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短編集

チェンジ・ザ・ワールド

作者: デーテ

 犬であるリチャード・ルーザードッグがその来客を迎えたのは、太陽がもう少しで一番高くなるころであった。その来客は、リチャードが今まさにこれから昼食の準備を始めようかというそのときになってドアを叩いた。

「おはようございます、いや、時刻的にはこんにちはと言った方が正しいですかね」

 その鳥は自分のことをサクリファイス・ピジョンブラッドと名乗った。リチャードはそのことによって少なからず混乱している自分を発見した。

 どうして鳥であるサクリファイス・ピジョンブラッドが、犬であるリチャード・ルーザードッグを訪ねなくてはならないのか、いまいち理解できなかった。

「鳥であるサクリファイス・ピジョンブラッドよ。なぜ貴殿が犬であるこのリチャード・ルーザードッグを訪ねる必要がある?」リチャードが言った。

「おおリチャード、私は今まさにそれを説明しようとしていたところですよ」

 犬と鳥は台所の椅子に向かい合って座った。紳士である犬が鳥を招きいれたのである。

「率直に、あるいは単刀直入に言うとですね」鳥がくちばしを開く。「私と体を入れ替えてみる気は無いですか?」

「奇怪なことを申されますな。我は犬、貴殿は鳥。それがこの世の理というもの。それをわざわざ入れ替える必要などありますまい」犬が言った。

 それはあまりにも正論だった。犬は犬、鳥は鳥。そのとおりだった。

「リチャード、私だってそんなことは分かっていますよ」鳥が言う。「ただね、私はうんざりしてしまったんですよ。つまり、私が鳥だというそこらへんの事実に対してね」

 鳥はくちばしを使って自分の羽の流れを綺麗に整える。犬はそれをじっと見詰めていたが、やがて口を開く。

「我は地を駆け、貴殿は空を翔ける。それでは満足できぬか?」

「私は全力疾走というものをやってみたいのですよ、リチャード。風に頼らず、自分の足で地面と摩擦を起こして自らの体を前に押し出したいのです。犬のあなたにはこの気持ちが理解できないでしょう。なぜならあなたは犬であって鳥ではないからです」

 犬と鳥はお互いにしばらく黙った。台所に沈黙がゆっくりと舞い降りた。


 かつては鳥であり、今では犬であるサクリファイス・ピジョンブラッドは走ることが何よりも好きだった。朝、目を覚ましてまず初めにすることは、近くの川原に歩いていって、入念なストレッチ運動をこなした後の十キロ走だった。

 川原のまっすぐな道の真ん中に立ち、これから走り出す方向に目を向ける。芝生を刈り取って白い土がむき出しになった道がずっと川の流れに沿って続いている。川を左手に見ながらサクリファイスは走り出す。そのペースはひどくゆっくりとしている。熟年のマラソン・ランナーが一人、サクリファイスを追い抜いていく。だがサクリファイスはまったく意に介さない。サクリファイスにとって走ると言う行為にスピードなど必要なかった。ただただ走るだけだ。脚を踏み込み、足の裏が地面を捉え、そして体を前に押し出す。サクリファイスにとって重要なのはそのプロセスだけだった。踏み込み、地面を捉え、体を押し出す。

 走りながらサクリファイスは体の内から沸き起こってくる何かを感じる。それと同時に体の外から吹き付ける風を感じる。サクリファイスは自分の足で走っていた。

 前方に先ほどのマラソン・ランナーが見える。そして次の瞬間には遙か後方に置き去りにしている。もう振り返ってもその姿は確認できない。

 サクリファイスはペースを変えずに走っていく。サクリファイスの周囲の時間がうねりを起こして変革していく。いまやサクリファイスは走ることで世界を変えることすらできた。サクリファイスは確信していた。走るということは、つまりそういうことなのだ。世界を変えることすらできる、そういうことなのだ。全ての時間は緩やかに流れ、空間は座標を失っていく。サクリファイスは走ってどこにでも行けた。そしてどこにでも行った。

 そして最終的に行き着くのはいつも自分の家の玄関だった。サクリファイスの帰ってくる場所はここしかない。なによりも、シャワーを浴びて滝のような汗を洗い流さないことにはどうにもならなかった。


 かつては犬であり、今では鳥であるリチャード・ルーザードッグは浮遊する意識の中で思索にふけっていた。その内容は大体において哲学的であり、形而上的であり、抽象的であり、ときには空想の域を出ないこともあった。

 リチャードは自由であった。重力という(かせ)から解き放たれ、時には宇宙から我が身を見詰め、そして世界を見詰めた。ある時は水の上に舞い降り、泳いだり浮かんだりもする。

 いつものように世界を見詰めているとき、リチャードはそれに気付いた。世界が変わっていた。姿かたちは同じままに、内包する意識が根本から変更されていた。リチャードは、これは何かに似ていると思った。しかしそれが何なのかはリチャードにはわからなかった。

 リチャードは実に数億年ぶりに世界に降りてみることにした。シャワーを浴び、丁寧に髭を剃る。クローゼットから目立たない色のスーツを取り出し身に着ける。鏡を見て、それがまったく似合っていないことに気がつき、慌てて脱ぐ。いろいろと試行錯誤を繰り返し、最終的にジーンズと赤色のシャツというラフなものに決定した。

 翼の調子を確かめて、まずゆっくりと浮かび上がってみる。翼は力強くはばたいてリチャードを持ち上げる。一度地面に降りて深呼吸をする。リチャードは軽く柔軟体操をして、今度は一気に飛翔した。そして同時に世界に降り立つことになる。

 リチャードの目的はそれほど多くは無い。お土産を買ったり観光をしたり等のこまごまとした用事を除けば目的は一つだけだった。世界を変えた張本人に会いに行く。この世界のことならほとんど全て分かっている。この世界を変えたのはほぼ間違いなくあいつだろう。リチャードはゆっくりと旋回しながらサクリファイスの姿を探し始めた。


 久しぶりに再会した犬と鳥はまた台所の椅子に向かい合って座った。すでに日は沈みかけて夕闇があたりを覆い始めている。鳥が慣れた手つきでスパゲティを茹で、犬が冷やしておいた白ワインを開けた。犬と鳥は再会に乾杯した。

 犬と鳥はよく食べ、よく飲んだ。最近読んだ本の話をし、政府の無政策ぶりに悪態をつき、贔屓(ひいき)の野球チームのことで盛り上がった。犬と鳥はまだ独身だったので女の話も出た。なかなか楽しい夜だった。話題は尽きることが無かった。犬と鳥はそれぞれに話したいことが山ほどあったから次から次に話した。

 けっして短くは無い時間が流れ、酔いが回ってくると、話の内容はどんどん遠慮の無いものになっていった。近所の住人に対する悪口や、法に触れるようなちょっとヤバイ話も出た。そしてどちらからともなくお互いのことについて話し出した。

 そうしてまたいくらかの時間がたち、太陽がもう少しで一番高くなるころ、台所に沈黙がゆっくりと舞い降りた。


 どちらかが「今日は楽しかったよ」と言って、どちらかが「僕もだ」と言った。そしてどちらかが帰り支度を始めて「そろそろお暇するよ。ずいぶん長い時間お邪魔してしまった」と言い、どちらかが「気にすることは無い。それは僕も同じだ」と言った。

 そして来客を玄関まで見送ってから部屋の片づけをした。それほど散らかっていなかったのですぐに片付いた。窓を開けて光を浴びた。

 窓の外にはいつもと同じ光景が広がっていた。

 彼にはそれがいつもと違うことが分かった。

 姿かたちは同じままに、それらの内に秘められた秘密はそれらにふさわしいように変更されていた。

「世界は変わった。でも変わっていないとも言える。世界は常に一つであり、その事実は変わることが無いから」

 彼は、久しぶりに清々しい気持ちで伸びをして欠伸をした。そして誰に言うともなく呟いた。

「ねえ、僕は変わったかい?」


 世界が変わり始めた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 視点が変われば世界が変わるといいますが、 実際に変わるのが「われ思う故に我在り」で面白いっすよね
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