しにかかる様だった。
「さて、待たせたの。では、死合おうか」
そして俺の意思など何処吹く風か、そんな台詞をまたぶつけてくる。
「いや、だから断ると言っている」
「却下じゃ。好い加減、我と死合え。じゃないと、我が非常に困る事になる。恐らくあやつもそうなるじゃろうの」
「むしろそれは俺にとってメリットになっている様な気がするんだが……」
「そう考えるのはお主の勝手じゃが、先程も見ておったじゃろう? あやつを怒らせるとあまり碌な事にはならん気がするのじゃ」
怒らせなくても碌な事にはなっていない気がする。
主に俺にとっては、だが。
シェイニーがちらりと俺の方を見たが、やはりその瞳は忌々しげな彩りを浮かべていた。
殺人の権利をユフィに譲りはしたが、やはり俺の事を心の底から殺したいと思っているらしい。
いや、初対面なのにあれだけの怨念を俺に持つのは流石に普通ではない。
むしろあの拘り様は、俺個人ではなく男性という種全員に向けられているのかも知れない。
過去にいったい何があったのかは知らないが、勘弁して欲しいものだな。
「ほれ、構えよ。これで4度目じゃ。好い加減諦めて、我と死合うがよい」
「何度言われ様が、俺に御前達と戦う意思はない。そっちこそ好い加減諦めてくれ」
「そうもいかんのじゃよ。何しろ、お主に呼び出されてしまったからの」
「それは俺の意思ではない。レビスの意思だ」
「にしては随分と強い念じゃったのう。いや、あれは邪念か。さしもの我も、思わず応じるのを止めようかと思ったぞ」
「その選択肢はありなのか?」
「残念ながら無いの。そんな選択肢があるなら、最初から我もあやつも誰の言葉にも耳を貸さずにずっとあの珠の中に籠もっておったよ」
まぁ、そうだろう。
一応は使用者側の適正によって使う事が出来ない事はあっても、中にいる者の意思によって使用を拒否される様な物だったとしたら、レビスもそんな物は何個も持っていないだろう。
何しろ、レビスが関わっている時点で、間違いなくあの珠の中にいる者達は全員呼びかけにしかとするだろうしな。
「御前達はいったい何なんだ?」
「見ての通り、うら若き普通の乙女じゃよ。それ以外に何に見えるというのじゃ」
自身の背丈を越える重量級の得物を軽々と振り回していながら、全く説得力のない台詞をユフィは言う。
「見た目の話はしていない。……いや、美少女であるのは認めるんだが」
斬れ味が非常に良さそうな刃が急遽首筋に当てられたため、補足を付け足しておく。
「御前達が中に入っていたこの心砡石というのは、いったい何なんだ?」
言いながら、俺は心砡石を目の前に浮かび上がらせる。
ユフィとシェイニーが入っていた珠は使用済だからだろう、現れた珠の数は16個ではなく14個だった。
「この珠は、いったい何なんだ?」
「答えずともおおよその見当はついておろうに。ただの檻じゃよ。我やこやつの様に、ちょいとばかし特殊な人間を閉じ込めておくためのな」
ユフィは少しばかり笑みを消して、まるで昔を偲んでいるかの様に言う。
「というか、その数はちょっと持ちすぎではないかや? お主、いったいどれだけ欲深いんじゃ」
「……これは全部もらい物だ」
「少し間があったの。さてさて、我の預かり知らぬ所でいったいどの様な取引が行われたんじゃろうの。少なくとも、お主は望んでその珠を集めた様な気が我にはするんじゃが」
ファーヴニルからその珠を貰った時の経緯を思い出した。
故に、出来る限り顔の表情を固定して、ユフィの言葉を聞き流す事に努める。
「ああ、別にお主に下心があったとしても我は攻めるつもりはないから安心せい。それに、そんな顔をしても思い切りバレバレじゃて」
咳払いをして話を本題に戻す。
……さて、この場合の本題とはいったい何になるのだろうな?
「戒めや誓約という言葉が出ていたが、それはつまり、御前達を使役するためには必要な条件を満たさなければならない、という事でいいのか?」
「なんじゃ、そんな事も知らずに我を喚びだしたのかや」
「……それは肯定と受け取っていいのか?」
「そうじゃよ。ただ、生憎とその契約条件を我は汝に伝える訳にはいかぬがな」
「それも誓約という訳か」
「そういう事じゃ。それも含めての契約じゃ」
なるほど、ようやく合点がいった。
何故二人は俺の事を襲ってくるのか。
それは当然、俺と契約をしたくないからだろう。
なまじ喚びだしたものが人であったため、ちょっと分かりにくかっただけである。
これがイフリートだとかリヴァイアサンなどに代表される召喚獣であれば、喚びだした瞬間に攻撃を仕掛けてきてもあまり疑問には思わなかった筈だ。
使役するためには、契約を結ばなければならない。
契約を結ぶためには、相手を納得させなければならない。
相手を納得させるための手段として、自身が相手よりも強いという事をハッキリと分からせてやるというのはよくある話である。
つまり、この心砡石というのは召喚石の様なアイテムだという事か。
中に入っているのが精霊や聖獣ではなく、人であるだけ。
勿論、適当にその辺を歩いていた村人をこの珠に閉じ込めて使役できるようにしても仕方がないので、中に入っている者達はユフィの言う様に特殊な人間ばかりなのだろう。
何故か閉じ込められているのが全員うら若き女性だったりするのは作為的なものを感じる訳だが。
「……まぁあれを契約を交わしたいと願ったと言っていいのかどうかはちょいとばかし怪しいがの。兎も角、お主が我と契約を交わしたいと強く願うたのは確かじゃ。じゃからこれは、我とお主の契約の儀式じゃな」
ユフィは淡々と言う。
その契約にかかっているのがただの使役だけで終わるのであれば、きっとユフィはもう少し楽しそうにその言葉を言っていただろう。
ユフィは恐らく戦いを楽しむ戦士タイプの気質を持ち合わせている。
それはこれまでの言動からして、だいたい予想出来た。
「我の場合、その契約の儀式の内容をお主に告げる事は、その時点でほぼ我の敗北を意味するのじゃ。じゃからお主にそれを言う事はまかりならぬ」
「その言い方だと、ただユフィに力で勝っても契約条件の達成にはならないという事になるんだが、その認識で間違いないか?」
「そうじゃの。まぁこれはサービスじゃ。どうやらお主、それだけの数の珠の中から我の事を一番に喚びだしてくれた様じゃからな。幸運にも、絶対条件の一つを満たしておる」
「絶対条件?」
「ああ、そうじゃよ。我はこれでも少しばかり嫉妬深いでの。じゃから、契約条件の一つに、誰よりも先に我の事を喚びださなければならぬ、というものをいれておったのじゃ。もしその条件を満たしておらなんだったら、お主は何をした所で死ぬ運命じゃったじゃろうの」
「それは……随分とまた難易度の高い理不尽な条件だな。事前にその条件を知る事は勿論出来ないんだよな?」
「じゃの。じゃからお主は本当に運が良いと言える。もしもあやつの名前の方が先に喚ばれでもしておったら、その時点でアウトじゃったよ」
幸運以外には解決手段がないという条件設定は、いくらなんでも理不尽すぎる様な気がするのは気のせいでは無い筈だ。
俺の様に最初から手持ちにユフィが入っている心砡石――ステータス欄には幻心砡石というアイテム名があったので、恐らくそれの事だろうが――を持っていれば、まだ確率の問題で話は済む。
だがもし、あの16個ある心砡石の中に幻心砡石が存在せず、他の者と契約した後でユフィが入っている幻心砡石を手に入れたとしたら、いったいどうなったか。
いくら他の心砡石との間に契約に成功していたとしても、幻心砡石を使った時点で全てがパーとなってしまう
そんな条件設定でもありというのは、流石にどうかと思ってしまう。
「ああ、ちなみに我の知る限り、そんな条件を持っておるのは我ぐらいなものじゃ。じゃから、その点に関しては安心するがよいぞ」
「……秘匿の件は?」
「それはお主自身が当人達に確かめるがよい。誠意ある願いをお主が強く念じておれば、きっと大抵の者はすんなりと答えてくれるじゃろうの」
シェイニーの方を見る。
思い切りそっぽを向かれた。
どうやら俺の誠意ある願いはとても気にいらなかったらしい。
「おっと、少しばかり話し込み過ぎたかや。いかんの。久しぶりの娑婆じゃから、ちぃとばかし我も浮かれておる様じゃ。これは少し気を引き締めなければならぬの」
「いや、もっとゆっくりしても構わないが?」
「……お主も何やら勘付き始めておるようじゃしの。そろそろお主を微塵斬りにでもするかや」
ユフィがその言葉を吐くのと、そのユフィが持つ斧槍の姿が掻き消えるのと、俺の左腕がスパスパと斬られてボロボロと落ちていくのはほぼ同時だった。
その突然の出来事に対し、当然の事ながら俺は驚く。
が、すぐにそれは幻術だと思い直し、左腕が元の姿に戻る事を願った。
しかしいつまで経っても俺の左腕は復活しない。
痛みはまるでないというのに。
そのままユフィが一歩前に出てくる。
俺はその姿をただ見ているだけだった。
「なるほどの。なかなかに冷静なんじゃな。ならば、これはどうじゃろうのぅ?」
今度は目に見えて長大な斧槍がゆっくりと振り払われる。
次に続くのは左肩の痛み。
遅れて血が盛大に渋く姿が瞳に映る。
慌てて俺は痛みを発するその左肩を右手で押さえた。
同時に急激な目眩を覚えて片膝を付く。
気が付くと、左腕に全く力が入らなかった。
「その血飛沫は我の幻術じゃ。しかしその痛みは本物。つまり我は今し方、お主の左肩を斬った」
そう解説するユフィが一歩前に踏み出してきたのに対し、俺は思わず一歩後退っていた。
「そして、お主はすっかり忘れておる様じゃがの。少し前にお主の左肘を我は半分ほど断っておる。それがどういう事か理解出来ぬほど、お主の頭は回らぬのかや?」
そして戦慄する。
自身がいったいどういう状態に陥っていたのかという事を思い出して。
腕を半分に斬られた状態で放置していればいったいどうなるか。
出血多量で目眩を覚えるのは当たり前だろう。
これまではそれをユフィの幻術で隠されていた事で、継続ダメージが発生し続けているという事自体を脳も身体も忘れていた。
が、先程の一撃で身体が痛みを思い出し、ショックを受けた事で脳もそれに気付いてしまう。
腕を縛って血の流れを止めるような事をせず、垂れ流しにし続けている事に気付かなかった理由は、恐らく呪いの影響だろう。
恐る恐るステータスを確認してみると、HPは既に二桁を切っていた。
「さて、次の一撃は本物か。それとも偽物か。いったいどっちじゃろうのぉ」
風が吹いた。
鋭い刃が斜め上から下に振り降ろされる。
その一閃が、僅かに後方へと倒れた俺の眼前を、ほとんど紙一重といった距離で通り過ぎていく。
否。
それを瞳で確認するよりも先に、何かが通り過ぎていくのを俺の肌が感じていた。
目に見える斧槍の一撃は幻術であり、それよりも一瞬早くユフィは斧槍を振るっている。
それを認識するよりも先に、不自然な風が俺の身体を後ろへと押し倒していた。
「何者じゃ!」
ユフィが叫び、俺の頭上へと視線を向ける。
俺もつられてその方向へと首を巡らせる。
そしてそこにいたのは……。
「――どうも。お久しぶりです、ハーモニーさん」
「ロー?」
石壁の上に立っていたのは、全身をオーバーマントでスッポリと覆っている童顔の少年、風の導士フェイト・ジーン=ローだった。
「何やら懐かしい風を感じたので少し様子を見に来たのですが、どうやらアタリだったみたいですね。お元気そうで何よりです」
「出血多量で今にも死にそうなんだがな。御前がここにいるという事は、ここは教会の上という事か」
「はい」
俺を見下ろしているローが、その短い返事をしてすぐに身体を横へと反らす。
その突然の不思議な動作に質問を挟む前に、ローが立っていた石壁に鋭い切り込みが入って倒れ落ちる。
振り返ると、斧槍を振り抜いたユフィの姿があった。
そしてシェイニーの姿が視界の上に消えていく姿をとらえる。
薄い水色ドレスを身に纏った少女が、俺の真上を飛び越え一閃。
同じ色をした下着に目を奪われている間に俺の背後にあった壁に新しい切り込みが入り、そして崩れ落ちていく。
「何者かは知らぬが、我の邪魔をするな」
そのユフィの言葉に意識を向ける前に、鋭い山形となった石壁の上に音もなく着地したシェイニーがドレスのスカートをひらめかせながら槍刀を再び振り降ろそうとしてくる。
絶景。
しかしその景色をじっくりと鑑賞する訳にもいかず、今度は真下にいる俺へと向けて振るわれた刃を俺は必至に躱した。
三日月を背後にしたシェイニーの斬閃が、三日月の軌跡を生む。
間違いなく即死軌道の一撃だった。
「ゴキブリが」
今度は黒いアレと表現した毒舌の麗人が逃げる俺を追いかけてくる。
ユフィがどこにいるのかなど気にする余裕なく、俺は必至にその場からまた逃げ始めた。
その視界の端でユフィがローと退治しているのを見かける。
どうやら邪魔してきたローにユフィが構う素振りを見せたので、ここぞとばかりにシェイニーが己の願望を満たしにきた様だった。
願望、即ち俺を殺すということ。
二人の間で行われた取引は、どうやらちょっとした事で一時保留される様である。
シェイニーに自身の獲物である俺が殺されかけているというのに、ユフィはあまり気にしている様子は見受けられなかった。
それでいいのか、おい。




