第96話 擬人の器
気が付いた時、目の前には水気の失われた骨と皮だけの顔があった。
当然の事ながら、俺は驚く。
だが口からは驚きの声は漏れ出ず、そして反射でそこから逃げようとした俺の身体も全く動いてはくれなかった。
「目が、醒めたか……。クカカカカッ。げに、げにげに、面白き輩よ。楽しませてくれおる」
その骸骨もどきは言葉を発しているというのに、全く顎は上下していなかった。
どす黒くて赤く彩る怪しい二つの光を瞳がある筈の空洞に光らせ、高さの失われた鼻と肉の無い唇に合計3つの穴を見せている。
暗闇の中にいるためかその相貌はハッキリと見る事は出来なかったが、僅か数センチ先にあるそんな顔を、俺は目を反らす事も瞼を閉じる事も出来ないまま見続ける羽目となっていた。
いったい何が起こった?
「分からぬか、無謀なる愚者よ。我の忠告を無視し、また、まるで力が足りぬというのに2つを同時に願ったがために、ただ肉体が死に至っただけの事。次元の狭間を利用してこの世界にあの身体を馴染ませたというのに、無駄としおったわ。カカカッ。此なるは我も予期しておらなかったよ」
まさか、俺は死んだのか!?
「正確に言えば、否、なりと。まだ肉体は完全に死んでおらぬ。なれど、汝の魂は先んじて肉体より離れた故に、死は時間の問題であろうの」
仮死状態、という事か。
いや、不死者化するまでの時間待ちという所か。
「それも、否、なりと。此なる死は、我としても面白くない。故に、汝の魂が肉体より離れた所で、汝の肉体の時を止めた」
それは……感謝すべき事なの、か?
そしてそれはつまり、俺は今、魂だけの存在になっているという事か。
「それもまた、否、なりと。汝が魂は、我が用意した器へと移した」
器、だと?
それはホムンクルスみたいなものか?
それともただの無機物の人形か?
しかもわざわざ用意したのか。
「なに、元々其れなる器……汝の言葉に代えれば、ホムンクルスかのう。其れなるに汝の魂を移す予定だったのだ。手間など無きに等しきこと」
予定、だったと?
「そう、汝の身体を調べつくすために。違界より訪れた汝の身体の内なるに、何か面白きものが眠っていないか弄り遊ぶために、のう。クククククッ」
「なっ!?」
驚きの束の間、俺の口から初めて言葉が発せられた。
遅れて、呼吸をしている事も徐々に認識し始める。
「ようやく魂がその新しき器に慣れ始めたか。此よりは、其れなる身体を自由に使うがよい。なに、其れなる素体は元々人であったものから作っておる。汝が最も欲する機能も問題無く使用出来る。今暫くは動くに苦労するだろうが、機能に問題はない。安心するがよい」
「暫くとは……俺の元の身体はちゃんと戻ってくるのか?」
「其れなる器の機能に問題は無いと言ったであろう。あれなる肉体に戻った所で何も変わりはせぬ。それでも、あれなる肉体を欲するか?」
その問いに対して俺は、当然だ、という言葉を返す事が出来なかった。
何故ならば、レビスによって弄り遊ばれまくった身体が、元の状態で戻ってくるという保証がまるでなかったため。
むしろ死龍ファーヴニルや死狼ウルボロスの様な例もあるため、保証は全く出来ないと考えた方がいい。
尚、死光――恐らくはハリオンの事だろう――についてはよく分からないため除外する。
「さて。戯れを始める前に、あれなる理由を汝に聞いておくかや。何故に、2つ同時に願ったのか」
「何故、と問われてもな。数の制限を言われなかった事が一つ。心の意に従ったのが一つと言った所か」
もしかしたら、少し前まで×××と○○○○と一緒にいたからかも知れないな。
二人の付き人がいたため、今度もまた二人を欲した。
そう考えるのが自然か……名前が思い出せない!?
これは、いったいどういう事だ?
「クカカカカカカカッ! 貴様、何やらおかしいとは思うておったが、魂に刻む記憶とは別に、あの肉体のみに記憶を刻んでいたというのか! まさかいきなりこの様な面白き事が分かるとは! げに、楽しませてくれるわ」
「まさか……」
俺は今の自分のステータスを確認する。
■ハーモニー 擬人
■愚者:Lv1
■HP:38/38
■MP:4/4
■SP:4/4
■欲望解放 痛覚麻痺 死の宣告 死後蘇生(不死者化) 迷宮の呪縛
■欲望半減 欲望減衰 理性増幅 痛覚10倍 感覚鋭敏化 生命共有化(隷属)
■幻心砡石の呪縛、聖心砡石の呪縛
■武器:
■頭:
■体上:擬人の服
■体下:擬人のズボン
■手:
■足:
■他:《蒼天の刃》の腕輪、幻心砡石、聖心砡石
■職業一覧:愚者Lv1 《星の聖者》の従者見習いLv1
■特技一覧:観察Lv21 分析Lv12 熟考Lv13 現実逃避Lv495
■才能:狂戦士化 色欲制御 成長限界突破
性別がないとか、呪いが増えているだとか、また色々と妙な事になっている様だが今は保留しておく。
自身のステータスが確認出来た事で、次は仮死状態となっている元俺の肉体を観察する。
■ゼイオン/ブラックス 男 人
■仮死者:Lv1
■HP:0/0
■MP:0/0
■SP:0/0
■武器:
■頭:
■体上:紫蘭綿の肌着、妖蘭綿のルリアルヴァクローク
■体下:紫蘭綿の下着、妖蘭綿のルリアルヴァスロップス
■手:
■足:紫蘭綿の靴下、戦兎皮の靴
■他:
■職業一覧:
■特技一覧:
■才能:
なるほど。
肉体から魂が抜けた事で、例外を除いて装備品以外の情報が全て変わってしまっている。
名前まで変わってしまっているのはどうかとは思うが、それはそれで逆に納得出来るというもの。
元の肉体の方にあの世界での記憶が残っているというのならば、あの至福の一時が一切思い出せないのも少しは納得が出来る。
ただ、失っている記憶はどうやらあの隔離空間時期だけの様だった。
つまり、ゼイオンもしくはブラックスという偽名を使っていた時の記憶だけが、あの肉体と共にある。
故に、リーブラやらシルミーといった面々の名前は思い出せるし、あの隔離空間に行く以前の記憶を思い起こせばウィチアとイリアの名前もちゃんと思い出せた。
そしてやはりあの隔離空間での記憶は全く思い出せないが、常に俺の側にいてくれたのがその二人であったという繋がりだけは思い出せる。
「ほぅ……それが汝が持っている力という訳か。面白き力よの」
む?
しまった。
脳を常に見られているという事を忘れていたか。
これまでの状況から簡単に想像出来るというのに。
観察スキルを知られてしまったか。
「奢るでない。其れなる力は、汝のみの力にあらず。調べる価値はあれど、それほど珍しき力ではない。それに何れ、其れなる力を調べる時はやってくる。クカッ、クカッ、クカッ、クカッ」
そうなのか。
少し冷や汗をかいた。
心の中を読まれるというのは、随分と心臓に悪いな。
そう思った瞬間。
「話はそれで終わり? ならさっさと私の前から消えてくれるかしら。あなた達を見ていると目が腐るの」
「これ、口がすぎるぞ。じゃが、我としてもぬし達の話が終わったのであれば、早いこと始めたいと思うておる」
美しき音色なのに、どこか異質な旋律を奏でる二人の声が俺の耳に届けられた。
その音色のした方へと振り向くと、この場には明らかに似つかわしくない絶世の容姿を持った者達が瞳に入る。
どこかで見た事のある容姿。
それもつい最近になってじっくりと眺めたばかりの、うら若き乙女達。
和風な衣装、どこか巫女服を思わせるゆったりとした着物を着た背の小さな少女は、その見た目の可愛らしさに反して悠然として佇みこちらを見ている。
その少女の隣には、制服が似合いそうな外見に、派手ではなく落ち着いた雰囲気のある膝上までの薄い水色ドレスを着た黒髪の女性が半身を引き腕を組んだ姿勢で睨むように俺の事を瞳に入れていた。
「ククククッ。後は汝等の好きにするがよい」
ただその言葉を残して、レビスは霞の如く消えていった。
その瞬間。
純黒の闇が一瞬にして消え去り、夜の闇が世界を支配する。
とても長い間見ていなかった星が瞬く景色が瞳に入る。
懐かしき現世。
外の世界。
何ヶ月ぶりなのか、それとも何年という月日をあの空間で暮らしていた事になるのか。
時間の感覚がまるで分からないあの世界では遂に見る事の出来なかったその夜空の景色を見て、俺は久しく感動という感情の波にのまれ続けた。
いや、もしかしたらレビスに精神を酷く消耗させられたからかもしれない。
ようやく安心出来そうな場所に来れた事で、心が一息を入れているのか。
兎に角、俺は目の前にいる麗人二人よりも先に、空の景色へと心を奪われ続けた。
「そろそろよいかの? お主が我の新しき主様になる者で間違いないかえ?」
などとどこか優雅さを感じさせる古風な言葉を優しく発してきたのとは裏腹に、少女はいつもまにか手に持っていた得物で俺の頭をゴツンと小突いてきた。
少女にしてみれば軽くだったのだろうが、その衝撃で俺は頭一つ分横に動かされ、強制的に伸ばせられた首にも痛みを感じてしまう。
「おっと、済まぬの。少しばかり力加減を間違えた様じゃ。堪忍せよ」
そんな言葉を吐きながら楽しそうに笑う少女。
見た目はまだ年端もいかない子供の様に見えるのだが――だいたい13歳ぐらいだろうか。但し発育不良という言葉がつくが――纏っている雰囲気で、少女はそれ以上の年齢に俺の瞳には映っていた。
肩まで伸びた栗色の髪は夜の中にあっても色褪せず、月の色にも似た輝きを持った瞳には随分と大人びた色が浮かんでいる。
低い背丈のために下から見上げているというのに何故か年長者よろしく尊大に見下ろしているかの様な印象を思わせるその少女の顔は、どこかの姫君だと言われても遜色のない美貌を持ち合わせていた。
しかし浮かべている笑みの屈託のなさから、御転婆だとか動物の様なという言葉がつきそうではあったが。
動物に例えるとすれば、栗色の髪と月の様な瞳から、狐の様な愛らしい小さな少女だった。
髪の色がもう少し小麦色に彩っていれば耳と尻尾が良く似合いそう獣美人だっただろう
だが、少しこんがりとした色となっている事で人間的な美が強調され、巫女装束っぽい姿が実に生えていた。
但し、その手に握っている長い得物は少女のその麗しき容貌とはまるで相容れず、むしろ恐怖さえ感じさせてくれる。
背丈を軽く越え、俺の背丈よりも少しばかり長い棒の先端についている金属は鋭い輝きを放っており、それが人の身を裕に殺傷する事の出来る武器である事を物語っていた。
槍の様な穂先に、斧の様な刃。
斧槍といったところか。
そんな物騒な得物を持つ少女の服装が巫女服に似た和風の着物なのだから、ある意味においてはとても似合っていると言って良かった。
「間違われても困るので、一応は自己紹介をしておくとしようかの。我の名は悠幻のユーフォニアという。その名をしっかりとその心に刻み込んでおくがよい」
そして、とても勇ましいと言える。
言葉遣いもさる事ながら、とても子供とは思えない雰囲気を少女は纏っていた。
名は、悠幻のユーフォニアというのか。
しかしあまりにも長すぎて呼びにくい。
「長いな。ユフィと呼んで良いか?」
「これこれ。一度も我の名を呼ぶことなく、いきなり愛称から入るでない。せめて一度くらいは呼んで賜れ。でなければ我の名が寂しく思うであろう」
「あの心砡石という珠から解放する際に、一度呼んでいるが?」
「それを数えとするでない。確かに聞こえはしておるが、一緒にお主の碌でもない願いも聞こえておるのでな。あれでは興がそがれるというもの。じゃから、やりなおしじゃ」
まぁ確かに興がそがれるだろう。
願った事が願った事だけに。
あの隔離空間で矜持に溺れまくった後でお預けを宣告されたのだ。
それを願うのは至極自然な事だろう。
「分かった。悠幻のユーフォニア、幻想的な名だな。優雅な旋律でもある。悠幻というのは、称号か敬称か何かか?」
「我が心の刃の真名じゃよ。じゃから、我の名だけで言えばユーフォニアというのが正解じゃ」
「真名、だと? ……まさか、真名を知ったからには結婚しろだとか言うつもりはないよな?」
何故かそういう危機感を持たなければならないと思ったので、つい言葉にしてしまう。
理由は分からない。
経験則だろうか?
そして、その言葉を口にした後で少し後悔する。
結婚などという言葉を初対面の女性に対して、しかも子供に対して使ってしまうとは、どれほど恥ずかしき事か。
正気が疑われても仕方がないだろう。
「なっ!? 馬鹿者! 何を言うておるのじゃ! その様な事、ある訳が……いや、確かにそういう事にもなるのか。これはしまったのう」
「おいおい、冗談だというのに真に受けるなよ」
ちょっと冷や汗をかきながら言う。
同時に、少しばかり喜びも感じている。
何故かとは問うな。
そういう思いを抱くには十分な容姿をユフィはしているのだから。
「勿論、冗談じゃ。驚いたかの?」
あっけらかんと言い放ち、そしてケラケラと笑う。
冗談を言う事も好きらしい。
意外と馬が合うかも知れない。
「ほれ、ぬしも自己紹介するがよい。いつまでもそう睨んでおっては冷たいおなごじゃと思われてしまうぞ?」
「ふん。ゲスに名乗る名なんてないわ。さっさと死になさい、クズ」
思われる以前にそんなトゲトゲした凍える言葉を吐いてきた女性は、しかし裏表無くその言葉の通りの事を突然に実行してきた。
ぎょっとしたのも束の間。
迫ってきた刃を咄嗟にしゃがむ事で、なんとか俺はやり過ごす事に成功する。
マジで死にかけた。
「お、おい……」
「あら、何でまだ生きているのかしら? 死体は死体らしく死ねばいいものを。余計な手間をかけさせないで欲しいわね」
などと言ってくる彼女は、しかし次の攻撃は繰り出してこなかった。
思えば、先程の攻撃も随分とゆっくりとした攻撃だった様にも思える。
まさかユフィの行動を真似て自分もちょっと小突いてみようかな、という考えを実行してみたなどという訳ではあるまい。
もしそうだとしたら、振るった武器の向きを間違えました、というオチまでついてくる訳なのだが。
明らかに俺の事を敵視、嫌悪している彼女の様子からは、そんな可愛らしい発想が浮かんだとはとてもではないが思えなかった。
「聖静のシェフィーニア、と言ったか。清楚なひび……」
「気安く私の名を呼ばないで。虫酸が走る」
という言葉を実践したかの様に、シェフィーニアは腕を胸の下あたりで組んだ姿勢のまま、全身を震わせる。
まさに虫酸が走っている様な、酷い悪寒を感じさせる仕草だった。
「愛称はフィニーでよいかの? それともシェイニーがいいかや?」
「ふむ……その二つならば、俺はフィニーの方をえら……」
「愛称なんてどうでもいいけど、そこにいる下等生物に私の名を呼ばれるくらいなら、シェイニーと呼んでくれていいわ」
ゲスにクズと続いて、今度は下等生物呼ばわり。
随分と毒舌な女だ。
こういうタイプは初めてだったかな?
いや、少しだけ似たタイプと接した様な感覚がある。
例の失われた記憶の中での出来事か。
そんなシェイニーの容姿は、腰まであるストレートヘアーの黒髪と、刺すように冷たい色を浮かべる黒い瞳がとても印象的な、怖いくらいの美人顔だった。
その整った容姿に控えめな二つの膨らみ、滑らかで細い華奢な腕、すらりと伸びた健康的な脚線美。
理想体型というには色々と物足りないと感じてしまう訳だが、それでも目を惹き付けて離さないS気たっぷりのお嬢様然とした姿勢がとても良く似合っている。
ただ、その服装がワンピース風の薄い水色のシックなドレスではなく、黒を基調とした挑戦的なドレスや、セーラー服姿などであればもっとその魅力を引き立てたであろう。
どこか高貴な令嬢を思わせる気品高い振る舞いをしている限りではそのドレスも十分に似合っていて可愛いと思えるのだが、その口から零れてきた毒舌や、凍えるような冷たい瞳が彼女のイメージを大きく変えてしまっていた。
そのシェイニーのすぐ横には、地面に突き刺さった長い得物。
全長はユフィの持つ斧槍よりも更に長く、柄の先には刀の様な反りのある長い刃が付いていた。
薙刀というには少しばかり異質の、槍にも刀にも部類出来そうな武器。
刀の柄のみを長く伸ばし鍔を取るか、棍棒の先に刀の刃のみをくっつけたかの様なそれは、さて、槍刀とでも呼ぶべきか。
推定年齢16歳ぐらいの容貌をしている女性が持つには、やはり明らかに不釣り合いな凶器がそこにはあった。
「なんて不躾な。そんなにジロジロ眺めないでくれるかしら? 私の価値が下がるわ」
「まぁお主の気持ちも分からぬではないが、所見のおなごに対してそんなに穴があくほど見るでない。それでは嬉しさを通り越して恐怖を感じてしまうじゃろうに。ほどほどにせよ」
「ああ、その腐った瞳を潰した後でならいくらでも見ていいわよ。ついでにその捨てる価値もない命も一緒に潰してくれると嬉しいわね」
「だそうじゃが、どうするかや?」
「いや、勿論拒否させてもらう」
「じゃろうの。我としてもお主が自ら命を散らしてくれおればとっても楽なんじゃがの。流石にそれは都合が良すぎるか」
そんな都合の良い話があってはたまらないだろうに。
などと思いながらシェイニーの方を見ると、心の底からそれを望んでいるかの様な小さな溜め息を吐いていた。
その後で、じろりとまた睨まれる。
見るな、という意思表示なのだろう。
それなりに天の邪鬼な俺なので、ご期待に応えて目線を外さないよう少しばかり努力してみた。
刹那――。
「なっ……」
「お主、いっぺん死んでみるかや?」
俺の心臓に、いつの間にかユフィが持つ斧槍の先端が突き刺さっていた。
「1度と言わず、1万回ぐらいは死んだ方が良いんじゃないかしら?」
「1万回はやりすぎじゃろうて。せめてその半分じゃの」
「全然足りないわね。最低でも200万回は必要だと思うわ」
「随分と増えとるのぉ。さっきの1万回というのは何だったのじゃ?」
「現実的な数値、と言った所かしら? 1日1回殺せば約27年、10回殺せば約3年、100回殺せば3ヶ月と少しの労力ですむわ」
「それで何が変わるのかや?」
「……世界がほんの少しだけマシにはなるけど、手間暇を考えると割に合わないわね。害悪すぎるわ、あなた。だから200万回自殺して私に詫びなさい。ああ、報告はいらないわよ。勝手に死んでいてくれれば良いだけだから。むしろあなたの存在を私に感じさせないで」
最後に鼻で笑って、シェイニーは俺に嘲りの瞳を向けた。
そんな毒にしかならない二人の会話――ユフィは冗談でつきあっていた様だが――を聞いていた俺はというと。
血を吐くこともなく、膝から力が抜ける事もなく、変わらないままその場に立ち尽くしていた。
そしてユフィが突き刺してきた斧槍の姿は、いつの間にか俺の胸から幻のように消え去っていた。
後には何事もなかった胸の姿だけが残る。
胸を貫かれ血を流す事も、心臓を串刺しにされ命を失う事も、それどころか服が破ける事すら無かった。
「名は体を表すという言葉を知っておるかのう? 我が心名は悠幻。悠久なる幻想じゃ」
先程と変わらない姿勢で立っているユフィと斧槍の姿に困惑している俺にユフィが諭すようにそう言ってくる。
「これは、どういう訳だ?」
「分からぬのかや。それとも分からぬふりをしておるのかや?」
「どちらかと言えば後者だな。だが確信がない以上、それをした本人からその解答を聞きたい」
「なるほどの。それがお主の悪い癖かや。少しは利口になろうとしておるのじゃろうの。良かろう。それが何か答えてやらん事もない」
「……条件付きなのか?」
「左様じゃ。お主も簡単に答えが手に入るとは思っておらんのじゃろう?」
俺は苦笑のみを返して、肯定も否定もしない。
それに対しユフィは、明らかに重量級の斧槍を軽々と持ち上げて、その先端を俺の方へと向けて構えを取る。
そして覇気を身に纏いながら、挑戦的な瞳をこちらへと向けてきた。
「我と死合うがよい。さすれば答えてやらんこともない」
そしてそんな事を言ってのけてきた狐顔の古風な姫君は、それはそれは楽しそうな笑みをその美貌に浮かべていた。




