第五話
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俺の傍に居てくれって忍に頼んでから一週間が過ぎた。
忍がストーカーに狙われていることは、相変わらず互いに知らないフリで、どちらもその話題に触れることはない。
でも俺は犯人を捕まえたい。
この手で捕まえて、忍が毎日を平和に過ごせるようにしてやりたいんだ。
だから、忍には内緒でいろいろ動き回ることにした。
この一週間で、忍が病院に来てくれる時間帯や最近の仕事の様子を知ることが出来た。
何時までに病室に戻っていれば怪しまれることはないと計算した俺は、自分の担当医を巻き込んでストーカー捕獲作戦を実行に移す事にした。
…そういえば、あの医者の名前、何て言うんだっけ。
今度、名札を見ておこう。
いまさら名前を聞くのは失礼だしな。
「よしっ」
私服に着替えて、靴も履いて。
今度は携帯電話もちゃんと内ポケットに入れた後で、今まで着ていた寝巻きを畳んで袋に入れる。
準備万端、いざ出陣。
勇んで戸を開けたら、いきなり主治医とぶつかりそうになった。
「っ、済みません」
「いいえ。…お出かけですか?」
「はい。昨日先生にお願いした件、宜しくお願いします」
頭を下げて、寝巻きを入れた袋を差し出す。
これをどこか外で預かっておいてもらって、戻ってきたら、外で着替えて病室に帰ってくる。
そうすれば、万が一、忍の方が先に病室に着いても怪しまれずに済むだろう?
「確かにお預かりしましたよ」
先生はそれを受け取って笑い返してくれる。
その笑い方が、…やっぱり色気漂ってるんだよ。
この人、案外、天然で女泣かせてるんじゃないだろうか。
俺がそう思っていたら、
「木下さん、いい顔をされていますよ。やはり愛する人がいればこそ生きるということが尊くなるんでしょうね」
「――」
…そういうことを素で言うんだ、この人。
ほんと、参る。
こっちが照れるって。
「えっと…じゃ、行って来ます」
「行ってらっしゃい」
先生に見送られて病院を出て、そして気付いた。
また先生の名前を見忘れた。
あの色気…、絶対に無駄に振り撒き過ぎだろ!
***
一週間前、忍は俺が不自由しているなら仕事を休んでも構わないとまで言ってくれた。
有給もまるまる残っているから、それ使い切っても、俺が死ぬまで傍にいてくれるって。
だけど俺には忍のストーカーを捕まえるという大事な使命があるし、自分の命の刻限も知っている。
だから仕事にはちゃんと行けって言った。
傍にいてくれるのは、その日が近付いてからでいい。
俺がストーカーの正体を掴んで、その日を待つだけになったら、その時こそイヤでも俺の傍にいてもらうんだ。
「ストーカー…いま一番怪しいのは、あの時の外人っぽいガキだけど…」
俺の病室に、あんなに大量の写真をばら撒いていった子供。
だが、やはりあんな幼い子供が犯罪者だとは考え難い。
「うーん…」
だったら、どうしてあの子供は俺の病室に来たんだ。
俺にストーカーの存在を知らせる為だけに現れたのか。
………現れた。
やっぱりあれは幽霊か?
いや、俺の勝手な推論だから何とも言い難いけど、あの雰囲気とか、いきなり消えたとか、普通の子供だとはとてもじゃないけど思えない。
「…」
そういえば、もう一人、奇妙な奴がいたことを思い出した。
あの日、病院の中庭で話しかけてきたふわふわの女だ。
人間の命には終わり方が二つある。
死神が迎えに来る正しい終わりと、天使が迎えに来る間違った終わり。
間違った死なら諦めるのはバカだって言われたっけ。
「…けど、俺の体はどのみち残り一月ないんだ」
そう、もしも二十日が俺の間違った終わり方で、諦めるのはバカだと言われても。
…いや、外部からの力で理不尽に命絶たれるのが間違った終わり方で、俺が敵視しているのが忍のストーカーって言う危険人物なら、十中八九、二十日を選ぶのは間違いなんだと思う。
だけど、この病魔に侵された体の残り時間も一月。
似たような時間しか生きられないなら、せめて忍にだけは平穏な生活を取り戻させてやりたい。
だから俺はその日を選ぶ。
「忍は俺が守るんだ」
忍だけは、絶対に。
バスに乗って十五分くらいで忍が住んでいるマンションに着いた。
あの日はここまで走ってきて、あんな目に遭ったから、今回はなるべく身体に負担をかけない方法でやって来た。
一週間前には道路に落ち葉の絨毯を敷いたようになっていて、木の枝にもまだ葉が残っていたのに、雪の降る頻度が高くなるにつれて景色はシンプルなものに変化していく。
枯れ木と、空と、アスファルト。
道を行く人の姿も減って、俺がこうして歩いていてもすれ違う人は誰もいない。
最も、午後一時なんて時間じゃ学校も会社も終わっていないし、主婦が買い物に行ったり、犬の散歩に出たりするにも早い時間だから、寒さのせいってわけでもないか。
今日は午前中に検診があったから午後からしか外出できなかったけど、明日は朝一で張り込みを開始するつもりだ。
忍の出勤は朝八時。
帰りは六時前。
これは付き合っていた頃から変わっていないし、いまは俺の病院に寄ってからだから帰りはもう少し遅くなる。
忍にあんな封筒を送りつけるってことは、自分の存在を相手に知らしめるためで、それを確実に本人に受け取らせるには、本人の外出時――この時間帯に忍の郵便受けに近付くって確率が高いと思う。
あいつが来た時に俺が病院にいないわけにはいかないから張り込める時間は限られてしまうものの、六時間以上は見張れるはず。
本人に確認は取れないし、全部が俺の推測で、自信なんかない。
だからこそ張り込むんだ。
郵便局員以外で忍の郵便受けに近付く奴がいたら片っ端から捕まえてやる!
「ま…朝からじゃなくたって、さすがにこの時間にヘンなものはないよな…?」
まだ昼過ぎで、空だってこんなに明るいんだと思いながら、念のためにと郵便受けを開けた。
…開けながら思った。
忍、せめてここには鍵をつけておかないか?
こんなの、自腹切るって言ったって数百円なんだからさ。
…いや、あいつのことだから、鍵つけるなんてストーカーを怖がっているような意思表示はしたくないってとこだろう。
まぁ、鍵が無いから俺が勝手に確かめられるのも確かで。
「………」
鍵がついていたら、俺がこれを見つけることも出来なかった。
忍より先に取り除いて捨てられるのは、忍の男らしくも高すぎるプライドのおかげだ。
「……まさか、こんな時間から仕込まれているとはな…」
郵便物の一番下にあった白い封筒。
宛名も送り主の名前もないそれは、あの日に自分の病室で手にしたものと同じだった。
すぐに握り潰そうとして、中に剃刀が入っているかもしれないことに気付く。
あの日、それで切った傷はまだ治っていない。
注意深く封を切って、中身を確認。
思った通りの隠し撮り写真と、脅迫めいた短い文章。
『君はぼくのもの』
『僕が世界一幸せにしてあげるよ』
『近い内に必ず迎えに行く』
「…っ…絶対に忍には近づけさせないからな……!」
この犯人は、俺と忍が一時的にせよ別れたことも知っているんだろうか。
いま、忍が俺のために病院に通っていることにも気付いているんだろうか。
「…」
忍が会社に行っている時間まで、この辺でカメラを構えていたりはしないだろう。
犯人に、俺の姿が撮られることは、…ないと信じたい。
問題の封筒以外は元の通り、郵便受けに戻して蓋を閉めてから、マンションを出た。
まったく防犯の役に立たない管理人は、やっぱり新聞に目を落としたまま一度も顔を上げることはなかった。
それからしばらく、マンションの近くにある小さな公園で、そこに出入りする人間を観察した。
忍の部屋の郵便受けまでは見えないから、怪しそうな男が入って行ったらさりげなく後を追って監視した。
子供や女性は問題外。
男でも、大概は問題無さそうだと判断した。
だってあんな写真を隠し撮りするような奴だ、現れたら何となくでも直感が働きそうな気がする。
二時間近くその場に居座って、最後にもう一度だけ忍の郵便受けを確認して、四時過ぎに病院に戻った。
先生はいなかったけど、受付に預けられていた寝巻きを看護士から受け取り、トイレで着替えて病室に戻る。
私服の入った袋を引き出しに押し込んでベッドに入っていたら、三十分くらいで忍が顔を見せた。
とりあえず、今日は問題なし。
部屋に帰った忍は、緊張しながら郵便受けを開けるんだろうけど、いつもの封筒が入っていなくて拍子抜けすると思う。
それから、ほんの少しでも、ほっとして笑ってくれればいい。
「よ、裕二。調子どうだ?」
そう言って笑ってくれる、その笑顔がずっと続けばいい。
***
「裕二ー」
呼ばれて顔を上げると、忍の真っ直ぐな目が笑っていた。
「少し外に出ようぜ。せっかく天気良いんだしさ」
日曜日の昼過ぎ。
今日は一日中一緒にいてやるって、面会開始時間から顔を見せてくれた。
自分は持ち込みのコンビニ弁当で、俺と一緒に食事して。
テレビ見ながら話して。
一月会わずにいたなんて信じられないくらい、忍はあの頃と変わらない態度で、あの頃と同じような休日を、二人で過ごす。
「ここの中庭、結構いいんだぞ。広くて、散歩道もあってさ」
「だと思ったんだ、窓から見てても気持ち良さそうだったから」
キャスター付の、点滴薬引っ掛ける棒を右手に持ちながら俺達は中庭に出た。
本当にいい天気だ。
十二月の風は冷たいけど、気持ちが良い。
「おまえ寒くないか? …あ、何か温かいもん買ってくる」
「あぁ…でも財布、部屋に置いてきた」
「いいって、これくらい奢ってやる」
「じゃあ緑茶」
「ん。その辺で待ってろ、すぐに戻るからさ」
病院の傍にある自動販売機に向かって駆けていく背中を見送って、俺はつい笑ってしまった。
以前と変わらないわけでもないか。
忍の奴、時々妙に優しい。
「…」
残り一月ない命。
何も変わらない態度で接していたって、変えられないその事実は俺達に重く圧し掛かる。
こういうのも嫌で、病気が分かった時に別れようと思ったのに、結局はこんなことになって、一緒にいられることが嬉しいと思ってしまうんだから、俺も随分と勝手だ。
だけどやっぱり傍にいたい。
それが本心なんだ。
「……しっかし、ストーカーにも休日なんてあるんだろうか…」
それが気になって、空を見上げる。
今日は朝から忍が来てくれたから見張りには行けないが、張り込みを始めてそろそろ一週間になる。
初日以降は朝九時から張り込んで夕方四時過ぎに病院に戻る。
それ以前に不審な郵便物の投函がないことは確認し、初日のことも考えるとそれ以降に不審人物が現れてもいいと考えていたんだけど、この一週間、それらしい人物とはまったく遭遇していないんだ。
最近ストーカー被害はどうなっているのか、なんて本人には聞けないし、かと言って夜中に怪しい動きをされているなら、そんな時にこそ傍にいられなきゃ意味がない。
「…はぁ」
忍にストーカーがいることに気付いて二週間、正直、俺は何の手掛かりもつかめずにいた。
「二十四時間、あいつの部屋の前で張り込むわけにはいかないもんな…」
入院中の上に余命わずかの身体で無茶なことをすれば、最悪、忍に全部気付かれて俺の計画は台無しだ。
ほんと、何かいい方法はないものか…。
「あ、また会えた」
「ぇ…」
唐突に声を掛けられて驚いた。
誰かと思って振り向いたら、いつぞやのふわふわな女だ。
ほら、人間には命の終わりが二種類あるって話をしていた!
「あんた…、まさかあんたもここに入院しているのか?」
「違うよ、私はこの病院で働いている知り合いに会いに来ただけ」
「あ、そ…」
どうも胡散臭いと思ってしまうのは、やっぱり以前聞かされた話のせいだろう。
「……ふぅん」
「?」
じろじろと見られて、何か勝手に納得しているらしい女に、少しだけムッとする。
「なんだよ…、どっかヘンなところあるか?」
「ヘン…なわけじゃないけど…ううん、やっぱりヘンなのかも。この間よりイイ顔しているんだもん」
「は?」
「貴方の顔、絶対にもうすぐ死ぬ人間の顔じゃないわ」
「………」
なんか苛ついてきた。
俺の寿命は医者に宣告されたんだ。
死にたくなくなって死ぬって言われている人間にそういう言い方って、無神経にも程があるんじゃないだろうか。
「そんな顔していても、まだ来月の貴方の死は正しいと思っているの?」
「俺は医者にそう宣告されたんだっ」
思わず声を荒げた俺に、だけど女は楽しそうに笑ってる。
その笑顔とか、雰囲気…、髪のせいもあるかな。
なんだか綿菓子みたいな女だ。
「面白いなぁ。貴方、素直すぎるって言われない?」
「バカにしてんのか」
「ううん、ただ本当に面白いなぁと思ってるだけ」
「…」
それを世間では馬鹿にしていると言うんじゃなかろうか?
「私はそういう素直な人間、好きだけどね」
「………」
言って微笑む彼女に、俺は声を詰まらせた。
好き、って。
別に俺のこと言ってるわけじゃないって解ってるんだけどさ、…何と言うか、ふわふわの笑顔で言うから、さ。
すっかり毒気も抜かれて困ってる俺を笑って、彼女は少し歩こうと誘ってきた。
忍がいるのに、どうしようかと迷ったけど、このどこか奇妙な女に聞きたいことがあったのを思い出す。
「…一つ、質問しても?」
それを合図に、俺達は歩き出した。
病院の中庭、いまは枯れ木になってしまった銀杏の散歩道。
遠くに行き過ぎなければ忍を見失うことはないだろう。
「質問て?」
「まえ…最初に会った日、どうして俺にあんな話をした?」
「人の死には二通りあるって?」
「今だって、…まるで…俺は死なない、みたいな言い方だ」
「だって死ななさそうなんだもの」
「医者にあと一月だって言われている人間にそういう…期待持たせるようなこと言うのって無神経だとか思わない?」
「無神経? 思った通りのことしか言ってないのに?」
「だからそれが…」
「死ななさそうに見えるんだもの。そう言われたら、だったら俺はまだ生きられるかもって思ったりしない?」
「――」
「ちょっと頑張ってみようって気にならない?」
「………つまり、励ましてるつもりだったってことか?」
「励ましているわけじゃないけど…なんだろ、諦めないで欲しいなぁと思うの。もし一月後に訪れる貴方の死が間違ったもので天使が迎えに来たら、その後のあなた、すごい大変な目に遭うのよ?」
「…その大変な目って言うのが解らない。俺のイメージだけど…天使が来るってことは天国に行けるんじゃないのか?」
「天国なんて、本当にあると思う?」
「――…それは…死んだことないから解らないけど…」
「そうよ。死後のことなんて死んだ人間にしかわからないの。だから死後の世界のことなんて知っている人はいないのよ」
「……霊能者とか」
「………面白いこと言うわね」
そうして彼女は苦笑いした。
「あのね、ああいう人達が見たり、声を聞いたりする霊は、天使の迎えから逃げた霊がほとんど。予定外の死でこの世に未練を残しているから人と話したがるの」
「…」
「問題なく死を迎えた魂は死神様の手で真っ直ぐに輪廻に還るんだもの。心置きなくあの世に行ける魂から何かを聞き出すのは、ほとんど不可能。それを可能にする霊能者がいたとしたら、それは人間よりも神に近いんじゃない?」
つまり…、なんだ。
霊能者が話せるのは未練を残した死者=間違った終わり方で死んでしまった上に迎えにきた天使から逃げた霊だけ、ってことか?
「…じゃあ…、天使の迎えに素直に応えたらどうなるんだ?」
「天使になるのよ」
「――は?」
「天使になるの。そうして、間違った終わり方で死んでしまった人間を迎えに行く役目を負うの」
「…」
「貴方、素直だもの。きっと天使になるわ。それで死にたくないと嘆く霊を無理やりにでも連れて行って天使にしなきゃいけないの。時には逃げられて、逃げられた魂を地縛霊や怨霊にしちゃって、…それを見て後悔し続ける、もっと自分に力があれば怨霊なんかにせずに済んだのに、って」
「…」
「だけど天使に力なんてない。間違った終わりを受け入れるしかなかった天使にとって、魂の迎えは“償い”なんだから」
「……それは、嫌な役目だな」
「そうよ、嫌な役目」
言って、歪む顔。
ふわふわが萎んでいくような…。
「…」
どうしよう、言ったら笑われるかな。
あんたが俺を迎えにきた天使か、って。
そう尋ねたら、この女は、笑うだろうか。
俺の選ぶ終わりは。
二十日は、やっぱり間違った終わりで、俺は天使になるのか…?
「……失敗したかな」
「え…?」
「だって今の私の言い方、すごく…貴方に疑念を抱かせたでしょ?」
「ぇ…そ、それは…」
動揺して口が回らない。
それが彼女への返答になった。
「ん。自覚してるから…だから、今は何も聞かないでくれる?」
「……なにも?」
「次に会えたら、全部、教えてあげる」
俺の気持ち読んで。
解っていて。
…こんなふうに、淋しげに笑うのはずるいと思う。
「今度…いつ会える?」
「そうね……、二十日かな」
「……わかった」
十二月二十日。
俺の主治医が予告した、俺の命日。
そっか、と思った。
やっぱりそうなんだって。
「…最後にもう一つだけ」
「なに?」
「俺、病気では死なないよ」
「へぇ?」
「間違っていようが何だろうが、俺が死ぬのは、自分のためにだ」
「………そう」
最後に微苦笑して、彼女は遠ざかっていった。
俺は追わない。
あとは十二月二十日に会える、それでいいと思うから。
「…」
一息ついて、俺も彼女の背に、背を向けた。
そういえば忍、どうしただろう――。
「この浮気モン!」
「っ」
痛ぇっ!
痛いし熱いし何か硬いし!
「忍…っ…おまえ……!」
「言い訳は見苦しいぞアホンダラッ、人が自販行ってる間に何だよあの女は! あれがおまえの嫁さん候補か!?」
「ちが…っ…」
顔面に激突した熱い緑茶のペットボトルを一瞥して、俺は慌てて忍の腕を掴んだ。
「誤解…っ…いまの女は……、この病院の関係者で…」
「いまの間は何だくるぁっ!」
「わっ」
もう一発殴られそうになって、慌てて後ろに下がった。
かなり凶暴で下品な言葉使っているけど、これが嫉妬だと思ったら、…可愛いな。
アホかって言われても、俺には忍しかいないんだ。
「っ、てめ…!」
なんかまた怒鳴りそうな忍を強引に抱き寄せて、キスした。
「んっ…んんん!」
病院の中庭。
他にも入院中の患者さんとか、看護士さんとか何人もいたけど、…いいよな。
「っ…はぁっ、おまえなに考えて…!」
「愛してる」
「………!」
「忍を愛してる…、忍以外の奴なんかこれっぽっちも可愛いと思わないし」
「可愛い言うな!」
「抱き締めたいとかキスしたいとか思わないし」
「口に出すな、そういうこと!」
「そうやって照れるおまえ、見るのも好きだし」
「……っ…てめぇ…調子に乗ってンじゃねぇっ!」
忍の手が拳作って震えているのは、俺を殴りたいと思っているからだろう。
けど、俺も殴られるのはイヤだから、今より力入れて抱き締める。
好きだよ。
好きだ。
大好きだ。
天使が迎えに来る死でも、何でも。
俺は、おまえを守るために十二月二十日を選ぶ。
「――」
え…?
俺は自分の目を疑った。
「…っ…」
「裕二…?」
腕の中で忍が呼んだけど、ちょっと答える余裕はなかった。
だって、目の前にあの子供がいる。
俺の部屋に、隠し撮りの写真が入った封筒を大量にばら撒いていった、あの外人ぽい顔立ちの子供が、俺の目を真っ直ぐに見ながら、伸ばした指先で一点を指し示す。
「………っ」
怖かった。
少年の指先の向こうに何があるのか。
誰が、居るのか。
でも変だ。
少年が示す方向は病院の建物。
「……っ?」
何故かと疑問に思いながらそちらに目を向けてハッとする。
病院の窓ガラスだ。
そこに映る。
樹に半身を隠している、男の姿。
「――!」
見たことのない顔だった。
だけど、男はかなりの敵意を剥き出しにした目で俺を見て、忍を見ている。
こいつだって頭の中で何かが叫ぶ。
これが直感ってヤツだろうか。
こいつが忍のストーカーだって、確信した。
「…」
確信しながら不思議に思う。
普通なら、窓ガラスに映る姿が鏡のように鮮明に見えるはずがない。
ならばこの映像は、おまえの仕業か。
おまえも――この子供も、俺を迎えにきた天使なのか……?
だから教えてくれるのか。
忍のストーカーのこと。
その正体も。
俺が、後悔なく死ねるように。
天使の迎えから逃げて怨霊や地縛霊にならずに済むように、協力してくれるのか…?
「…っ…」
俺は覚悟を決めて、窓ガラスに映る位置にある樹を探し、…そしてその横に佇み、俺を――忍を見据える男を直視した。
こいつが犯人。
…こいつが、俺の敵。
「…っ」
今すぐに捕まえてやろうと思った。
だけど、男と視線が重なり。
睨み合った瞬間、男はいきなり背中を向けて走り出した。
「裕二?」
何も気付いていない忍が怪訝な顔をしている。
「…、いや、…なんでもない」
「?」
こいつは、自分のストーカーからも俺を守ろうとしたんだ。
病院までストーカーが付いて来ていたと知ったら何を言い出すか、…安易に想像出来て絶対に気付かせちゃいけないと思った。
「…忍、今日、病院に泊まっていかないか?」
「はぁ?」
「病院が駄目なら俺が外泊許可取るから…おまえの部屋でもいいし」
「ぁ…、それは…悪い。俺の部屋は駄目だ、ちょっと…」
予想通りの返答。
そうだよ、忍の部屋にはあいつが何を仕掛けているか解らない。
「なら俺の部屋でもいい…今夜…せめて今夜だけは一緒にいられないか……?」
「なにイキナリ…」
「…こうやって抱き締めてたら、なんか止まんなくなってきた」
「っ…おまえ…!」
「頼む。…おまえの全部、もっと感じたいんだ……おまえの匂いとか、あっちまで持っていけるようにさ……」
「…」
あっちって、あの世の話持ち出したりする俺も、随分と卑怯な男になったもんだ。
けどこれは効果覿面。
「…っ…このタコが……!」
怒りながら、それでも忍は俺を抱き返してくれる。
離れない。
離さない。
絶対に守ってみせる。
「…」
目線を戻したら、あの子供が幾分か優しい眼をしていた。
たぶん、さっきのふわふわな天使も微笑っている。
俺は間違えていない。
十二月二十日まで、あと二週間だ――。