表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死賢者の迷宮  作者: 漆之黒褐
第壱章
10/115

第10話 我が聖域

★序章あらすじ★


魔者討伐に赴いた風の導士フェイトと風の精霊フィレスは、その最中、突然の現れた謎の闇の中から人が出てきた事を確認する。刹那、鬼人が襲来。フェイトは絶望的な戦いに身を投じる。


闇の中から現れた青年ハーモニーは、自身がどうしてそんな場所にいるのか分からないまま、不幸にも不死賢者レビスに目を付けられ呪いを掛けられてしまう。記憶すら無い彼はそのまま森を彷徨うが、その身には《欲望解放》の呪いが。欲望の赴くままに、現れた少女にハーモニーは次々と襲い掛かっていく。その後、新たな呪いを受ける事で理性を取り戻したハーモニーは、森の中で死にかけたフェイトを見つける。フィレスの尊い犠牲を払いつつも、ハーモニーはフェイトを背負い村へと辿り着く。

 自分で望んだ事だったのだが、我はこのところ、その事を酷く後悔していた。


 鼻先に付いたミルクも、今では懐かしい程だ。

 それでも時折に思い出すぐらいにはまだ心に余裕があるので、かつての自分専用指定席に戻りたいという気持ちも耐える事が出来る。

 何より、自らが進んでその席を譲ってあげた手前、誇りに掛けて、それを撤回したくないのだ。

 だが、自分という種族の記憶は酷く虚ろいやすく、それでいて本能に忠実である。

 実際にその場所を占拠していたのが本当なのか、ただ己の足で踏んだ事があっただけなのか、昼夜問わず眠りを貪る癖のあるこの頭では、すぐハッキリしなくなる。

 明瞭な記憶を持ち合わせていた若き時代があった筈なのだが、今この時ですらあっという間に薄れゆく意識の中では確信が持てそうにない。


 自分というのは、そういう生き物なのだ。

 例え世界の中心が自らにあるとしてもだ。


 そんな事はどうでもいい。

 酷くあの場所に戻りたい。

 その欲望はいっこうに脳裏から去っていかない。


 不快を訴えて、鳴く。

 決して己が欲望に屈したからではない。

 せめてこの鬱憤を我が美声で詩にして奏で、惰眠ばかりを貪るだけの愚かなる者の子守歌にしてしんぜよう。


 有り難く思うがいい。

 他者への思いやりをするなど我の美徳には含まれないが、我は寛容にして寛大。

 例え我が聖域への侵略者であろうとも、誇り高き高貴なる我が血は、常に汝等を我が客として扱えと語るのだ。

 そして、今はまだ堪え忍ぶ時だとも。


 小さき脳を妄想で満たしつつ、仕方なく我は我が支配領地を巡回し、時折に即興の詩を鳴いて聞かす。

 我の行く手を遮る者はいない。

 たまに礼儀を弁えていない不躾な者が、下賤の餌を目の前に置き捨てるが、我は軽く鼻で笑ってから貢ぎ物の受け取りをやんわりと断る。


 頭を撫でてくる者にはさせてやればいい。

 口元に潜む鋭利な牙と研ぎ澄まされた最強の爪を恐れず喉を攻めてくる者には、その勇気を称え聖水に濡れた舌でその手を清めてやる。

 その後で触られ汚れた部分を嘗めて清浄し、ときどき乱れた毛並みを毛繕いする。

 ただ頭は厄介で、何度も何度も嘗めて聖めた手で念入りに浄うしかなかった。


 だがそれはまだ行儀の良い方だった。

 不注意な者は尻尾を踏む事さえ一度ならずあったのだ。

 あれほど注意しろと言っているにも関わらず、自慢の尻尾に敬意を払ってくれる者は僅か一握りの者達だけだった。


 主の勤めも気苦労が耐えない、

 我慢強いのは欠点だ、と我は思う。


 踏まれて傷付いた心を癒しつつ、我は一つの希望を抱いて再び帰路へと向く。

 このところ何故かよく出会う我が下僕の一人、新参者の娘は、今日に限っては余程に忙しいのか、我にいつもの挨拶をしてくる様子がない。

 暇潰しに愚痴や陰口らしい口調でいつも何やらぶつぶつと呟いてくる食事係も、やはり今日に限っては忙しいのか、ずっと厨房にこもりっきりだった。

 最優先事項である我の食事の用意すら忘れてしまう始末だ。

 わざわざ催促しに行かなければならない。

 それに、手抜きが最近多い事もそろそろ注意しておかなければならないだろう。

 そのうち誰がここの主なのか、きっちり教えてやらねばなるまいて。

 この爪が決して飾り物でない事を――たまには血を吸う事もあるのだという事をその身に深く刻んでやるとしよう。


 他者へと示しをつけるのは、我等の義務の一つだ。

 躾てやらねば、どこまでも彼等は増長する。

 容赦は無用、むしろ全力でなければ失礼にあたる。


 空腹の餓えを使命感で紛らわしているうちに、我は短くも長い領地巡回をようやく終え、お気に入りの場所へと到着した。


 我の感覚に時は関係ない。

 あるのは空腹と睡魔だけだ。

 お腹が空けば食物を探し、眠たくなれば寝床へと向かう。

 幸いにも、我には歴史として後世に残るだろう激闘を繰り広げて獲得した広大な所領と、毎日餌を献上する主思いの下宿人と身の回りを世話する下働き数名がいた。

 所領も家臣も持たない野良とは格がまるで違う。

 いま少し血族を増やし支配を確固たるものにしたい気もするが、まだその時ではない。

 時に不条理な程に凶暴となる牝と相対すると、十分ともいえる心の備えですら紙くずにも等しくなる時があるのだから。

 念には念を入れすぎても問題はないだろう。


 扉を開けて、我が王室に入る。

 どうやらあの者は、まだ神聖なる我が聖域を占拠している様だった。


 忘れていた事を思い出して、我の意識が急に鮮明になる。

 見上げると、一匹の牝の瞳がこちらを向いていた。

 見覚えがある。

 紳士たる自分が所領の一つを寛大にも譲ってやった異種族の娘だ。

 見た目からして、まだかなり若いのはさっきと変わらない。

 たまにちょっと目を離した隙に二倍近くの背丈に化ける者もいるが、この牝はどうやらこれ以上伸びる事はないだろう。

 とはいえ、発育のスピードに些か偏りが見られる。

 首の下辺りにある筈の二つの膨らみがまだ芽吹いていない様だ。

 この者達の種族としては、致命的だろう。


 娘の瞳が我に興味をなくし、もとの位置に戻る。

 一時的にとはいえ、所領を譲ってやったというのに、挨拶もなしか。

 小娘如きが――この牙の味を知りたいというのか!


 やはり一度、誰がここの主か教えてやらねばならない様だ。

 気が向かぬが、致仕方あるまい。

 我の苦労を下々の者に理解して貰おうとは思わぬ。

 だが礼と儀を知らぬ愚かなる者には、我の強さをその身に知らしめ、我という存在を敬う事を躾てやる必要がある。


 覚悟せよ、小娘。

 汝は我の逆鱗に触れた。

 もはや汝に未来はない。


 遙か高みにある我が聖域に飛び乗り、我の存在をまずは思い出させる。

 死角からの奇襲など、弱者が行うもの。

 我は娘の正面に立ち、威嚇を意を込めて鳴く。


 あろうことか、娘の瞳はこちらを向く事がなかった。

 毛が逆立ちそうになるが、まだ早い。

 (はや)る気持ちを抑え、じっと待つ。


 待っている間に、いつのまにか腰が落ちていた。

 僅かに弾力性を帯びた聖域が、我の身体を優しく受け止める。

 流石は我が所領の中で最高の居心地を持つ場所。

 心地の良い肌触りに、我の意識が微睡んでくる。


 さて、我は何をしようとしていたのか?

 そうだ、我はこの聖域に戻りたいと望んでいたのだ。


 娘の手が伸びて、我の身体を抱きかかえる。

 軽く抗議の声を上げてみるが、聞き入られる事はなかった。


 ツボをよく知った優しい抱え方ではなかったのが少し不満だったが、初めて我を抱く者に手練れの技術を求めるのは酷というもの。

 だが、暖かい。

 最近ちっとも相手をしてくれない古参の家来を解雇にして、代わりに雇ってよいとも思ってしまう。

 驚いたのは、予想していたものよりも暖かい感触が娘の胸から伝わってきた事である。

 空腹を一瞬忘れたぐらい、その温もりは心地が良かった。


 しかし、我が聖域の心地良さとは比べるべくもない。


 娘の腕から飛び降りて、聖域の地を踏む。

 優しく受け止めてくれた我が聖域は、まさに優秀な寝床。

 とてもいい具合に襲ってきた眠気に耐えながら、その優秀な寝床の中で最も我が愛用している場所に向かう。


 だが、そこには先客がいた。

 さて、いったい誰だったか。

 何故この者が我専用の寝床を占拠しているのか。


 抗議――するべき、だろう……。

 いや、まぁ……いいか……。


 その場で丸くなり、微睡みの赴くままに意識を沈めていく。









 瞳に映った闇は、意識する事が出来ず。

 しかし意識の覚醒を、俺は微睡んだ脳の中でゆっくりと認識する。

 この映っている闇は、瞼の裏側だというのはすぐに分かった。


 全身が気怠い。

 この感覚は、いったい何だろうか。

 ただ眠たいだけなのか。

 瞳を閉じているという事は、俺は寝ていたのだろう。


 記憶に新しい筈の映像の断片は、目が覚めると同時にそのほとんどがどこかへと消えていた。

 夢を見ていたという自覚はない。

 眠りから覚めた途端に世界が一瞬にして色褪せてしまい、何故だかまるで記憶喪失にでもなってしまったかの様な喪失感に襲われた。

 酷く鬱だ。

 このやる気のない気持ちを沈めるためには、あの手段しかないと思われる。


 二度寝するとしよう。


 意識をもう一度手放す準備を始める。

 寝返りをうち、好むべき体勢を探す。


 顔に、何やら毛むくじゃらの暖かい物体が触れた。

 何だろうか。

 ふさふさしていて顔がくすぐったい事この上ない。

 むず痒くて仕方がない。


 好奇心に負けてしまい、ゆっくりと瞳を開ける。

 そして理解した。


 ――ああ、猫だ。


 瞬間、心が何かに満たされていく。

 この安らぎに満ちた気持ちはいったい何なのかはすぐ分からなかったが、ただそれだけで覚醒しかけていた意識が沈んでいくのが分かる。


 微睡みの赴くままに、意識を沈めていく。


 それを阻む者は、誰もいない……。

2013.05.26校正

2014.02.13校正

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ