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不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
第伍章 『心の剣』
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第95話 賢者の実験

 それまで見ていた夢から、はっと目が醒めるように世界が劇的に変化する。


 闇色に彩られた虚空の空間は先程から全く変わらないというのに、遙か彼方で萎んでいた世界が面から点へ、点から零へと至った瞬間。

 胸から腕が生えていた。

 枯れた腕が、いつの間にか生えていた。


 遅れてやってくる、明らかに脳の許容量を越える激痛。

 世界が瞬く。

 胸の中心から身体中に向けて大電流を流し込まれたかのような、弾ける痛みが脳を侵す。

 悟るまでもない。

 その先にあるのは、死、のみ。


 だが消えゆく意識は、またあの時のように強制的に覚醒させられた。

 胸の辺りを蝕む、苦痛にも似た何かによって。



「カッカッカッ。愚鈍なる者よ、偽りし名を語る矮小なる存在、ハーモニーよ。其の魂はやはり色堕ちしたか。カカカッ」



 どうやらまだ終わりではないようだった。

 耳に届いてきたのは、死体が奏でるしわがれた不死の笑い。

 それまで聞こえていたあの閉ざされた世界にいる女性達の耳に心地好い囀りは止まり、服が擦れる音色や、石土が鳴る音は完全に途切れていた。

 ただそこに、不死者の嗤い声だけが響き渡る。


 己の胸より突き出た枯れた腕、その開かれた五指の上にのる小さな球体という光景は、見覚えがあった。

 しかし、違いもあった。

 以前見た時には淡く光っていた筈の球体は、今は鈍く黒ずんでいる。


 いったい何が起きたのか。

 それよりもまず先に、死と絶望を思い浮かべるには十分なその光景に、俺はただ絶句しているだけ。

 否。

 痛みによって焼き尽くされた脳では、その状況の認識及び記憶を手繰り寄せるには今暫くの時間を要したため、ただフリーズしていただけだった。



「詰まらぬ。ああ、詰まらぬ。汝は汚れたか。あの者達の様には彩らぬのか。此、嘆きべくかや」



 その不愉快な気持ちを代弁するかのように枯れた五指が僅かに閉じ、その瞬間、再び俺は激痛で全身を弛緩させた。

 身体の痛みではない。

 精神を直接鷲掴みされて握り潰されるような、表現しがたい痛み。


 思考がまたぐちゃぐちゃとなり、霧散する。

 だが五感はハッキリしたままなので、全ての情報は脳へと伝えられ続ける。

 その情報は脳の中で滞留するが、今は処理が出来ないだけで、精神が回復していくと早送り再生のように流れ込んでいく。

 但し、酷く暴力的に。


 脳へと襲い掛かった情報が、暫くしてまた現実に追いつく。



「なるほどなるほど。まだ堕ちきっておらぬは、その手を汚してないからかや。捕らえた魂を犯すも、遊技にて殺めるも、その一線だけは越えぬかや。クククッ。何とも綺麗な理じゃて。いやいや、それ故の此の色かや。戯れの座興にしては、まだましというべきか。カッカッカッ」



 その人でなき嗤い声が、俺の意識を現実へと引き戻す。

 気持ち悪いその笑みが耳に届くたびに、酷く不愉快な気分を味あわされる。

 幻覚を痛みで散らすように、それが却って茫洋としていた俺の意識に現実を思い出させる。


 その現実をようやく瞳でも確認出来る様になった時。

 幸いにして、あのおぞましき不死賢者の姿は目の前にはなかった。



「虚界の王の名を作り語る者ゼイオンよ。漆黒なるを名とせし者ブラックスよ。偽りの名のみを持つ者ハーモニーよ。悪しき事だと感じず、悪しき事を為す。捕らえた魂を汚す事で、更に堕ちてゆく。それで大抵の者は魂を濁らせていく。汝もまた、その堕ちてゆく者達の方であったな。何者でもなき小僧よ。クカカカカカカカッ……!」

「レビスか……」

「是、なりと。我は不死なる賢者、レビス。『緑園(テーゼ)』の森を統べし、人ならざる者なり。予め定めた理によりて、汝が前に我は再び姿を現した。其れは、汝も知っての事よ、のう?」



 腕は後ろから刺さっていたが、レビスの声は前からやってくる。

 この空間に前後という概念がないのか、それとも最初に出会った時のように実は前にいるのか。

 光の存在しない空間の中で、胸から生えた枯れた腕の上にある鈍く輝く球体だけが、俺の瞳に闇以外の光景を映し出している。


 そしてこの世界には、一切の音が存在しなかった。

 俺の発した言葉も、この世界では音にはならず俺の耳には伝わってこない。

 レビスの言葉だけが、鼓膜を震わせる。


 だが会話が成立するという事は、実は俺がうまく言葉を喋れていないのかもしれない。

 いや、ならば心臓の音が聞こえないのはどういう訳か。

 この枯れた腕が物理的な接触をしていないという事であれば、この無音空間の中で心臓の音はもっとハッキリ聞こえる筈である。

 それがまったく聞こえない。



「クカカカッ。戯れ事を気にするか。げに矮小なる者よの。其れに付きおうては無駄な時にしかならぬ。次なる実験へうつ……ほぅ? 貴様、心砡石を持っておるのかや」



 突然にレビスの口調が変わり、荒れ狂う波の様な気配が急に前方から押し寄せてくる。

 その事に思考が追いつく前に、レビスはまた俺を無視して独り言を続けていく。



「カァッカッカッカッカッカッ。貴様、あの死龍より此なるを奪いおったのか。しかも、あれなるに与えておった十個全てをか。なんとも欲深い事よ。性なる業の深き事よ。ほぅ……よくよく調べれば、我が祝福を利用してこれほどの時をその業に費やしておるというのか。それほどの時を、魂を汚す行為に没頭してたというのか。これはこれは。貴様の評価、改めねばならぬのう」



 先程から魂を汚すという言葉出てきていたが、ここにきてようやく俺はその意味を察する。

 魂を汚すとは、もしや……。



「聞きたい事がある。あの世界にいた者達は、まさか」

「否。あれなる檻は、出るには魂だけとならねばならぬが、入るを拒まぬ。我が実験によって肉体を失った哀れなる存在は、貴様も知っての通りの者達よ。貴様が捕らえし女なるも、エルフなる種も、魔なる者達も。あれなる命は潰えておらぬ。其れ故に、其れなるを犯した貴様の懸念は的にはいぬ。だが、貴様の行為は魂を汚すと知れ。クカッカカカカッ」



 それは、聞いて良かったと思うべきか。

 それとも、聞くべき事では無かったと思うべきか。


 魂を汚すとは、望まぬ行為を強いる事といった所だろう。

 繋がりを持つ事で、より汚れやすくなる。

 繋がり続ける事でも汚れやすくなっていく。

 それを俺は延々と繰り返し続けていた。

 俺の魂の色が鈍くなったのは、それも理由と考えるべきだという事か。


 しかし……あの世界は本当に存在していたのだろうか?

 そもそも、レビスが実験で創り出した箱庭、魂の檻である可能性は否定出来ない。

 夢の世界であった可能性すらも否定出来ない。

 まさに夢の様な世界であったために。



「また戯れなる事を考えおる。だが、げに面白き内容よ。そして、其れなるは異なると我は答えておく。あれなる迷宮は、真なり。あれなるに挑む者も、真なり。あれなるに住む者も、真なり。そして、汝が為した行いも全て真よ。時は歪めてあれど、汝の行いは全てこの現世(うつしよ)にての事。探せばいつか見つかろうて。クククッ」

「どういう、事だ……?」



 いや、理解は出来た。

 だが、一途の望みすらも砕け散った事で、それを認めたくない自身がいる。

 俺がした事すべてが夢物語ではなかったという事を、認めようとしない自身がいる。

 現実から目を背けようとする自身がいる。


 その思考へと逃げ込もうとした瞬間。

 また全身を強烈な電流が迸り、考えていたすべてが散り散りになって消えていった。



「戯れなる時に費やすなという警告を聞かぬか。なれば何度でも分からせようぞ」



 その言葉を脳が理解したのは、それから暫くしてからの事。

 幾度となくこの身に襲い掛かってきた痛みに意識が壊れる寸前で、ようやく何が起こっていたのかを俺は理解する。


 急激な疲弊と倦怠感に、瞳から入る情報すら脳が処理するのを嫌う。

 身体全体が胸より生えた枯木の如きレビスの腕に支えられているため、倒れる事すらも許されない。

 これだけの痛みを感じたというのに、汗もかかず息も荒くなっていないという事は、やはりその攻撃は精神へ直接ダメージを与える類の攻撃なのだろう。


 そんな思考すらした瞬間に、再び激痛が無慈悲に到来する。



「此なる以上は無理か。仕方なき事か。汝は矮小、故に我の戯れにもすぐ心死してしまう。他なる者と変わらぬか」



 深く思考する事をやめて、ただ聞く事にする。

 これ以上は無理だというのは、俺自身にもよく分かった。


 レビスが望まぬ道から脱線する思考を、今は捨てる。 



「汝が心砡を欲するのであれば、一つ寄り道をするかの。汝、其れなるを欲するか?」

「それとは、なんだ……? 心砡石とは、なんだ……?」

「分からぬか。分からぬままに欲したか」



 鈍い光を放っていた球体が胸の内へと消え、遅れて命を感じさせないレビスの腕が胸から引き抜かれる。



「其れなるは、汝が死龍より奪いし珠よ。十なる珠を、汝は求めたであろう?」

「あれか……だが、あの珠は何処かに消えた。いったいどこにある?」

「珠は汝と共にあり。念じれば自ずと姿を現そう」



 念じれば?

 半信半疑ながら、俺はかつて見た光景を思い出す。

 そしてその光景を再現しようと、意識して思う。


 少しして。

 目の前に、うっすらとだが十個の珠が浮かび上がった。



「これが、心砡石か」

「是なり。その内なるにいる者達は、汝が強く願えば応じよう」



 既に胸からはレビスの腕が引き抜かれているというのに、俺の身体は変わらず胸を中心にしてその場に支えられていた。

 四肢を動かす事は出来るが、精神が疲弊しているため動かす気力も沸いてこない。


 そのため、ダメ元で浮かび上がった珠の一つを適当に選び、眼前へと来る様に思う。

 思いは通じ、緋色の珠がゆっくりと俺の右目の目の前に寄ってきた。


 そして覗き込むと、やはり以前に見た時の様に、中に小さな女性の姿がそこにはあった。



「この珠に願えば、この女は外に出てくるのか?」

「否。其れなるを解放するは、汝が魂は汚れすぎておる。死龍と共にあったが故、色堕ちした汝の魂では、其れなるに思いは通じまい」



 ならば、どうすればいいというのか。

 俺の魂がこれまでの行いで黒ずんだ事は理解し……いや、思考は止めるとしよう。

 二の舞になるのはもう嫌だ。

 あれは、容易く俺の心を折る。



「死龍には、十二門のうち3つを与えておった。死狼には2つ、死光には1つ与えておる。されど誰も求めず。使わず。願わず。そして魂も濁らず。げに面白くなき事よ」



 死狼が誰であるとか、死光が誰であるとかも今は考えない。

 ただ、レビスの言葉を聞き続けるだけに努める。



「なれど、汚れた汝にはそれを許さず。されどそのままでは汝にも使えず。故に、汝には残りの6門を我から与えようぞ。其れなれば問題無き事かや」

「……合計で16個も俺は持つ事になるが、それも問題無いのか?」

「いつなる時でも取り返せる物を、何故に問題とするか。また、我には不要の者。我が持っていた所で意味なき物。ただそこにあるだけとなるモノ。其れなるが故に、死龍に、死狼に、死光に与えたにすぎぬ」

「全部でいくつある?」

「分からぬのか、無知なる者よ。色は23と知るがよい。そして、望むならば残り9つの珠を、死狼と死光から奪うがよい。我が許す」



 どうやら質問するのは問題無い様だった。



「時が惜しい。さぁ、使うがよい。偽りの名を語る違界者よ。拒絶の意は許さぬ」



 そして選択肢もないらしい。



「どう使えばいい?」

「我の言葉をもう忘れたか。愚かなり。なれど、我は寛容なり。其れなるを手に取り、強く思うがよい。其れなるに、汝が思いを願い伝えるがよい」

「何を願ってもいいのか?」

「汝が思うがままに。汝が心のままに、心の声を伝えるがよい。さすれば、自ずと応えが返ってこよう」

「応えが返ってきたら、それで使用した事になるのか?」

「否、なりと。汝が願い、其れなるが応え、其れなるが言葉を再び強く念じながら紡ぐがよい。其れなるが言霊となり、其れなるを解放する」



 一応の手順はあるという事か。

 しかし……願っただけでは使った事にならないのは、何かしらリスクが伴う可能性があるという事になる。



「其れなる珠は、常に汝と共にある。汝が望めば消える。求めれば現れよう」



 ふと頭に思い浮かんでしまった疑問を、またレビスは読み取ったのか。

 それとも、俺があまりにも知らなさすぎる故の親切心か。


 いや、考えるべきではない。

 考えれば、今度こそ死ぬ。

 今はただ従うのみ。


 レビスの言葉を確かめるために、眼前に浮かぶ16の珠が消える様にイメージする。

 すると、珠は俺の身体に吸い込まれるかの様に消えていった。

 再び念じ、珠を浮かび上がらせる。

 但し半分のみ。

 問題なく成功した。


 今度は動かそうとしてみる。

 8つの珠が俺の意思に従い、ゆっくりと円を描く。

 八犬伝という言葉が思い浮かんだが、無駄な知識を今呼び起こしても仕方がないためすぐに頭からその言葉を消し去る。


 ほぼ正確に45度ずつずれた8つの珠が、円を描いてゆっくりと回り続ける。

 その隙間に、残りの8つの珠が出てくるように念じる。

 珠はまるで最初からそこにあったかの様に現れた。


 その間、レビスは何もしてこない。

 俺が戯れ事に興じているという事を知っていながら、攻撃をしてこない。

 それとも今はもう魂を掴んでいないからだろうか?


 また無駄な思考を始めている事を自覚する。

 自覚すると、またあの痛みに対する恐怖が沸いてくる。

 故に、思考を止めて目の前に浮かぶ珠の選定に意識を向ける。


 この16個ある珠のうち、9つが12門だという。

 12門と聞くと黄道12門を思い浮かべるが、この場合は属性12門の事だろう。


 即ち【地】【水】【火】【風】の自然4属。

 【光】と【闇】、【陰】と【陽】の対属。

 それに【天】【封】【星】【聖】の4つ。

 黄道12門と同じ様に、月の巡りに関係している12属性である。


 その内、目の前に浮かんでいる珠の色から考えると、足りないのは【風】【闇】、それと色の不明な【封】あたりか。

 そんな事が分かった所で、何が変わるというのか。

 いや、変わるだろうな。

 もし【風】か【闇】属性の珠があれば、間違いなく俺はそれを選んでいただろう。

 そういう色や属性を俺は好む。


 故に、この時点では珠の色もしくは属性による選択では選ぶ事が出来ない。

 ならば一つ一つ中身を確認し、気に入った者を選ぶか。


 時計回りにゆっくりと回している珠の中を一つ一つ確認していく。

 どの珠の中にも一糸纏わぬ女性達の姿があった。

 但し体型や顔立ちなどにはほとんど統一性はなく、ピンからキリまで存在する。

 そしてその容姿はハッキリと見えないため、肝心なそこだけ判断基準には出来なかった。


 見終わった珠は、一つ内側の円で半時計方向へと回す。

 一度望むだけで、以後は常に念じる必要は無い様だ。


 程なくして、全ての珠の中身を見終わる。

 そしてまた最初からまた珠の中を見始める。

 但し今度は、今現在気に入ったものとそうではないものとをより分けていく。

 どれも甲乙つけがたかったが、そこは明確に優先する基準を選定して評価していく。

 しかしそれでも半分近くが残った。


 これ以上は、珠の中身ではもう判断はつけられない。

 故に、最後は色で選ぶ事にする。

 いや……何故か惹かれた気がしたので、俺はそれを選び取る。



「ほぅ……?」



 乳白色と薄水色の珠を手に取ると、レビスが何やら興味深げな言葉を発してきた。

 だがそれ以上レビスは言葉を漏らさず、再び闇に存在を同化しているかの如く沈黙する。


 この珠に惹かれたのは、恐らく気のせいだろう。

 そんな邪推は捨てて、手の平に珠をのせる。

 そしてレビスに言われた通りに、俺はその珠に向けてその思いを強く念じた。


 暫くして。

 念じ続けるのが億劫だと感じ始めた頃に、その珠から応えが返ってくる。


 それが、応えか。

 その言葉を口に出す事で、御前達をそこから解放できるというのか。

 それをして、本当に大丈夫なのか。


 いや、俺に選択肢はない。

 この思いを強く念じ、その言葉を紡ぐ意外には俺の生きる道は残されていない。

 それが唯一の答え。

 不死賢者レビスによって捕らわれた、俺の宿命。


 大きく息を吸う。

 まだ見ぬ者達に向けて、俺は強く思う。



「さぁ、来い! 悠幻のユーフォニア! 聖静のシェフィーニア!」



 その瞬間。


 俺の身体から急激に力が抜け――。

 そして……この身体から、永遠に命が失われた。

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