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第七話


 7


 あれからしばらく部屋の片付けに追われたけど、忍が俺一人じゃ心配だって仕事休むようになったおかげで、二人で過ごす時間はますます増えた。

 幸せだった。

 …こんな時に不謹慎だって判っているけど、忍と過ごす時間は本当に楽しくて、愛しくて。

 恋人が忍で良かったって、心から思った。

 そうして迎えた二十日。

 忍は外に出るのは危険だって渋っていたけれど、俺の間違った終わりを天使が二十日だって指定している以上、どこにいても同じだ。

 どの道を選んでも危険がついて回るなら、この日を大切に過ごしたい。

 そうそう、あれから俺は、一度だけ病院に顔を出した。

 だけどふわふわ女にも外人っぽい顔の子供にも会えなくて、俺の主治医――あの無駄な色気を漂わせた先生にも会えなかった。

 今日は休みだと看護士に言われたけど、…それって本当のことだろうか。

 実はあの医者も天使なんじゃないかと疑っている。

 特に変な力を見せられたわけでも、話をされたわけでもないけれど、俺の命日を二十日だと言い切った理由を考えたら、それが一番納得いく気がするんだ。

 ふわふわの女と、外人っぽい顔立ちの子供と、俺の主治医。

 あの三人が俺を迎えにきた天使。

 前もって確認出来なかったのは悔しいけれど、でもふわふわ女に言われたことを思い出す。

 次に会うのは、二十日だって。

 それが本当なら、今日、会える。

 それが、俺を迎えに来る時か、どうかは、俺次第なんだ。





 ***





「裕二?」

 呼ばれてハッと我に帰ると、いつもよりほんの少しだけ上等な服でめかしこんだ忍が怪訝な顔つきで睨んでくる。

「おまえ…、やっぱり家から出ない方がいいんじゃないのか? おまえが不安だっつーなら俺だってそっちの方が…」

「違う違う」

 絶対に弱気な顔は見せないけど、でも不安が無いはずのない忍は、もう何度目かになる言葉を繰り返す。

 家から出ない方がいい。

 なるべく危険から遠ざかろう、それは俺を心配してこその思い。

 でも俺は決めたんだ、絶対に諦めないって。

「ちょっと考え事していただけだよ。心配するなって」

「…」

「な」

「………ったく、おまえヘンなところで頑固だよな」

「愛故よ」

「アホか」

 冷たい物言いに、少しだけ忍らしさが戻ったようで、俺はつい笑ってしまう。

 うん、その方がいい。

 忍にはいつだって強気でいて欲しい。

「…ところでさ、おまえ本当にあの店の予約取ったのか?」

「? ああ」

「本当に?」

「もちろん。じゃなきゃ、こんな準備しないだろ」

 俺は二人の正装…とまではいかないけど、ちゃんとネクタイまで締めた格好を指差して頷く。

 今夜は二人で外食。

 店は半年以上前からじゃなきゃ予約の取れない人気レストランで、和洋折衷のオリジナルフルコースで客をもてなしてくれるところだ。

 去年の秋だったかな、…忍が雑誌見ながら「行ってみたいな」って言うのを聞いて、即電話して、今年の誕生日に予約を入れた。

 そう、つまり去年から今年の誕生日の予定は勝手に決めていたってこと。

 最もこの予約を俺自身が最近まで忘れていた。

 一週間くらい前に店から予約確認の電話もらって思い出したんだけど、…まぁそこのところは忍には内緒で。

「…よく覚えてたって言うか、よく取れたっていうか…、そんな話したこと自体、俺は忘れてたぞ」

「ははは。だと思った」

 自分のことは棚上げで笑ってやる。

 昨夜は「男二人でフルコースなんて…」って文句言われたからお返しだ。

「ほら、そろそろ出ようぜ。八時までに入らなきゃなんだからさ」

 遅い時間なのも人気店ゆえ。

 勘弁してもらって、忍を急かして部屋を出る。

 鍵もしめる。

 …ま、合鍵作られているみたいだから意味はないけどな。





 十二月二十日。

 恋人達の特別な日――クリスマスまであとわずかってこともあって、誕生日祝いにと入れた予約には嬉しい特典もついてきた。

 サンタクロースとトナカイの砂糖菓子の代わりにHappy Birthdayの文字が書かれたチョコレートと、大小十本で二十八歳を祝うためのろうそくが飾られた可愛いケーキと、店で働いている女の子のヴァイオリンの生演奏。

 忍、かなり照れて顔が強張っていたけど、周りのお客さん皆に「おめでとう」って言われて嬉しかったんだろう。

「照れるなよ」ってからかったら、テーブルの下で向こう脛を思いっ切り蹴飛ばされた。

 あんまり痛くて、マジで泣きそうになったぞ。

 予約しなきゃ入れないっていう店内は当然のごとく満席だったけれど、席そのものの数が少なかった。

“お客さん一人一人に心を込めたおもてなし”っていうのがモットーで、でも一度に大勢のお客さん相手にそれを貫くことは出来ないからだって、帰りがけにちょっと話せた店員が教えてくれた。

 そんなふうに自分の信念貫きながら営んでいる店だから、味だけじゃなく雰囲気も最高のレストランになるんだなって思った。

「いいよなぁ、ああいう店。また食べに行きたいな」

 店からの帰り道、忍が弾んだ口調で言う。

 外は、吐息が真っ白になるくらい寒かったけど、でも俺達の心は暖かい。

「また行けるさ、予約が取れれば」

「今からなら、いつ頃の予約が取れるかな!」

「んー…来年のおまえの誕生日には取れるかも…」

「じゃあ取ろうぜ! 俺の誕生日は毎年あの店! 決まり!」

「はいはい」

 忍はいい感じに酔っ払っている。

 俺と二人でワイン1本、量としては大したことないし、二人とも酒に弱いわけじゃないけど、最高の店で食事出来たって喜びが、気分を高揚させていた。

 いまの忍は、きっとストーカーのことも忘れている。

「…」

 良かった。

 今日という日に、忍の笑顔が見られたこと。



 例年より一週間ほど遅れて根雪になった雪は、すっかり辺り一面を真っ白に彩っていた。

 俺達が食事している間にも降っていたのか、帰り道は、誰にも荒らされていない新雪に二人で足跡をつけながら歩いた。

 空は薄紫色に輝く厚い雲に覆われていて、これからまた雪が降ってくるんだろうと予想出来る。

 今夜も冷えそうだ。

 焼酎でも買って帰って、部屋でもう一杯やるかって言ったら、

「おまえに任せる」って忍が言う。

 どうしようか、…酒よりおまえに酔いたいとか言ったら殴られるかな、やっぱり。

 …と言うより、今夜これから、確実に一騒動起きるんだから、焼酎とか買っている場合じゃない。

「部屋にビールあるし、それでいっか」

「あぁ」

 忍の返事を聞いて、俺達はコンビニを通り過ぎた。

 レストランの場所が街の端で、往復に一時間以上掛かったこともあって時刻は二十三時を過ぎている。

 部屋まであと少し。

 ストーカー野郎が何か仕掛けてくるなら今だと、周囲に気を配りながら歩いていたけれど、誰かに尾けられているような感じはしない。

「……」

 このまま何もなく部屋に戻れるのか?

 いや、部屋も安全とは言い切れないけれど…。

 何事もなくマンションに着いて、忍は鼻歌を歌いながらエレベーターを待っている。

 俺は首を傾げてストーカーのことを考えていた。

 ヤツは帰り道に何も仕掛けてこなかった。

 ということは危ないのは部屋の中だ。

 ここで俺達が部屋に戻れば、もう外に出てこないのは奴にだって解っているだろう。

 奴は部屋の鍵を持っている。

 部屋の中で待ち伏せをしている可能性は高い。

「なぁ忍…」

「ん?」

 エレベーターが来た。

 だけど部屋には戻らず、どこか外のホテルに泊まった方がいいかもしれないと、言おうとした直後。

「?」

 背後から足音。

 何だって振り返ろうとしたら、いきなり殴られた。

「!」

「!? 裕二!」

「…っ……」

 やばい…目の前クラクラする。

 どこ殴られたかも解んないような…あぁ、痛いってマジで…!

 痛い痛いっ!

 引き摺られている!

 手ぇ縛られた!?

「…っ…やぁ…しのぶ…随分と楽しそうだね……」

「くぅっ…」

「おまえ…っ」

「ひどいなぁ…ひどいよ、しのぶ……僕はこんなに君のことを想っているのに…君だって毎日僕に会いに来てくれていたのに……何が不満で…今日っていう大事な日に、こんな奴と一緒にいるのかな……!」

「…っ…なにワケの解んないこと…っ!」

「…っ…し、忍、おまえ…っ…こいつ、知って……?」

「知らねぇっ! 見たことない、そんな奴!」

 聞いた俺に、忍が叫ぶように答えた。

 忍は、本当にこいつのこと知らない。

 今のはそういう言い方だった。

 じゃあこいつは――このストーカーは、どこで忍を知ったんだ?

 忍が毎日会いに行っていたって。

 それって、どこに。

 それとも全部が奴の妄想か。

「裕二を放せ!」

 忍が怒鳴ってる。

 俺も自力でこいつ突き放そうとするけれど、…どうしてだ。

 力が入らない。

 腹の辺りが、ひどく痛む。

 視界も揺らいで、立っているのも辛い。

 身体が自由に動かない。

「…っ…」

 けれど、忍を守りたい。

「っ…あんた…っ…忍に写真や…っ…忍の部屋に入り込んでいたのって…アンタなのか…っ」

「なに?」

「し…忍の…スト…カは…アンタか…っ?」

「ストーカー? なに言っているのさ。僕はしのぶの運命の相手なんだよ。僕は、おまえからしのぶを守っていただけだ。おまえがしのぶに変な事しないか見ていたんだよ! ストーカーはおまえじゃないか!」

 は? …って余裕あったら聞き返しているぞ今の台詞は!

「僕はね、ちゃんと見守っているよって教えてあげていたんだ! しのぶは恥ずかしがりやで傍にいさせてくれないからっ、だけど僕はちゃんと傍にいるよって! ちゃんと見ているよって教えてあげていただけだ!」

「…ッカ野郎…! ふざけんな…っ…それで忍が…あいつが…っ…どんなに…怖がっ…か…!」

「しのぶは僕のものなんだよ!」

「裕二!」

「きゃああああああっ!」

「!?」

 忍の声を遥かに凌ぐ激しさで女の悲鳴が上がった。

 俺も、ストーカー野郎も驚いた。

 だけど誰が叫んでもおかしくない、だってここはマンションの玄関ホール。

 エレベーターの真ん前なんだ。

 住人が通るのは当たり前だし、マンションの前を通る外部の人間にだって、きっと俺達の姿は丸見えだ。

「誰か! 誰か来て! 強盗よ!」

「っ」

「…っ…」

 強盗じゃないけど、今はとにかく誰かを呼んで欲しかった。

 それで、この男が逃げて行ってくれたら万々歳だ。

 だけど。

「…っ…しのぶ、エレベーターに乗って」

「なに言って…っ」

「乗って!」

「っ、おまえ…っ!」

「早く乗れよ! こいつ殺すよ!」

「………っ!」

 口調が変わった。

 それと前後して、俺の首になんか触った。

 忍の顔が真っ青になる。

 ……あぁ、もしかして首に当たっているのって、ナイフか?

「乗れ!」

 もう一度、ストーカーは叫んで、忍は弾かれるように空のエレベータに乗り込む。

 俺はストーカーに引きずられるようにして同じく乗せられ、最上階へと連れて行かれた。

 エレベータの中でも男は俺を捕まえたまま、ナイフを首に当てて忍に近寄らせなかった。

 最上階で戸が開くと、先に忍を下ろさせて、屋上に行くよう命令した。

「しのぶは優しいね…自分に付き纏うイヤな奴でも死なせちゃ可哀相だモンね…僕の言うこと、なんでも聞いてくれるよね…」

 耳元で、そんな気色の悪いことをぶつぶつ言わないで欲しい。

 こいつの言うこと、何もかもが理解出来ない。

 忍のことが好きなんだろうけど、守りたいのか、傷つけたいのか。

 自分は忍の恋人だと思い込んでいるのか、違うのか。

 …狂っているのか、正気なのかすら、俺には判らなかった。

 判ったのは、この具合の悪さは頭を殴られたせいらしいってことだ。

 時間が経てば経つほど、後頭部から聞こえる脈動は大きくなって、吐き気や眩暈や、そんな気持ちの悪い症状が全身に広がっていく。

「しのぶ。フェンスの向こうに立って」

「っ…!?」

 フェンスの向こう?

 ちょっと待て、ここは屋上だぞ!?

 フェンスの向こうってことは、その先には何もないんだぞ!?

「待っ…忍……!」

「黙れ」

「!」

「裕二!」

 腹、蹴られた。

 そのまま屋上の地面に転がされて、また腹を蹴り上げられて。

 声が出ない。

 忍の悲鳴みたいな声が、ひどく響く。

「さぁしのぶ、フェンス越えて、そっちに立って。言うこと聞いてくれなきゃ、こいつ、殺しちゃうよ」

「…てめぇ…っ」

「だ…っ…しのぶ…だめだ…」

「黙れって」

「!」

「裕二!」

 また蹴られて、忍が叫んで。

 男は、楽しそうに笑った。

「ほら、しのぶ。こいつ助けたかったら俺の言うこと聞いてよ。ね?」

「…っ」

「…ざけんな…っ…だめだ忍…っ…俺は平気だから…!」

「黙れ言ってンの判んないの?」

「がっ」

 …やばい、なんか出てきた。

 血、吐いたかも。

 目、開かないし…。

「もう一発、蹴り入れたら、こいつ死ぬかもよ?」

「…っ……」

「どうする、しのぶ?」

「………!」

 唐突に、金網が乱暴に揺すられる音がした。

「いい子じゃん…そうだよ、僕の言うとおりにして…君は僕のものなんだから…」

「………っ」

 忍がフェンス越えたんだって、目が見えなくたって判った。

 なんで。

「…んで…っ!」

 こんなのおかしい。

 だって、今日、十二月二十日、間違った死に方するのは俺のはずだ。

 俺が諦めたら天使が迎えに来るって、そういう日のはずで。

 死ぬのは、忍じゃないだろ……!?

「…っ…言われた通りフェンス越えてやったぞ!? 次にどうしろって!? こっから飛び降りろってか!?」

 止めてくれ。

 そんなこと言わないでくれ。

 叫びたくても、声が出ない。

 体、動かない。

 代わりに男が笑った。

「僕を愛してるって言って」

「――なに…?」

「僕を愛しているって。こんな奴より僕が好きだって。そう言いながら飛び降りるんだ」

「…っ…!?」

「だってここにいたら、いつまでもコイツが邪魔をする。君は僕だけのものになれないじゃないか。……だから、君が先に飛んで待っていてよ。僕もすぐに後を追うよ。君を一人になんかしない。僕がずっと一緒だ」

「っ…ふざけたこと…!」

「じゃあどっちにする? 僕と一緒に二人だけの世界に飛び立つか、…こいつ一人をここから消しちゃうか」

「!」

「殺して、消して、そしたらここでも君は僕だけのものになるよね? ――今日、君の誕生日なんだもん。今日から生まれ変わるんだよ。僕の傍で…僕だけのものになって、僕に愛されて、世界で一番幸せになるんだ。嬉しいだろ? これが僕からのプレゼントだ」

「なん…っ…!」

「君は僕だけを見ていればいいんだ。僕だけのものだ」

 男が繰り返す。

 呪文みたいに、まるで忍に催眠術をかけるみたいに。

「どっちがいい? 僕に愛を誓って飛び降りるのと、こいつを殺してここで僕と幸せになるの……しのぶの好きな方を選ばせてあげるよ。君の望み通りにしてあげる、それくらい僕は君を愛しているんだから」

「おまえ狂ってる…!」

「そうだよ、君に狂ってるんだ、君のことだけ想ってる…、ね? 君を幸せに出来るのは僕だけなんだよ……」

「…っ……!」

 だから選べとストーカーが忍に迫る。

 …俺は、それを邪魔することも出来ずに、動けない身体で、頭の中で叫んでいるしかなかった。

 こんな奴の言いなりになるな。

 逃げろ。

 忍、死ぬな、って。

「…ふっ…」

 何度も何度も頭の中で。

 心の中で叫んで、訴えて。

 …だけど、聞こえてきたのは忍の笑い声だった。

「……っ…くっ…くく…はっ、あははははは」

「……!?」

「…っ…」

 大声で、忍が笑う。

 そんなの、俺だって聞いたことがなかった。

「はははは! はっ、バカみてぇ…!」

「なに…?」

「くだらねぇ。ほんっとくだらないよ、おまえ」

「っ…」

 忍の台詞にストーカー野郎は言葉詰まらせたみたいに、一瞬、呼吸も止まったんじゃないかと思う。

 それくらい忍の言い方は冷たかった。

「裕二! 何も言わなくていいけど、耳は聞こえてるよな?」

「……っ…」

「そこで聞けよ、……聞いておけよ、俺の最初で最後の本音」

 最初で。

 最後の…?

 さいごって、何だよ…っ?

「俺、おまえに最初に会った時、おまえのことバカだと思ったんだ。人のことじろじろ見てくるから気色悪かったしさ。…変態だと思ったから、少し痛めつけて警察突き出してやろうと思ったのに、…おまえ、俺に何て言ったか覚えてるか? 俺を正義の味方みたいだったって言ったんだぜ?」

「…っ」

 あぁ、言った。

 肩外されて、痛くて。

 でもあの日の駅での光景が忘れられなくて。

 思ったことそのまま口にしたんだ。

 痴漢投げ飛ばして女子高生助けたおまえ、正義の味方みたいだった、って。

「ヘンな奴、アホなこと言う奴だな、って…バカにしてた。けど何回か一緒に飲みに行ったりしている内にさ…おまえの傍、居心地が良くなってたんだ……言うこといちいち素直っつーか…なんか、妙に楽しくて……楽で、そういうの…、気付いた。……おまえに愛されたら幸せだろうな…って、……欲しいな、って……そう思うようになったんだ」

「なに…しのぶ…」

「テメェは黙ってろ!」

「…っ」

 口挟もうとしたストーカー野郎を怒鳴りつけて。

 黙らせて。

 また、少し笑った。

「あの日さ……酒に任せておまえ誘って……おまえが引っ掛かってきた時には…正直、嬉しかったんだ。これでおまえは俺のものだ、って。……けど、だからか? 俺が自分のことしか考えずにおまえ巻き込んだから…だから罰当たったのか……? おまえ…っ…おまえもうすぐ死んじまうんだよな……っ!」

「……!」

 …っ…あぁ、何で俺の体、動かないんだよ。

 何で何も言えないんだよ…っ!

「おまえが死ぬの、…見送る覚悟決めなきゃって思っていたけど……逃げてもいいか……? これもチャンスだと思って……先にあの世行って待っていてもいいか…?」

「ぃ…し…しの…」

「だって俺、おまえ以外の奴に“愛してる”なんて言えないからさ……!」

「……!」

 ふざけるな。

 冗談じゃないっ、そんなの絶対に許さない。

「俺がこっから飛び降りたら、…裕二を殺す必要はなくなるよな」

「…っ」

「おまえも一緒に飛ぶんだろ? 地獄までなら付き合ってやってもいいぜ」

「……僕と一緒に…?」

「…っ」

 駄目だ。

 ダメだ、駄目だ、だめだ!

「しの…ぅ…っ…!」

 ストーカーの奴、俺から離れた。

 忍に誘われたみたいに、金網揺らして、奴もフェンスの向こうか!

「しのぶ…っ…ダメだ……!」

 もういい。

 これで声出せなくなっても動けなくなっても、もうどうでもいい。

 先のことなんかどうなってもいいから、体、動け!

「忍……! ふざけんな…ぁっ…俺はまだ、ここにいるんだぞ……!?」

「っ」

「おぁえが…っ…おまえがっ…生きろっ……言うなら…っ…天使でも…死神っ…でも…ぶん殴って…っ……ぃ…生きてやる…っぅ…!」

「裕二…」

「…っでも…死ぬしかなかったら…っ…おまえが…っ…おれ死ぬ…ぉ…ヤな…ら…、俺が! …っ…俺が…俺が! 自分より先にっ、おまえ殺してやる……!」

「…!」

「どうせ死ぬなら…っ……ら…っ…俺の腕ン中で死ね………!」

「………っ!」

 金網が揺れる。

「裕二…っ」

 忍の声がする。

「何を今更。しのぶは僕と一緒に飛ぶんだ。二人だけの世界まで――」

 ストーカー野郎の声は、不気味なくらいに幸せそうで。

「忍……! 一人になんかしない…っ…絶対! 俺が一緒にいるから…!」

「裕二…!」

「俺が傍にいるから……!」

「っ…放せ! 俺は…!」

「しのぶ、――もう遅いんだよ」

「―――!」

 腕を引いて。

 フェンスの向こう。

 俺には走れる足も、伸ばせる手もなくて。

 見える目も、ない。

「忍……!」

 ガシャン! って一際激しく金網が揺れた。

 忍と、ストーカー野郎の悲鳴が聞こえた。

「――」

 落ちた!? そう思った瞬間、遠くから大勢の人間の悲鳴や、叫びが聞こえてきた。

 誰か落ちた、そう聞こえた。

「忍……っ」

 遠くの喧騒以外は聞こえない。

 忍の声も、聞こえない。

「忍…っ…忍……!」

 動かない、見えない。

 誰か、この体どうにかしてくれ……!


「――木下さん」


 いきなり呼ばれた。

 聞き覚えのある、声にまで色気漂う男の声。

「…っ…先生……?」

「はい。…少し静かにしていてください。今、動けるようにしてあげます」

「…!?」

 先生はそう言って、俺の両目を手で塞いだ。

 それから数秒、次に開いた目は、正面の先生をしっかりと映し、両肩を強く押されたかと思うと、あれほど重かった身体に自由が戻る。

「…っ…!? これ…」

「ご苦労様でした。忍さんは助かりましたよ」

「! そうだ忍…っ!」

 ハッとしてフェンスを向いたら、それよりこっち側に立っている子供…病院で二度、見かけた外人っぽい顔立ちの子供が、忍を抱えて立っていた。

 いや、正確にはその腕の上で浮かせて、だ。

「忍…っ……忍…!」

 走り寄って、忍の体を抱き寄せる。

 気絶していた。

 あっちこっち擦り切れて、顔にも傷が出来ていたけれど、…生きている。

 忍は生きている…!

「犯人を突き落としてしまい、殺したと誤解したショックで気絶してしまったのでしょう…。しばらくすれば目を覚まします」

「っ、突き…って、あいつ落ちたんですか!」

「落ちましたけど無事ですよ。骨の何本かは折れていますが死にはしません。このすぐ下に雪捨て場があるでしょう? そこに先ほど降り積もった雪がクッションになったおかげと…、それに多少の運もありましたね」

「は……」

 いまいち理解に苦しんでいる俺に、先生はもう一度言った。

「ご苦労様でした。木下さんのおかげで、僕達は間違った終わりを迎えようとしていた人間を二人、連れて行かずに済みました。ありがとうございます」

「二人……? ってか、なんで俺じゃなくて忍が死にそうに…っ…あとあのストーカー! なんであいつまで…っ! あんた達、俺を迎えに来た天使じゃなかったのか!?」

「ほんっと素直過ぎるんだから。好きだわ〜貴方みたいな人間」

「! ぁ…おまえ…!」

 ようやく現れた三人目。

 ふわふわの女!

 目の前に三人が揃ったのを見たら、途端に俺の中で何かが切れた。

 やっぱり先生も天使だった、とか。

 俺の予測は当たっていたとか、そんなことはもうどうでもいい!

「なんだよこれ! どういうことだよ! 二人って!? 俺の命日、今日選ぶってそう言ったろ先生! なんで俺じゃなくて忍が死にそうになるんだよ! 何なんだよ!」

 叫ぶ俺に、先生は苦笑い。

 ふわふわ女は笑顔。

 外人っぽい顔の少年は無表情で溜息吐いた。

「話は簡単。私達が迎える予定だったのは貴方じゃなくて、さっきのストーカー、山越満と、葛西忍の二人だったのよ」

「――」

「そして、天使にはもう一つ、貴方には話していない役目があるの」

「…もう一つ…の…、役目…?」

「そ。そしてそれが私達の本当の償い。誤った終わりを迎えようとしている人間を“死”から回避させること」

「カイヒ…?」

 よく判らない。

 カイヒ…って、回避?

 つまり、死なせないようにってことか?

「だからって、私達が力を使ってはいけないの。人間が、人間の力で回避しなければ運命は変えられない。諦めないという人間の心が“死”という運命を変えるんだから」

「心…」

「忍さんの“死”の運命を変えたのは、貴方の諦めない心ですよ、木下さん」

「――」

「で、ストーカーの運命を変えたのは忍さんの心。忍さんが自分の“死”を拒んだことで、一緒に死ぬ予定だった山越さんも死ねなくなったのよ」

「あっ…ぁ…えっと、あの…山越って…、忍のストーカーって、結局、どこの誰だったんだ…?」

「駅員です」

「駅員?」

「そう。貴方と同じ、あの痴漢騒動のあった駅で忍さんに惚れたのよ」

「…」

 そういう繋がりだったのかと、途端に力が抜ける気がした。

 毎日会いに来たってそういうことか。

 駅なら忍が誰と歩いているのか見ることもあるし。

 しかも、忍の記憶には残らない。

 ほんっと迷惑な話だ。

 そうやって脱力した俺に、天使達は変わらず穏やかに語る。

「いろんな未来を想定してみたけど、どの未来でも忍さんは貴方の知らない内に山越に拉致されて、貴方の安全と引き換えにだったり、貴方以外の人なんか愛せないと拒んだせいだったりで無理心中、……その未来を変えるためには貴方の協力が必要だった。だから、いろいろ手を回させてもらったわ」

 それが、俺にストーカーの存在を教えることだったり。

 天使が迎えに来る死とかいう宗教勧誘まがいのことだったり。

 十二月二十日が俺の命日だって思い込ませることだったりってわけだ。

「………っ」

 なんかすげぇ頭痛くなってきた。

 痛いっつーか、ムカついてきた。

「つまり…俺はあんた達にうまいこと利用されて、思惑通りに動かされたってことか……?」

 たぶん、そう言う俺の目は据わっていて、顔つきもかなり悪くなっていたと思う。

 だけど天使達は楽しげだった。

「残念。そろそろ救急車や警察が来る頃だし、タイムリミットだわ。帰らなきゃ」

「ぁ、おまえ…っ」

「一つだけ、覚えていてください」

「なにっ」

「私達天使が協力を求められる人間は、とても数少ないんです」

「――」

「………ありがとう」

「――」

 無表情の少年が言った。

 ありがとう、って。

 ……俺に?

 そんな俺の動揺が伝わったのか、ふわふわ女が笑う。

「言ったでしょ、これは天使の“償い”だって」

「――」

 償い――あぁ、そうか。

 天使になる奴がどんな人間だったか思い出す。

 そうだ、この三人も、そうなんだ。

「あ、そうそう。警察には全部喋っちゃいなさいよ。ストーカーが落ちたのは、エレベーター前で叫んだ女の人とかの証言で忍さんの正当防衛認められるから」

「ぇ、ぁ…」

「お幸せに」

「ちょっ…」

 手を伸ばしても、届かない。

 いつの間にか降り始めていた雪の下。

 羽根も見せず、闇に溶けるように消えた天使達。

 次第にサイレンの音が近付いてくる。

「……ったく……名前くらい教えていけよなぁ……」

 思わず呟いたら、鐘が聞こえた。



 十二時。

 日付は二十一日になっていた。






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