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「ふぅ……。こいつは酷いな……。」
イグは煙草の煙を吐きながら、ルネ司祭の遺体を見つめた。赤紫色のキャソックは、飛び散った血で黒々としたシミを作り、布地の大部分が変色している。顔はもはや人だった頃の面影すらなく、鋭い爪か刃物で何度も引き裂かれたように、肉がえぐり取られていた。臓物は飛び出し、骨は砕け、もはや原型を留めていない。傷のない場所を探すことの方が、遥かに難しいだろう。
カミーユは手元の端末から目を離さず、遺体発見の経緯を説明する。
「……。ルネ司祭が発見されたのは明朝。部屋にいらっしゃらないことを不審に思った司祭秘書が教会周辺を探していたところ、この場所で発見されました。遺体の損壊が激しく、身元の特定は困難でしたが、ルネ司祭の名前が刻まれたロザリオが見つかったことで身元が判明しました。」
遺体の周りでは、警察と教会関係者が慌ただしく動き回っている。司祭が惨殺されたとなれば、大ニュースになるはずだが、司教選という時期もあり、事件は内密に捜査されているようだった。
イグは昨夜の出来事をカミーユとエマに伝えるため、目で合図し人気の少ない場所に二人を連れて行く。そして昨日の出来事を二人に伝える。
「—と言うわけで、昨夜白王と交戦した。」
その報告に、二人の反応は対照的だった。
「昨日の馬鹿騒ぎはあなたの仕業なのね?何年エクソシストやってるのよ?もっと人気のない場所で…。」
エマが呆れたように問い詰める。一方で、カミーユは目を輝かせた。
「さすがイグさんですね!単独で白王を追い返したんですか?」
その様子を影から見ていたセレナは、珍しくイグが問い詰められているのを見て、楽しげに笑っていた。
(しまったな…、単独で白王相手に無傷は流石に怪しまれるか…?)
イグは少し考えた後、諦めたように質問に答える。
「……少し前に弟子を取ったんだよ。彼女の援護があってな。」
エマの綺麗な形の眉が、ぴくりと動く。
「……へぇ。弟子を取ったんだ?それも”彼女”?どんな子なの?フリーのエクソシスト?どこで会ったの?いつから?」
エマが畳みかけるように質問する。カミーユはエマを落ち着かせようとしながらも、イグの弟子への興味に右往左往していた。
—カミーユは姉を落ち着けた後、イグに話しかける。
「イグさん、アンドレ司祭との面会の時間が迫っているので、そろそろ移動しましょうか?」
「ああ、構わないよ。」
イグは静かに答える。
「……それと、いつか弟子を紹介するよ。」
「その約束、絶対に守りなさいよ。」
エマはイグを睨みながら、念を押した。
*
大聖堂の一室。
「ルネ司祭のような敬遠な使徒が亡くなったのは、教会ひいては人類の損失です。本当に惜しい人を無くした。」
アンドレ司祭は目を伏せ、ルネ司祭に追悼の意を示した。アンドレ司祭はカソックの上からでも分かるほど、屈強な体つきをしている。顔つきは聖職者というより歴戦の戦士を思わせた。
カミーユが二人の間に入り、紹介を始める。
「……。こちらは元教会のエクソシストで、現在はフリーでエクソシストをされているイグナティウスさんです。今回、教会が依頼しローマから来て頂いてます。」
「アンドレ司祭。司教選でお忙しい中、お時間を作って頂きありがとうございます。」
イグは丁寧に頭を下げる。
アンドレはイグの、頭から足元まで観察するように見つめイグに話しかける。
「あなたが、イグナティウス神父…いや、イグナティウスさんと今はお呼びするべきでしょうか。」
それは暗に、イグはエクソシストではないという皮肉を含んでいた。
「あなたはシスター•エマと同門だと伺っています。…と言うことは”あの男”に師事していたのですか?」
イグはアンドレの探るような目を煩わしく思い、あえて無視して質問を切り出す。
「そんなことよりも人狼の件でお伺いしたい事があります。昨夜、人狼と交戦し捕獲した直後、白王と交戦しましたが、逃亡されました。」
アンドレはイグの態度を不快に思いながらも、『白王』という名前に興味を持つ。
「ほぉ、聖戦時代の残党がまだ生きていたとは…。
”フリー”のエクソシストがよく戦えましたね。」
「悪運がいいもので。アンドレ司祭とルネ司祭は人狼と対峙し、”逃げられた”とお伺いしたのですが…。司祭が二人がかりで”ただの”人狼に逃げられたと…?」
イグは虫の居所が悪く皮肉めいた口調でアンドレに尋ねる。
アンドレは少し黙り、ゆっくりと口を開く。
「今から話す内容はルネ司祭の名誉のために黙っていて欲しいのですが…。」
そう言って、三人の目を見つめる。
三人が無言で頷くと、アンドレは話を続けた。
「……。実はルネ司祭が人狼に怯え逃げてしまったのです。そこに気を取られている間に、私は人狼の強襲を受け、お恥ずかしながら右腕を負傷し、逃げられてしまったのです。」
と言い、カソックの袖を捲り包帯の巻かれた右腕を見せる。
「ルネ司祭が…ですか。」
エマがまさかと言う表情で聞き返す。
「ルネ司祭は聖戦で活躍し、市民からの信頼も厚い優秀なエクソシストだとお伺いしていましたが?」
「……。ルネ司祭は聖戦の際に人狼に捕縛され、拷問にかけられたと本人から聞いています。その出来事がトラウマになったようで…。」
神妙な顔をしながらアンドレは淡々と答える。
「そんな事が……。」
カミーユは驚きを隠せず、思わず声を漏らした。
イグは何か考え込むような顔でアンドレ司祭の話を聞いている。
部屋の中には不穏な空気が流れていた。