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旅立ちの日

 学校を出てからも、僕はずっと小さな違和感を憶え続けていた。


 帰り道、小腹が空いたのでお菓子でも買って帰ろうと思ったら、コンビニが潰れていた。

 元々たまにしか来ない場所だったので、知らぬ間に閉店したのだろうかと考えてすぐに気づく。

 コンビニだったはずの場所は、古びた駄菓子屋になっていた。

 これでは、潰れたというよりも、もとからコンビニなど無かったかのようだ。


 考えても判らないので、諦めて駄菓子を買うことにした。

 店内で懐かしい記憶に迷っていると、店主のおばあちゃんが出てきた。

 おばあちゃんは僕が卒業式の帰りだということに気がついて、きなこの団子をオマケしてくれた。



 市内にそびえるマンション。その6階が僕の家だ。

 家に入るとまた違和感があった。言葉にはできないが、なんとなく空気が違う気がする。住み慣れた場所だからこそ、些細な変化がより目につくのだろう。

 僕はすぐに気がついた。

 玄関に見慣れない女物の靴がある。それに、置かれているインテリアが微妙に違う。

 靴箱の上にはアジア系の小さな木像がちょこんと鎮座していた。見覚えはないが、どことなく懐かしい。


 リビングに入った僕を、女性が出迎えた。

「おっ、おかえりー」

「……え?」

 長身で細身の美人。

 長い髪を無造作に後ろに撫で付けて、ソファーで雑誌を読んでくつろいでいる。

「なに、変な顔して」

「……あの、誰、ですか?」

 見覚えがない。どことなく母親に似ているような気がするから、親戚の誰かだろうか、と記憶を探ってみても全く思い当たらない。

 けれど目の前の女性は、一瞬驚いた顔をしただけだった。


「なーに? そういうボケなのー?」

「え……あ、いや」

「まさかホントにお姉ちゃんのこと忘れちゃったのー?」

 そう言いながらニヤニヤと笑っている。

 ……姉? そんなはずは無い。確かに姉が欲しいと思ったことはあったけれど、僕は生まれてこのかた一人っ子だ。


 僕が言葉を返せないでいると、女性は勝手に納得したように頷いた。

「卒業式で疲れたんでしょ。とりあえず着替えておいで。

 このあとクラスのみんなと打ち上げあるんでしょ? それまでゆっくりしてなよ。

 なんなら、昔みたいに、お姉ちゃんが添い寝してあげようかー?」

「い、いや、大丈夫……です……」

「そ?」

 多分僕は真っ青な顔をしていたと思う。女性はすぐに雑誌に戻っていったから気づかなかったようだけど。

 リビングから出る間際後ろから声を掛けられた。

「あ、お母さんたちも後で帰ってくると思うから。あとで家族みんなで記念写真とろうねー」

 僕は何も答えられず、逃げるように部屋に戻った。


 見慣れた自分の部屋。

 まさか僕の部屋もおかしなことになっているのでは、と心配したけれど、とりあえずは何も変わっていなかった。

 一安心だ。と思ったのも束の間、そんな安心もすぐに吹き飛ぶ。ベッドに腰掛けるようにして、見知らぬ男がそこに居たからだ。


「なっ……」

「おう、ようやく戻ってきたな」

 男は親しげに片手を上げて挨拶する。僕は返事を返す気になれなくて、それを無視した。

 僕と同じ制服を着ている。学校の友達だろうか。

 いや、だとしても無断で部屋に上がりこむ理由にはならないし、そもそも見覚えがない。

「やっぱり戸惑ってるみたいだな」

「……誰だよ。まさか、お前も兄だなんていうつもりじゃないだろうな」

「まさか。それとも、そのほうがいいならそれでも良いけどな」

 男は笑う。冗談じゃない。

「寄せ書きに名前を書いておいたんだがな。やっぱりアレだけじゃ弱いか」

「寄せ書き?」

「中村浩二。一応そういう名前ってことになってる」


 それは教室の黒板にあった、見覚えの無い名前だった。

 不意に現れた糸口に、自然と口調が荒くなる。

「おい! これは一体どういうことなんだよ。お前、何か知ってるのか!?」

「まあ落ち着けよ。説明はしてやる。とりあえず一回深呼吸してみろ」

 中村と名乗った男は、慣れた様子で実に冷静に僕を諌める。それが何故か気持ち悪くて、寒気がした。

 大人しく従って、大きく深呼吸をした。少し、落ち着いた。


「落ち着いたか?」

 頷く。

「よし。それじゃあまずは整理だ。すぐには理解できないだろうが、とりあえず最後までは黙って聞いてくれ。

 お前は卒業式のときから、細かい違和感を感じ続けている。見慣れたはずのものが細かく変わっていたり、不可解なことが起こっている。そうだな?」

 もう一度頷く。

「それは、言葉通り、世界が違ってしまったからだ。分かるか? パラレルワールドってやつだ。

 原因や理由は分からない。とにかく、ここはお前が元居た世界とは違う。そういうことが、たまに起こるんだ」

 頷きかけた身体が、その意味を理解した瞬間に固まる。中村は気にした様子もない。

「納得はできないだろうが、そういうものだと思っておけ。

 たまにそういうことがあるんだ。元の世界に満足できない、形の無い不満感を募らせた奴が、時折こうして唐突にこっちの世界に迷い込む。

 この世界には、結婚や就職、卒業なんかの、いわゆる人生の転機に来る奴が多いな。それもまあ、そういうものだ」

「そんなこと……」


 だが中村は僕の言葉を無視して続ける。

「そうした迷い人にこうして事情を説明するのが俺の仕事だ。

 俺は誰でもないし、誰でもある。だから望むなら本当にお前の兄にだってなれる」

 心の底を覗き込むような目を向けられて、僕はかろうじて首を横に振った。中村は大して面白くもなさそうに小さく笑った。

「さて。ここからが本題だ。次はこの世界について。

 ここはお前にとって都合が良いように作られた世界だ。この世界では、お前は不幸にはならない。お前が本気で望むことがあれば、それは必ず叶えられる。

 もちろん、何でもやりたい放題できるって意味じゃないぞ。苦労することもあるし、苦難に合うこともある。だがそれを乗り越えれば、その先には必ず幸福が待っている。

 もしオリンピック選手になりたくて、それに向かって全力で努力すれば、お前は必ずオリンピックで金メダルを取れる。

 意中の女がいて、その女の好みに合うようにファッションを研究したり話術を磨けば、お前は必ずその女と結ばれる。

 この世界はそういう風にできている。言うなれば、この世界でのお前は、世界一幸運な男、といったところだな」


 頭の中で何度もその言葉を繰り返して、理解しようと努める。

 けれど、あまりに突拍子が無さ過ぎて、一切現実感は無い。

「まあ、この世界についての説明はこんなところだな。

 お前は新しい世界で、新しい人生を楽しめば良い。これまでの自分に不満を持っていた分、こっちでは満足することができるだろう」

 それが本当だとすれば、それはなんと幸福なことだろうか。

 納得しきったわけではないが頷きかけた僕を、しかし中村の言葉が遮った。

「ただし、一つだけ注意点がある」

「……注意点?」

「ああ。それは、お前は永遠にこの世界に居られるわけではない。ということだ

 来るときが突然だったように、戻るときもまた唐突だ。だからそれまで、後悔の無いようにするんだな」

「そんな……」


 下手に期待してしまった分、落胆も大きかった。

 どうしてもガッカリした気持ちを隠すことができない。

 ほんのひと時だけ夢を見させられるなんて、そんなに残酷なことは無い。どうにかしてこの世界にとどまることはできないのだろうか。

 一度目の前に光を見せられてしまえば、もう二度とあの、平穏だけど何も無い世界には戻ることはできそうになかった。


 と、そんな僕をみて、中村が口を開く。逡巡する間をおいた後、中村は言った。

「……まあ、この世界にずっと居る方法が、無いわけではない」

「本当か! どうやってだ!?」

 食い入るように迫る僕を手で制して、そのまま指で窓を示す。

 マンション六階の僕の部屋。当然その先には空以外何も無い。

「窓?」

 中村は頷く。

「そう。ここから飛ぶんだ。つまり、死ぬということだな」

「……え?」

「もちろん本当に死ぬわけじゃないぞ。お前という固体はまだこの世界には存在しないから、ここで死ぬことは無い。

 ……今のお前はこの世界に迷い込んだ異邦人だ。このままなら、世界に弾かれて、いずれ元の世界に戻される。

 だがそうなる前にこの世界で死ねば、お前の存在はこの世界に固着される。今ここから飛べば、一秒後には元通りこの部屋に戻ってるはずさ」


 いとも簡単にそう言ってのける。その口元は何故か愉快そうに歪んでいた。

 窓から下を覗き込んでみる。あまりの高さに目がくらむ。

 僕の迷いを見透かすように中村は笑った。

「まあせいぜい悩むが良いさ。まだ時間はある。

 期限は元の世界に戻されるまで、だ」

「期限……。それは、いつまでなんだ?」

「さあな、正確には判らん。ある程度は予想できるがな。

 お前の場合だと、そうだな。恐らく大学の入学式が期限になるだろう」

 入学式。それは、もう再来週のことだった。それまでに、僕は結論を出すことができるのだろうか。

「さて、俺の話は以上だ。

 俺はもう行くが、聞きたいことがあったらいつでも呼ぶと良い。俺の電話番号なら、もう携帯に登録されているはずだし、そうでなくとも、本気で俺に会いたいと思えば、必ず会える」


「待ってくれ!」

 見る間におぼろげな気配だけになって、今にも消えようとしている中村を、僕は呼び止める。

「なんだ?」

「僕みたいにこの世界に来た人は、他にも居るのか?」

「ああ、もちろんだ。そう言わなかったか?」

「その人は……どうしたんだ?」

 目の奥を覗き込まれる。中村はくすりと笑ったようだった。

「帰ったよ。だからお前が呼ばれたんだ。この世界に同時に居られる迷い人は、一人までなんだ。

 お前がこっちに来たのと入れ替わりに元の世界に戻った。 そいつも死ぬかどうか迷っていたみたいだがな、結局決断できないまま時間切れだ」

「……そうか」

 それは僕を悲観させるのに十分な情報だった。

 自分のことは自分がよく分かっている。

 僕の前に居た人も、同じように迷ったのだろう。……そして、選べなかった。きっと僕も、選べない。

 誰かが僕の背中を押してくれれば、それはなんて楽なのだろうか。

 と、二の句を次げずにいる僕に向かって、中村はさらに驚愕すべきことを言った。


「一宮詩織」

「……え?」

「一宮詩織。知ってるだろう? そいつが前回の異邦人さ。

 そいつはこっちを選ばなかったけどな。まあ、どちらにしても、お前は決断できることを祈っているよ」

 それだけを言い終えると、中村の姿は空気中に溶けるように、消えた。後には何も残らず、まるで白昼夢を見ていたかのようだった。

 いや、もしかしたら実際に僕はただ幻覚を見ていただけなのかもしれない。

 呆然と、回らない頭で、僕はかろうじてベッドに腰掛ける。

 布団についたシワだけが、かろうじてそこに誰かが居たことを告げていた。


 中村の言葉を信じて良いのだろうか。

 本当に死ぬわけでは無いと聞いても、簡単に決断できることではなかった。それに、死なないかどうかは、死んでみるまで判らない。

 いや、それよりも。まさか詩織さんもこの世界に来ていたなんて……。

 そんなことを考えていたからだろうか。

 ふと気がつくと、僕はいつの間にか紙の包みを手にしていた。学校で詩織さんに貰った手紙だ。

 導かれるままに、僕は包みを開く。その小さな紙片には、整った字で、こう書かれていた。


『次は須田君だという話を聞いて、この手紙を書いています。

 今はまだ混乱しているかもしれないけれど、これだけを伝えたくて。

 中村さんが言ったことは本当です。だからこそ、死んじゃ駄目!

 もし死んだら、二度と元の世界には戻れなくなっちゃうの。

 私は元の世界に戻ることを選べたけれど、須田君にも後悔して欲しくないから。 

 良いことしか起こらない世界は、確かに楽園かもしれないけれど、やっぱり偽物だよ。

 悪いこともあって良いこともある、そんな元の世界の方が本当だって、私は思います。

 だから須田君も……ううん、これは須田君が決めることだよね。

 とにかく、こちらの世界でまた会えることを願っています。

                                一宮詩織』


 字面を追いながら僕は、自分が自然と笑っていることに気がついていた。

 詩織さんがわざわざ僕のためにこうして手紙を書いてくれたこともそうだし、

 それに、詩織さんのお墨付きがあれば、もう何を怖がることがあると言うのだろうか。

 僕は手紙を丁寧に元通り折りたたむ。ゆっくりと光に惹かれるようにして歩く。


 そして、窓に手をかけて──





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『…………本日夕方五時ごろ、市内の高層マンション脇で、

 制服姿の男性が路上に倒れているのを近所の住人が発見し通報しました。

 男性はマンションから飛び降りたとみられ、

 すぐに救急搬送されましたが、全身を強く打っており間もなく死亡しました。

 男性はこのマンションに住む十八歳の少年。周辺に不審な点が無いことから、

 警察では自殺の線で捜査を進めています。

 しかし少年に自殺を示唆させるような点が無いことから、

 なんらかの薬物による錯乱状態だった恐れもあるとして慎重な捜査を続ける方針です。

 また少年の着衣のポケットからはメモ用紙のようなものも見つかっています。

 汚れていて内容は不明ですが、遺書の可能性が高いとして引き続き調査していくとのことです。

 それでは次のニュースです…………』

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