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第六話


 6


 それから俺は先生に頼んで十二月二十日まで一時退院の許可を貰った。

 その日が俺の命日だって知っている俺と、先生にとっては、ある意味“覚悟の退院”だったけれど、家族への説明上“一時退院”って形を取った。

 よっぽど症状が悪化したりなどした場合は別だが、そういったことがなければ最後の時間は家族と共にってことだ。

 最も、俺としては忍をストーカーから守ることが第一だから、自分が今まで住んでいたマンションの片付けを理由に、そっちで寝起きしている。

 忍と、二人で。

 あの日、病院の中庭でストーカーは俺と忍の仲が続いてることに気付いている。

 それに俺と重なった奴の視線にはただならぬものがあったんだ。

 そう多く悪人を見てきたわけじゃないけど、二十八年、それなりにたくさんの人間と関ってきた。

 あいつが危ない奴だってことくらいは見抜けたし、だからしばらく忍と一緒に暮らすことを考えたんだけど、これに忍を同意させるのが大変だった。

 もともと同じビルで働いていたんだから通勤手段云々は断わる理由にならないし、俺の自覚あるズルイ言い回しに最終的には折れてくれたんだけど、初めの内の拒み方は尋常じゃなかったんだ。

 けどその理由は一緒に暮らし始めてよく解った。

 例えば携帯電話、忍はいつの間にか解約していて、俺の携帯でも部屋の電話でも、ベルが鳴ると異様に怯えている。

 本人は気付かれないようにしているつもりみたいだけど、あの反応は見逃せない。

他にも、たまに駅で待ち合わせて買い物してから帰ると、俺の手は荷物でいっぱいだから忍に鍵を開けて貰うことになるだろ? そういう時の強張った姿は可哀相なくらいだ。

 たぶん忍の部屋では、電話が鳴るたび。

 鍵を開けるたび、あのストーカーの存在を思い知らされていたんだろう。

 だけど忍は強いから。

 男らしくて、…プライド高くて、甘え下手。

 俺の前じゃいつだって――今も、気丈に振舞って。

 笑顔絶やさないようにしている。

 だから俺も、そういう時は気付かないフリで笑ってやるんだ。

 気付くことも多いけど、それでも隠そうとしている忍の気持ちを考えたら、知らないフリをしているのが一番だと思う。

 知らないフリで抱き締めて、恥ずかしい台詞言ってやって、怒らせる。

 あいつの、あいつらしさを守ってやりたいから。



 それに、実際に部屋の掃除もしているんだ。

 もうすぐこの部屋に帰ることがなくなるのは事実。

 死ぬ前に、自分の部屋を自分で片付けられるっていうのは、とても有り難い。

 いろいろ親に見られたくないものも出てくるし。

 そういう意味じゃ、自分の死因が交通事故とかじゃなくて良かったと思うんだ。

 一日、一日、部屋にダンボールが増えていく。

 取っておいても仕方ないからほとんどがゴミになるけど、やっぱりどうしても捨てられないものがあって、そういうものの処分は親に任せることにした。

 …本当にいろいろと出てくる。

 笑えるもの、恥ずかしくなるもの。

 そういうの順番に片付けていたら、後ろから忍の手が伸びてきた。

「おまえ、こんなのまで取ってあるのか」

「取ってあったんだな…」

 忍が掴んだのは二枚重なっている映画の半券だ。

 …ベタ過ぎて笑えるだろ。

「けど…、こういうのを見ると、おまえと映画見れて、すげぇ嬉しかったんだよなぁって、その時のこと思い出す」

「――」

「嬉しくて捨てられなかったんだ。持っていてどうなるもんでもないのに」

「…そ」

「ん?」

 忍の反応が妙に低くて、その顔を見ようとしたら、いきなり背中に背中がくっついてくる。

「どうした?」

 これじゃ顔が見えないと思ったけど。

「そんなに俺と映画行ったのが嬉しかったのか」って、普段通りの口調だから思い過ごしかもしれない。

 俺は「そりゃな」と笑い返した。

「俺達の関係、始まりがアレだったろ。おまえ襲って、どう責任取ればいいのか悩んで悩んで…挙句、おまえに嵌められたって知って安心するやら…何か、気持ち沈むやらでさ。……この映画、そういうの全部過ぎて落ち着いた頃に見ただろ? だから…初めて普通の恋人同士みたいに出掛けられたのが嬉しくてさぁ…」

 …あぁ、ちょっと不味いかな。

 背中の向こうが、震えている。

「……あれから三年…、あっと言う間だったな」

 俺は背中向けたまま、忍の腕に自分のを絡めた。

「……なんだよ」

「んー? 何となく」

「意味無いなら離せ」

「意味はあるよ」

「…なに」

「忍の傍にいたい」

「…っ……」

「離したくないんだ」

「バカ……っ」

「うん…」

 でもさ、こうしていなかったら、おまえ離れて行っちゃうだろ、俺に泣き顔なんて見せたくないだろうから。

 絶対、弱さなんか見せなかったもんな。

 ここで二人の昔話でもしてやりたいところだけど、嫌がらせだって殴られるのは痛いから黙ってる。

「…」

 背中越しの忍の体温が心地良い。

「忍」

「ンだよ」

「好きだ」

「っ」

「愛してる」

「…っ…くそったれ…!」

「ははは、ほんと口悪いな、おまえ」

 だけどそれが忍らしい。



 好きだよ。

 大好きだよ。

 何度も、何度も、この口が動く限り伝え続けたい。

 もう幾日分も残っていない俺の命。

 俺の心、全部でおまえを愛したい。



 もっと一緒にいたい。

 傍にいたい。

 そう願っても、時間というのは誰に対しても平等だ。

 忍が仕事に出ている間、俺は部屋の片付けと、忍のマンション前での張り込みを続けながら、病院で見た犯人のあの顔を捜したけれど見つけられなかった。

 あいつはどこで忍を知ったのか。

 どこから忍を盗み見て、いつ忍に近付いてきているのか。

 生活の時間帯が俺とは合わないのか、まったくその所在が掴めないんだ。

 なのに時間だけは過ぎていく。

 容赦なく。

 追い立てるように。

 俺の命の刻限も近付いてくる。



「もうすぐ二十日だな」

 俺が言うと、忍は少し驚いた顔をした後で、

「ぁ…ああ、そっか…」と力なく答えた。

「忘れていたのか?」

「いや…っつーか、それどころじゃ…」

 自分の誕生日どころじゃないって言い掛けた台詞を、そこで飲み込んでくれた。

 そうだよ、その日を否定しないでくれ。

「次の日には病院に戻らなきゃいけないんだ。おまえの誕生日は思いっ切り派手に楽しもうな」

「…あぁ」

 その答え方はあんまり乗り気じゃないみたいだけど、でも、大切な日にしたい。

 それが最後なんだから。

「そういえばさ…」

 忍が違う話題を振ってきて、そこで二十日の話は中断された。

 俺達は他愛ない話をしながら、駅から自分の部屋まで帰って来た。

 今日は大きな荷物もないから俺が鍵を開ける。

「――あれ?」

「…どうした」

「鍵、開いてる」

「!」

 おかしいと思う一方で、出る時に鍵を閉めなかったのかなと首が傾ぐ。

 だけど忍は顔を真っ青にして俺を突き放すと、一人で部屋に飛び込んだ。

「ぇ…忍?」

「入って来んな!」

「――」

 一人だけ入って閉じられた戸を開けようとしたら、途端に忍に怒鳴られた。

 最初は、何が起きたのか解らなかった。

 でも、忍に鍵を開けて貰った時の怯え方を思い出す。

 部屋に何かあるかもしれないって、怖がっていたんだ。

 たぶん、忍の部屋にはそれがあったから。

「……忍」

「入るなっつってんだろ!」

「でもここ、俺の部屋だから」

「三十分後に帰って来い!」

「……なんの説明も無しにそんなこと言われて、素直に退けるかよ…」

「入ってくるな!」

「忍」

「ダメだ!」

「忍!」

 声を荒げて、強引に戸を開けた。

 同時に視界に飛び込んできたのは、真っ青な顔で俺を追い出そうとする忍と、…必死に稼動しているFAXと、明け渡しのために片付けたはずの荷物がフロア一面に散乱している光景だった。

「……やられたか」

「!」

 呟いたら、忍が大きく見開いた目で俺を見上げてくる。

 …もう誤魔化せない。

 俺の部屋までこんなになったんだ。

もう、いいよな。

「忍、自分の部屋もこんなことされてた?」

「…っ…」

「…俺が甘かった…まさかうちの合鍵まで勝手に作ってるとは……」

「裕二、おまえ…っ」

 俺は部屋の中央まで進んで、中を見渡す。

 積んでおいた箱、とりあえず全部ひっくり返されていた。

 つい笑ってしまったのは布団がメッタ刺しにされてぼろぼろになっていることだ。

これは解りやすい。

 ガーガーうるさいFAXからは見た目からして不細工な文字が延々と押し出されて来ていた。

 FAXはロールタイプの感熱紙っていう旧式だから、…たぶん紙がなくなるまで続くんだろうな。

 忍を返せとか、俺を殺すとか、そういう脅迫文が極太のマジックで乱れ書きされていて送信先の番号はちゃんと消してある。

「……」

 まさか小型カメラや盗聴器まで仕込んでないよな?

 …いや、可能性はあるか。

 そういうこと、奴は忍の部屋にもしていたわけだ。

「…っ」

 腸が煮えくり返るって、こういうこと言うんだって、俺は今、身をもって知った気がする。

 あの野郎、忍にこんな真似を繰り返していたんだ。

「…っ…ごめんな忍……全然、気付いてやれなくて……っ」

「裕二…何で…っ…いつから知ってたんだよ……!」

「…」

「知っててしばらく一緒に暮らそうなんて言ったのか!? 知っていて…っ…コレ知ってて俺をここに……! 知ってて……っ!」

 あぁ、忍が混乱してる。

 …仕方ないか。

 でも。

 それでも。

「……おまえ一人にしたくなかった」

「っ」

「俺が傍にいたかった。……俺が、おまえ守りたかった」

「守るとか言うな…っ!」

 怒鳴って、部屋を飛び出そうとするから俺は慌てた。

 急いで忍の腕を掴んで引き寄せた。

「離せ!」

「離すかっ、ここにいろよ!」

「おまえ解ってない! 俺はいいんだっ、憎まれてるのはおまえなんだぞ!?」

「…っ」

「解れよ! コイツはおまえを憎んでんだよ、殺してやるって…っ、狂ってんだぞ!? ほんとにおまえのこと殺しに来るかもしれないのに……!」

「しのぶ…」

「俺のせいでおまえ死ぬなんて絶対にイヤなんだよ!」

「――」

 ―――なんかいま、すげぇ鈍器で頭ぶん殴られた気分。

「今すぐ俺のこと捨てろ! やっぱダメなんだ…おまえとヨリ戻すなんてバカだった、あん時、別れたのが正解だったのに……!」

「……っ!」

 バカだ、ほんとバカだ。

 忍が混乱してなきゃ気付かなかった。

 こんな風に本音ぶつけてきてくれなきゃ、俺は二十日、忍を守って死ぬつもりだった。

 忍のために、死のうとしていた。

 それを選ぶ気でいた。

 だけど。

「頼むよ…! こいつ狂ってんだ、オカシイんだ! このままじゃ、おまえ本当に殺される……!」

 だけど、忍はこんなに嫌がっている。

 俺が自分のせいで死ぬこと、――怖がっている。

「…っ…」

 なんで最初にそれに気付かなかったんだろう。

 自分が膵臓癌だって解る前、忍が俺の部屋に泊まらなくなったのは何でだった?

 忍の部屋に行かせてくれなくなったのは?

 携帯繋がらなかったり。

 メール届かなかったり。

 倒れて病院に運ばれた日。

 あんな自分勝手な台詞で別れることを一方的に決めた俺を殴らなかったのは、何でだった?

 全部、俺を守るためだったじゃないか。

 俺のこと守ろうとしてくれたからじゃないか、自分の方が怖い目に遭っていたに違いないのに……!

「ごめん…っ…ごめん忍…俺、絶対に死なない…っ」

「裕二…?」

「俺、おまえ守って死んだりなんか絶対にしない……!」

 そうだよ、何を聞いていたんだよ。

 天使の迎えは、間違った終わりなんだ。

 それを諦めるのはバカなんだ。

 諦めたらバカだって、あの天使は言ったじゃないか。

「…っ…」

 たぶん、そういうこと。

 膵臓癌で死ぬのは、正しい終わり方だと思う。

 だけど二十日は――そうだ、あの医者っぽくない俺の主治医が指定した十二月二十日。

 俺が選ぶ、忍の誕生日の死は、諦めたら許されない、間違った終わりの日。

 諦めたら忍が泣く。

 自分のせいだって泣いて、悲しんで。

 それ見て俺は後悔する。

 死んでも死に切れなくて、忍の傍を離れられなくて、天使の迎えも拒否して地縛霊や怨霊みたいなものになってしまうんだ。

 だから、そうさせないために天使達が教えてくれたんだろ?

 ストーカーのこと。

 人間の二通りの終り方のこと。

 そう考えたらスッキリする。

 全部に合点がいくじゃないか。

「…俺はバカだから…何でも気付くの遅いけど…けど…、これだけは約束する。おまえのために死んだりなんか絶対にしない」

「…っ」

「おまえの傍で、本当の、本当の最後まで生きたい…おまえの傍で生きていたい…!」

 もういい。

 これが俺の我儘でも、何でも。

 忍と一緒にいたい、それだけが願い。

「捨てろなんて言わないでくれ…っ」

「裕二…」

「俺の傍にいてくれ……!」

「裕二…!」

 抱き締め合う腕の力強さと、温もりが。

 名前を呼んでくれるおまえの声が。

 …その全部が、俺が生きている証。

 だから、諦めない。

 忍を泣かすためになんか、絶対に死んだりしない―――!






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